何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

過ぎた年(2019年)におくる35冊

 本来ひと月前の話ではあるが、このところの更新頻度からもお察し頂けるように多忙なため、今日になってようやく書き上げることとなってしまった。いちおう恒例化した、過ぎ去っていった年に捧げたい本のリストである。

 このリストは、2019年の間に私が、世の中の動きなどから気になった本、人に薦められた本、実際に読んで心に残った本などを挙げるものである。
 多分に個人的事情を含むので、対象は今年出版された本に限られないし、文学賞やベストセラーなどでもスルーする場合もある(むしろそういう方が多いかもしれない)。“興味がある”だけで未読本も多いため(多忙と何より怠惰のためである)、「読んだ本から選ぶベスト〇冊」などとも異質であろう。
 つまり、個人的なメモに過ぎないのである。が、どこかの誰かの備忘または反面教師、あるいは研究対象くらいにはなるのかもしれないと思って公開する。

 今回も前回に引き続き、月毎に区切って日付順で挙げていくことにする。それでは1月から。

1月(4冊)
白髪のうた

白髪のうた

  • 作者:市原 悦子
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2017/07/26
  • メディア: 単行本
 

 12日、『まんが日本昔話』の語りや『家政婦は見た!』などで知られる女優の市原悦子氏が死去された。私は氏を役者としてよりも『日本昔話』の声優として親しんだ方であるが、ともあれ残念な知らせだった。
 上に示した本は、氏の生前最後の著書となったものである。死後にも氏の発言を集めたものが編まれているが、市原悦子の大ファンだというライターの沢部氏を前に、飾らない言葉を語ったであろうこの本を挙げておきたい。

地獄の思想―日本精神の一系譜 (中公新書 (134))

地獄の思想―日本精神の一系譜 (中公新書 (134))

 

 同じ12日、日本古代史研究者・思想家の梅原猛氏が死去された。京大(当時は京都帝大)哲学科出身、神道や仏教の研究など、興味を惹かれる要素のある人物ながら、その著書を精読した憶えがない。未読のまま見送ることになったのは、やはり心残りである。
 よく知られた氏の著作といえば、法隆寺聖徳太子の怨霊鎮魂のために建立されたとした『隠された十字架』かもしれないが、今の気分としては、より広範な論考である上掲書が興味深い。

【第160回 芥川賞受賞作】ニムロッド

【第160回 芥川賞受賞作】ニムロッド

 

 16日、第160回芥川賞直木賞の決定発表があった。受賞作3作のうち、ここでは芥川賞を受けた上田岳弘氏の『ニムロッド』を挙げておこう。未読だが、高度な情報化の末に登場した仮想通貨を織り込んだ作品という点に面白みを感じている。

草薙の剣

草薙の剣

  • 作者:橋本 治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/03/30
  • メディア: 単行本
 

 29日、直木賞作家である橋本治氏が死去された。以降に挙げる人もそうだが、未読のまま作家を見送るのは、毎度ながら残念至極である。
 挙げたのは、10歳ごとに年齢が異なった6人の男を主人公として、敗戦から2つの大震災までという、戦後の日本と日本人を描き出した物語だという。初期の『桃尻娘』なども未読ではあるが、氏の文学的決算と目される上掲書も興味深い。

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山田彩人『眼鏡屋は消えた』の感想


(2019年2月読了)

何となく手に取り、1本の長編ミステリだということで読む。読んだのは、文庫版の方である。
 近年、数を増やしてきた感のあるミステリの形式に、短編を積み上げて1つの物語(≒長編)とするものがある。本職の探偵や警察官が登場せず、日常の謎を描いた、いわゆる「コージーミステリ」に多いようだ。例えば初期の『ビブリア古書堂の事件手帖』(シリーズ後半は長編へと変わった)や『珈琲店タレーランの事件簿』などがそうだろう。古典部シリーズ第1作である『氷菓』(当該記事)にも、その性格があったように思う。こうした流れの“はしり”は、若竹七海『ぼくのミステリな日常』あたりだろうか。

珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)

 
ぼくのミステリな日常 (創元推理文庫)

ぼくのミステリな日常 (創元推理文庫)

 

 が、そうなってくると、シンプルな単発の長編が逆に意欲作に見えてくる。本書を手に取った遠因はそんなところだろうと思う。
 それはともかく、まずは以下に概要を示そう。

概要

 藤野千絵(ふじの・ちえ)は森野学園高校演劇部の部室で目を覚ました。左手には薄い紙切れを握っている。
 自らが高校2年生だという彼女の認識は、現れた少女――千絵の親友である竹下実綺(たけした・みき)に瓜二つの姿をした山口美貴によって打ち砕かれた。美貴によれば、千絵はこの高校の英語教師であり、演劇部の顧問としてここに居るのだという。
 高校2年のある時期から自分が倒れる直前まで、実に8年分の記憶が欠落している。愕然とする千絵に追い打ちをかけるように判明したのは、いま演劇部が上演しようとしている演目『眼鏡屋は消えた』の作者でもあった実綺が、とっくの昔に死んだという事実だった。

