何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー1』の感想

 刊行から数年後に入手し、5年以上積読にしていたものを、不意に読みたくなって引っ張り出してくる。なぜ今そんな気になったかというと、新海誠氏の新作映画のせいかもしれない。それか、Twitterを始めてフォローしたアカウントの幾つかがSF好きだったからかもしれない。あるいは、単に夏のためだろうか。
 「1」「2」という2冊組の本で、1冊ずつ書くつもりである。まずは1巻から。あらすじを示す。

 「ぼく」は思い出す。あの夏、時の彼方へ駆けていった少女のことを。東京から西に隔たった、四方を山で囲まれ、川と旧い城下町と細い水路のある地方都市、辺里(ほとり)市での出来事を。
 その年の春に入学したばかりの県立美原高の“伝統”であるマラソン大会で、「ぼく」――卓人(たくと)の幼馴染、悠有(ゆう)は、ゴールテープを切らずにゴールインするという離れ業をやってのける。この奇妙な現象に「ぼく」らの中で最も興味をそそられたのは、〈お山〉の上に建つ県下に名高い私立聖凛女子学院に在籍する貴宮饗子(あてみや・きょうこ)だった。
 彼女の強力な指揮の下、悠有とその叔母の住まいでもある喫茶店〈夏への扉〉を根城に、「ぼく」達の非建設的な努力を意味する〈プロジェクト〉が開始される。〈プロジェクト〉のメンバーは、饗子に「ぼく」と悠有、街一番のお屋敷に住む医者の家系の三男坊で、勉強もスポーツもルックスも上々だが饗子に頭が上がらない涼(りょう)を加えたいつもの4人――に加え、高校に入って初めて「ぼく」とまともに口をきいた、数多の逸話を有する辺里の有名人・コージンこと荒木仁(あらき・ひとし)。
 資料(TT〔タイム・トラベル〕もののフィクション)蒐集、悠有がゴールした時のテープ係・萬田への聞き込み、そして悠有による実証実験。徒労に終わるかと思われた〈プロジェクト〉だが、県道での実証実験中、ついに悠有は時空を『跳ぶ』ことに成功する。
 一定の周期で記憶(世界に対する認識)が変わってしまうという難病、ザールヴィッツ=ゼリコフ症候群のために入院中の悠有の兄・紘一(こういち)への見舞いを挟み、悠有の実験は続く。放火騒ぎが続く街と、〈夏への扉〉へのおかしな脅迫状という小事件を見ながらも。
 いつしか悠有は自分の意思で『跳ぶ』ことを覚える。しかし、自分独りでしか、そして未来にしか『跳べ』ない悠有に、「ぼく」はある不安を感じ始める。
 そして花火大会の3日前、またも火は放たれ、悠有は自らの力の意味に気付くのだった。

 表紙の人物だが、1巻が「ぼく」こと卓人で、2巻が悠有という説があるが、私はどちらも悠有だと思う。1巻の表紙は、作中の以下のシーンの悠有なのだろう。

「んー」
 悠有は腕組みのまま目をつむり、爪先立ちになり、それから踵に体重をあずけ、また爪先で立ち、延々とそれを繰り返し始めた。体が、まるで上下逆さまになった振り子みたいに揺れた。(p.40)

 SF小説には違いないが、前半に当たる本書では、それほど劇的な展開があるわけではない。ストーリーとしては、〈プロジェクト〉によって悠有が“時をかける少女”として成熟するまで、というところだろうか。
 話の本線はシンプルだが、そこに辺里という土地が陥っている先行きの暗さ、悠有の兄・紘一の難病(と、そのSF的な解釈)、TT(タイム・トラベル)ものを始めとした先行SF作品についての愛あふれる鑑賞案内、そして偏差値70の県立高校や超お嬢様学校の生徒である「ぼく」ら〈プロジェクト〉参加者の人間模様、等々といった要素が織り込まれている。全員が読書家で大人顔負けの知識や技術を有し、頭の回転が速い高校生たちによる、持てる知識を総動員したかのような(だいぶ鼻につく)やり取りも読みどころだと思うが、そんな彼らの境遇や、やっていること自体は如何ともしがたいほどに高校生である点が――そして、「○○してた」というやや舌足らずな語り手である「ぼく」が、そうした高校生の未熟さに自覚的であることが――、私には注目された。
 スペイン語ラテン語も解しはしなかったし、人類の行く末についての具体的方策の提示も、時空連続体の健全性についての懸念も表明しなかったが、私の高校生時代も彼らと五十歩百歩な口のきき方をし、大人と自分たちは違う、という意識でいたように思う。付け加えれば、大切な者に、どうしても“stand by me”が言えない、変なプライドというか気恥ずかしさのようなものも、確かにあった。
 大人が読めば、多かれ少なかれそうした感覚を抱くと思うが、
主人公たちと同年代の読者には、どう取られるのだろう。気になるところではある。

 感傷的な話題はこれくらいにして、ディテールで気になったことを書き留めたい。
 まずは舞台となる辺里市であるが、作者は天気や湿度などの気象データは長野県松本市のものを用いたと言っている(Anima Solaris|著者者インタビュー:新城カズマ先生)。水路が走っている様子などから、モデルは松本市と言ってよいかと思う。実際の松本市を90°ほど右回転させ、城の場所を移せば概ね辺里市になりそうである。

 次に、お腹いっぱいになるほどに既存作品への言及がある作品だが、それらのうちで気になった事項をメモしておく。「ぼく」は自転車マニアで、喫茶店〈夏への扉〉でもツール・ド・フランスの録画が流れていたりするが、そこから黒田硫黄による漫画が原作のアニメ映画『茄子 アンダルシアの夏』に言及があったのは嬉しかった。私は黒田硫黄の描く漫画が好きである。

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 また、『フラーがぼくたちに話したこと』などのバックミンスター・フラーや、長野出身のファンタジー・SF作家である山口泉らを知ることができたのも良かった。

フラーがぼくたちに話したこと

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 ついでに言えば、ハーレクイン・ロマンスにTTものというジャンルが確立されているということなども知らなかった。『猿の惑星』についての涼の解釈(というか作者の持論なのだろうけれど)も興味深い。
 既存のTT作品を、過去の改変の可/不可・悔恨欲/俯瞰欲で4象限に分けた分布図(p.263)とその解釈ともども、これらの情報は、作者による読書・視聴案内と受け止めておこう。

 後半である2巻も既に読了しているので、近く感想を書きたい(書いた→新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー2』の感想)。

サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)

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