何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』の感想


2019年9月読了

 以前から気になっていた作品である。ふと手に取ったので、そのまま読むこととした。
 題名の「脱走」という言葉からは、村上龍氏の『希望の国エクソダス』(当該記事)を思い出す。が、社会システムとしての日本からの「脱出」を描いた『エクソダス』と、本作の「脱走」はいささか異なる。まずは概要を示そう。

概要

カスタネットによるプロローグ

 以前いた世界から異なる世界に移動してしまったと感じている「おれ」は、以前の世界の自由さを好ましく思っており、今いる世界から抜け出して帰りたいと考えている。

 「おれ」は一体いつから違う世界に迷い込んでしまったのか。心当たりは幾つかある。一つは、正子と一緒に公園でボートに乗り、雨に遭って排水口から下水道に入り込んだ時。一つは、やはり正子に連れられて職業適性所なる施設に行き、SF作家にのための奇妙なテストを受けた時。そしてもう一つは、正子が何者かに誘拐され、身代金の渡し場所に指定された自我町6丁目にあるという井戸時計店に行った時。
 いずれにせよ、この世界の移動について正子が関与しているらしいと考えつつ、「おれ」は今の世界の情報による呪縛、時間による束縛、空間による圧迫から逃れ、元の世界に帰ろうと行動を開始する。

第1章 情報

 氾濫する「にせもの」の情報により、精神が末端肥大症的になっていると考える「おれ」は、情報の供給源であるテレビにかかわる人間に接すれば現状を打破できるのではと考え、テレビ局「本質テレビ」に向かう。住居であるビルを出ると、ほどなく自分を尾行する緑色の背広の男がいることに気付いた。
 多くの人間が働くテレビ局だが、本質的なことを語る人間はいない。「本物の世界」への出口があると予期した「おれ」は強硬手段に出るが、その先もやはり虚構だった。
 幾度繰り返しても同様で、自分が本気だったか否かをめぐって「スポンサー」と問答するうち、問題はテレビよりもその背後で情報を司っているコンピューターだということに思い至る。尾行してきた緑の男を撒きつつ、「おれ」は局の地下にあるコンピューター室を目指す。

 コンピューター室に着いた「おれ」は、立ちはだかった若い女性オペレーターを問答の末に突き飛ばし、核であるCPUに至る。そこにあった無味乾燥なものが情報だとは認められない「おれ」と、それこそが情報であるとする6桁の数字――正子らしき声の言い争いは、やがて「にせもの」か「本物」かの議論となる。
 そこに追い付いてきた緑色の尾行者は、自分は尾行者ではないと語るが、「おれ」は疑う。「おれ」が今の世界に違和感を感じているのに対し、尾行者は違和感を全く感じないと言い、その差異を正子の声があざ笑った。

 緑色の男とともに情報検索室に逃れ出た「おれ」は、今度は情報検索者たちと言い争いになる。そのさなか、「おれ」情報の中に脱出口が無いことを悟ると、時間が狂っているのだと考え、今度はこれを正そうと言い出す。緑色の男は制止しようとするが、「おれ」は諦めようとしない。

マリンバによるインテルメッツォ

 緑色の尾行者は、依頼主に提出する報告書で、自分が如何に真面目に仕事に取り組んでいるかを記して自己弁護する。彼はいま自分がいる「単純明快な世界」に満足しており、以前いた世界を住みにくいところと感じていた。

第2章 時間

 緑色の男の尾行を気にしながら、「おれ」はこの世界の時間を監督していると目される「大部分天文台」へと向かう。拾ったタクシーの運転手と時間をめぐる議論をしながら到着した天文台では、台長が応対してくれるが、結局は「時間なんてものは滅茶苦茶」で、確かなものは何もないのだと吐露する。
 狂乱の中、緑色の男が自分より前に訪ねて来ていたことを「おれ」は知り、次に男が行ったであろう、原子時計を作っているという「捕縛大学」応用物理学教室に向かった。その先で「おれ」は原子時計について説明を受けるが、原子時計もまた滅茶苦茶であり、天体の運行すらも滅茶苦茶だと説明される。

 自然科学的な時間ではなく、主観的な時間に可能性を求めた「おれ」は、今度は自我町6丁目の井戸時計店へと足を向けた。時計店では様々な時間軸の「おれ」が入り乱れており、いつしか映画を撮り始めていた緑色の男に言われて「おれ」は時空を駆け回る。再び「おれ」は井戸時計店に戻るが、そこでは尾行者との立場が逆転していた。
 正子を自宅のおんぼろアパートに帰らせると、「おれ」はふんだくった身代金で酒と賭け事に溺れ、流しのギター弾きをしながら老いていった。
 いつまでも正子を取り戻しに来ない尾行者に業を煮やす「おれ」だったが、尾行者がかつての「おれ」と同じ立場にあることを知り、尾行者を苦しめることに意義を見出す。

