何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

萱野葵『段ボールハウスガール』の感想


(2004年11月読了)

 当時、連休中の深夜に、終夜営業している近所のモスバーガーになぜだか居座って、軽く読めそうなものを一晩で4冊ほど一気読みした。この本は、その1冊目である。200万円を盗まれた女の無軌道な路上生活を描いた表題作と、仕事を辞めた主人公とアル中だった弟の暮らしを描いた「ダイナマイト・ビンボー」を収めている。

 実は、最初に読んだのは表題作のみを収録した文庫本だった。

ダンボールハウスガール (角川文庫)

ダンボールハウスガール (角川文庫)

 

 その後しばらくして、「単行本にはもう1編入っている」という情報を得て単行本を読んだのである。このため厳密には文庫→単行本という順序で別個に記事にするところだが、重複するので単行本1冊についての記事で足れりとする。
 ちなみに「ダイナマイト・ビンボー」も、新潮新人賞受賞作「Merci la vie」(「叶えられた祈り」改題)を併せて文庫化されている。単行本の内容をそのまま文庫化する、というのはよくあるが、1冊の単行本に収録された作品を、別々の文庫本として出すのは珍しいと思う。表題作は米倉涼子主演で映画化されたようだが、文庫版の表紙も映画に準拠していることから、そうした事情があったのかもしれない。ちなみに映画はかなり翻案されているようである(未視聴)。

ダンボールハウスガール [DVD]

ダンボールハウスガール [DVD]

 

 前置きが長くなったが、以下、あらすじを示そう。

あらすじ

 「段ボールハウスガール」。OLの杏(あん)は、爪に火を灯すようにして貯めた200万円を盗まれてしまう。勤労意欲が消失した彼女は、身の回りのものを処分し、路上生活に身を投じる。出身の大学や図書館を根城にして暮らすが、やがて金が尽き、新宿駅周辺でファストフード店の残飯を漁り、西口の地下通路に段ボールの家を構えるようになっていく。クラブのフリードリンク・フード券でタダ飯を食い、公衆トイレからチラシやティッシュを失敬し、パーティーに潜り込んだりして、杏の段ボールハウスライフは続いていく。
 やがて杏は現金収入のためにQ2のバイトを始めるが、軽蔑と虚勢の入り混じった会話に倦み、携帯電話を契約して家庭教師の口を探す。教え子となった裕福な家の女子中学生・山口恵美は、杏の指導で成績が上がったこともあり彼女になつき、一緒にクラブに出かけたり遠出をし、自らが抱える闇を吐露したりもする。恵美の望むことに対し、杏は金と引き換えに可能な限り応えるが、その心情は共感や同情とは隔たっていた。そうした家庭教師の仕事と並行して、杏は寸借詐欺を繰り返すようになっていく。
 恵美は第一志望に合格し、杏は相変わらず段ボールハウス暮らしを続ける。古看板を転売して小金を稼いだり、サラ金で金を借りたりして貯金を増やす中、高校生になった恵美と再会するが、それは杏に苦いものを残すだけだった。
 段ボールの家を壊し、買った自転車に跨って杏は移動する。行き着いた小学校で夜明かしすることにするが、そこで見つけた焼却炉に心惹かれ、その中に入っていく。段ボールハウス生活をしているうち、貯金は200万円を超えていた。焼却炉の中、ゴミと一緒になりながら、杏は携帯電話から誰とも知らぬ番号に電話をかける。満ち足りた気持ちだった。

