何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

太宰治『晩年』の感想


(2004年2月読了)

 処女作。綿矢りさの影響(2003年下期の芥川賞受賞者で太宰を愛読していたとか)も少しあって読んでみることに。短編集で内容は様々である。全15編も収録されているが、なるべく簡単に概要を書いてみる。

概要

 「葉」。草稿から毟り取ったような断片の集積。
 「思ひ出」。幼少期から少年期までの半自伝。小間使いの、みよへの成就しない淡い恋情。
 「魚服記」。本州最北端にある山の麓で暮らす、炭焼きの父と娘のスワ。2人の暮らしと、ある夜のメタモルフォーゼ。
 「列車」。離縁され田舎に帰される友人の妻テツさん。それを見送りにいった「私」と妻。微妙な空気。
 「地球図」。ローマから日本に来た伝道師ヨワン・バッティスタ・シロオテの捕縛と、彼と会見した新井白石の問答。
 「猿ヶ島」。島の猿たち視点で描かれる、青い瞳をした人間たちと自分のどちらが「見られている」か。
 「雀こ」津軽弁で書かれた、当地の春の子ども達。「雀こ欲うし」の戯れで一番に呼ばれるタキと最後まで呼ばれないマロサマのすれ違い。
 道化の華。女と心中して、自分だけ生き残った大庭葉蔵。海辺の療養院での入院生活。見舞いに来る友人や親戚、そして厳格な兄。看護婦の真野との交流。から騒ぎの後に漂う苦味。
 「猿面冠者」。小説を分かった気になっている男が小説を投稿しようと過去の「通信」という原稿を改稿して「風の便り」という作品を書こうとするが、果たせない。
 「逆行」。25歳で病床にある「老人」、大学を落第した「われ」、遊び好きな割にけちで、飲み屋で調子に乗って殴られ惨めな思いをする北方の城下まちの高校生である「私」、村にやってきたサーカス団で見世物にされていた女の黒人に心を奪われる「少年」。生い立ちを遡っていく4掌編。
 「彼は昔の彼ならず」。大家の「僕」と、新たに入居してきた木下青扇。仕事もせず妻をとっかえひっかえする青扇の駄目加減は、しかし「僕」と違ったところがあるというのか。
 「ロマネスク」。本で仙術を学び美男子になろうとしたが、天平時代基準の美男子になってしまった太郎。喧嘩修行をするものの実力を発揮できないまま名声を得、ふいに妻を死なせてしまった次郎。嘘を極め、それなりに成功してしまった三郎。赤の他人の3人だが、居酒屋で出会って意気投合する。
 「玩具」。断片で構成される語り手の生い立ち。「未完」という表記で終わる。
 「陰火」。順調な人生の一環として男は妻を娶り、妻は子を産む。その妻は処女ではなかった。男と女の別れ。「僕」のもとに尼が来る。如来が来る。
 「めくら草紙」。隣家の16歳の娘、マツ子に手伝わせながら原稿を書いている不眠気味の「私」。彼女は18になれば京都のお茶屋に上がるという。夫婦喧嘩をマツ子に見られた「私」は原稿を書き上げながらもうマツ子は来ないだろうと思う。

感想

 各編は、以下のように分類できると思う。
 自伝・津軽もの:「思い出」「道化の華」「逆行」「雀こ」
 お伽話もの:「魚服記」「猿ヶ島」「ロマネスク」
 時代もの:「地球図」
 現代もの:「列車」「彼は昔の彼ならず」「陰火」
 自意識もの「猿面冠者」「玩具」「めくら草子」
 変調アフォリズム:「葉」

 特に面白かったのは「逆行」「彼は昔の彼ならず」あたりだろうか。前者はまさに逆行していく構成が興味深く、後者はひたすら駄目人間で鼻持ちならないが、なんだか味がある木下青扇が愉快だった。それ以外にも「葉」のコラージュ的なところとか、「道化の華」の海辺の療養院の明るく冷えた感じとか、「魚腹記」の澄んだイメージも良かった。

 「猿面冠者」「玩具」「めくら草子」などの作品には、小説の語りの中に作者自身が登場してしまうメタ的な手法が現れている。その是非はあると思うが、全体として若さや青さみたいなものが見え隠れして好ましいと感じた。役柄と素を行き来しながら役者がリハーサルをしているようなイメージである。いつもそれでは困るが、こういう作品には読者と作者を親密にする意味があるのではないだろうか。

 「陰火」によれば、結婚した女性が処女じゃないと、当時の男性は相当凹んだのだと思えるのだが、本当だろうか。確かに貞節は重視されていたとは思うが、本当のところどうだったのか、よい史料があれば当たってみたいところである。

 それにしても、小説中に登場するところの“作者”は太宰の普段の性格そのままなのだろうか? だとするのならば…やはりかなり難儀な生涯を送ったのに違いないだろうと思う。存外文章の歯切れがよく、心地よく読めるので、また別の本も手に取りたいところである。

晩年 (新潮文庫)

晩年 (新潮文庫)

 

 

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