 11年前に学園で実際にあった男子の死亡事件に、インスピレーションを受けた実綺が書いた『眼鏡屋は消えた』。8年前には学園側の圧力で上演が叶わず、今また同じ道を辿ろうとしているこの演目の成功は、実綺の遺志でもあるはずだ。そう考えた千絵は、『眼鏡屋は消えた』上演を後押しし、発表の場である学園祭が終わるまで記憶障害を隠し通すことを決意する。
 自宅にあった日記に実綺は「殺された」と記されていたが、演劇部時代の友人・玲子は「自殺だった」と言う。実綺の死の真相はどこにあるのか。
 もしかしたら自分が倒れていたことも、そのことと関係があるのかもしれない。そう考えた千絵は、当時の演劇部部長・滑川健太(なめりかわ・けんた)に話を聞くが、それは幻滅しかもたらさなかった。それ以外の部員からも有力な情報は得られない。

 しぶしぶながら、千絵は幽霊部員だった戸川涼介に連絡を試みる。シニカルな涼介の性格を嫌いながらも、そのルックスには心惹かれていたことから二の足を踏んでいたのだ。
 いまは探偵事務所の手伝いをしているという涼介は、相変わらず人を食った態度をとりながらも、仕事として千絵の相談に乗る。いまいち信用できない涼介だが、言っていることは理屈が通っており、千絵は信用することにした。
 8年前、『眼鏡屋は消えた』のゲリラ上映の舞台として千絵たちが考えていた、学園の裏庭にある時計台。その下で実綺の遺体は発見され、自殺として処理された。
 疑わしい点が残る実綺の死の真相を明らかにすべく、涼介は調査を開始する。その真相こそは、千絵が記憶を失う原因となった殴打事件に関係する可能性も高く、11年前に転落死をやはり自殺として処理されたという、橋本ワタルの事件にも連なっていると思われた。涼介は、千絵が握っていた紙切れを吟味し、何者かが今回も『眼鏡屋は消えた』の上演を阻止しようとする理由を考察する。
 実綺の奔放な作家性が表れた『眼鏡屋は消えた』は、荒唐無稽なバイオレンスアクションである一方で、社会の身勝手な正義を批判するものでもあった。『眼鏡屋』のモデルとなった出来事は、母と妹を殺された橋本ワタルの、学校でいじめを受けた後の転落死という出来事である。

 失った記憶のことを隠しながら、どうにか英語教師を演じる千絵。同僚の久松映子(ひさまつ・えいこ)や、千絵の頃の演劇部顧問でもあった社会科教師の筑紫俊一(ちくし・しゅんいち)らに聞き込みをし、ワタルの事件の情報を仕入れていく。
 涼介によれば、生前ワタルはいじめを受けており、転落したのは社会科準備室からだったという。ワタルの母と妹を殺した富山常夫(とみやま・つねお)は、連続殺人を犯した快楽殺人者でありながら、冤罪を主張する市民団体や人権派弁護士の活動で釈放され、その後にワタルの母と妹を殺したという経緯があった。

 橋本ワタルと親しく、死の直前の様子を知る元同級生の塩川史朗(しおかわ・しろう)、実綺の死体の近くに落ちていたキャラクターもののストラップの持ち主で、元美術部員の岡島和之(おかじま・かずゆき)、岡島とつきあっていた小泉麻里(こいずみ・まり)、当時準備が進められていた学園祭のパネル製作係だった今井修(いまい・おさむ)。11年前と8年前の事件について知る者に2人は接触していくが、決定的なことは分からない。明確になったのは、2か月前、2人と同じように11年前の事件を探っていた少女が存在することと、8年前の事件当時、転落死した実綺の死体は移動された可能性が高いということだった。
 『眼鏡屋は消えた』上演をめぐる現演劇部の分裂騒ぎが起こり、終息しつつあるものの、この演目を上演することの意義について、千絵は思い惑う。

 筑紫が「先輩」と呼ぶ元教師の池田賢治と、2人はようやく会うことに成功する。ワタルと11年前の事件について語る池田は、やはり2か月前、2人と同じような話を聞きに来た女性のことを口にした。
 池田から得た情報で、2人はワタルが知るに至ったであろう事実に突き当たる。更に調査を進める過程で、実綺が死んだ当日に時計台に出入りした1人である鳥居里香(とりい・りか)の態度、山口美貴に関するある事実は、千絵を混乱させる。まだまだ五里霧中と感じる千絵をよそに、涼介は2つの事件の真相を示すパズルのピースが揃ったと言う。何も知らされないまま涼介の指示に従った千絵は、犯人の動きを待つ。
 そして、時計台に集められた関係者たちを前に、涼介は真相を語る。
 千絵が意識を取り戻した時に握っていた紙の切れ端。脚のキャップが1つだけ外れていた三脚と折れた桜の枝。岡島と小泉が聞いた大きな音。涼介が屋上で見つけたもの。それらの情報と各人の証言から積み重ねられた推論は、ついに元凶を指摘し得た。

 それは、それぞれの誤解と、己を省みぬ正義感によって偶発した、罪に問われぬ罪と言うべきものだった。犯人は言う。自分の“正しさ”には一点の曇りもない、と。
 1か月後、『眼鏡屋は消えた』は無事に上演を終えた。実綺の遺志を継いで目的を達した千絵だったが、件の“正しさ”に対する怒りに燃える。彼女は誓う。学園全体を渦中に叩き落とすことになろうとも、すべてを明るみに引きずり出してやる、と。