 「ダイナマイト・ビンボー」。5年かけて大学を卒業し、24個の就職試験に落ちた土方鏡は、小さな倉庫会社で働いている。3つ下の弟の汚夢は、中学3年の頃から引きこもり、アルコール依存症になって、それがもとで両親は離婚、父親は家を出て再婚した。18歳になると汚夢は鏡のアパートへ転がり込んでき、やがて母親は亡くなった。
 楽ではない生活のため、鏡は働かない汚夢に言いつけ、毎日の昼食を職場まで届けさせ、夕食も作らせている。大学で空手をやっていた鏡の肉体は鍛え抜かれ、時おり衝動的な攻撃性が頭をもたげる。それがためか、鏡は汚夢を追い出してしまい、弟との同居によるストレスが解消されて喜ぶが、結局は料理を引き受けていた汚夢を再び家に置くことになる。ふと、鏡は働くことに嫌気が差した。
 近所の診療所で「自分は病気だ」と言い張り、精神科のクリニックでは異性への恐怖、職場でのいじめなど、あることないことを言い続け、ついに鏡は診断書を持って福祉事務所を訪れる。相談員をどうにかごまかし、ついに2人は生活保護の生活を勝ち取る。
 しかし、それも長続きはしなかった。医師は鏡を疑い、戦わずにはいられない鏡自身も、現在の境遇を良しとしない言動をしだす。
 生活保護は打ち切られる。貯金を切り崩しながら、鏡は公務員採用試験の勉強を続ける。問答の最中、ふと走った言葉を真に受けた相談員が用意した問題集と参考書を使って。生活は困窮していき、久しぶりの父親からの電話も実を結ばず、汚夢は衰弱していく中、満足に食事もせずに鏡の「戦い」が続く。
 なんとか二次試験まで進んだ鏡は、生活費のために小さな罪を犯す。ほどなく汚夢の衰弱がつのるが、家賃滞納によって2人はアパートを出ていくことになる。汚夢を背負い、行き着いた鉄塔の下、鏡は試験結果を待つのだった。

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霧舎巧『ドッペルゲンガー宮《あかずの扉》研究会流氷館へ』の感想


(2004年11月読了)

 もっと新本格ミステリを読もうと思い、手に取る。作者は本作によって1999年にデビューした「20世紀最後の新本格派新人」とのことである。当時、日曜に読み出し、その日のうちに残り100ページまで読み進め、翌月曜の深夜に読了した。とある大学の《あかずの扉》研究会なる面々が登場するシリーズの1作目である(そして、作者にとってはデビュー作でもある)。まずはあらすじを示そう。

あらすじ

 ミステリマニアの二本松翔(にほんまつ・かける)は、北澤大学に入学する。さっそく推理小説研究会に入会しようと足を運ぶが、ふとしたことから《あかずの扉》研究会なる団体の面々と知り合うことに。風変りなメンバーに惹かれた翔は、目当ての会が消滅していたこともあり、《あかずの扉》研究会への入会を志望し、どうやら認められる。
 鋭い推理力を有する会長の後藤悟(ごどう・さとる)、自称名探偵の鳴海雄一郎(なるみ・ゆういちろう)、どんな鍵でも開錠できるジョーマエこと大前田丈(おおまえだ・じょう)、霊能力らしきものを持つ森咲枝(もり・さきえ)、自称「広報」にしてエキセントリックに翔を翻弄するユイこと油井広美(ゆい・ひろみ)といった《あかずの扉》研究会メンバー――とりわけユイと翔が打ち解け始めた頃、会のドアノブをノックする者があった。訪問者は、お嬢様学校である純徳女学院高等学校の教諭・遠峯幸彦。彼の用件は、1年前に突然実家に帰り、そのまま戻ってこない氷室涼香(ひむろ・りょうか)という生徒を、探して欲しいというものであった。
 千葉県にある涼香の実家とは、彼女の祖父の実業家・氷室流侃(――・りゅうかん)の館である《流氷館》。1年前、流侃主催の推理サークル《隣の部屋》の推理イベントに乗じて行方が分からなくなったのだという。今年も催される推理イベントに参加すれば涼香と再会させる、という流侃の招待状に不審をおぼえ、遠峯は後堂たちを頼ってきたのだった。
 後堂は依頼を受けることを決め、まず鳴海を遠峯と一緒に先行させる。時を同じくして、予期せぬ訪問者もまた、流氷館を訪れる。鳴海の闖入は推理イベントに集った面々を面食らわせるが、そんなことなど些細なものと嘲笑うかのように、惨劇が始まろうとしていた。
 やがて、ようやく翔たちが流氷館へ到着する。しかし、彼らを迎えたのは無人の館だった。携帯電話が繋がった鳴海はしかし、自分たちは今も流氷館に居り、閉じ込められている、と言う。そして、混迷と戦慄が連なっていく。
 県警がやってきて捜査を始めるが、“もう1つの流氷館”の正体はつかめず、刻々と時間は過ぎる。鳴海たちの居る“もう1つの流氷館”で次第に狂乱と絶望が支配的となっていく中、後堂が推理を展開し、翔とユイがそれを助け、咲枝と丈もそれぞれの能力を発揮して真相に迫っていく。
 2つの館の謎が解けた時、ついに後堂は指摘する。《隣の部屋》の同人誌に記された小説『そして誰もいなくなるか』と奇妙にリンクした、一連の出来事の真実を。

