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何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

みうらじゅん『「ない仕事」の作り方』の感想

 テレビガイドというジャンルに属しながら、完全に他と一線を画している(というよりも、一線を越えていると表現すべきか)『TV Bros.テレビブロス)』という雑誌がある。家人が好きで買ってくるので、たまに私も読むのだが、先月出た2016年3月12日号(岩井俊二黒木華が表紙)の「ブロスの本棚」なる半ページほどのコラム記事でこの本が取り上げられていた。
 “本業不明”とでも言えそうな男みうらじゅんが、そういう生き方が可能であった根源である“今まで存在しなかった仕事(=「ない仕事」)を新たな仕事として成立させるにはどうすべきか”を公開した本である。家人が欲しいというので(加えて自分も「ブロスの本棚」を読んで興味を持ったので)池袋に行った折に購入した。

 ちなみに、先日からサイドバーに「今後の予定」として、これから取り上げる本を列挙するガジェットを付けたが、そこにこの本は入っていない。「今後の予定」には過去の読書記録のものしか入れないので、リアルタイムで読んだ本については、今後も本書のように突如として感想を述べることになるだろう。
 ついでにもう一つ「ちなみに」を重ねると、同じ「ブロスの本棚」で、本書と共通した部分がある1冊として『圏外編集者』という本も紹介されていた。これも本屋で手に取ったのだが、文章の感じがどうも好きになれない気がして購入は見合わせた。いずれ読みたいとは思う。

圏外編集者

圏外編集者

 

  それはともかく内容についてである。書店でもいわゆる“タレント本”の棚に置いてあって例の面白半分な調子の本だろうと思っていたのだが、著者のことを知る者なら驚きを伴って肩透かしを食らうような、真面目な本である。まずは目次から各章のタイトルを引き、概要を示そう。

 第1章 ゼロから始まる仕事~ゆるキャラ「ない仕事」の実例として、著者の代表的な業績(?)の1つである「ゆるキャラ」がどう見出され、多くの人を巻き込んだブームになっていったかを紹介している。もちろん「ゆるキャラ」自体は、そう命名される以前から全国の色々なところにひっそりと存在はしていたのだが、著者がそれを新たに見出し、命名し、「これは面白い」と自らを洗脳しつつも蒐集し、雑誌に連載を売り込み、さらにイベントを企画して「仕事」になっていったというわけである。
 第2章 「ない仕事」の仕事術。著者の過去の仕事ぶりを挙げつつ、「ない仕事」に繋がる事物をどう「発見」するか、好きでも何でもない物についてどう「自分洗脳」してのめり込んでいくか、いかに名付け、世の中にどう伝え広めていくかを述べる。「発見」するには、見過ごされているものの良さに着目したり、好きであることの強みを押し出したり、敢えてマイナスな物事を楽しんでみたりする必要がある。
 ポップなネーミングは、マイナスだったり重すぎたり怒られそうなことでも、逆転させることができる。また、そこまでして作り上げた「ない仕事」を雑誌などの媒体を使って人々に伝え広めるためには、「一人電通」として、その編集者たちに接待するのがよい。これら「ない仕事」の根幹を成す「収集」と「発表」が1人でうまくいかなければ、自分が不得意な方面を補える人とチームを組むのもアリだ。そして「ない仕事」を成立させるためには、言い続けること、好きでい続けることが重要である。

 第3章 仕事を作るセンスの育み方。著者の最初期(子供時代)の「ない仕事」である怪獣スクラップから現在仕込み中と言われる「シンス(Since)」まで、年代順に振り返り、そのセンスの発端と変遷が語られる。一人っ子だった著者は「一人編集長」であると同時に自らの製作物の唯一の受け手でもあった。スクラップを作り、8ミリを撮り、漫画を描き、1日4曲作曲するなどして成長し、漫画家としてデビューするが、糸井重里の助言もあってオシャレ系のイラストレーターとなる。その一方で、イラストの余白に自分が興味を持っていることを小さく描くことが、「ない仕事」へと繋がっていったという。
 その物事ごとに見合った方法で発表する。何かやる時はその事物が主語で、「私」は無くす。飽きたと思っても「好きだ」と自分を洗脳して邁進する不自然な生き方をする。それらが、筆者の辿り着いた境地である。