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夢野久作『ドグラ・マグラ 下』の感想


(2004年12月読了)

 

 危惧したとおり、上巻からだいぶ間があいてしまったが、角川文庫版『ドグラ・マグラ』下巻である。上巻と変わらず(上巻にも増して?)、米倉斉加年氏による表紙絵はインパクトがある。
 それにしても、この表紙絵の女性が誰なのかという疑問がある。本作の一応のヒロインであるモヨ子とは思えないし、呉一郎の母である千世子からイメージを膨らませたものかもしれない。もっとも、内容とは特に関係が無い可能性も高そうである。
 ともあれ、まずは概要を記す。

概要

 空前絶後の遺言書(上巻から継続)
 呉一郎が殺した許嫁、呉モヨ子を検分していた若林は、彼女が仮死状態にあることを確認、別の少女の遺体と入れ替えてしまう。戸籍から抹殺された呉モヨ子は、若林の手に落ちた。
 その1週間後の大正15年5月2日。若林は正木の研究室を訪れ、実母と従姉妹を殺した一郎の精神鑑定を依頼する。心理遺伝を利用した一郎の殺人の引き金となった絵巻物を、彼に見せたのが誰なのか、それを探る切っ掛けになるというのだ。
 資料として若林から手渡された幾つもの書類からの抜粋を、自らの論文「心理遺伝論」の附録にしようと考えていたと語る正木は、その要約を記していく。

 心理遺伝論附録
 大正13年4月。呉一郎が母・千世子を殺したとされる、第1回の発作について。呉一郎自身による、母子の来歴と事件の顛末についての話。千世子の姉で一郎の伯母にあたる八代子の話。千世子の通った女塾主の話。それらについての若林の見解。
 これらを総合し、正木はこの事件を第三者による犯罪であるとする説を退け、一郎の「心理遺伝の発作」によるものと判定する。その推察は、事件当夜、呉一郎は性的衝動にかかわる夢遊状態となり実母を絞殺、死体を翻弄し、さらには変態心理の窮極である自己虐殺・自己の死体幻視の夢遊に至って被害者の死体を吊り下ろしたのだとする。また、資料の談話中から正木は、呉家がその血統に何がしかの悪評または忌むべき遺伝的形質を伝えており、それを八代子・千世子姉妹は充分に認識していたことを疑う。
 大正15年4月。呉一郎が、その従姉妹に当たる許嫁モヨ子を殺したとされる第2回の発作について。呉八代子の家の雇われ農夫が語る事件の顛末。一郎の発作の原因となったと目される巻物を秘蔵していた、呉家の菩提寺である如月寺の縁起。その現住職の話。娘を失い半狂乱に陥った八代子の話。
 その記憶から事件の真相を引き出すとして呉一郎を引き取った正木は、解放治療場でひたすらに鍬を振るい、その理由として「女の屍体が埋まっている」と語る一郎を満足げに観察する。一郎には、件の巻物のモデルとなったらしき古代の婦人に関わる心理遺伝が発現していた。


 資料に目を通し終わった「私」は、声をかけられて我に返る。と、声をかけたのは、死んだはずの正木だった。
 諧謔混じりに正木は語る。今日は大正15年10月20日であり、自分が自殺したというのは若林の嘘だと。昨日に当たる10月19日正午に、解放治療場で一大事変が勃発したと。若林は、正木の研究を自らの名声を高めるための踏み台にし、自分を悪役に仕立て上げようとしており、自分はそれを阻止して逆に若林に一杯食わせようとしていると。そして、今度は自分が「私」の記憶を取り戻す実験をする、と。
 「私」は自分が呉一郎本人か、あるいはその双子ではないかと疑いだす。正木もそうと思われるようなそぶりを見せるが、確定的なことは口にしない。ただ六号室の少女と「私」を娶せようとする考えは、正木・若林ともに共通している様子をみせる。

 正木は、呉一郎に事件を起こさせる引き金となった絵巻物を取り出すと、それを「私」に見せながら説明する。およそ1100年前、唐の玄宗皇帝に仕えた才気煥発たる青年絵師・呉青秀と、その新妻・芳黛の鬼気迫る顛末。黛の双子の妹である芬の辿った数奇な運命。それらから生じた一巻の絵巻物――モヨ子と瓜二つの芳黛が描き出された――は、呉家の由来を明らかにするとともに、同家の男子にのみ現れる異様な「心理遺伝」の性質を示すものだった。
 正木は、心理遺伝にかられた呉一郎の治療について自信があると言い、また「私」自身が真犯人ではないかという疑いに対してはこれを一笑に付すが、真実を教えて欲しいという「私」の願いは言下に拒絶すると、理屈と脅しで「私」の行動を押さえつけにかかる。
 押し問答の最中、正木は犯人は自分だと言い出し、自分と若林との、一郎の母・千世子を始めとした呉一族を巻き込んでの20年来の因縁について語る。学術に取り憑かれた男ふたりの、それは鬼畜の所業と「私」には思われた。
 真相を覆い隠そうとしたと言ったり、全てを投げだそうとしたり、刻々と態度を変える正木は、今度は自分に代わって「私」に、真実を世に発表して欲しいと願う。が、これに「私」が強く拒否感を示すと、正木は何処かへとふらりと姿を消してしまった。