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メーテルリンク原作/中村麻美 翻案・画『チルチルの青春』の感想

チルチルの青春

 以前、『川の深さは』について書いた時に少し触れたが、私は『うしおととら』『からくりサーカス』などを描いた藤田和日郎の漫画を、相当に愛好している。

 現在は『双亡亭壊すべし』を連載している藤田氏だが、その1つ前の連載、2008年から2014年にかけて描かれた『月光条例』は、全ての“物語”を巻き込んだ物語だった。
 同作の中でとりわけ重要な意味を持っているのが『竹取物語』と『青い鳥』なのだが、その『青い鳥』に続編があるということを、私はこの連載漫画の最終盤で初めて知ることとなった。思わず周囲の人にも聞いてみたのだが、やはりこの続編『チルチルの青春』――原題の直訳は『いいなづけ』だという――を知る人はいなかった。

 そのため藤田氏の創作かとも思われたが(同作では、作中にしか存在しない物語が巧みな演出となっていたりもするので)、Amazonで検索してみると確かに実在していた。その後に知り合った方が、幸運なことに作中に登場したものと同じ本書を所蔵しておられ、この度これをお借りし、ついに読むことができたという次第である。
 表紙に「翻案」とある通り、元は『青い鳥』と同じく戯曲だったものを、本書は小説として再構成してある。『青い鳥』の方は戯曲のまま翻訳され、文庫本になるほど普及しているのに、続編は現在この翻案本くらいしか読めないというのは残念な感じがするが、物語を知ることができるだけ有難いと言うべきだろうか。
 英語版であれば、戯曲そのままがペーパーバックで読めるようである。それほど長い話でもないし、手にする機会があれば読んでみたい。

 前置きが長くなったが、あらすじを示そう。

あらすじ

 青い鳥を探す旅から7年後、16歳になったチルチルは、木こりの父を手伝いながら家族で暮らしていた。ある夜、彼のもとを再び妖精ベリリウンヌが訪れる。彼女はチルチルに、今度は“ほんとうの花嫁”を探す旅に出なければならないのだという。
 サファイアの付いた帽子の力で、花嫁の候補となる少女たち――いとこで木こりの娘のミレット、もう1人のいとこで大人びた肉屋の娘ベリーヌ、活発でおちゃめな宿屋の娘ロッゼル、無口だが優しい粉屋の娘エイメット、哀しげな黒目がちな瞳をした物乞いの娘ジャリーヌ、たてロールのプラチナブロンドで薄紫の瞳をした市長の娘ロザレッル、長く白いベールを身に付けたチルチルが名前を思い出せない少女――を呼び寄せたチルチルは、彼女たちとともに、ベリリウンヌに導かれ旅立つ。
 守銭奴の家、ベリリウンヌの宮殿での“光”との再会を経て、チルチルたちは先祖の国を訪れる。大先祖まで遡ってチルチルの花嫁を探そうとしてくれるが、確かなことはわからない。先祖たちの勧めで、彼らは次に子孫の国を訪れる。そしてついに子どもたちの母親、すなわちチルチルの花嫁が明らかになった。
 チルチルは自分のベッドで目を覚ます。全ては夢だったかと思われたが、未来の花嫁は彼と同じ夢をみていた。2人の新しい1日が始まろうとしていた。

