何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

田中康夫『なんとなく、クリスタル』の感想


(2003年7月読了)

 長野県知事(2003年当時)のデビュー作という意識で読んだ。
 1980年6月。東京で、女子大生をしながらファッションモデルもしている由利は、同じように大学生でキーボード奏者として注目され始めている淳一と共に暮らしている。しかし、淳一はコンサートの遠征でしばらく帰ってこない。人恋しさに、由利はディスコで声をかけてきた正隆と会い、抱かれる。淳一が帰ってくる。彼に“所属”しているという感覚を意識する由利。なにも悩みがなく、なんとなく気分で快適な生活をする彼女はふと、10年後、30年後を思うのだった。

 80年代初頭の都心の大学に通う、割と富裕な男女の快適な生活。それを描きながらも、 根本的なテーマは、個人のアイデンティティとそれを表すものとしてのブランドという感じだろうか。最後の方で少しだけ、由利が淳一に対して抱いた“所属”という感覚を通して、男に対する女の在り様というようなことを描こうとした形跡があるが、そちらはごくあっさりとしたものである。
 最後に挙げられた二点の政府報告書からの引用は、バブル前のまだ比較的平穏なお祭り騒ぎに沸いていた当時の社会の、先行きの暗さを暗示しているとも取れるが、私はどっちかというと「三十代になっても、仕事のできるモデルになっていたい。」と述べる由利への政府答弁めいたものじゃないかと思う。
 刊行時に賛否両論で話題をさらったこともあり、早々に映画化されたようなのだが、ソフト化された形跡がみられない。何か事情があったのかな。
 代わりと言っては何だが、つい去年、本作の続編が発表されている。Amazonレビューによれば概ね好評だが、どうだろうか。そのうち読んでみたい。

 この小説について語る時、物語と同等(あるいはそれ以上)に、形式に意識がいくのは仕方のないことと言えそうである。作者の註釈の数が尋常ではない。
 大まかにいって本文の半分ほどの分量の注釈(実に全442か所)が、作中に登場するブランド、店、音楽などについて付けられている。しかも注釈の内容は半ば作者の主観で、多くは読者や社会に対して挑発的な内容ときている。これらも含め、当時の雰囲気を表す史料だと言えそうではある。
 そのくせ、これら注釈は肝心なことには寡黙である。例えばタイトルの由来となったであろう「クリスタルなのよ、きっと生活が」という台詞はこの小説の核心に迫るものだと思われるが、これに付けられた注釈は「●クリスタル crystal」とまことにそっけない、付けても付けなくても同じではないかと思われるようなものである。
 それはそうと、注釈が掲載されている場所もなかなか興味深い。
 自分は最初、文庫版で読んだのだが、そこでは見開きの右が本文、左がそのページの注釈というようなレイアウトになっていた。対して、後になって偶々手に取ったハードカバー版では、注釈はまとめて巻末に載せられていた。逐一注釈を拾って読み進めるとしたら、文庫版の方が明らかに便利である。
 作者の案か編集者のそれかは分からないが、文庫版のこうしたレイアウトは、本文の物語が展開しながらも注釈で作者が語り続けるという、ある種オーディオコメンタリー的な読書体験をさせてくれる。あるいは、ネット時代としてはハイパーテキスト的と言うべきか。

 思えば、デフォルト設定では書いた内容に自動的にはてなキーワードへのリンクが設定される、このはてなブログも、そうしたものの一つと言ってよさそうである。そういう意味では本作は、物語のレベルでは80年代の風俗を描きながら、仕組みのレベルではネット時代を予見していた、と言えなくもない。

 

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