何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

河合香織『セックスボランティア』の感想


(2004年9月読了)

 当時、仕事で障害者福祉について調べており、その延長として興味が湧いたので私的に読んだ。今まで“無いもの”とされていた、障害者の性に関する介護についてのレポートである。まずは各章ごとのメモを載せよう。

 序章 画面の向こう側。障害者の性について取材を始めた筆者。取材対象の男性から1本のビデオテープを見せてもらう。それは、重度障害者で高齢になる竹田芳蔵さんが自身の性欲について語り、介助者の男性の手によって自慰行為をする様子を映していた。筆者は竹田さんにコンタクトをとることにする。
 第1章 命がけでセックスしている―酸素ボンベを外すとき。竹井さんは酸素ボンベを使用するほどの障害があるが、介助者の助けを得ながら年に1度、風俗店に行く。彼にはかつてただ1人の恋人がいた。性交渉はなかったが、看護師だったその女性――山岡みどりさんとの日々は幸せだった。しかし、彼女は難病にかかり、ノイローゼとなって自ら命を絶った。音信不通だった彼女の墓を探し当て、参る竹田さんと筆者たち。
 第2章 十五分だけの恋人――「性の介助者」募集。生まれつき脳性麻痺がある伊緒葵さん(男性)は、インターネットを通じて性の介助をしてくれる女性を募集していたことがある。その過程で知り合った、夫と子どものいる山本小百合さんは、性の介助を2度してくれたが、それだけに留まる。周囲の理解が得られなかったこと、小百合さんに対する葵さんの恋愛感情という事情があった。介助においてキスをすべきなのか否か。その後も小百合さんは性のボランティアを募り応じる声もあったが、行き詰まる。一方、葵さんにはゆかりさんという健常者の恋人ができ、2人は結婚する。幸せそうな2人。
 第3章 障害者専門風俗店――聴力を失った女子大生の選択。障害者専門のデリバリーヘルス「enjoy club」。新人として働き始めたユリナちゃんは20歳の女子大生で、自身にも高3の頃から突発性難聴による聴覚障害がある。朝日新聞(2000年2月17日付け西部本社版)によれば1999年末頃から障害者専門の風俗店が登場してきたが、反応は賛否ある。「性に関することはボランティアでなく、ビジネスで行った方がいい」など。
 ユリナちゃんは聴力を取り戻す手術のために、彼氏に内緒でこの仕事を始めた。店長の斉藤春文さんはもともと介護や福祉には無縁で、「金になるかと思って始めた」と語る。全く儲からないようだが「やめるにやめられない」。ユリナちゃんの初仕事は成功だった。

 第4章 王子様はホスト――女性障害者の性。都内で営業する出張ホストクラブ「セフィロス」には障害者割引がある。オーナーの吉良仁志さんは「人生の帳尻を合わせている感じ」と言う。その割引を使っている1人、先天性股関節脱臼のある柏木奈津子さんは、介助に来ているヘルパーの女性から冗談交じりに薦められ、両親公認で利用するようになった。恋愛や結婚を諦めて、ホストを呼ぶ選択である。
 社会福祉士の佐藤英男さんは、腫瘍による頸髄損傷がある真紀さんとの経験を元に、障害のある女性に対し、セックスの相手をすると呼びかける。しかし、それは本当にボランティアなのかという疑問を筆者は持ち、佐藤さん自身も真紀さんとの関係は何だったのかと思い悩む。鎖骨から下の感覚がないにも関わらず、真紀さんは男性のぬくもりが必要だと断言する。恋愛と言わないのは、自身の死期を悟っているからか。佐藤さんと真紀さんの関係からセックスは無くなったが、交友は続いている。

