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何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

夏目漱石『硝子戸の中』の感想

日本近現代文学 随筆


(2003年12月読了)

  漱石の随筆その2である。先日の『思い出す事など 他七編』(当該記事)が修善寺で自身が経験した危篤状態のことや知人の死を中心にまとめられていたのに対し、こちらはそれから4年ほど経った頃に発表された身辺記となっている。文体も、『思い出す…』が「余は……」といういささか堅苦しいものであったのが、ここでは「私は……」と改められ、内容的にも卑近なものが多く読みやすい。

 新聞連載の形態をとったため、全39の区切りがつけられているが、やはりその内容をいちいち挙げることはしない。ざっくりと説明すれば、訪ねてきたり手紙を寄こしてきた人のこと、昔の思い出、飼っている(いた)犬猫のこと、考えたこと、の4つに区分できそうな気がする。そして前2者が全体の9割を占めると言っていいだろう。
 印象に残ったものを挙げることにしよう。

 区切りの「十二」「十三」では、しつこく手紙を送って来る男のことが書かれている。漱石の時代でもファンというものは居たようだが、手紙や直接訪問という形で漱石と接触していたのは何だか新鮮である。現代では作者の住所なんてそうそう明らかにはされないので、せいぜいTwitterでリプライを送るくらいだろうが、そんな感覚で人々は漱石(というか当時の著名人の多く)に親しんでいたのかもしれない。
 で、ここに出てくる「播州の坂越にいる岩崎という人」は、少々あつかましいファン(?)だったようで、俳句を書けとか画に賛(主に東洋画につける鑑賞文、賛辞の類のことらしい)をしてくれとか、色々と言ってきたという。加えて、主に漱石を弱らせたのは、そのしつこさのようで、結局なにも解決することなくこの項は終わっている。漱石本人としては苦々しい思いで書いたのかもしれないが、明治人の図太さが出ているようにも感じて、何やら落語的に面白く読んだ。

 ファンといえば「六」「七」「八」、「十一」、「十八」で漱石を訪ねてくる女性たちも印象に残った。「六」~「八」では自分のことを書いて欲しい(と言いつつ実は自分の哀しい過去を聞いて欲しい)と言ってきた女性、「十一」では自分の原稿をみて欲しいと言ってきた女性、「十八」では「頭の中がきちんと片付かない」と言ってきた女性のことが書いてある。漱石の作品の多くに三角関係が登場するし、女性ファンも多かったのだろう。

 「漱石は女嫌いだった」という説をしばしば目にするが、こうして訪ねてきた女性に対しては、特にそうした態度はみられないように思う。確かに初期の『吾輩は猫である』(当該記事)では実業家である金田の娘が鉤鼻なのをつかまえて「鼻子」とあだ名をつけたりしているし、『虞美人草』(当該記事)の藤尾やその母は浅薄な人間として設定されているので、女嫌いと言って言えないこともないかもしれないが、40代も末、既に死期も悟りつつあった本作の時には、もはやそういう気持ちはなかったんじゃないかと思われる。
 既に記憶の彼方なので詳細が不明なのだが、1990年代の半ばくらいに、漱石らしき人が出てくるテレビCMがあって、その中で漱石は若い女優から「先生」と慕われている様子だった。このテレビCMの漱石の鷹揚さは、本作で女性に応対する漱石の物腰に通じるものがあると思う。

 それと、特にどの項と挙げようもない程の数だが、漱石の少年時代の思い出が、やはり面白い。彼が生まれたのは1867年で慶応3年、ぎりぎり江戸時代に当たる。まもなく明治維新(1868年10月)となるわけだが、漱石が少年時代を過ごした世の中は、まだ江戸時代の気風を色濃く残していたようだ。その辺りのことを述懐するところは土地の古老に昔話を聞くような面白さがあるし、父母や姉妹のことに触れられているのも興味深い。末尾手前の「三十八」では、昼寝をしていて「変なもの」(悪夢か幻想か、あるいは本物の怪異か)に襲われた夏目少年を、母が助けてくれたという話が描かれている。漱石は作品を通しても“母性”というものをあまり語らない人だけに、この項は貴重なものに思えた。

 その他、飼い犬ヘクトーや『猫』のために有名になった猫の墓の話など、1項だけで終わってしまう小さな話も細々とある。思うにこういうスタイルは、極めてブログ的だと思う。漱石の時代にブログがあったら、彼は硝子戸の中に座って、晩年の日々のことをぽつぽつと語ってくれたかもしれない。世間とかかわりを持つのがあまり好きではなかったようだから、そううまくはいかないかもしれないが。
 試みに、本作全39項を1つずつブログ記事として投稿し、タグをつけて分類してみるのも面白そうだ。新進の漱石研究家の方とか、誰かやっていないだろうか。

硝子戸の中 (岩波文庫)

硝子戸の中 (岩波文庫)

 

 

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