 時間が壊れたなかでの追跡と逃亡を繰り返すうち、もはや時間は「おれ」の問題にならなかった。「おれ」が緑色の尾行者を追いかけることすら出来るのだ。

ティンパニによるインテルメッツォ

 尾行者は怯える。無限に存在する世界の中には、逆に自分が尾行される世界も存在することに。時間を飛び回ったために、他の自分が蓄積した記憶が全て自分の中に流れ込み、そればかりか追う相手である「おれ」の記憶すら流れ込んだことで、両者の意識が似通ってきていることに。

 自分が「おれ」を尾行することに意味が見いだせなくなった尾行者は、尾行を続行するか中断するかの判断を依頼主にゆだねた。

第3章 空間・内宇宙

 残された脱出路は空間にしかない。そう考えた「おれ」は、自らに混じり合った尾行者の記憶から、「おれ」の尾行を依頼した者の素性を知り、その人物に会うため、「全然ビル」4階の「告白産業株式会社」へと足を向ける。追いすがる尾行者に「おれ」は、自分はこの世界から逃げ出すのではなく、己の精神力でこの世界を変える、とうそぶき、足を止めようとはしなかった。
 尾行者の追跡を交わしながら「おれ」は「告白産業株式会社」の社長室へと向かうと、そこで再び正子と再会した。

 「おれ」と正子は歓楽街を歩き、下水道を下る。それを尾行する尾行者。「おれ」は公園のボート借しの親父、井戸時計店の店主、職業適性所の所長らを連れ、尾行者以外と回転木馬に乗る。
 怒った尾行者により正子はさらわれるが、既に構図は自分・尾行者・正子の三つ巴であり、自分がこの宇宙の中心であると認識している「おれ」は追跡せず、タクシーを拾ってレストラン「大嘔吐」に向かう。たらふく飲み食いしたが無銭飲食のため捕まった「おれ」は、警察署の取調室で尾行者と正子に再会し、3人が一体となって世界を思い通りにしようとするが、上手くいかず分裂する。

 自らに相反する性質を持つ尾行者と正子は己の自我の一部であり、これを殺すことで、独立できると「おれ」は考える。
 「おれ」は、がらくたの山の上、ロココ調の宮殿の中で正子を殺し、雪山の頂で、豹の姿をした尾行者を殺した。あとには幾らも残らなかった。

ボサ・ノバによるエピローグ

 溜まりに溜まった仕事を片付けていた「おれ」は、その最後である「ドビンチョーレについて」という論文の執筆に手を着ける。いま話題になりつつあるドビンチョーレとは何か、その是非や意義、自分が書くSF作品がドビンチョーレであるか否か、など。論文は報告書となり、書き上げた「私」はその提出先を求め、墓地をさまよう。尾行者と正子の墓は見つからない。墓は「おれ」だった。

 不自由を失ったと感じる「おれ」は、新しい不自由を求める。
 果たして不自由は現れる。ナイトクラブの片隅で、正子ならぬ股子、尾行者ならぬ尾籠者を始め、これからの登場人物たちが入れ代わり立ち代わり自己紹介を続けていく。パロディばかりで腹を立てる「おれ」に、気分を害した尾籠者がパロディと本物の違いを問うと、「おれ」は即座に反論する。無限に続いていく「おれ」の長広舌。

続きを読む

藤森照信『人類と建築の歴史』の感想


(2019年6月読了)

 当時、とつぜん建築に関する仕事が入ってくることになり、付け焼刃でも建築について知る必要が生じた。その際に手に取った本の1冊である。
 結果的に、あまり仕事の役に立ったとは言えなかったが、スケールの大きさと語り口の軽妙さも手伝ってか、読み通したのは本書だけだった。

 ちなみに、仕事で役立ったのは以下のムック本のような有名な建築物のまとめのような本だった(いささか現代建築が多めだが)。同書は、もう紙媒体のものは入手が難しいかもしれないが、電子書籍としてはサブスクリプションサービスである「Kindle Unlimited」の対象にもなっており、手軽に読むことができる。