 2つの殺人事件と1つの発狂事件は、若林が、正木が、あるいは全く別の誰かが描いた筋書きに沿ったものなのか。それとも、全てが無関係に偶発的に起こったことなのか。
 正木の去った部屋で、「私」は最後の考えを強引に推し進めようとする。しかし、例の絵巻物の「魔力」については疑問を払拭できない。
 「私」は今一度、例の絵巻物を検分する。懐かしいような匂いを嗅ぎ取りながら繰り広げていった絵巻物の末尾には、衝撃的な一文がしたためられてあった。
 取り乱した「私」は、九大医学部を飛び出して街を彷徨する。事件の黒幕は分かった。しかし、「私」が誰であるかという問いは残っている。夢も現も混濁した状態で、絵巻物を元に戻すために「私」は九大に引き返そうとする。

 気がつくと元どおり、「私」は九大医学部の正木の教授室に戻ってきていた。しかし部屋の様子や、例の絵巻物が包まれていた風呂敷包みは、どう考えても「私」が経験してきた今日1日のことが全て幻想であったことを示している。
 風呂敷包みから出て来た新聞の号外は、大正15年10月20日に解放治療場で起きた呉一郎による5人の男女殺傷事件、その直後の一郎の自殺と正木教授の自殺、呉家菩提寺・如月寺の炎上と放火者とみられる呉八代子の焼死を報じている。さらに包みには、正木の手による遺書も収められていた。
 「私」は混乱し、ようやく思い当たった本当の黒幕の行いに恐怖する。
 いまはいつなのか。「私」は本当に〓〓なのか。
 憔悴し切った「私」は、隣室に呉モヨ子らしき娘の居る、冒頭で目が覚めたのと同じ部屋へと帰る。「これは胎児の夢なのだ」と思いながら、寝台に横たわった「私」の眼前に幾人もの幻が現れては消える。ボンボン時計の音が長々と鳴る――。

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夢野久作『ドグラ・マグラ 上』(角川文庫)の感想


(2004年12月読了)

 本作と、前月から読み出した森鴎外の『阿部一族舞姫』をずるずると読んだのみで、2004年12月の読書は終わってしまった。この2作が長大にして読み応えがあるものであることに加え、仕事が忙しかったことにもよる。

 通常のミステリ(という表現も妙な気がするが)の埒外に位置し、ミステリというジャンル自体への批評性を備えた“アンチ・ミステリ”で構成される“日本三大奇書”の1作である。
 ちなみに残り2作としては中井英夫『虚無への供物』、小栗虫太郎黒死館殺人事件』が挙がる(2019年2月現在、前者は読んだが後者は半ばのまま)。21世紀に入るか入らぬか辺りから、さらにもう1作、竹本健治氏の『匣の中の失楽』を加えて“四大奇書”とする意見もみられるようになったと記憶する。

新装版 虚無への供物 上・下巻セット
 
黒死館殺人事件 (河出文庫)

黒死館殺人事件 (河出文庫)

 
新装版 匣の中の失楽 (講談社文庫)

新装版 匣の中の失楽 (講談社文庫)

 

 ともあれ本作『ドグラ・マグラ』である。1935年に発表され、その翌年には作者が死去したために、現在は青空文庫でも読むことができる(話は逸れるが、TPPの発効によって著作権消滅のタイミングが著者の死後50年から70年になったらしい。「らしい」というのは本件について確定的な話が聞こえてこないからである。どこかに問い合わせればよいのだろうか?)。
 私が最初に読もうとしたのは教養文庫版だったが、分厚くて持ち歩くのに不便なため、上下本に分割された角川文庫版に切り替えて読み通した。
 角川文庫版は携帯には便利ではあるものの、最上段に挙げている通り、俳優でもあった米倉斉加年(よねくら・まさかね)氏による表紙絵がインパクト大で、人前で読む際には注意を要するだろう。そもそも、あまり人前で読むことを想定しない種類の本かもしれないが。

 角川文庫版の区分けに沿えば、上巻は概ね、作者による当時の精神科治療についての概説と異議申し立てと言えるのではないかと思う。ミステリの要となる事件として、青年・呉一郎による殺人事件が提示されることはされるのだが、そちらについて本格的にことが進んでいくのは下巻の序盤が終わったあたりからのように感じた。
 以下、まずは角川文庫版の上巻に当たる部分の概要を示す。なお、他のどの本についてもそうだが、本作についてはとりわけ、私の解釈に基づいた概要であることを明記しておく。

