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何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

夏目漱石『行人』の感想


(2003年12月)

 夏目漱石の小説の感想も、だいぶ数を重ねてきた。残りの作品を数えれば五指で足りるかと思われる(2003年以前に読んだ作品については何の感想ノートも残っていないので、新たな感想としてここに書くべきか少し思案している)。
 『行人』は、あまりメジャーでないように感じるが、『彼岸過迄』(当該記事)に続き、一般的に言われる後期3部作の2作目とされているようだ(最後の1作は有名な『こころ』である)。しばらく冒頭の表紙画像は新潮文庫のものにお出まし願っていたが、ちょっとマンネリ気味なので今日は集英社文庫のものである。

 まずは以下にあらすじを挙げよう。『彼岸過迄』と同様、短編が集積して1つの長編を成すという構成である。

 「友達」。「自分」(長野二郎)は、友人の三沢と落ち合って旅を続けることになっている大阪にやってきた。しかし三沢からなかなか連絡が来ない。親戚の岡田の処へ身を寄せ、二郎の家で下女をしている貞の縁談相手である岡田の同僚・佐野の様子を見たりしているうち、三沢から胃腸が悪くて大阪の病院にいるという手紙を受け取る。幾度も見舞いに行くうち、二郎は入院している女が気にかかる。三沢は「あの女」を知っており、入院前に芸者屋の娘分だった彼女に無理に酒を勧めたと言い重篤な彼女を見舞うのだった。
 退院し、東京に帰ろうという時、急に三沢は自分の家で預かっていた、ある家へ嫁にいって精神を痛めた娘さんの話を始める。その娘さんが「あの女」の顔に似ているのだという。そして三沢は帰京し、二郎は大阪に残った。
 「兄」。三沢が帰った翌日、二郎の母、兄の一郎、兄嫁の直が上阪してきた。予期していなかった二郎は驚く。貞の縁談関連の用事や岡田の世話による大阪観光で日が過ぎていく。4人は和歌山へ足を伸ばすが、滞在先の若の浦で、二郎は兄から、妻の直はお前に惚れているのではないか、と告げられる。そして兄は弟に、直と2人で一泊し、節操を試して欲しいと頼むのだった。
 二郎は拒否し母も不安を示すが、兄の意思に折れ、二郎は直と2人で和歌山市内に赴き、嵐のためもあり電灯もままならぬ宿で一夜を過ごす。翌朝、元の宿に二郎と直は帰り、二郎は兄の疑いを否定しつつ、詳しくは帰京してから話すとして、兄も承知する。翌日、一行は帰京した。
 「帰ってから」。東京へ戻って夏が過ぎると、兄は二郎に直との一夜について話すよう言った。二郎は別に話すべきこともないと応えたが、一郎は激怒する。居心地が悪くなった二郎は、家を出て下宿生活を始める。
 貞の婚礼に関連して、岡田と佐野が上京し、式を挙げる。挙式後、二郎は、下宿に遊びに来た妹の重や母から、兄と直の関係が不穏であることを知る。
 「塵労」。二郎は父母と相談のうえ、一郎の親友Hさんに頼んで、彼を旅行に連れ出してもらうことになる。Hに対し二郎は、旅行の兄の様子を手紙に書いて送ってくれと頼み、いちおう承知される。旅立ちから11日目、Hさんから手紙が届く。語られる兄の孤独。「神は自己だ」という一郎とともに各地を転々とするHさんは、それでもぐうぐう眠る一郎の姿に幸福ということを重ねるのだった。

  後期3部作の2作目とはいうものの、直接的には『門』(当該記事)までの前期3部作との関連が強いように思った。相変わらず三角関係(しかも本作では前半は二郎、三沢、「あの女」、後半は二郎、一郎、直という二段構え)をメインに置いて、妻が信じられなくなってしまった(もっと言えば人間全体が信じられなくなった)夫の悲哀を描いている。たとえば『三四郎』(当該記事)のような爽やかさはないが、これはこれでみっちりとした書きぶりが興味深かった。
 それにしても、全体の半分ほどが大阪を舞台としているところは新鮮である。明治時代の作品とくると大半が東京を舞台にしているようなものなのだが、ここでは旅行者としての主人公の目を通じて大阪の文化や風俗が提示されている。もちろん観光ガイドではないので、名所案内などはないのだが、それはそれで味わい深い。
 私も何度か大阪に行ったことがあるのだが、大抵は串カツにビールで満足して市内のホテルに泊まるだけだった。今度訪れることがあれば、もう少し真面目に(?)観光というか街を見てみようという気にさせられた。

 今作のハイライトは、と問われると迷うのだが、やはり二郎と直が2人きりで和歌山の宿に泊まるところではないだろうか。直という女性は、以下の文章から考えると意思とか情熱とか、そういった熱量の不足した女性であるように思える。

彼女はけっして温かい女ではなかった。けれども相手から熱を与えると、温め得る女であった。(岩波文庫版p.113)

 そんな直が、夫である一郎を思って泣くシーンが幾度かあるが、やはりこれは心に残った。『虞美人草』(当該記事)以来、漱石は女性に対してあまりいい印象がなかった気がするのだが、ここに至って女性ではなく、むしろ男性(しかもインテリである一郎)の自意識を問題にする物語を描いたのは、修善寺での大出血で危篤となったことと関連があるのだろうか。

 一郎は難儀な性格である。以下の一文には、囁くような暗い口調に狂気すら想起させられて、背筋が寒かった。

「御前(おまえ)他(ひと)の心が解るかい」と突然聞いた。(同p.127、カッコ内の読みは星見による)

  近代人の苦悩というのが漱石の作品に共通したテーマだと私は思うが、さすがにここまで思い悩む人間はあまりいないのではないか、とも私は思う。あるいは、現代において、苦悩する人間などは既に姿を消している、ということなのかもしれないが。

行人 (岩波文庫)

行人 (岩波文庫)

 

 

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