何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

奥泉光『ノヴァーリスの引用』の感想


(2004年4月読了)

 ドイツロマン派に彩られた氏の出世作。処女作はこれ以前にあるらしい。2004年当時は作家の処女作にこだわっていたので、こういう場合には困った。「処女作に全てが宿る」と言われるし、様々な作家の処女作を集めた文庫とか全集などはないのだろうか。
 それはともかく、まずはあらすじを。

あらすじ

 恩師の森忠匠教授の葬儀で集まった、大学教師となった「私」、松田、榊原氏と、学者の道からは隔たって今では編集プロダクションを経営し、先ごろ離婚を経験した進藤。4人は、かつて経済史の研究会のメンバーとして切磋琢磨した仲だった。
 師の葬儀の後ながら、話題として浮かんできたのは、22歳で死んだ研究会の石塚のことだった。帰国子女で、それゆえ研究会の面々になじめず、リュートを弾き、そしてキリスト者でもあった石塚。彼は研究会を抜けようとした矢先、研究会の根城だった大学の東館の向かい、図書館の屋上から転落死したのだった。
 ミステリ好きの松田は、石塚の死は殺人ではないかと言いだし、残りの3人もその話に乗る。榊原が容疑者になったり、謎の人影(しかも女)が浮かび上がったりするが、それなりに、恩師の葬儀後の酒宴は幕となる。
 石塚の卒論に残されたエピグラム。「思想とは理性的な夢である」とは、ドイツロマン主義の詩人ノヴァーリスの引用だった。4月になり、4人は花見がてら久々に深夜の東館の院生研究室を訪れ、酒宴の続きをしようとする。
 悪酔いした「私」は、どうしたことか石塚が死んだ当夜の院生研究室の隣室にいることを気づく。石塚の死は事故か他殺か自殺か。真相は鈍い痛みと共に感じられ、シューマンのピアノ四重奏が響いた。

感想

 メタ推理の形をかりた、死や虚構と現実についての青春的思考。それが本作ではないかと思った。物語の展開としては割と類型的な気がするが、その傍で呟かれる異様なまでの思考の航跡が、この小説のとんがった部分として印象に残る。
 作者は社会思想史系の研究者を目指していたという経歴を持っているだけに、マルクスの『資本制生産様式に先行する諸形態』なる本を読む「研究会」の様子はリアルである。学生がよく抱く社会への壮大な反目と、それに引き比べてあまりにも普通な日常性の落差は、特に思想系の学生に多いと思われる。

 作品の書き方の話をすれば、氏は“売れる手段としての推理形式”というのを標榜しているそうだが、これは一理あると思う。最近は創元推理文庫からも出版されたようで、これがミステリと言って言えなくもないのはそうだろうと思う。が、しかし、本作の結末に、ミステリであれば重要視されるだろうカタルシスがあるわけではない。 

ノヴァーリスの引用/滝 (創元推理文庫)
 

 結局、この小説の実態は、ミステリの形を借りた純文学ということになるのではないかと思う。その中心にあるのは、なんといっても石塚という存在の辛さ、だろう。いわゆるエリートである主人公たちに向けられた「祈ることをしていない」という石塚の批判(それは恐らく、読者にも向けられているものだろう)に、どう応えるかを強いてくる点で、やはり純文学的だと感じる。
 本文中で、石塚に向けられなければならなかった言葉として、「私」はこんな風に述懐する。

 「無責任でなく、生産的で、関係を最も豊かたらしめる言葉。柔らかくて、いきいきしていて、笑いの要素が含まれていて、世界を僅かなりとも輝かせる言葉。」

 石塚に対してでなく、およそ議論というものにおいて、そうした言葉で行われるのなら、世の中もっといい感じになるだろう、と思い、何だか素朴に感心した。

 ノヴァーリスを始めとするドイツロマン派の雰囲気を小説として表した点は素晴らしいと思うのだが、体言止めが多いことでリズムが崩れているように思われるところや、話の終え方にはもう少し工夫が欲しかったように思う。特に後者、必ずしもミステリ的なものには拘らないにせよ、最後に何らかのカタルシスは欲しいと思うのである。

ノヴァーリスの引用 (集英社文庫)

ノヴァーリスの引用 (集英社文庫)

 

 

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