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純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

村上春樹『羊をめぐる冒険 上』の感想

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)
(2004年1月読了)

 『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』に続く三部作のラストとして書かれた小説である。文庫版の上下巻で読んだ。ただ、これが完結編というわけではなく、この後の『ダンス・ダンス・ダンス』で完結とされている。商業作家となった作者の最初の小説という側面もある。以下、まずはあらすじ。

  1978年7月。4年間の結婚生活を経て妻と離婚した29歳の「僕」は、大学生の頃に知り合った“誰とでも寝る女の子”の交通事故死に接する。8月。「相棒」との共同経営の会社は翻訳だけでなく広告代理店的な業務もこなすようになっていたが、そうした広告の仕事の過程で、「僕」は特別な耳を持ち、耳専門のモデル、小出版社の校正のアルバイト、コールガールという3つの仕事を持つ女の子と知り合い、彼女はガール・フレンドとなる。
 9月。ガール・フレンドが予言したように、「僕」の会社に「羊」をめぐる冒険の兆しが現れる。それは、右翼の大物の秘書の男という形をとっていた。男は、「僕」が手掛けたP生命のPR誌に使った「羊」の写真を問題にし、PR誌の発行を中止させ、「僕」に対しては写真に写った星形の斑紋のある「羊」を探すよう求める。それができなければ、「君の会社も君もおしまいだ」と男は迫る。
 写真は、「僕」の親友「鼠」から届けられたものだった。北の方にいる「鼠」は、長い手紙と幾つかの願いと共に、「羊」の写真を同封し、これを人目のつくところに持ち出すよう「僕」に求めていたのだ。その手紙を持って「僕」は故郷の街に行き、かつての「鼠」の恋人に渡したりもした。
 男の要求に従うのか、「僕」は考えるが、ガール・フレンドに説得されて「羊」を探しに――それは「鼠」を探すことでもある――出かけることを決める。「相棒」に会社を辞めることを伝え、「僕」は旅の準備を整える。

  前作(当該記事)でも相応に漂っていた虚無的な感じが、さらに濃厚になった印象である。相変わらず仕事は順調ではあるものの、その職場で知り合い結婚した女性とは離婚するし、共同経営者の「相棒」はアル中気味で今の仕事に疑問を持っている。「僕」は29歳で、恐らく同年代だろう「相棒」にはけっこう大きな子ども(少なくとも電話に出られるくらい)が2人いるという状況なのだが、2015年現在の感覚からすると、この点についてはそれほど「僕」は憂鬱(というか、自分にも子どもがいてもおかしくないと述懐をする程度に感傷的)にならなくてもいい、と思うのだが、どうだろうか。言い換えれば、この小説のテーマの1つに“二十代の終わり”ということがあると言えそうだが、これはやはり1980年代における“二十代の終わり”であって、それから30年以上を経てた現在のそれとは、何かしらの違いがあるように思われてならない。

 二十代についてはその辺にしておくとして、純然たる文章として読むのに快適な作品という感じは確かにする。特に身支度をしたり食事をしたりするシーンは、それだけの内容なのに面白いというのは驚く。全体的なテーマというレベルでは、つかみどころのない哀しみを描きつつ、細部の表現のレベルではちゃんとした生活の様子が描かれるという二重構造(村上春樹の作品全体については、二重とかダブルとかパラレル、という言葉がキーなのだろう)があるのだろうと思う。

 物語としては、上巻は「冒険」が始まる舞台が整っていく感じである。当の「冒険」はどんなものになるのか、気になるので続けて下巻を読むことにする。

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)