 「建築の歴史」と銘打たれているが、本書の構成は、それを十全に示したものとは言い難い。以下の概要をご覧になれば、その理由が分かるだろう。

概要

第一章 最初の住い

 人類がまだマンモスをごちそうとして食べていた頃、風雨を防ぐ場所とは、木や岩の影、洞穴などだった。マンモスの牙や皮を使った仮の宿が作られていたことも知られている。
 土器と磨製石器が発明されると、それは農耕(根底には豊饒と多産をもたらす地母神への信仰があったに違いない)、牧畜の開始へと繋がり、さらに磨製石器による伐採・木工技術によって、初めて「家」を持つに至った。それは始め円形で、技術の発展に伴って四方形となった。家が集まり集落となり、それは人々に郷愁を感じるための時間的連続性すらもたらした。

第二章 神の家――建築の誕生

  旧石器時代には恵みや多産をもたらす地母神新石器時代には太陽神への信仰が生まれた。前者は遺跡の内部空間として、後者は巨石などの巨大建造物として表現されている。太陽神への信仰の登場は、農耕の定着によるものと考えられる。
 母なる大地と父なる太陽への二つの信仰は重なり合っていた。マルタの神殿と呼ばれる巨石遺跡は、内部に生死を司る地母神、外観に地母神を支配する太陽神を、それぞれ象徴したものである。
 内部と外観に神の存在を意識させるための表現が凝らされたこの神殿は、〈住まい〉と区別される〈建築〉の成立を示唆する。新石器時代の神殿の典型例が、ストーンヘンジに代表される「スタンディングストーン(立石)」である。

第三章 日本列島の住いの源流

 日本の原始時代も、他と大きく変わるところはなかった。ただ、縄文土器については、世界各地の新石器時代の中でも抜きんでて充実していた。
 この時代、円形の竪穴式住居が作られており、材木は主にクリだった。これは磨製石器で加工がしやすかったためと考えられる。例外的に、倉庫は高床式で造られた。
 現在、当時の竪穴式住居を復元すると茅葺屋根が美しいが、当時はそれほど綺麗には作られなかっただろう。まだ金属製の刃物などが存在せず、加工が未熟だったことにもよる。

 紀元前3世紀ごろに鉄器がもたらされると、弥生式土器も現れ、農業は発展して稲作が始まった。連動して住まいも南方式の高床式住居が見られるようになる。竪穴式は庶民の、高床式はリーダーの住まいとなった。
 ある古墳から出土した「家屋文鏡」という青銅の鏡の飾りに示された4つの家は、王の霊が暮らすものと解釈できる。すなわち、夏の家、冬の家、神殿、倉庫ではないか。
 弥生時代から古墳時代にかけての建物は、縄文時代に比して、構造、材木という面で進歩した。鉄器による加工が可能になったことも大きく、ここに至って建築は美しさを獲得したとも言える。

第四章 神々のおわすところ

 日本における神の住まいはどうだったのか。縄文時代以降について、その様子を知ることができる。縄文時代には、地母神信仰の証として土偶――例えば“縄文のヴィーナス”のような――が多く作られた。太陽神信仰を示すスタンディングストーンも、幾つかの例を認める。巨石でなく巨木を用いる例もあった。
 弥生時代以降、神々の居場所がどう変遷したかを伝える例として、沖縄の御嶽、信州の諏訪大社、奈良の春日大社若宮が挙げられる。
 御嶽は何もない空間であり、諏訪大社御柱祭縄文時代の巨木文化を思わせる)は太陽神信仰を、神が自然の樹木を「依代」とするという湛(たたえ)の木の信仰は地母神信仰を今日に伝えている。春日大社若宮では、ふだん山奥におわす神が神官たちの榊の枝を伝わって移動する。これら3例には、本殿の建物というものが存在しない。

 本殿がないことが原型である神社が、なぜ本殿を持つに至ったのか。神社建築の三大源流に沿って示す。
 伊勢神宮の“唯一神明造り”は真御柱(しんのみはしら)の上に仏教建築に負けまいと高床式住宅を被せたもの、出雲大社の“大社造り”も中央の磐根柱(いわねばしら)をカバーするもので、いずれも縄文時代の太陽神信仰に重なる。一方、春日大社の”春日造り”は、神を乗せて運ぶ神輿が起源で、それが固定化したものと言える。
 日本のように、地母神、太陽神への古い信仰が残っているのは珍しい。