 第5章 寝ているのは誰か――知的障害者をとりまく環境。結婚した知的障害者でも親に「子どもは作るな」と言われたり、性的暴力を受けた過去を持つ人もいる。身体障害者に比べ知的障害者の性は、「寝た子を起こすな」として、よりタブー視されている。状況を打破するため、2003年4~11月に大阪で「知的障害者と支援者の性のワークショップ」が開かれたが、筆者は内容が幼すぎるのではと感じ、立教大学コミュニティ福祉学部の河東田博氏からも同様の疑問が出された。
 同氏はかつて、知的障害がある夫婦の寝室で、夫婦の営みの介助を行った経験がある。氏のセクシュアリティ講座を引き継いでいる香川短大の和泉とみ代氏は、ラブホテルツアーなど踏み込んだ内容を展開している。その他にも追随する動きが各地でみられるが、総じて支援する側の意識が古いということになるようだ。背景の1つとして、障害者の生殖機能を本人の同意なしで断つことができるとした優生保護法(1948年施行、96年に母体保護法に改定)がある。
 第6章 鳴り止まない電話――オランダ「SAR」の取り組み。オランダでは、「SAR(選択的な人間関係財団)」に所属する人員による、障害者へのセックス相手の派遣が行われている。刑務所でも受刑者はパートナーとセックスするための個室を使えるし、売春婦を呼ぶことができるという。オランダのメンタリティの土台として、キリスト教カルバン派の慈悲の心と、長く続いた労働党内閣による積極的な社会保障、そして独特のヒューマニズムが根付いているためだろうか。
 脳性麻痺のあるカンドロップさんは「SAR」から2人の女性を交互に呼んでいる。恋愛感情が芽生えにくくするためと、彼女たちへの配慮から。かつてカンドロップさんは職員の女性と恋に落ち、施設を出て暮らしていたが、突然別れを切り出されたという。「SAR」の事務所兼自宅で、会長のマーガレット・シュナイダーさんは運営の苦労を語り、夫のラオさんはかつて障害者の自慰を介助した妻を理解していると語る。筆者は、女性が「SAR」のサービスをあまり利用しないこと、マーガレットさんが夫にして欲しくないこと(パートナーが障害者とセックスすること)を「SAR」メンバーにはさせていることが腑におちなかった。
 マーガレットさんが元々いた「NVSH(性意識の改革に関するオランダ協会)」も、筆者たちは訪ねる。会長のディック・ブルメルさんは、自分にパートナーがいても、障害者とセックスすることを「誰かが川で溺れていたら見過ごせないでしょう。それと同じ」「愛と性欲を区別する必要なんてない」と語る。
 第7章 満たされぬ思い――市役所のセックス助成。オランダでは、障害者のセックスのために助成金が出る市がいくつかある。55歳の筋ジストロフィー患者ハンス・ピックさんは、自身が暮らすドルドレヒト市から月に3回のセックス助成を受けている。相手は「SAR」の派遣でも、売春婦でも、新聞広告で募集してもよいという。割り切った態度のピックさんだが、結婚し、恐らくは障害が元で離婚し、子どもと引き離された過去を持つ。その孤独は、セックスの助成では満たされない。オランダにおいても、障害者に対するセックスの助成金は半ば秘密裡に行われている。市役所の中の一部署が独断で行い、経理上は「手配料」の名目になっているという。
 アムステルダムの飾り窓地帯にある「売春情報センター」の事務を行い、かつては自身も売春をしていたジャクリーンさんは、市の助成金について「障害者の協会などが一括して基金をもらう形がいい」と語る。性的療法であるサロゲートパートナー療法(代理恋人療法)を行うカーラ・クリックさんの活動を受け、心理学者・性科学者であるジム・ベンダーさんは、セックスにおいては「Bio(生物学的な問題)」「Psycho(心理的な問題)」「Social(人間関係)」の3つが融合された治療が重要だといった。
 第8章 パートナーの夢――その先にあるもの。障害者たちがカップルとなってからの性の問題はどうか。いずれも車いすで24時間の介助を受けている伊藤信二・由希子夫妻はおおむね自分たちの手でセックスしていた。由希子さんは子どもが欲しいと言うが、信二さんの反応は鈍い。2年後、2人から会話が消えていた。不仲ではないが、どこかすれ違うようになり、結婚してよかったかという問いに信二さんは「半々くらい」と答える。2章で登場した伊緒さん夫妻も、その後セックスの回数は減った。それでも仲はよさそうで、お互いのやりたいことをやるために子どもは作らないと決めて、一緒に生きていくとしている。
 終章 偏見と美談の間で。筆者は再び、冒頭の竹田さんのビデオを見る。なぜ、障害者の性について取材しようと思ったのか。自身の幼少時の体験が影を落としていると自己分析する。
 竹田さんが見せてくれたみどりさんの手紙には、思いが詰まっている。みどりさんとの間にセックスはなかったが、人と人との親密さや愛情を性というならば、2人の関係は性だ。そう竹田さんは語った。

 登場する人物たちそれぞれの障害と性についての記述は、赤裸々である。障害者であっても男であり女であるということは理解しているつもりだったが、思っていた以上に状況は深刻に感じられた。
 古い友人に社会福祉士になった女性がいるが、勉強熱心な彼女のことなので恐らくこの本も読んでいるだろう。機会があればコメントを求めてみたい。 障害者の側からの記述としては、本文中に出てきた小山内美智子氏の本や、積読になっている松兼功氏の本も気になる(2016年1月現在、未読だけど)。

車椅子で夜明けのコーヒー―障害者の性

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お酒はストローで―ラブレターは鼻で (朝日文庫)

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 障害者の夫婦の関係がどう変わっていくかを追った2章と8章も興味深い。当然のことながら、夫婦がすれ違っていったり、男女から家族になっていったりというのは、障害の有無には関係ないのだろう。安易に「障害者の性は大変だ」という枠に収めないところ、障害者たちを描きつつも、同時にその周囲の人々(介助者たちや風俗店の店長に至るまで)についても生い立ちなどを紹介しているところが良い。多分に感傷的な描き方な気もするが、この筆者の味ということでいいだろう。

 障害者の性を巡る様々な試みや形態と思いを読み進むうちに、自分の性についても考える。“障害者は聖人ではなく、多くの男女と同じ欲望を持った存在である”ということに、勇気づけられもした。みんな同じなのである。筆者が自身の性についての考えを割と素直に書いていることも、そう感じさせる一因だろう。

 それにしても、オランダの話ではあるが市が売春のお金を出すというのはすごい。私の感覚ではSFかAVの世界の話である。
 当然、疑問がある。例えば、両手を骨折した全治3か月のもてない人は、期間が限定的なのでその間は我慢しろ、ということか、という類の話である。それを言うならオランダに限らず日本においても、障害者年金で風俗に通うことは、貧乏でもてない“健常”な人間にはできない芸当である。
 だからといって障害者年金を減額しろと言いたいわけではなく、それをやるのなら、“健常”でもてない人間には何の支援もないというのは平等ではないのではないか、と感じるのである。性的な体験ができるか否かが、「もてる/もてない」という先天的な要素に還元されるのであれば、それはいきすぎの平等観念ではないかとも思われる。この本の初版(ハードカバー)が出て11年が過ぎているが、障害の有無に関わらず、現在の人々の性についてのルポがあれば読んでみたい。

 ひねくれたことを書いたが、5章の知的障害者と支援者の性のワークショップ」での「性とは心を生かすと書く」という講師の言葉は、前後の文脈は措くとして、なかなか味わい深いものがある。この言葉1つでも、この本の価値はあろうかと思う。

セックスボランティア (新潮文庫)

セックスボランティア (新潮文庫)

 

 

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