江國香織『冷静と情熱のあいだRosso』の感想
昨日に引き続いて赤の方、ひいては双方を含めての感想になると思う。
概要
かつての恋人、順正を忘れようと、ミラノでジュエリー屋のアルバイトをして、図書館の本を読みながら、“完璧な”アメリカ人の彼氏と暮らす女性の話。彼女の名前あおいも、作者の名前のもじりか。KaoriにはAoiが含まれている。
感想
アメリカ人の恋人マーヴは心技体そろった感じで、女性の理想像というのはこういう人なのかなぁ、という感じ。それでも、あおいは順正および彼との“約束”が忘れられないわけだが。
結局マーヴのように物わかりが良過ぎる人は、あおいのような女性の心の最奥まで迫り得ないということなのだろうか。あるいは、成熟した大人になった時代の恋は、若い感受性豊かな時代(この作品によればそれは20歳そこそこの頃)の恋に敵わない、ということか。それはそれで絶望的な話だが。
その辺りは置いておくとして、ディテールというか小道具というか、そういうものが青に比べると断然興味深かった。
料理をしたり食事をするシーンが多いので、そういうことになるのかもしれない。
私はふだんアマレットやらは飲まないが飲みたくなったし、ジャンケッティという小魚が、要するに“しらす”だということを調べて、いずれ生しらすを手に入れたら作中のように「きっかり3分お湯にくぐらせて、白くなったらすぐにあげてオリーブオイルとレモンをかけて」食べたくなった。白ワインがよく合いそうである。
それと、劇中でアンジェラ(マーヴの姉)が観て感激していたイタリア映画『イル・ポスティーノ』にも興味が湧いた。詩人パブロ・ネルーダと知り合った青年、彼らと共産主義の時代を描いたものらしい。そのうち観たい。
青と赤は基本的に独立した話で、両者が交わるのは、たぶん全体の1割くらいのものだろう。
一瞬の電話とか1通の手紙とか、色々と仕掛けを凝らしてはいるが、せっかく近くの都市で暮らしているのだから「実はニアミスしていた」とか、もう一工夫をする余地があったのではないかと少し思う。
文体的な話をすれば、江國香織の文章は並列的で、辻仁成のそれは通時的な気がする。江國が絵画的で辻が音楽的と言えないこともない、ような。
そういう差異があってこそ、こうした形式の作品は活きると思うが、とりあえず、小説の巧さで言えば、江國氏のほうが数段上な気がした。
いま(2015年)ざっとこの小説を読み返すと、“気持ちを持ちながらも離れ離れになる2人”というモチーフに、新海誠の『秒速5センチメートル』が思い出される。そして、どちらが心に響くかというと私には『秒速』の方である。
なぜそうなのか。
この小説が主にイタリアを舞台にしているのに対して『秒速』が東京と栃木あたりという地理的な親近感もあるだろうが、何よりも、『秒速』ラストの桜が舞散る踏切に漂う決然とした感じの方が、この小説のラストよりも響いたからである。
これを突き詰めると、単に私がいわゆる「もののあはれ」的な哀愁を好むだけのようにも思えるが、どうだろうか。同じように両者を味わった方の意見を聞いてみたい。