第五章 青銅器時代から産業革命まで

 青銅器時代以降、世界各地では独自の発展を遂げ、共通点を見いだすのは難しい。
 古代エジプトでは、オベリスクとピラミッドに太陽神信仰の名残りがみられるが、古代ギリシアでは太陽神も地母神も地位を落としている。古代日本の最高神天照大神男神ではなく女神である。マヤやアステカでは太陽神信仰が異常な盛り上がりを見せた。

 仏教、儒教キリスト教イスラム教が成立すると、世界の建築の共通性は更に乏しくなっていく。キリスト教の教会建築には集中式とバシリカ式があったが、後者が主流となった。仏教建築は正方形から始まり、神聖感を増すために縦長となったが、人員収容の利便性から横長のものが多くなっていった。神社、住宅についても横長がメインとなった。

 時代が下るほどに多様さを増した世界の建築だが、大航海時代に風向きが変わる。ヨーロッパ内部ではルネサンス建築――過去に回帰した歴史主義的な建築が増え、外部に対しても土着の文明を征服して歴史主義建築が建てられ始めた。
 産業革命の時代に至ると、ヨーロッパによる支配が確立する。鉄とガラスとコンクリートが登場するものの、それは歴史主義建築の補強に終始し、世界はヨーロッパ的歴史主義建築に席巻された。しかし、それらも突如として消える時が来た。

第六章 二十世紀モダニズム

  19世紀末に登場したアール・ヌーヴォーを契機に、新たな建築デザインへの渇望が高まり、それはドイツの「バウハウス」に収束した。そこで見出されたのは、鉄・ガラス・コンクリートを用いた、無国籍にして国際的、そして幾何学的な建築だった。その流動性・透明性の実現には、日本の伝統的な建築がインスピレーションとなったという。こうした建築の登場は、人間がその目を外から内へと向けたためと考えられる。

 共通の一点から始まり、各地で多彩な展開を見せた建築は、ここに至って再び一つになった。より軽く、より透明にと求めるのが現在の主流だが、それに対する反発もある。

続きを読む

大槻ケンヂ『サブカルで食う』の感想


(2019年4月読了)

 副題には「就職せず好きなことだけやって生きていく方法」とある。

 少し疲れて古本屋を訪れた際、ふと見つけて購入し、その足で昼ご飯を食べに行ったカレー屋で読んだ。筋肉少女帯で知られる大槻ケンヂ氏が、自身の経験を元にサブカル界でお金を稼ぎ食べていく方法について綴った本である。
 氏の想定する読者は、「サブルなくん」「サブルなちゃん」――“「サブカル」とかって呼ばれるようなことをやって生きていけないかなとボンヤリ思っている「サブカルなりたいくん」”(白夜書房版『サブカルで食う』p.10)――だという。

 大槻ケンヂ氏と言えば、上述の筋肉少女帯の中心人物で、私も世代的にその影響を受けていておかしくないはずだが、残念ながらそれほどは受けていない。「もう少し接しておけばよかったかな」とは、大学生の頃に酔っぱらった先輩がカラオケで「踊るダメ人間」を熱唱しているのを聴いた時に抱いた思いである。

 ミュージシャンとしての氏からは影響を受けなかったが、氏の著作は1冊だけ読んだ記憶がある。『行きそで行かないとこへ行こう』という旅エッセイ(?)である。何となく手に取ったのものだったが、面白かった。私が旅に出る際の目的地や旅程の考え方の基準の1つには、この本があるような気もする。氏には何となく怖そうな印象を抱いていたけれど、それを払拭するに足る本でもあった。

 面白かったが他の本に手を伸ばすことはなく、そのまま長い時が過ぎた。それが、なぜ再び氏の本を再び手に取ったのかは、よくわからない。
 『サブカルで食う』という端的な表現が気になったのか、みうらじゅん氏と同じように「何をやって生きているのか今ひとつ分からない人」がその自家薬籠中を開陳してくれていそうな本ということで興味が湧いたのか。
 あるいは、私自身フリーの人間で、サブカルなのかカルチャーなのかよく分からない領域で暮らしているので、「参考になるかもしれない」と無意識に考えたのかもしれない。

 ともあれ、久しぶりに氏の文章を読み出した。まずはその概要を示したい。
 ちなみに本書は最近になって角川文庫に入ったが、私が入手したのは白夜書房版(上掲の通り、氏の本としては随分さっぱりした表紙だと思う)なので、その点ご了承いただきたい。

