何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

夏目漱石『倫敦塔・幻影の盾』の感想


(2003年9月読了)

 漱石の初期短編を7つ収録したものである。元々は『漾虚集(ようきょしゅう)』という名でまとめられた由。
 自分は岩波文庫版で読んだのだが、上に挙げたのは新潮文庫版である。『猫』『草枕』に続いて今度も岩波だと、表紙が同じでちょっと無味乾燥だと思われたので。収録作に相違はないが、岩波版の解説は江藤淳、新潮版は伊藤整とのこと。
 例によって各編について少しずつ。
 「倫敦塔」。留学先のロンドンをさまよううち、倫敦塔を訪れた「余」。城塞であり監獄でもあったこの塔を見て回るうち、かつてここに送られ処刑された古人たちの空想は、やがて幻影となり現前する。しかし塔を出て下宿に帰ると、そこの主人に幻想はことごとく打ち砕かれてしまった。
 「カーライル博物館」。同じく留学中の「余」。公園で歴史家トーマス・カーライルの幻影を思い描くうち、ある日ついに今は博物館となっている彼の旧邸を訪れることにする。案内のお婆さんの話を流し聞きながらカーライルに思いを致す「余」だったが、邸を出れば、そこは20世紀の世の中で、カーライルとの隔たりを覚えた。

 「幻影の盾」アーサー王の時代の何処か。持つ者の願いを叶えるという、不思議な“幻影の盾”を携えたウィリアムという騎士がいた。彼が仕える白城の城主、狼のルーファスと夜鴉の城主との間では、些細なことから戦が起こらんとする。恋するクララのいる夜鴉の城と戦をすることにウィリアムは葛藤し、祖先が北方の巨人から譲り受けたと伝えられる“幻影の盾”に願いを託す。僚友シワルドもクララを助ける一計を案じるが、不首尾に終わり、ついに戦は始まる。夜鴉の城は炎上し、炎の中にクララを見たウィリアムは自失して馬に乗って走り出す。走りに走った挙句、失意に沈むウィリアムは、かつて巨人が彼の祖に予言した赤い衣の女と出会う。女の言葉に従い、“幻影の盾”の表面に目を凝らす。盾はいつしかウィリアムとなり、盾の中の世界で、ウィリアムとクララは再会し、常春の南国にいるのだった。
 「琴のそら音」。法学士の「余」は、同窓の文学士、津田の下宿を訪ねて語る。「余」は最近下宿を出て家を借りたが、家事のために雇った婆さんが迷信深くて閉口している。「余」の未来の妻である宇野のお嬢さんに災難がかからぬうちに転居せよと言うのだ。迷信婆と一笑に付したい「余」だが、事実、宇野の娘、露子はインフルエンザにかかっている。津田は、やはりインフルエンザが元の肺炎で急死し、遠方の夫の前に幽霊となって表れた知人の話をして「注意し給え」と言う。
 津田の下宿を辞した帰り道の、街と往来の不吉さ。いつもより更に不気味な犬の遠吠え。床の中、露子の病状の悪化を知らせる使いが今来るか今来るかと緊張しながら「余」は過ごす。
 翌朝一番で、「余」は露子の家に駆けていくが、露子は既に全快しており「余」は安堵するとともにまごつく。この一件以来、露子は以前に増して「余」を愛するような素振りを見せ、このエピソードは津田の著した『幽霊論』にも収録されることとなった。
 「一夜」。どこかの八畳の座敷。髯のある男、五分刈り丸顔の男、涼しい眼の女が会す。詩歌を口ずさみ、鳥の声を聴き、蜘蛛や蟻を見、東隣の合奏を評し、夜も更けたのでそれぞれの臥所に入り寝入った。
 「薤露行」アーサー王の妃ギニヴィアとの道ならぬ恋に耽るランスロット。怪我を理由に王らが向かった試合に行かずにいたが、あやしまれるとのギニヴィアの言を受けて試合に遅れ馳せること。
 道中、鏡ごしでしか世の中を見れず、ひたすら機織りをするシャロットの女に直接自分の方を向かせることで死に至らしめてしまい、ランスロットは彼女から末期の呪いを受ける。
 一夜の宿を乞うたアストラットの古城で、一人娘エレーンに好意を寄せられたランスロットは、試合が終われば戻って来ると約して試合に向かう。しかし試合で重症を負ったランスロットは隠者の庵で手当を受けるものの発狂し何処かへと去る。悲しんだエレーンはランスロットへ宛てた手紙を残して自死を選ぶ。エレーンの亡骸が乗せられた舟はキャメロットの水門に着く。騎士たちから不倫を告発されたギニヴィアは、恋敵であるエレーンの手紙を読んで涙を流すのだった。
 「趣味の遺伝」。新橋の停車場で凱旋する兵士たちを見て、「余」は旅順で戦死した友人の浩さん…河上浩一のことを思い出す。彼の墓に参った「余」は、浩さんの墓に手を合わせる若い女性を見る。浩さんの母から借りた彼の日記には、郵便局で一度だけ会った女性に惹かれていることがわかった。
 そこで「余」は自分が目下研究している遺伝というものに着目し、浩さんと女性の問題もそれによるのではないかと推論する。浩さんの祖先が仕えた紀州藩に詳しい古老に聞くと、果たしてそれは当たっていた。その女性と再びまみえた「余」は、浩さんの母の処へ参るよう手を回し、彼女と浩さんの母は嫁姑のように交流を持ち始めた。

