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何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

万城目学『鹿男あをによし』の感想

ファンタジー 小説 日本近現代文学

 既に『鴨川ホルモー』、『プリンセス・トヨトミ』は読んだのだが(いずれ過去の読書として感想を書く)、作者の第2作に当たる本書は手つかずだったので読む。作中では神無月すなわち10月が重要な時期として扱われているのだが、その時期に読んで感想を書けるのは僥倖である。
 文庫版の解説を書いているのは故・児玉清氏。読めば以前から万城目ファンだったようだし、本作がドラマ化された折にはリチャード役を演られたとのことである。未視聴だが、DVDにはなっているようなので、どこかで見つけたら観たい。

鹿男あをによし DVD-BOX ディレクターズカット完全版

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 以下、まずはあらすじを示す。

 関東の大学の研究室に居た「おれ」は、とある失敗から居づらくなり、「きみは神経衰弱だから」と教授に勧められて、2学期の間だけ高校で物理の教師をやることになる。職場は奈良。奈良女学館高等学校という女子高である。
 1年A組の担任として赴任したものの、生徒の堀田イト(ほった・――)からは初対面なのに何故か邪険にされ、「おれ」は面食らう。彼女の先導か、他の生徒達にもからかわれ、どうもうまく生徒たちとコミュニケーションが取れない。思わず腹具合がおかしくなるが、下宿している家の孫で同僚の美術教師でもある重さん――福原重久や、教頭のリチャードこと小治田(おはりだ)、歴史教師の藤原などに助言を貰いつつ、「おれ」の不慣れな教師生活が続く。
 姉妹校である京都・大阪の女学館との間で60年にわたって行われている、運動部の交流戦“大和杯(やまとはい)”を間近にひかえた9月末奈良公園の大仏殿裏で、「おれ」は鹿に話しかけられる。「さぁ神無月だ――出番だよ、先生」と。
 あまりに現実離れした事態を受け入れず、リチャードが持ち出してきた剣道部の顧問を引き受ける件など考える「おれ」だったが、再び眼前に鹿は現れ、「おれ」が「運び番」に選ばれたと語る。それは、1800年前から60年に1度おこなわれてきた“鎮め”の儀式に用いられる“目”――通称サンカクを、京都にいる狐の「使い版」である女性から受け取り、奈良まで運んでくるという役割だった。
 剣道部の顧問を引き受けた「おれ」は、大和杯直前の親睦会で京都に赴き、そこで鹿の言った通り、女性――京都女学館の剣道部顧問・長岡から、あるものを手渡される。しかし、それは鹿の言う“目”ではなかった。
 「大阪の鼠に“目”を奪われた」と言う鹿を、今度こそ己の神経衰弱がもたらした妄想と決めつける「おれ」だったが、徐々に顔が鹿になっていく「印」を付けられ、いよいよ本気でサンカク探しを始める。鹿は、“鎮め”の儀式が無事に行わなければ、日本が滅びるとまで言う。
 サンカクとは、どうやら大和杯で争われる剣道の優勝プレートらしい。そう当たりをつけた「おれ」は、マドンナ率いる常勝不敗の京都女学館剣道部からプレートを奪取すべく、剣道部の指導に当たる。切り札は、突如として剣道部に入部してきた堀田である。
 大和杯当日、剣道の試合は熾烈を極める。サンカクは奈良女学館の手に収まるのか? いや、そもそも、それは本当に鹿の言うサンカクなのか――?
 ――1800年前の偉大なヒメがもたらし、そのヒメのために攪乱された“鎮め”の儀式は今度もどうやら執行され、神無月の終わりと同時に「おれ」は東へと帰る。唐突に見送りに現れた堀田の、手荒くも美事な餞別を受け取って。

