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何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

夏目漱石『明暗』の感想


(2003年9月読了)

 一気に順序をすっ飛ばして、漱石の未完の絶筆となった『明暗』に手を出した。漱石の終着点を、先に読んでみたくなったのである。
 以下、あらすじ。

 痔疾を患っている津田は、患部の手術を受けることになる。会社勤めの津田だが、費用が心許ない。京都にいる父から金を借りて返す約束を果たしていないので、更に借りるのは困難である。津田は新妻のお延と金策の相談をする。
 お延と暮らしながらも、津田の胸中からは、かつて相思相愛に思われながら他の男のもとへ嫁いだ清子という女が消えていない。言葉に出さずとも、それがお延には何となく察せられ、二人の関係は若干のぎこちなさを帯びている。
  さらに、津田の入院に前後して、彼の傲慢さを陰ながら軽蔑している旧友の小林は、津田の清子への未練をちらつかせ、夫婦の間を掻き乱す。また津田の妹お秀は、他人の親切を素直に受けられない津田とお延を「自分だけのことしか考えられない」と鋭く非難する。かつて津田と清子の間を取り持ち、津田の上司の妻でもある吉川夫人は、彼に温泉で療養している清子を訪ねるよう勧める。
 金はお延の叔父である岡本により工面され、清子のことがお延に明かされることはなく、津田は退院する。仕事のため朝鮮へと渡る小林の送別の席で、お延を手に入れながら清子を求め続けるエゴに対し小林から「今に戦いが始まる」と告げられた津田は、清子のいる温泉へと1人で向かう。
 津田は清子と再会する。清子の部屋で、津田は清子の本心に迫ろうとするが、それはなかなか明らかにならない。(未完)

 『吾輩は猫である』を超える分量(約600ページ)は、漱石の作品中で最長だろう。初期に比べると文章はさらに洗練され、会話文が多いためもあって分量にそぐわぬ速さで読み終えた。それでも正味8時間くらいだろうか。話はだいたい津田の主観で進むが、お延の主観になる部分もあって、漱石による女性主観というのは新鮮な気がした。
 新字新かなに直された状態で読むと、時代的な背景はともかく、文体的には昭和の作品とそう変わらないように思う。「ウーロン茶」という言葉が登場(岩波文庫版p.54)しているのを読んで驚いたりもした。

 その分量から多彩な要素を含む小説だが、中心は津田と妻のお延、そして津田が忘れられない清子の3人だと思う。教育も金もない小林の、津田に対するコンプレックスと軽蔑の混合した言動も大きなウェイトを占めているが、少なくとも現存部分だけを考えれば、この小説の基本的構図は津田をめぐるお延と清子の三角関係と言ってよさそうである(三角関係は漱石の小説ではお馴染みのようだが、漱石自身にそういった話が無いのはちょっと不思議)。
 そこに生活(つまり、お金)の問題、傲慢さの問題が入ってきて、私にとっては読みながら薄暗いイメージが付きまとった。「明暗」というとコントラストがはっきりとした光と闇が思い浮かぶが、むしろ薄曇りの状態でほのかに明るくなったり、暗く打ち沈んでいったり、という感じの方が近いような気がする。

 人物について触れると、あまり気に入った者が居ないような気がする。津田は人を見下したところがあって、若干シンパシーを感じないでもないけれど、それは好き嫌いで言えば嫌いな理由を強化している。お延にも同様なものを感じる。津田の妹お秀は一生懸命だが激し過ぎる。吉川夫人は、実はこの物語全体を支配していそうな感じを受けて薄ら寒かった。
 清子は、名前の通り清らかな感じを受ける言動が描写されているが、津田から去っていった理由が示されない不気味さはある。そのミステリアスなところが好ましい気もするが、作品の最終盤、温泉地といういわば“別世界”で邂逅するというアドバンテージがあるようにも思える。
 一番、評価に困るのは小林である。津田とお延の仲を破壊しようと思えばできるトリックスター的な人物でもあるが、それだけじゃない。津田を軽蔑していると表明し、卑屈な態度をとりながらも長々と津田の傲慢さを批判するのは、何だかんだ言って友情から発露した行為とも取れないだろうか。仕事のために妹を残して朝鮮に渡るという退場の仕方もほろ苦く、ことによると私が本作でいちばん気に入ったのは彼なのかもしれない。

 それにしても、素朴な欲望は“この続きが読みたい”ということである。もうだいぶ有名だが、水村美苗という小説家が果敢にも本作の続きを書いている。私も過去に読んだので、いずれこのブログでも取り上げることになるだろう。

続 明暗 (ちくま文庫)

続 明暗 (ちくま文庫)

 

 これだけ長い小説なら、続きも色々と考えられるのではと思い、水村氏以外に同じような試みをしている人がいないか軽く調べてみたが、現状ではいない模様。代わりに以下のような戯曲があるのを見つけた。

新・明暗

新・明暗

 

 これは続きではなくて現代劇にアレンジしたもののようだが、上演された以上、何らかの結末が与えられているのだろう。どこかで見かけたら読んでみたいものである。

 漱石は、この小説を書いている時「則天去私」という言葉を言っていたそうだが、いま読んだ限りでは、私にはこの小説にその境地を感じることはできなかった。もしもラストシーンまで漕ぎ着けていたなら、そこには「則天去私」が表れていたのだろうか。気になるが、答えが明らかになることはない。

明暗 (岩波文庫)

明暗 (岩波文庫)

 

 

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