概要

 ボンボン時計の鳴る音で目が覚めた「私」は、自分の名前や来歴など、大半の記憶を失っていた。隣室からは、「私」に呼びかけているかのような少女の声が聞こえる。
 混乱する「私」のもとを訪れた九州大学法医学教授・若林鏡太郎は説明する。ここは九大精神病科の第七号室であり、自分は1か月前に急死した精神病科教室教授・正木敬之(まさき・けいし)の委託を受けて「私」を介抱するのだ、と。
 一種の暗示によって人間の精神を変容させるという「精神科学応用の犯罪」。正木と若林はこれを共同で研究しており、その特異な犯罪の一例の中心人物として生き残った「私」は、真相を思い出し得る者として、正木博士の提唱した一大実験「狂人の解放治療」の対象となっていたのだ。
 「私」が名前を思い出すことが記憶の全容を蘇らせることに繋がるという若林は、「私」の過去に関わる事物を見せ、記憶が喚起されるか確かようとする。若林によれば、隣室の少女は「私」の許嫁で従妹に当たるというが、「私」と同様に記憶を失いながら、千年前の先祖の意識と同一化しているという少女を、「私」は憶えてはいなかった。
 記憶を取り戻す手掛かりとなる資料があると、正木の教授室に案内された「私」は、そこで若い精神異常の大学生が書いたという『ドグラ・マグラ』なる原稿紙の綴込みを見つける。読めば精神に異常をきたす、明晰と幻惑の記述だと若林は説明する。
 若林は、既に亡い正木の破天荒な態度と研究についても語る。「私」に施されている「狂人の解放治療」を20年前から準備し、卒業論文「胎児の夢」で教授連を驚かした正木。卒業後に行方をくらました彼は、欧州巡遊ののち国内漂浪しつつ小冊子「キチガイ地獄外道祭文」を配布、18年後に大学に舞い戻り「脳髄論」と題する論文を提出して教授となったのだった。
 カレンダーが示す大正15年10月19日の翌日、11月20日である今日からちょうど1か月前に、正木は自殺したのだと若林は語る。自殺の理由を問うた「私」は、若林に勧められ、正木が遺した書類の束に目を通し始めた。

 キチガイ地獄外道祭文。正木が国内流浪の際、道行く人たちに阿呆陀羅経の形で謡ったもの。正木は、通常の医学に対する精神医学の発達の遅れを指摘し、入れられたら死ぬまで出られない精神病院の恐ろしさ、それを認識しながら患者を見捨てる家族の不人情さ、それを逆手にとって邪魔者を精神病院送りにしようと画策する権力者の存在を訴える。この状況を改善するため、正木は精神病者の解放治療を行うための場を作ろうとしていた。

 地球表面は狂人の一大解放治療場。訪れた新聞記者に、正木は諧謔混じりに精神病者の解放治療について説明する。曰く、地上に生きる人間は誰もが狂人であり地球上は大規模な解放治療の場である、自分はその模型を作ってみようと思う、と。そして、そう語る自分自身もまた狂人であると正木は付け加える。

 絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず。論文「脳髄論」の内容を新聞記者に問われた正木は、「もっとも斬新奇抜な探偵事実談」という体裁をとって説明する。それは、「私」とよく似た境遇の、「アンポンタン・ポカン」なる称号を正木に贈られた青年が、「脳髄はものを考えるところだ」という常識を疑い、現在の種々の行き詰まりの原因はその脳髄自体が仕掛けた「考える脳髄」という錯覚にあるとして「脳髄は物を考える処に非ず」を主張するものだった。
 正木の物語るところのポカン青年は、神経細胞の集合体である脳髄は単なる各部位の電話交換局に過ぎず、思考する精神は全身の各所にあるとする。さらに、「夢中遊行」などの異常行動は、本来考える部分ではない脳髄を、考えることに使用して疲れさせたためで、「物を考える脳髄」を否定しなければならないと主張していた。「考えるところに非ず」を突き詰めて考えると「物を考えるところ」に戻ることを、正木は「吾輩独特の精神科学式ドウドウメグリ」と形容し、笑う。

 胎児の夢。大学時代の正木の卒業論文と思われる。人間の胎児は、動物の中でも破格に長い10か月という時間をかけ、単細胞からこれまでの進化の過程を辿り、各器官や精神にその名残を残して人型となる。が、「何が胎児をそうさせるか」は明らかでない。
 一方、夢とは個々の細胞がもつ太古からの記憶が反映されたものである。また、生命体においては、客観的な時間は主観的な時間に伸縮され得る。従って胎児は、我が身を構成する細胞に由来する、遙かな昔からの記憶を夢として見続けるということが言える。
 胎児の夢の大半は、悪夢であろう。見られる夢は、生物としての数十億年におよぶ生存競争の記憶であり、人間にまで進化して以降の罪の数々の記憶だからである。

 空前絶後の遺言書。大正15年10月19日夜、正木は研究室で遺書をしたためていた。自死の理由を正木は、「希代の美少年と、絶世の美少女との変態性欲に関する破天荒の怪実験」が、その日の正午、「空前の成功を告げると同時に、絶後の失敗に終った」ためだとする。その怪実験とは、狂人の「解放治療」を名目として行われた「極端、奇抜な心理遺伝」の実験だった。
 さながら発声映画のように、正木は狂人解放治療場と収容患者たちを解説する。集められた患者たちは、先祖の観念の記憶を発現した「極端な心理遺伝」のサンプルだという。そうした「心理遺伝」は精神病患者ばかりでなく普通人にも現れており、研究によっては人の精神を操って犯罪を起こせる可能性すらあると、正木と若林は考えていた。
 そうした「精神科学応用の犯罪」の絶好のサンプルが、件の美少年と美少女だった。実母と許嫁を絞殺した青年・呉一郎。彼の骨相は、様々な人種の特徴を持ち合わせていた。
 同年4月26日夜。呉一郎が事件を起こして20時間が経ったこの夜、九大法医学教室の屍体解剖室では、一郎が殺した許嫁――呉モヨ子を、若林が密かに検分していた。不穏な動きを見せる若林――。(以下、下巻)