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森鴎外『阿部一族・舞姫』の感想


(2004年11月読了)

  鴎外の処女作、擬古文の「舞姫」を巻頭に収録した短編集である。他に同じく擬古文体の「うたかたの記」、以下は言文一致体の「鶏」「かのように」「阿部一族」「堺事件」「余興」「じいさんばあさん」「寒山拾得」とその付記「附寒山拾得縁起」を収める。
 まずは各作品のあらすじを記す。

あらすじ

 舞姫。ドイツからの帰途にある「余」(太田豊太郎)の心は、悲痛に満たされていた。父を早くに亡くしたが、学問の道を邁進してきた「余」は、無事に法学士となって某省に出仕し、公費留学の命を受けてベルリンに来た。手続きを済ませ、しばらくは留学の本分をこなしていたが、大学の自由な学風に触れた「余」は、母や勤め先の官長に言われた通りの道を進んできた自分に疑問をおぼえ、歴史や文学に傾倒していく。このことは留学生という「余」の地位を危うくし、留学生のある一団は、遊びの付き合いの悪かった「余」を疑い、そしるようにもなった。日本を出る時は豪傑だと思っていた「余」は、実は臆病であることを自覚する。積極的に交際などできようはずもなかった。
 ある日、散歩していた「余」は、寺院で声を殺して泣く少女に出会う。父が死に、その弔いをする金もないと聞いた「余」は、少女を老母の待つ彼女の家まで送り、勤め先の座長にも無理難題を突き付けられた彼女のために、当座の金を工面する。これを切っ掛けに、彼女――美しい踊り子エリスと「余」の交際は始まった。
 同郷の留学生が「余」は女優と交際していると官長に伝えたことで、「余」の留学生活は危うくなり、同時に母の死を知って深く悲しむが、貧しさから充分な教育を受けられなかったながらも聡明なエリスとの清い交際は、「余」を強く惹きつける。「余」の免官を知った天方伯爵の秘書官・相沢謙吉の手回しで新聞社の特派員となり、エリス達と同居することで「余」の生活はひとまず安定した。貧乏と新聞社の仕事によって「余」のアカデミックな学問は荒廃したが、ジャーナリズムの見識は大いに伸長した。
 明治21年の冬、エリスは妊娠の徴候を示すが、「余」は天方大臣に随行してベルリンにやってきた相沢に呼び出され、事情を知った彼から、学識と才能ある「余」がいつまでも無目的に暮らすべきでないとエリスとの別離を勧められる。「余」はこれを承諾するが、天方の通訳としてロシアに同行している間、エリスから送られてきた手紙に接してふたたび葛藤する。
 ベルリンに戻った「余」を、赤子が生まれてくる準備を整えたエリスが迎える。しかし、天方から学問を見込まれ、共に帰国しないかという申し出をつい受けてしまった「余」は懊悩し、深夜まで雪降る街を茫然と彷徨って帰宅する。それが崇り、「余」は倒れてしまうが、目を醒ました時、看病していたエリスの容貌は変わり果てていた。「余」の意識がない間、相沢が家の経済的援助をしてくれていたが、その折に「余」がエリスと別れ帰国することを約束したと伝えてしまったのである。エリスは精神に治し難い傷を負ってしまった。「余」の体は治り、天方らとともに帰国の途に就いた。狂えるエリスの母にようやく生活できるくらいの元手を与え、子が生まれる時のことも頼みおいて。「余」は相沢を良き友と感じながらも、脳裏には彼への憎しみが残っている。
 うたかたの記。ドイツ・バイエルン王国の首都にある美術学校には、各国からの美術学生が集っていた。そこの学生エキステルに連れられカフェにやってきた日本の画学生・巨瀬は、店の中央のテーブルにいる少女と目を合わせて互いに驚く。ドレスデンからやってきた巨瀬は、以前にもミュンヘンに来た事があり、その時、謝肉祭が始まろうとする街で助けたすみれ売りの少女を元にしたローレライの絵を完成させようと思って来たのだった。そのすみれ売りの少女とは、中央のテーブルの少女、マリ―に他ならなかった。彼女はかつての親切に感謝し、巨瀬に接吻し、周囲の学生たちには水を吹きかける。そうした振る舞いに周囲の者は彼女を「狂人」と呼ぶのだった。エキステルによれば、彼女、マリ―・ハンスルは美術学校のモデルをしているが、裸体のモデルはせず、博学、美人にしてエキセントリックな性格でファンも多いという。