 「倫敦塔」は塔の中の陰鬱な感じから、展開する幻想への移り変わりが巧みである。ただし、英国史の概説のような側面もあり、なかなか読みづらくはある。
 「カーライル博物館」は10ページ強の短さで、「倫敦塔」と似たコンセプトではあるが、こちらの方が多少明るいイメージである。逆に言えば詩情めいたものはなく、ほとんど紀行文と言ってもいい。 
 「幻影の盾」は、特に後半がなかなか解釈が難しい。しかし漱石の文章で「セイント」(岩波文庫版p.51)とか「ダンジョン」(同p.65)といった単語に出会うとは思わなかった(厳密な意味は今日的な用法とは違うようだが)。これは現代ならばファンタジー小説といっていいだろう。主人公と盾が一体となり、盾の中の世界で恋人と結ばれるという展開は、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか判然としない。そこが味わいでもあろう。それと、僚友シワルドがいい奴である。自分も死すかもしれない戦をひかえて友の恋のために尽力するとは、なかなかできることじゃないだろう。
 「琴のそら音」はこの本のうちで最も読みやすく、そして恐らくは最も現代の小説に近い味わいである。次の瞬間に悪い報せが来ないとも限らないとメールを待ち受けている、なんていうことは今だってあり得るわけで(というか、通信機器の発達のために昔よりもよほど増えた気もする)、とても共感しやすいというのが、読みやすさの一因でもあるのだろう。すっきりと手放しに明るい結末は、漱石の作品全体を見渡しても珍しいかもしれない。
 「一夜」は、発表時にも「分からん」という声があったそうだし、漱石自身も『猫』の中で「分からん」というようなことを言っており、なかなか感想を述べにくい作品である。どこかの座敷でなぜ男2人と女1人という組み合わせで一夜を過ごすことになったのだろう。ただ、何ともない会話がやけに艶っぽいのは確かである。この当たるようで当たらない話し方は、後の作品にも表れていると思う。分量も短めだし、一幕ものの舞台で上演されないものだろうか。
 「薤露行」は、「琴のそら音」とは逆に、この本で最も読み辛い。ほとんど擬古文と言ってよさそうな文体で綴られるのは、アーサー王伝説の一端であるランスロットの物語である。登場するシャロットの女とエレーンは、どちらもランスロットによって死んでしまうという点で共通している。元は同一人物という説もあり、それを漱石が混同して本作に描いたということらしい。現代人の感覚で言えば、シャロットの女のエピソードは不要にも思える。
 とりあえずランスロットはあまり好きになれないタイプな気がする。逆にアーサー王は文語調の効果もあって公明正大なる王という印象を受ける。話の展開自体は本家のアーサー王伝説のままなので、この作品の狙いは和漢の知識を併せ持った漱石によるリライトという点なのだろう。
 「趣味の遺伝」は、筋だけ追えば、現代人にとって何ということもない話ではあるだろう。私はむしろ、作中でかなり露骨に戦争を批判しているところに興味がいった。あの時代によくも、と思う。

 戦争は良くないと、自分は大上段に構えて言う気もないが、以下のような一節にはやはり薄ら寒くなる。

御母さんは今に浩一が帰って来たらばと、皺だらけの指を日夜に折り尽くしてぶら下がる日を待ち焦がれたのである。そのぶら下がる当人は旗を持って思い切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至るまで上がってこない。(岩波文庫版p.181)

  『猫』と並行して方々に発表されたこれらの作品は、文体もテーマも、それぞれ異なっている。『猫』もそうだったが、漱石は自分の小説の方向性を色々と模索していたのかもしれない。

倫敦塔・幻影(まぼろし)の盾 他5篇 (岩波文庫)

倫敦塔・幻影(まぼろし)の盾 他5篇 (岩波文庫)

 

 

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