何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

夏目漱石『三四郎』の感想


(2003年10月読了)

 漱石の作品では『吾輩は猫である』『坊ちゃん』に次いで知名度のある作品ではないだろうか(『こころ』の方が有名かな?)。 軽くあらすじ。

 熊本の高等学校を卒業した小川三四郎は、東京帝国大学に入学するために上京する。道中、名古屋では乗り合わせた女性と一泊することになってしまい、同衾するが何事もなく、女性には別れ際に「よっぽど度胸のないかたですね」と言われてしまう。また神主のような男と謎かけめいた問答をして水蜜桃を食べたりもする。
 東京の大きさと活動性に、三四郎は圧倒される。しかし、同郷の先輩で光線の圧力を調べている野々宮宗八、学友の佐々木与次郎、与次郎が寄宿している家の主で読書をするが出世はしない高等学校の英語教師、広田といった人物と知り合い、また池の傍で見かけた里見美禰子や、野々宮の妹よし子らを加えた面々で、菊人形を見に行ったり運動会を見に行ったりと三四郎の東京生活は過ぎていく
 都会的で自分の意思を持つ美禰子に、いつしか三四郎は心惹かれていくが、美禰子は「迷える子」「迷羊」(ストレイシープ)と意味深長なつぶやきと共に彼を翻弄する。野々宮とも親密な美禰子を見て、三四郎は二人の結婚を予期する。
 三四郎の美禰子への淡い想いをよそに、与次郎は広田を帝大の教師にしようと奔走する。しかし、その企ては裏目に出てしまう。
 三四郎の考えに反し、美禰子は兄の友人に嫁ぐ。恋ともいえない恋に破れた三四郎は、画家の原口が手掛けた美禰子の肖像画を前に、「ストレイシープ」と呟いた。

 純朴な地方出身の三四郎が、帝大入学を機にやってきた東京で暮らす様子を描いた作品である。都会に圧倒され、美禰子という謎々のような女性にも翻弄される彼の日々は、アンニュイなシーンもあるが全体的に明るい色合いに感じた。繰り返される美禰子のストレイシープ」という言葉が印象的な三四郎の恋が一応のメインストーリーと言えるが、恋愛ものというよりは青春小説というイメージの方が合っているだろう。

 美禰子やよし子といった近代的な女性キャラクターは、『虞美人草』の藤尾と相通じるところがある。けれども、この小説での彼女達は、プラスとまではいかないが割とフラットなイメージで語られているように読んだ。『虞美人草』の頃から、近代女性に対する作者の考えは少し変わったのかもしれない。
 それにしても美禰子の本心が見えてこない。三四郎への恋情があるのか、ないのか。どちらとも取れるように書かれているような気がする。たぶん、美禰子自身も迷っているのだろう。

 一方、与次郎が恩義のある広田の出世を画策するエピソードも、なかなかの分量を占めている。広く書物を読みながらも出世せず、結婚もしない高等学校教師の広田の言動はなかなか印象的である。この小説は美禰子の結婚で幕を閉じるが、終盤で描かれている広田の叶わなかった結婚の話は、これに呼応しているように感じた。
 この『三四郎』と『それから』『門』を三部作とする説は有名なようだが、後ろの2つの連続性はともかく、この小説がなぜそこに属すのか、私にはいまいち納得がいかない。なので残り2作を読み終えたら改めて考えてみたいのだが、もしかしたら三四郎と美禰子のペアに加えて、広田と「生涯にたった一ぺん会った女」のペアも、考える際には考慮しなければいけないのかもしれない。

三四郎 (岩波文庫)

三四郎 (岩波文庫)