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何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

荻原浩『なかよし小鳩組』の感想

小説 日本近現代文学


(2004年9月読了)

 当時、日曜の朝にふと読み出し、そのまま半日ばかり読み続けて読了してしまった。へっぽこ広告会社の面々が登場する『オロロ畑でつかまえて』(当該記事)の続編である。まずはあらすじから。

 牛穴村の村おこしを成功させたものの、零細代理店であるユニバーサル広告社の現状はそう変わらない。老舗と言えば聞こえのいい結婚式場・鶴亀会館のコピーを考えつつ、アル中気味でバツイチのコピーライター、杉山は相変わらず燻っていた。再婚した元妻の幸子のもとを飛び出してきた7歳の娘・早苗が転がり込んでくるが、頼みの綱だった鶴亀会館の不祥事でせっかくの仕事も水の泡となり、会社は一気に傾きかけ、バイトの猪熊エリカはいつにも増して就職情報誌を読み漁る始末。
 そんな折に社長の石井が取ってきたのは、小鳩組なる会社のCI(コーポレート・アイデンティティ;企業イメージ統合戦略)の仕事。嫌な予感がしつつ、建設会社だと自分たちを騙しながら打ち合わせに向かった杉山、石井、パンクなアートディレクターの村崎たちの前に現れたのは、嫌な予感どおりの指定暴力団小鳩組の本部ビルだった。
 大いにビビりながらヒアリングを済ませ、フリーのデザイナー三田嶋を引き込んで、束の間の愛娘との生活を励みに、杉山は小鳩組のシンボルマークの製作に着手する。小鳩組からの目付け役・河田に最初こそ驚かされるものの、万年ヒラの立場に甘んじ、息子の運動会を楽しみにする河田を、杉山は邪険にできなくなっていく。
 どうにかシンボルマークの決定まで漕ぎ着け、これでお役御免と思いきや、革マル上がりの組のブレーン・鷺沢が石井と結んだ契約により、ユニバーサル広告社は更なる無茶振りを被ることになる。IC披露を兼ねた組の40周年記念イベントを催し、テレビCMを作れというのだ。
 幸子が入院すると聞き動揺する杉山だが、一念発起。酒を控え、陸上部にいた高校時代を思い出しながら朝のランニングに精を出す。記念イベントはともかく、どう考えても小鳩組のテレビCMを流すことは不可能に思われたが、ランニングは杉山に悪魔的な閃きをもたらす。
 杉山の提案に、鷺沢を始め小鳩組幹部は反発するが、組長の小鳩の乗り気に助けられ、鷺沢の企みも猪熊の意外な事情で挫かれる。どうにかこうにか、条件付きで杉山の案は採用されるが、その成否は杉山の走力にかかっていた。組の若者だがかつては陸上をやっていた勝也とトレーニングに励み、杉山はその日に備える。
 早苗のおかげで記念イベントもまずまずの成功をおさめ、あとは提案通りに“テレビCM”を実現するだけとなる。計画実行の当日、幸子の手術は無事に終わるが、それは早苗が今の父母のもとへと戻ることを意味していた。杉山は走る。小鳩組のCI戦略成功のために。そして、娘に父としての最後の姿を刻み付けるために。

 相変わらず笑いを誘う、その上に心にくる作風である。元コピーライターの作者であるから、広告業界の裏側を描くのはお手の物だろう。小鳩組と仕事をすることになってのユニバーサル広告社の面々のドタバタは、いつかどこかで見たような戯画的雰囲気が否めないが、それでも楽しめる。
 アウトローに対する慈しみをもって描くのは浅田次郎の得意とするところで、小説家として有名になる以前から、実体験なのか取材したものを加工しているのかイマイチ判然としない本を何冊か出している(以下の本のハードカバー版は、浅田氏が新人賞を受賞する前の1993年初版)。

初等ヤクザの犯罪学教室 (幻冬舎アウトロー文庫)

初等ヤクザの犯罪学教室 (幻冬舎アウトロー文庫)

 

 ヤクザを描くという点では、やはり本作は浅田氏の仕事に一歩ゆずらざるを得ないと思う。ただ本作はアウトロー小説ではなく、アウトローと仕事をしなければならなくなった広告会社の小説なので、そこは致命傷ではないだろう。むしろ私が感じた問題は、描写のリアルさではなく、語る視点が固定されていることだった(後述)。

 そうした、やや特殊なお仕事小説としての面が提示されつつ、並行して描かれるのが、文庫版の解説にもあるようにアル中バツイチの主人公、コピーライター杉山のリスタートである。娘の早苗がその起爆剤になっているわけだが、男勝りな娘という造形には妙にリアリティがあり、楽しい。「もっちロンドンパリ!」なんていう返答も、いかにもである。もしかしたら、作者の子育てと連動して書かれた作品なのかも、などと妄想してしまった。
 そんな早苗との束の間の生活が、恐らくは二度と営めないことが分かって、それでも杉山が走り続ける(ちゃんと生きていく)ことを決めるところで本作は幕となる。
 杉山という男の物語としては申し分ないラストなのだが、私には少し物足りなかった。感情的に言えば、その後どうなったのか、もう少し読みたかったのである。映画で言えばエンドロールの後にちらりと提示される映像(何というか不明だが、仮に本編前の映像がアバン[avant]と呼ばれるのに対してアプレス[après]とでもしておこう。)くらいでよいので、杉山が、ユニバーサル広告社が、そして小鳩組がその後どうなったのか、知りたかった。野暮かもしれないが、そう感じたのである。

 この物足りなさは、上で後述とした問題点とも関わっている。問題点とは、前作の『オロロ畑…』では、牛穴村の面々と広告社の視点が切り替わりながら、お互いにハッピーになっていくのが描かれたのに対して、本作は広告社側の視点に終始していたことである。
 もちろん本作でも、小鳩組の窓口となった河田や、怜悧冷徹に見える鷺沢が人間らしい面を見せる部分はあるが、それで小鳩組がどうなっていくのか、という点は、ほぼ完全にブラックボックスの中なのである。反社会的組織なのだから、究極的には解散することしか読者を納得させる結末は描き得なかったのかもしれないが、そこが頭の絞りどころではなかったか、とも思った。
 2012年に14年ぶりの続編が出て、最近になって文庫版(およびkindle版)が出たようだが、この点が続編ではどうなっているかを確かめる意味でも、いずれ読むことと思う。今度の案件は寂れた商店街の復活なので、第1作と同様、広告社・クライアント双方の事情が描かれているのではないかと想像している。

  何だか随分と辛めなことを書いた気がするが、このシリーズが割と気に入っているから出てきた“ないものねだり”に他ならない。総じて言えば、軽妙なコメディタッチながら、“仕事をする者”としての矜持と、人生に対する真摯さが顔を覗かせる、なかなかの小説である。

 

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