 美術学校にアトリエを構えた巨瀬は、マリーを呼ぶ。改めてすみれ売りの少女が自分だと言う彼女は、その半生を語った。
 マリーの父は、現国王ルートヴィヒ2世に評価された画家だった。しかし、母が王に懸想され、妻を守ろうとした父はほどなく病死し、母も病を得、マリーはすみれ売りをするようになったという。母も死に孤児となった彼女は、世話を申し出た上階の裁縫師が紹介した男に連れられスタルンベルヒ湖に行くが、そこで逃げ出し、畔の漁師夫婦の養女となった。イギリス人の家政婦をしていた時、そこの女性教師から教育を受けられた彼女は、美術学校の教師に見いだされ、モデルとなったのだった。彼女が狂ったふりをしているのは、行儀の悪い芸術家から距離を置くためだという。
 マリーに誘われ、巨瀬はスタインベルヒ湖に向かう。馬車でレオニに向かう途次、大雨の中でマリーは想いを語り、巨瀬と心を通わせる。レオニについた2人は、レストランが開くまで小舟に乗ることにする。
 町の外れの岸辺近づいた時、そこには狂王となったルートヴィヒが侍医グッデンを連れて散歩に来ていた。マリーの母への想いをつのらせた王が、マリーを母と思い彼女に襲いかかると、マリーは気を失い湖に投げ出されてしまう。侍医も国王を止めようとするが敵わず、2人とも湖に沈んでいった。巨瀬はマリーを助けるが、湖水に落ちた時に杭で胸を打っていた。マリーの養父母であるハンスル家に担ぎ込んで介抱するが、再び目を覚ますことはなかった。
 西暦1886年6月13日の午後7時、バワリア王ルートヴィヒ2世は湖で溺れ、助けようとした老侍医グッテンと共に落命した。美術学校でもこの話題で持ち切りとなり、巨瀬の行方を心にかける者などいなかったが、エキステルだけは気にしていた。15日、王の棺がミュンヘンに移された日、エスキテルは巨瀬のアトリエに行ってみた。彼は憔悴し、ローレライの絵の前に跪いていた。国王死すの噂のために、レオニの漁師ハンスルの娘が同じ日に溺れて死んだということを弔う者などいなかった。
 「鶏」。6月24日、少佐参謀として、ひとり小倉に着任した石田小介。住む家を決め、時という老女中を雇い、別当の虎吉、従卒の島村と「まるで戦地のような」暮らしを始める。元部下だった麻生が土産に雄鶏を持ってきたので、石田は雌鶏を買ってきて飼い始める。虎吉も自分で雌鶏を2羽買ってきて一緒に飼うことになる。
 やがて雌鶏は卵を生むが、虎吉は自分の鶏だけが産んだように言う。しかし時は、石田の鶏も生まないことはなく、それを虎吉は全て自分の鶏のものだと言い張るのだと指摘する。石田は放っておいた。隣家の女は、畑を持たずに鶏を持ってはならない、時や虎吉が勝手の物や馬の麦をごまかしているなどとPhilippica(フィリピッカ;攻撃演説)を繰り広げ、石田に家を貸している薄井の爺さんも攻撃するが、石田は微笑を浮かべて見守る。
 数日後、たまたま会った中野少佐から、時の不審な行動を教えられた石田は、時を辞めさせ、その代わりを探す。幾人かが家に出入りして、結局は、16歳くらいの元気者で、男のような肥後言葉を使う春だけを使うことになった。
 7月31日、卵から雛が孵る。1か月の勘定を払ったついでに石田は出費を調べてみるが、予想よりも多い。石田はお時のことを思い出す。暑中見舞いや陰暦七夕、盂蘭盆などを過ごして8月末になると、やはり勘定がおかしい。その原因は虎吉だと春は言う。卵の件を他にも敷衍していたのである。石田は特に咎めもせず、道具を新調し、これまでのものは中味ごと虎吉に譲った。
 「かのように」。子爵の家に生まれた五条秀麿は、文科大学の歴史科を優秀な成績で卒業したが、神経衰弱気味で親に心配をかけている。卒業後、ヨーロッパに留学したが、その時は精神も復調し、ドイツの神学者アドルフ・ハルナックが、神学上の矛盾なく国王の政治を補佐して活躍していることへの感動を手紙で報告してきた。
