何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

二葉亭四迷『浮雲』の感想


(2004年4月読了)

 ふと読みたくなって読んだ。国語の教科書の文学史のページに載っている通り、言文一致の文体で書かれた最初の小説ということになる。以下、まずはあらすじ。

あらすじ

 役人だったが免職になってしまった内海文三は、父が早逝したために叔父を頼り上京してきた。苦学して役人となったのだが、実直な人柄のために人事権を握る課長のご機嫌取りなどはしなかったため、人事整理の折に辞めさせられてしまったのである。

 叔父の娘であるお勢は教養があり、文三に理解を示しており、文三も憎からず思っていたが、文三が免職になってから風向きが変わる。まず叔母のお政は掌を返したように文三を詰り、彼は意気を落とす。更に、文三の元同僚で要領のいい本田昇が家にやってきて、お勢を団子坂の菊見に誘うなどし、文三には「課長に復職の橋渡しをしてもいいがどうか」などと心を掻き乱す。

 これをきっかけに文三は昇に絶交を言い渡し、昇に心が傾いたとして、お勢とも仲違いする。お勢もお政にも愛想をつかされた文三の辛い日々が続くが、一方でお勢と昇の仲も進まず、にわかによそよそしくなる。文三に対して態度の軟化したお勢をみて、文三は彼女の気持ちを確かめ、もし思いが遂げられねば、叔父の家を辞そうと考える。

感想

 どうしても文三に感情移入して読んだ。如才ない昇や、何だかんだいって稼ぎが大事とするお政などの人物にも共感しないではないが、やはり作者が主人公として配置した文三への共感ほどではなかった。
 それはともかく、言文一致という概念がやはり特徴的だと思う。例えば以下のような会話文がある。

「ですがネ 教育のない者ばかりを責める訳にもいきませんヨネー ……(後略)(p.36)

 ここだけ取り出すと現在の小説だといわれても全然違和感がない。ただ、この頃の慣習なのか、句読点(。、)が無かったり、会話文のカギカッコが閉じられていなかったりするところはさすがに違和感があるが。他にも「○」で区分された文章は注釈的な意味があったりと、現代とは異なった使われ方をしている記号もあり、編集者的には興味深いものでもあった。

 それにしても、お勢と文三は、結末のあと結局どうなったのだろうか。文三でもなく、昇でもなく、編物に通いお鍋と湯屋へ行くようになった彼女は、どうなったのだろうか。英語の勉強は? 昇への淡い恋慕は? 第三編第十九回で本編は中絶したらしいが、作者はこのあと、どう着地させるつもりだったのだろう。
 ただ、いちおう第三編としては「完」と記載されており、作者がどれほど真剣に続きを構想していたか、今から確かめるすべはない。しかしカタルシスを求めるのなら、やはり文三が相応の活躍をしてくれる続編が読みたいものである。

 ところで、時代的には20年ほど後になるが、どうも私には、この小説が夏目漱石の『虞美人草』(当該記事)と繋がっているように思えてならない。ただし、お勢は藤尾ほどには悪辣でないようにも思えはするが。もう少し続きが読めたらと感じた1冊だった。

浮雲 (岩波文庫)

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