 第4章 子供の趣味と大人の仕事~仏像。再びモデルケースとして、著者が少年時代から好きな仏像が、いかに仕事になったかが述べられる。著者はクラスでの競争率が低い(というよりも競争相手がいない)仏像博士の称号を持ちたいと考え仏像スクラップを始めるが、女の子にモテないという理由から一時遠ざかる。しかし時を経て、いとうせいこうと出会ったことで、それはまず『見仏記』として結実し、大日本仏像連合などのイベントや仏画、さらには東京国立博物館の阿修羅展の大混雑へと繋がっていった。

 編集者というのは、本質的に「ない仕事」を見出し続けることが生業だと私は思っている。まぁ、日銭稼ぎのために「ある仕事(つまり他に追随するような企画)」に従事することだって多いのだが、隙あらば「ない仕事」を成立させたいと思っているのだと思う。
 しかし、周りを見ると思いのほかそういう人ばかりでもないらしい、とも感じていて、自分自身も案外そうでもないのかもしれないと疑心暗鬼になることもある。そんな自分にとって前述のテレビブロスのコラムは仕事上のヒントに思え、結構なシリアスさで本書を読んだ。

 正直に言えば、誰もがみうら氏のようになれるわけではないだろう。なれる人は少ないと思う。私にもたぶん無理である。
 しかし、だからといって、この本はただ「ふーん」という感想だけしか持たれずに終わるものというわけでもない。「ない仕事」と言うからスケールが大きく感じるが、もっと素朴に「ちょっと新しいこと」とでも言い換えれば、この本が語るノウハウは、多くの人・多くの職種に応用可能ではないだろうかと思う。「水と油」「マイナスをプラスにする」というネーミングの方法などはどこでも参考になりそうだし、現時点で誰も興味を持っていなかったり敬遠するような事物に新しい企画の種があるということもありそうである。

 ノウハウの開陳に伴って、みうら氏の業績が続々と紹介されるという意味では、この本自体もまた「ない仕事」と言えそうだが、最後の方で登場する『アウトドア般若心経』には感服した。

アウトドア般若心経

アウトドア般若心経

 

 街中の看板から1字ずつ拾って写真を撮り、それを集め組み合わせて般若心経を成立させるという企画なのだが、こういう発想が大切なのだと感じた。そのことを著者も「真髄」と表現している。よい文だと思うので、引用しておこう。

バラけると意味がない。合うとそう見える。それが「ない仕事」の神髄だと、自分でも初めて気がついたのです。そもそも違う目的で作られたものやことを、別の角度から見たり、無関係のものと組み合わせたりして、そこに何か新しいものがあるように見せるという手法。(p143;太字原文ママ

 その他、私にとって意義深かったのは、3章で述べられている「接待」の必要性であろう。「ない仕事」の種は無くもないが、「接待」については決定的に不得手である。そんなことでよく自営などやっていられるものだと自分で思うが、単に運がいいだけだと考え、「一人電通」として「接待」も多少なりと心がけようと思う。

 特に自身の仕事がマンネリだと感じている方に、メインである2章・3章だけでも一読することをお勧めしたい本書だが、繰り返しになるがやはり“誰もがみうら氏のようになれるわけではない”ということは、忘れてはならないと思う。応用できるノウハウと、できないノウハウがあると言えばいいだろうか。
 より具体的に言えば、著者が前面に出している「ポップさ」という作風は、著者に固有のものと思われるのである。もちろん、それをも真似ることは可能であるが、あまりにそれが氾濫した時、恐らくそれはもう「ない仕事」ではない。
 逆に言えば、「ない仕事」に繋がりそうな事物を「発見」した時、それを「ポップさ」ではなく「爽やかさ」とか「重厚さ」とか「ロマンチックさ」といった各人それぞれのセンスで彩り、人々に広めることができた時、そこには著者のものとはまた違った「ない仕事」が表れるのではないか、と思うのである。
 「発見」もなかなか難しいが、それ以上に自分固有のセンスというものを発揮するのもまた、大変そうである。しかし、自分で「ない仕事」を成し遂げるというのは、相応に魅力的でもあるだろう。

「ない仕事」の作り方

「ない仕事」の作り方

 

 

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