 宗教を信じるには神学は不用で、学問をする者に有用(同時に、そうした者に信仰はない)である。しかし信仰と同時に宗教を否定する者は危険思想家であり、神学によって、宗教の必要だけは認める穏健な思想家が出現したことを秀麿は称賛したのだった。
 秀麿の手紙を読み、父は学問と宗教の関係について、自分はどうかと考える。多少の学問を修め、祖先から受け継いだものとして微かな信仰はあるようだ。すると、教育(学問)は信仰を破壊すると言えるのではないか。今の教育を受けて、神話と歴史を1つにして考えていることはできない。だが、その考えの先には、恐ろしい空虚があるのではないか。世間の教育を受けた者は皆、その危険に無頓着で、信仰のないまま、信仰の形式だけは保っているということではないだろうか、と。この問題に深入りはせぬまま、父は息子に返事を書いた。
 書物をたくさん持って帰国すると、秀麿は自分の研究を「当分手が著(つ)けられそうもない」として、部屋に引きこもって本ばかり読むようになった。母は息子の体調を心配し、父は神話と歴史の区分をめぐって息子と様子を見合っている。秀麿の研究しようとしている歴史の分野は、まさに神話との境界を判然とさせなければ進めようがない。その作業は容易だが、周囲の状況が許しそうもない。秀麿の心は、小間使いの雪を見ている時だけ唯一爽快を覚えるのだった。
 そこへ洋画をやっている友人の綾小路がやってきた。秀麿は綾小路に『かのようにの哲学(Die Philosophie des Als Ob)』という本を見せる。それによれば、人間が構築した学問はことごとく事実そのものでなく、そこに「かのように」という土台を置かざるを得ないのだという。これを踏まえて秀麿は、歴史を記述する際に自分が危険思想を持っていると(とりわけ父に)見做される恐れを口にする。
 綾小路に促され、秀麿は自己弁護の言葉を紡いでみるが、綾小路は言下にそれを否定する。そして八方ふさがりになった秀麿に、なぜ父と妥協せず、打破すべく突貫しないのかと叱咤するのだった。
 阿部一族寛永18(1641)年、肥後藩主・細川忠利は病を得、56歳で亡くなった。内藤長十郎、津崎五助など、側近たちが生前の忠利に願い出て許され、殉死していく中、老臣の阿部弥一右衛門は殉死を許されなかった。何となく弥一右衛門を掴みかねていた忠利は、弥一右衛門の望みに応えず、新藩主である嫡男光尚の補佐をせよとだけ言って亡くなったのだった。
 生き残った弥一右衛門を見る周囲の目が、なんとなく変わった。殿の許しが出なかったことを幸いに、命を惜しんでいるのではないか、というのである。心外に思った弥一右衛門は弟や子供たちを集め、その面前で切腹した。しかし、今度は殿の遺命に背いたと見做され、阿部家は俸禄分割の扱いを受ける。そんな中やってきた忠利の一周忌法要で、弥一右衛門の嫡子・権兵衛は突如として髻を切ってしまう。先の処分は自分の不肖なるが故のものと考え面目の無さから事に及んだと話す彼は、しかし切腹ではなく奸賊のように縛り首に処される。
 度重なる恥辱に、遺された阿部一族はついに死を覚悟して屋敷に立てこもった。藩の討手が迫る中、邸内を掃除し、酒宴をし、老人や妻子は先に死を選ぶ。隣家に住む柄本又七郎、討手の指揮役となった竹内数馬らの思いが交錯しつつ死闘が繰り広げられ、阿部一族は全滅、その家来も多くが討死した。
 「堺事件」。1868年、戊辰戦争のさなか、幕府の弱体化によって無政府状態となった土地について、朝命により諸藩の兵が取り締まることとなった。堺を預けられたのは土佐藩兵であった。その堺に、大阪からフランス兵が回航してくるとの報せが入る。果たして湊から上陸したフランス兵と土佐藩兵との間で小競り合いとなり、水兵13人が死者となった。フランス公使レオン・ロッシュは損害要償に乗り出し、謝罪とフランス兵の家族への扶助料の支払い、そしてフランス兵を殺害した隊の士官および兵22人を死刑に処するよう求める。