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ゆく年(2018年)におくる63冊

 今年も有象無象に忙殺されて読書は捗々しくなく、“昨年よりは少しまし”程度となりそうだ。それでも、ゆく年に捧げる本のリストを作ることは無益でないと信じて、今年もまた作りたいと思う。

 このリストは、1年間、世の中の動向などから興味が広がり読もうと考えた本や、人に薦められた本、実際に読んで心に残った本などを挙げるものである。
 個人的に今年を回想するもので、対象は今年出版された本には限らない。文学賞やベストセラーなどは勘案するが、現状で私が興味がない本についてはスルーすることも大いにあり得る。“興味がある”だけで読了していない本も多分にあるため、「お勧めの〇冊」「今年出た本から選ぶベスト〇冊」などとも性質が異なるだろう。
 要するに、他の人が見ても面白い保証はあまりない。が、1人の人間が1年間をどう考えて過ごしたかのサンプルにはなるのかもしれない。

 昨年までは幾つかの項目ごとに本を挙げてみたが、今年は試みに、月毎に区切って日付順で挙げてみようと思う。時間的経過を追うには、こちらの方が便利だろうと考えたのである。
 それでは1月から行ってみよう。

1月(11冊)
大地 (1) (岩波文庫)

大地 (1) (岩波文庫)

 

 1日、英文学者で翻訳家の小野寺健氏が亡くなった。何かのニュースでパッと見た時は気付かなかったが、よく思い返してみれば、岩波文庫などの英文学作品で訳者として幾度も目にした方だった。
 氏の翻訳による岩波文庫版のパール・バック『大地』は、ずっと積読になっている。大部で尻込みしていたが、手に取る機会なのかもしれない。

炎と怒り――トランプ政権の内幕

炎と怒り――トランプ政権の内幕

 

 5日、アメリカでトランプ政権の内幕を暴露した『炎と怒り(原題:Fire and Fury)』が刊行されて話題となった。邦訳版が出たのは2月下旬である。ついこの間、12月4日にはコンセプトを同じくする『FEAR 恐怖の男』も刊行された。
 氏の任期も残り半分ほど(2021年1月20日まで)。それが長いか短いかは、これらの本の内容をどう受け止めるかにもよるだろう。

広辞苑 第七版(机上版)

広辞苑 第七版(机上版)

 

 12日には、岩波書店から10年ぶりの全面改訂となった『広辞苑』第7版が刊行された。正直なところ、辞書は電子化すべきと私は思うが、本書が近年の辞書刊行におけるメルクマールであることは揺るぎないだろう。

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ヘルマン・ヘッセ『デミアン』の感想

 『氷菓』(当該記事)に始まる〈古典部〉シリーズ、『青春と変態』(当該記事)と、図らずもしばらく「青春」な小説を読んできたが、続けてもう1作加える形となった。家族が私の積読から掘り出して読んでいるのを見て、私も読みたくなったのである。
 ヘッセの作品として、もっとも有名なのは『車輪の下』だと思われるが、私は同作について未読である(別の高校に進んだ旧友たちの幾人かが課題で読んでいたが、私の高校ではそれもなかった)。その代わり(というのもおかしいが)、出世作である『郷愁(ペーター・カーメンチント)』は読んでいる。きっとそのうち過去の感想として書くだろう。また授業で短編「少年の日の思い出」は読んだ記憶がある。
 読んだのは高橋健二氏訳による新潮文庫版だが、版が少し古く(昭和63年に改版されたもの)、文字の大きさが変わっている現行版とはページにズレが生じている可能性が高いことをお断りしておく。前置きはこの辺りにして、まずは概要を記す。

概要

 「私」――エーミール・シンクレールは、「自己自身への道」であった自らの青春の物語を、自身が10歳の頃から語り始める。当時、生まれた小さな町でラテン語学校に通っていた彼は、父母や姉たちによる信仰と温情ある光の世界と、世間の多くを占める苦悩や不信心による闇の世界と、その狭間にいる自分を意識していた。
 あるとき、年上の不良少年フランツ・クローマーににらまれまいとしてついた嘘から、彼は苦境に立たされる。その頃、ラテン語学校に転入してきた少年があった。名をマックス・デミアンといった。
 「私」より年上とはいえ、すでに老成した印象を有し、俊才でもあったデミアンは、ある日の帰り道、「私」に話しかける。話題は「私」の家の門の上に付けられた紋章と、その日の授業で扱われたカインとアベルについてだった。勇気と特色を持ったカインとその子たちを、他と区別し復讐するために「しるし」が付けられた――カインのしるしをそう解釈するデミアンの考えに「私」は驚愕する。
 クローマーによって長らく悩まされている「私」を救ったのは、そんなデミアンだった。読心術を使えると語り、どうかしてクローマーを黙らせたデミアンに、「私」は感謝をおぼえつつも不安と反感も抱く。それまでの苦悩やデミアンへの恩も忘れ、「私」は平坦な日常へと還っていった。

