何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

歌野晶午『長い家の殺人』の感想


(2004年11月読了)

 現代日本のミステリである。布団の中で二晩読んで読了した。
 「現代」といっても発表されたのは1988年なので、読んだ当時としても一昔前、現在(2017年)からすると四半世紀以上前の作品である。それほど昔とは感じていなかったが、改めて驚く。
 それはともかく、まずは概要を示す。

  1986年の秋なかば、越後湯沢のロッジ「ゲミニー・ハウス」には、東稜大学の学生バンド“メイプル・リーフ”のメンバーたちの姿があった。ベースの山脇丈広(やまわき・たけひろ)、ギターの戸越伸夫(とごし・のぶお)と武喜朋(たけ・よしとも)、ドラムスの駒村俊二(こまむら・しゅんじ)、キーボードの三谷真梨子(みたに・まりこ)、そしてファンのようなカメラマンのような役割を勤める市之瀬徹(いちのせ・とおる)。まだスキーには早い季節、彼ら6人が集まったのは、メンバーの大半の卒業を控え、最後のライヴのために練習合宿をするためだった。
 しかし、彼らを待っていたのは不可解な惨劇だった。初日の夜に行方不明となった者と、消えた荷物。窓から見えた人影。そして、翌日の午後、忽然と現れた死体。
 警察が捜査に入り、唯一の宿泊客だったメンバー達と、オーナーの権上康樹(けんじょう・やすき)は取り調べを受け、疑われる者も出るが、犯人が明らかになることはない。殺人を犯したのはメンバーの誰かか、宿のオーナーか、あるいは近隣のリゾートマンションを荒らす窃盗犯の仕業なのか。
 真相が分からないまま季節は過ぎ、“メイプル・リーフ”は1人を欠いた状態で再度ラスト・ライヴの準備を始める。だが、新宿のライヴハウス「パーム・ガーデン」でのステージ真っ最中、再び凶行が演ぜられる。
 またも理解不能な現場の状況に、警察は困惑し、メンバーは打ちひしがれるが、彼らの前に、ドイツ帰りの“メイプル・リーフ”初代ドラムス、信濃譲二(しなの・じょうじ)が現れる。彼は、残されたメンバー達から話を聞き、2つの現場を調べ、手巻きで煙草を吸い、信濃は消えて現れた死体の謎を解き、譜面に記されたA7の暗号を解明する。
 真相を看破した信濃だったが、真犯人への法による裁きを重視せず、犯行を「ライヴ・ショー」と言い表す。真犯人よりも、狂気に満ちているのは、信濃かもしれなかった。

 文章はまずまず読みやすいが、特徴は乏しいか。しかし処女作ということを加味すると、それで良いような気もする。音楽等についての講釈も、鬱陶しくない程度に抑えられている。
 ただ、探偵役である信濃の性格にはかなり癖があり、好みが分かれるところではないだろうか。私が音楽(特にロック関係)に疎いため、感情移入し切れなかった、ということもあるかもしれない。それは信濃に限らず本作の登場人物全般に言えることでもある。
 やはり私には今のところ、『月光ゲーム』に始まる有栖川有栖氏の学生アリスシリーズの江神二郎が、最も好ましい名探偵に思われる。それは、“メイプル・リーフ”よりも英都大学推理小説研究会の方に親近感を感じている、ということなのだろう。

 ミステリとしての出来栄えに目を転じてみる。総じて水準以上の作品と思うが、トリックと推理については多少物足りなさを覚えた。トリックは初読時でもそれほど“驚愕”というものではなかった。ミステリのトリックにおいても、不朽とされるものがある一方で、時間が経つにつれて新奇ではなくなってしまう類のものがあるのだろう。本作の根幹を成すトリックは後者なのだと思う。
 推理については、論理的に犯人を指摘し得ているのか、という点について多少疑問が残った。「この人以外は有り得ない」という言い方では犯人を指摘していないのである。そこは暗号解読から補っているとも言えそうなので、完全に破綻しているというわけでもないのだが。この辺りは、エラリー・クイーン式の論理重視を支持する私の好みの問題かもしれない。
 暗号解読から犯人指摘にかかわる一要素については、トリック本体よりも驚かされたように思う。その要素をめぐる事情を知っていればどうということもないが、こちらはトリックとは逆に、発表時から時間が経過することで謎が深まった(≒そうした事情を知る読者が少なくなった)と言えそうである。