 しかし、土佐藩兵への取り調べは半ば度胸試しのような色彩を生じ、フランス兵に射撃し殺したという士卒は隊長4人を含めて29人に及んだ。致し方なく、くじ引きによって死刑となる16人が選ばれることとなった。16人は死はもとより覚悟しているが、不名誉な死刑は受け入れられない。大目付に詰め寄り、ついに切腹士分への取り立てを認められる。
 死を前にして、20人の心をは穏やかだった。やがてフランス公使らが立ち会う中、20人の切腹が始まる。順々に腹を切っていく男たち。だが、12人目の橋詰愛平が腹を切らんとした時、既に驚きと畏怖に支配されていた公使は席を立ってしまう。
 公使が残り9人の助命を申し立てたため、彼らの切腹は中止となり、預かりとなった先で非常な優待を受けた9人は国元へ帰された。切腹した11人の苦痛に準ずる処分として、袴着帯刀のまま流罪を申し付けられるが、数か月後に明治天皇即位の特赦によって許された。士分取扱い、とはならなかった。
 「余興」柳橋の料亭・亀清(かめせい)で開かれる同郷人の懇親会に出席した「私」。ここには鼠頭魚(きす)というあだ名の、顔見知りの芸者も来ていた。今日の余興は、武士道鼓吹者の辟邪軒秋水なる男による「赤穂義士討入」の浪花節である。幹事の畑少将は大好きだが、「私」には苦痛な時間が流れる。
 ようやく余興が終わると宴会が始まる。鼠頭魚は「大変ね」と笑う。酌をしに来た若い芸者が「私」を浪花節の愛好者であるかのように言うのを聞き、一瞬いらっとした「私」だったが、他者の無理解に対する己の不寛容を悟って反省する。また鼠頭魚がやってきて、少し心配してくれた。
 「じいさんばあさん」。江戸後期の文化6(1809)年春、大名・松平左七郎乗羨の邸内にある明家が修復され、じいさんとばあさんが暮らし始める。仲睦まじい2人は夫婦か。兄妹という人もいる。裕福ではないが不自由のない隠居暮らしをして、時おり昔を偲ぶ場所に出かけている様子でもある。ばあさんは江戸城からの歳暮拝賀で銀10枚を貰ったりし、評判が高くなった。じいさんの名は美濃部伊織、ばあさんはその妻で、るんといった。
 明和4(1767)年、若かりし伊織は親戚の世話により、るんを娶った。2人は良い夫婦となった。やがて大番組となった伊織は、臨月のるんを残し、単身で江戸から京都へ向かう。京都の刀剣商で、伊織は質流れの古刀を見出した。150両の代金を130両に負けさせたが、あと30両が足らない。その30両を、普段それほど付き合いのない下島甚右衛門から借り、伊織は刀を手に入れた。が、その刀の披露に呼ばれなかったことに下島は不平を露わにし、それが発端となって伊織は下島を斬りつけ、死なせてしまう。
 この罪により、伊織は越前国の“お預け”となり、るんは親戚や武家奉公して暮らした。るんが奉公から隠居し、伊織の罪が許され、2人は37年ぶりの再会を果たしたのだった。
 寒山拾得。唐の貞観の頃、に閭丘胤(りょ・きゅういん)という官吏がいた。台州の主簿(太守)となった閭は、国清寺という寺を訪ねる。というのも、彼が長安に居た頃、その頭痛を治してくれた豊干という僧がここの者で、その豊干が言うには、この寺の拾得は普賢で、寒山文殊とのことだからである。
 世の中には、“道”や宗教に対する態度が3つある。1つは無頓着、1つは積極的、もう1つはその中間である。この中間の態度の人は、詳しい人を盲目的に尊敬するが、それは何にもならないのである。
 さて、寺を訪れた閭は、道翹(どうぎょう)という僧に迎えられる。道翹から豊干や拾得、寒山のことを聞き、拾得と寒山には実際に会うこともできたが、閭にはどうもピンとこなかった。
 付記「附寒山拾得縁起」。我が子に尋ねられ、鴎外は寒山・拾得の話をする(その話を元に特に参考文献などを見ないで「寒山拾得」は書かれた)。子どもには特に、寒山と拾得がそれぞれ文殊や普賢であるということが納得できなかったようで、鴎外もその問いへの答えには苦慮した。

