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何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

夏目漱石『彼岸過迄』の感想


(2003年10月読了)

 そろそろ漱石読みも後半だろうか。連作短編とでもいうような構成の小説である。例によってあらすじから。

 「風呂の後」。大学を卒業したが就職できない田川敬太郎。彼は同じ下宿に住んでいる森本という男と風呂で出会い、自室に招いて色々な話を聞く。やがて不意に森本は姿を消す。彼は家賃を滞納していたのである。大連から届けられた森本の手紙に従い、敬太郎は森本のステッキを受け取るのだった。
 「停留所」。敬太郎は、友人でやはりブラブラしている須永の叔父で、実業家の田口に就職の世話を頼もうと考える。それを頼もうと訪れた須永の家では、女が家に入るのを見て許嫁かと思う。なかなか田口と面会できない敬太郎だったが、占いで出た開運グッズとして森本から貰ったステッキを持ち再訪したところ、会うことができ、なぜか「ある男の行動を調べて欲しい」という依頼を受けることになる。何となく浮ついた気持ちで停留所へ行った敬太郎だが、男はなかなか来ず、男と親しげな女も見つけ混乱する。洋食屋まで入って男の行動を調べるが特に妙なことはなく、車に乗った男を追う途中、見失ってしまう。
 「報告」。田口に正直なところを報告する敬太郎。特に収穫がないかと思われたが、田口は調査した男への紹介状を書く。雨の日に行ったところ追い返されるが、再訪すると会うことができた。男は田口の義理の弟に当たる松本で、女は田口の娘の千代子だったのだ。高等遊民として暮らす松本と敬太郎は問答するが、正直なところが気に入られる。
 「雨の降る日」。松本が雨の日の面会を嫌う理由を、敬太郎は千代子から聞く。かつて、雨の降る日に幼かった宵子が急死したためである。医者を呼んだこと、助からなかったこと、葬儀のこと。宵子が死んだ時に客人と会っていた松本は、以来、雨の日の面会を断るようになった。
 「須永の話」。須永の母は従妹に当たる千代子と彼をくっつけようとするが、須永は気が進まない。千代子は須永を明らかに好いているし、「須永も彼女を嫌ってはおらず好意を抱いているものの、自身と彼女が求めるものが異なるなど理由を上げて拒む。避暑のため、須永と母は叔父たちが過ごす鎌倉を訪れ、高木という結婚相手を探している様子の男も交えて男女複数が一緒に過ごすが、2人の仲に進展はない。最後には千代子は真剣に須永に詰め寄るものの、須永は応えない。
 「松本の話」。叔父として須永を案ずる松本は、須永の悩みを聞く。須永が千代子を避けるのは、実は須永が母の実子でないことが叔父の口から明かされる。それでも母であることに違いないと松本は須永を説得し、須永はひとまず落ち着く。卒業試験が終わると、須永は関西に一人旅をする。毎日のように届けられる葉書を見て、松本は彼の回復を思うのだった。

 最初に出てくるのは敬太郎だが、意味上の主人公は須永と言っていいのではないだろうか。各短編で、敬太郎は見たり聞いたりしているだけで、主体的に物語を牽引しているわけではない。その辺りが却って面白かった。 
 私も大学を卒業しようかという頃、いちおう就職活動をしたが、そのどれもが上手くいかなかった。基本的にはそれらを舐めていたとしか言いようがないのだが、その頃のことを思い出して敬太郎には愛着があった。田口にどういう仕事を希望するのかと聞かれて「凡ての方面に希望を有っています」などと答えるところなんかは、とぼけた学生が面接しているところみたいである。
 それにしても当時にして既に学士が飽和状態で就職がままならないという話があったということに驚いた。もちろんそれが全面的に正しいわけではないとは思うが、今も昔も同じだという感覚は強い。

 田口や松本という叔父さん連中は、洒落があって余裕もあって、彼らのくだりは楽しく読める(松本の幼子が急死するところは別だが)。特に「停留所」は推理短編といって差し支えない構成だろう。
 一方で、須永と千代子が織り成す物語は、『三四郎』『それから』『門』の3部作に連なるような深刻さを湛えている。須永が抱える悩みというのは、結局のところ自分に価値があるのか、という問いなのではないだろうか。
 こういう類の悩みは、開き直ることができないと、いつまでも引き摺っていってしまうように思う。叔父から包み隠さない事実を教えられたことは、彼にとって僥倖だっただろうか。ただ、それが千代子とうまく行くことには繋がらないのではないか、という気も少しだけするのである。

 この小説は“彼岸過ぎあたりまで続ける”という旨で書かれたことを、作者自身が冒頭の「彼岸過迄に就て」で明かしている。もしも、そういう期間的な制約がなされずに書かれたとしたら、この小説はどういう姿になっていただろうか。今より長くなったのか短くなったのか、そこからして既に判断はつけにくい。ただ何となく、最初の森本の話は別個の作品として独立したのではないか、という気がする。

彼岸過迄 (岩波文庫)

彼岸過迄 (岩波文庫)

 

 

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