 思春期に入り、「私」は再び闇の世界へと踏み入り始めていた。学校の授業に反感を感じはじめた彼は、堅信礼準備の授業で一緒になったのを機に、疎遠になっていたデミアンと再び接近する。
 デミアンは、“思いを遂げるためには、そこに意志を向けさえすればよい”ことや、授業で言及されたゴルゴタの話に対する疑いを口にする。彼によれば、神の礼拝と並んで悪魔の礼拝が必要であり、あるいは悪魔を包含する神の創造が必要だった。「私」が、自らの抱いてきた2つの世界についての考えを打ち明けるとデミアンは受け容れ、自分の考えを雄弁に語った。
 また「私」には、堅信礼が近づいたある日、生気のない様子で座っていたデミアンのことが思い出される。堅信礼は特段の印象もなく終わり、「私」は父母や姉たちの世界から遠ざかった。学校を変わり、旅立ったデミアンとも離ればなれとなった。

 「私」は生家を離れ「聖…市」の少年塾に入った。
 1年以上が過ぎた頃、年長の寄宿生アルフォンス・ベックとブドウ酒を飲んだのをきっかけに、「私」は飲酒に耽るようになる。内心で孤独を感じつつ荒んだ毎日を過ごす「私」だったが、ふと見かけた少女に心惹かれ、ダンテの『神曲』からベアトリーチェと名付ると、生活を正して崇拝し始める。修行の一環として描き上げたベアトリーチェの絵は、彼女であり、デミアンであり、「私」自身でもあった。
 ベアトリーチェと出会うよりも前、数年ぶりに「私」はデミアンと再会し、酒浸りの「私」に対しアウグスティヌスを引き合いに「道楽者と聖者」を語り鷹揚に構える彼に、敵意すらおぼえていたが、いま改めて彼への憧れをつのらせる。追憶まじりの夢の中でみたハイタカの紋章を「私」は絵に描き出し、宛先も分からぬままデミアンに送付した。

 不思議なことに絵はデミアンに届き、やはり不思議な仕方で返事が来た。「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う」で始まるその返信に記された神「アプラクサス」とは、ヘロドトスを講じる教師によれば、古代ギリシアにおいて“神的なものと悪魔的なものの結合”を象徴する名ということだった。たびたび「私」の夢には、大きく強く、男女・聖俗・善悪が混淆するような者――アプラクサスと重なる――が現れ、「私」を抱擁した。憧れと不安を抱いて「私」は翻弄されていた。
 他人に対しては超然としつつ、将来の希望も決まらず落ち着かなかった「私」は、町外れの教会でオルガンを弾くピストーリウスと出会う。アプラクサスの名を知る彼は、神学を修めたが逸脱し、古代の信仰を広く研究しており、自然の形象や夢の解釈などにも通じていた。
 アプラクサスへの新しい信仰を、宗教として確立したいというピストーリウスが語ることは、デミアンと重なっていた。
 一方、同級生のクナウエルと禁欲をめぐって口論した「私」は、夢にみた女の肖像を描くと、それは「私」に「名状しがたく新たな感情」をもたらした。何かの不安にかられた「私」は町を歩き、それはクナウエルを救うことに繋がった。
 「私」は、過去と知識を重視するピストーリウスに対して次第に反感を抱くようになり、やがてそれは決別をもたらした。「私」は後悔するが、最後には“各人の天職は「自分自身に達する」ということのみ”であることを悟る。「私」のひとときの指導者――ピストーリウスは、自らの弱さを認め、「私」がいつか“運命をのみ欲するもの”になれると語った。私の生徒時代は終わり、大学へと進む時が来ていた。

 休暇中、「私」はデミアンと母親が住んでいた家を訪れる。そこで見せられたデミアンの母親の写真は、「私」が夢に見ていた者だった。私は旅立ち、デミアンの母の姿を追い求めた。
 探し求めた人は見つからず、H大学で学生生活を始めた「私」は、その地でデミアンと再会する。デミアンは、「私」にカインの「しるし」がはっきりと現れたと喜ぶ一方、ヨーロッパの現状に対しては嘆き、「滅びるだろう」と口にする。
 今のデミアンの家を訪ねた「私」は、ついに彼の母親に会う。「私」は暖かく彼女――エヴァ夫人に迎えられ、足繁く通いだす。
 エヴァ夫人とデミアンの周りには、「しるし」を持つ探求者たちが集っていた。彼らの信条は多様だったが、現在のものの崩壊と新生が近づいているという予感では一致していた。デミアンは「運命に対する準備」の重要性を「私」に説くのだった。
 「私」はエヴァ夫人と共にいることを幸福に感じ、夢を通して導かれた。「私」の欲求不満に対し、夫人はおとぎ話を語ることで「私」自身の更なる内奥へのいざないとした。
 ある日、デミアンは生徒時代のいつかのように生気のない様子で座っていた。空に巨大なハイタカを幻視し、雷鳴と雨と雹に見舞われた「私」がデミアンのところへ戻ると、彼はそれを古い世界の崩壊と読み解く。