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新海誠『小説 君の名は。』の感想

 映画の公開に先立ち、読んでみることにした。新海誠の映画は恐らく全て観ているが、特にファンというわけでもない、と自分では思っている(けれど公開初日に見に行こうとしているのは、やはりファンを自称すべきだろうか)。
 ともあれ、以前から『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』と監督作品の小説を自ら手掛けている新海監督だが、それをしっかりと読むのは初めてである。

 以下、まずはあらすじから。

あらすじ

 東京都心で暮らす立花瀧は、ある朝、違和感とともに目覚める。山と湖が間近に迫った町で、瀧は三葉という少女として目覚めたのだ。混乱とともに里の1日を過ごす瀧。
 湖に臨む糸守という田舎町で暮らす宮水三葉は、ある朝、違和感とともに目覚める。東京のど真ん中で、三葉は瀧という男子高校生として目覚めたのだ。困惑しながらも、学校、放課後、バイトと、三葉は都会の高校生生活を謳歌する。
 瀧と三葉。互いが書き残した記録から、眠ることによって不定期に“入れ替わって”しまうことに気付いた2人は、ルールを定めて都市と田舎の入れ替わり生活を続ける。建築に興味を持ち、カフェ巡りやイタリアンレストランでバイトの日々を送る瀧。巫女の家系に生まれ、祖母や妹と神事を行い、家を出て政治の世界に行った父との間に確執がある三葉。伝言文で罵声を浴びせ合いながらの奇妙な交代生活の日々は、それでも2人の心を浮き立たせながら過ぎていく。
 しかし、その日々はふとしたことから終わりを迎える。ティアマト彗星。1200年ぶりに地球を訪れる彗星が、2人を分かつ。時間も空間も隔たった処から、瀧は三葉を探す。すれ違っても、互いを忘れてしまっても。それは、断ち切るには余りに強い結びつきだった。

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