 ちなみに、本作の探偵役である信濃譲二は、続く『白い家の殺人』『動く家の殺人』でも活躍しているらしい。いちおう押さえておきたい(というか、確か本棚のどこかで積読になっていたはずである…)。

新装版 白い家の殺人 (講談社文庫)

新装版 白い家の殺人 (講談社文庫)

 
新装版 動く家の殺人 (講談社文庫)

新装版 動く家の殺人 (講談社文庫)

 

 もう1つ「ちなみに」を重ねると、(元となった読書メモを書いた当時の)作者の近刊『葉桜の季節に君を想うということ』は、かなりの評判である。2004年の主要なミステリ関係の賞を総なめにしている。こちらは、むしろ上記の「家」シリーズ続編よりも先に読みたいと思う。

 ミステリとしての見方を離れて本作を読むと、80年代中ほどの大学生の暮らし(恐らくそれは、作者の大学生時代と相似形を成すのではないか)が見えてきて興味深い。全共闘の時代は遠くなりはしたものの、うっすらとその痕跡を残し、社会や権力への反感はありつつも日常も楽しい、という分裂した意識が、“メイプル・リーフ”のメンバーの言動に現れているように思う。

 そういう当時の雰囲気を、作中、ライヴハウス雇われ店長である三浦弘子の台詞は以下のように表現している。

「……かたく目を閉じて、眉間に皺を寄せて音楽を聴く時代じゃないのよ。音楽は生活のアクセサリーでしかなくて、なんとなく気持ちがよければ、明日はもう忘れていたってかまわないの。……」(旧文庫版p.162~163)

 フォークソングやハードロックの60~70年代とは、音楽への意識が大きく変わった。彼女の言葉は、そう言っているのだろう。
 本作の冒頭で描写されるフィリップ & イーノの「イヴニング・スター」は75年、ドゥービー・ブラザーズの「チャイナ・グローヴ」は73年、信濃が集中力を高めるためにかけるキング・クリムゾンの「21世紀の精神異常者(現在は倫理関係の事情からか「21世紀のスキッツォイド・マン」と訳される)」は69年の発表と、本作には60~70年代の曲が多く登場する80年代的な「アクセサリー」としての音楽ではなく、市之瀬徹の言葉を借りれば「心を揺さぶってくれる」往年の音楽に親しむ登場人物たちの様子は、巻末に置かれた島田荘司氏の推薦文の云う「高校時代は徹底した造反分子」で、文系だったにもかかわらず教師の勧めに反抗して理系の大学に進んだ、という作者像を補強するものとも思われる。

 ところで、その島田氏の推薦文を信じるならば、この作品は作者が島田氏に「処女作を書く」と宣言してから書いたという話である。泉鏡花尾崎紅葉を訪ねたように、作者は島田氏の自宅を訪ねて来て、その後は通い弟子のような感じで本作を書き上げたとのこと。80年代当時としても珍しいデビューの仕方だと思う。
 家への道案内を雑誌に書いてしまう島田氏も島田氏だが、それを読んで推理小説の書き方を教えろと訪ねていった歌野氏がすごい(それを門前払いせずに真面目に対応して1年後に本が出るまで付き合ってしまう島田氏が、やはりすごいのか)。何らかの賞を受賞しデビューする作家が大半を占める現在だが、歌野氏のようにデビューする作家も、まだ出てくるといいと思う。
 私が旧文庫版で読んだ後に出た新装版には、作者の言葉も付されているという。未読なのだが、島田氏の推薦文に対して言及しない訳がないと想像する。20年越しの、師に等しい人への言葉を読むためだけにでも、新装版も一度は手に取りたいところである。

新装版 長い家の殺人 (講談社文庫)

新装版 長い家の殺人 (講談社文庫)

 

 

広告を非表示にする