 夏学期は穏やかに過ぎ、ほどなくエヴァ夫人に会えなくなることを覚悟した「私」は、思いを遂げるために夫人に意識を集中する。やって来たデミアンは、戦争の開始を予告した。それは、確かに新しいものの始まりだった。
 デミアンは少尉として出征し、「私」もまた戦地に赴いた。戦場での人間は立派であり、奥底で新しい人間性のようなものが成長しつつあると「私」は感じる。
 負傷した「私」は、運び込まれた部屋で隣に寝ているデミアンを認めた。2人は親密に語り合い、デミアンエヴァ夫人からのキスを「私」に伝えると、去っていった。いま「私」の心の中には、友によく似た自分自身の姿がある。

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会田誠『青春と変態』の感想


(2018年11月読了)

 『氷菓』シリーズで青春の光と影を垣間見てきたが、それらがとても綺麗だった反動で、よりドラスティックな青春というものを読みたくなり、この小説に思い当たった。

 著者の会田誠氏の本業は「現代美術家」だが、その修飾語として「取扱注意の」と付されることがままある。本作文庫版の「あとがき」によれば、「露悪趣味アーティスト」という表現を、著者も自認していることになる。
 「あぜ道」という作品は美術の教科書にも載っているほどだが、上に挙げた表紙画「考えない人」や「犬」、「ジューサーミキサー」など、観る者によってはショックを受けるだろう作品が、特に氏の若い頃には多い。媒体は異なるものの、20代後半の頃に書かれたという本作もまた、それに連なるものと言えるだろう。まずはその概要を示す。

概要

 「僕」は、バスの中で『青春と変態』と題したノートを書き始めた。2年生から3年生への春休み、「僕」が所属する県立北高校スキー部は、県内で同じ程度の実力の県立清和女子高校スキー部と合同で、3泊4日の合宿に入ろうとしていた。バスとは、その合宿先である三ツ村温泉スキー場へと向かうバスである。
 ノートに向かう「僕」を、清和女子の湯山美江が興味深く覗き込む。周囲に「文学カップル」と揶揄されつつも、「僕」はミステリアスな湯山にほのかな好意を抱いていることを認めていた。
 この合宿を終えれば、受験勉強の日々が待つばかり。最後の機会とテンションが上がる2年生たちの中、「僕」は誰にも明かさずにいる自らの「変態」性――常習の「女子トイレ覗き」犯であることをノートに告白し、これまでの経緯を綴る。1年すこし前、たまたま拾った写真投稿雑誌に載っていた女子トイレ盗撮写真に、ある種の精神性すら覚えた僕は、覗きの実践を繰り返してノウハウを蓄積し、“理想的な環境”を備えた合宿先のロッジのトイレで覗きをするべく、期待に胸を膨らませているのだ。

 初日の覗きを成功させ満足した「僕」は、その魅力の一端が「現実の人間関係の中に現れてしまった「悪」」ではない「純粋に観念的な「悪」」にあると表現する。彼が覗きを成功させた対象には、見知らぬ女性たちだけでなく、「オールマイティーへの情熱」を有する性格として「僕」が一目置いている同級生・藤田の交際相手で、部内随一の美人である久保も含まれていた。無機的だったり野性的だったりと、覗き見た女性たちの部分に、「僕」は様々な印象を抱く。
 そんな「僕」に湯山は接近し、「文学カップル」もまんざらでない様子を見せる。それを喜びながらも「僕」は、覗き見た映像と久保を重ね合わせたりし、反芻される「悪」の快楽に震えていた。
 風呂で藤田の性器を見ると、そこから湧いてきた種々の疑問に「僕」は困惑する。一方、お調子者の浅野が女子の脱衣所を覗き、男子は清和女子から厳重注意を受けることになった。

 翌朝の朝食後、「僕」は湯山のトイレを覗くのに成功する。それは「僕」の湯山への恋情が本物であることを自覚させ、覗きを止めることを決意させた。
 成立しつつあるもう1組のカップルと「僕」と湯山の4人は、ゲレンデで輝かしいひと時を過ごす。「僕」は、何も知らない周囲にすれば、無害で公正な「相談役」だった。
 夜、「僕」は「健全な男になるためのお勉強」と称し、カップルの覗きを試みる。対象が誰であってもある種の快楽をもたらす覗きは、「僕」に「完全優位な視点」と「完全劣位な視点」が同時に存在して分化していくという、「覗き哲学」を意識させた。
 その直後に接した出来事により、「僕」は合宿中に湯山に告白することを決意する。
 翌日、競技スキーの練習が、己の内の「変態」を溶かしていくかのように、「僕」は感じていた。

 そして、湯山と「僕」は、ゲレンデの上にある山頂に向かう。夕闇の迫る2人きりの頂で、思いは告げられた。

 幾つもの困難を超え、「僕」はやり遂げた。そしてその成果としての「詩」を、最愛の1人に捧げる。

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