 入手してしばらく積読だったのは、京都や大阪には興味をそそられるが、奈良となると…と思っていた、私の食わず嫌いのためである。“あんまり美味しそうな食べ物がない”という、勝手な先入観によるものだが(まさに“食わず”嫌い)、藤原君と「おれ」が一緒に黒塚古墳から紫の夕焼けを見て、藤原京を思い描くところを読むと、がぜん行ってみたくなった。“これから旅したい処リスト”に入れておくことにする。

 読んでまず気が付くのは、児玉氏も指摘しているように夏目漱石『坊ちゃん』を、文体や人物の配置、物語の構図といったレベルでも下敷きにしている点だろう。まず関東にいた「おれ」が西の方の見知らぬ土地に行って教師になるというのもそうだし、彼の一人称で語られる生真面目な文体もそうである。同僚となる教師たちの役どころも、生徒たちのからかいぶりも『坊ちゃん』に沿っている。
 夏目漱石は奈良に特段の縁があった、という話は聞かない。なので、これらの一致は、作者が“東の男が西へ行く”という物語を描こうとした時、思いついたのが『坊ちゃん』だった、と捉えるべきかと思う。 

坊っちゃん (岩波文庫)

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 『坊ちゃん』を模しつつも、描かれる物語の中央に置かれるのは、はるかな過去から行われ伝えられてきたという儀式である。奈良の鹿はもちろん、京都の狐、大阪の鼠という、それぞれの都市と動物、それに古くから土地を鎮護してきた神をも含んで“世の中を統御するシステムが存在する”とする大風呂敷の拡げ方が作者らしく、素晴らしい。『ホルモー』や『トヨトミ』もそうだったが、ずっと昔から営々と、しかし秘密裏に行われてきた行事があるという幻想が、作者の創作の原点ではないかと思う。しかも、そのような伝統の始点には、きわめて感情的な発端があったりするところも魅力的である。
 加えて、私自身が鹿島神宮に妙な縁があり、以前は年に2度3度とお参りすることがあったことも、物語に没入する後押しとなった。奈良と同じく鹿を神の使いとする鹿島神宮だが、春日大社の祭神もまた鹿島大明神すなわち武甕槌命(たけみかづちのみこと)だとは知らなかった。奈良に旅する時には、もちろんお参りしなければなるまい。

 『坊ちゃん』に獣に神様と、こうした要素だけだと随分と浮世離れしたストーリーに思われる。が、それを現代的でアクティブな物語たらしめている要素がある。それがヒーローにしてヒロインの堀田イトである。
 『坊ちゃん』で主人公とタッグを組む数学教師・山嵐と同じ苗字を持ち、作中では「野性的魚顔」と表現されている彼女だが、表紙絵ではその描写を踏まえつつ魅力的に描かれている。作中の半分以上は不機嫌な様子で、その不機嫌には理由があるのだが、その理由とは別に、20代である「おれ」から見た女子高生の“わけの分からなさ”を体現しているとも言えそうである。

 そんな彼女も参戦する、後半の大和杯における剣道勝負は、同じように女子高生の剣道を描いた漫画『BAMBOO BLADE』(あるいはこちらは未読だが『武士道シックスティーン』シリーズも挙げるべきか)もかくや、というほど熱い展開である。作品の舞台や雰囲気から、森見登美彦氏と並べられることが多そうな作者だが、ホルモー(こちらは架空の伝奇的競技だが)や剣道といったスポ根的な展開をクライマックスに置く点が、もしかしたら森見作品との違いの1つかもしれない。

武士道シックスティーン (文春文庫)

武士道シックスティーン (文春文庫)

 

 『坊ちゃん』を下敷きにしている以上、最後はやはり「おれ」の帰東でなければならなかったのだろう。その幕切れ間際の堀田の一撃が、また鮮烈である。

 物語の性質的に続編は難しいかもしれないが、もう少しだけ、彼らのその後を読みたい気持ちになる。秋が来るたび読みたくなったりもするだろう。つまりは快作なのである。

鹿男あをによし (幻冬舎文庫)

鹿男あをによし (幻冬舎文庫)

 

 

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