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何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

三島由紀夫『若きサムライのために』の感想

随筆


(2003年5月読了)

 氏の雑誌連載エッセイと対談を集めた本である。
 私の周囲には三島由紀夫に嵌る人が2、3人あるし(2003年当時)、先に『午後の曳航』へのオマージュと目される浅田次郎『薔薇盗人』を読んだ(浅田次郎『薔薇盗人』の感想 - 何か読めば、何がしか生まれる)こともあって、手に取った。
 友人たちとオールナイトでカラオケに興じた明くる朝、なぜか秋葉原ミスタードーナツでコーヒーを飲みながら読み終えた。徹夜で遊んだ疲労に沈む私には、過ぎたお説教だったようにも思える。

 いま現在、三島由紀夫というと右翼的な文脈で語られることが多いのだろうか。その辺すぐには解らないが、少なくともこの本を読む限り、まあ右っぽくはあるが、それ以上に“割と真っ当な大人”という感じがした。自衛隊とか憂国とか、それらしい所もあるが、大体は若者に対する訓戒という感じである。

  この本の初版(上製本)が出たのは1969年7月だという。時はまさに全共闘時代で、東大安田講堂攻防戦(1月)に前後してここに収められた言説は発表され、本にまとめられたことになる。「若きサムライ」とは、つまり一次的には当時の学生運動の担い手たちのことを指しているのだろう。

 小説とは全然違う、べらんめぇ調の語り口は、これが彼の飾らぬ口語だったという解釈ももちろん可能だが、「若きサムライ」がとっつき易くするための、彼一流の技巧だったと私は思う。

 いまの「若きサムライ」にとっても一読の価値のある本ではあるとは思うが、鵜呑みにしてしたり顔をするようでは侍ではないだろう。それこそ三島が戒める“文弱の徒”なんじゃないかと思う。「おれを守る」には、噛み砕いて自分なりの言葉で語る必要がありそうだ。
 こういう本がkindle化されないのは何故だろうと思う。

若きサムライのために (文春文庫)

若きサムライのために (文春文庫)

 

 

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