概要

第1章 「サブカル」になりたいくんへ

 「サブカル」は、歴史的な背景のある「サブカルチャー」とは違う。もっと軽いものである。表現意欲だけが前面に出て、色々やっているうちに成り立ってしまったのが「サブカル」の人々である。かつては「アングラ」と言われ気味悪がられたが、そこに笑いを加わることで間口が広がったと言える。
 サブカルで食うには、才能・運・継続が必要である。

第2章 自分学校でサブカルを学ぶ

 自分(大槻氏)は少年の頃は身体が弱く、それでアングラに出会った面がある。中学になると、机の落書きを介して知り合った友人と漫画を描いていたが、そのままバンドに取り組むこととなった。ライブハウスで知り合った人々は刺激的だった。
 学校では冴えなかったが、その代わりの「自分学校」として、大量の映画を観て、少女漫画を含む漫画や小説を読みふけり、ライブに足を運んだ。

 しかし、そうしたものを受容するだけの「プロのお客さん」になってはならない。完成度がいまいちでも、バカになって自分の表現を出すべきである。
 サブカル的な仲間に出会いたいという気持ちを叶えてくれたのは、深夜ラジオであり、投稿雑誌だった。雑誌の編集者に電話した際には、テンションが上がり過ぎており、引かれた。

第3章 インディーズブーム~メジャーデビュー

  インディーズブームという幸運によって、自分もライブハウス周辺では少し有名になった。が、私生活では大学受験に失敗し、デザイン系の専門学校に通い始めるもドロップアウトする。アルバイトを転々とするものの身につかず、実質的にはニートだった。

 そうこうするうち、筋肉少女帯はメジャーデビューが決定する。そのことを親に伝える際は、不意打ち的に切り出した。思考停止状態に陥った両親は、とりあえず了承してくれた。
 ラジオ番組『オールナイトニッポン』第1部に抜擢されたが、勝手が分からず何もできなかった。しかし、そこから掴んだチャンスもあったので、何もできなくても諦めてはいけない。

第4章 「人気」というもの

  人気が出るということは、突然に多くの人から愛と憎しみを受けることである。すると、よほど野心がある人以外は、自分が何なのか分からなくなる。
 そうした時、人間は根本的には悪であるという性悪説的な捉え方をしつつ、良い面も見るようにするとよい。また、ネットでの自分検索(エゴサ)はしない方がよい。

第5章 サブカル仕事四方山話

  メジャーデビューはしたが、バンド以外の仕事にも「社会科見学」のつもりで手を広げた。テレビでも”怖くないロッカー”としての枠を得ることができた。テレビに出たい人は、自分がどういうタイプなのか考えるとよい。

 映画の現場は苦労が多い。天候や集合時間、初対面の役者との待機など。制作スタッフたちも一筋縄ではいかない。原作者として映画に関わったこともあるが、大変だった。
 右も左も分からず書いた初めての小説『新興宗教オモイデ教』は意外と評価された。「とりあえずやってみる」のは大切だと言える。小説を書くには、ラブコメ映画を観て物語の構成を理解するのがおすすめである。散文詩から書き始めるのもよい。継続し、つじつまは最後に合わせればよい。

新興宗教オモイデ教 (角川文庫)

新興宗教オモイデ教 (角川文庫)

 

 エッセイの場合は、目標とする著者の書き方――視点や文体を真似する。ネタは外に出て拾ってくる。作詞については、まずタイトルを決め、サビには関連した言葉を持ってくる。筋肉少女帯の「これでいいのだ」は冤罪の歌で、「日本印度化計画」は革命の歌である。

 何かを表現することは、相手のニーズを受け入れることでもある。「サブルなくん」「サブルなちゃん」は反感を感じるかもしれないが、自分を裏切らずニーズに応えた表現は可能である。ゲームのようなものと捉えるとよい。場合によっては「何でもオッケー」よりも、そうした制約があった方がやりやすいこともある。

第6章 サブカル経済事情

 事務所と契約はよく選ぶべき。いい加減な事務所は本当にいい加減。自分が所属した3つの事務所はすべて潰れた。事務所に所属するなら、月給制+歩合がよいと思う。
 サブカルな人は、色々な形で収入がある。本やCDの印税、ライブやイベント、テレビ出演など。それ以外の仕事の報酬額は「ランダム」。金額よりも、充実できたか否かの方が重要になってくる。

第7章 人気が停滞した時は

  筋肉少女帯は1999年に活動停止となり、タレントとしても滑ってきていた。人気が下がるというのは、やはりしぶい。意地になって『グミ・チョコレート・パイン パイン編』などの小説執筆に没頭した。

 落ち込んでいる時には陰性なものに目を向けるべきではない。特にドラッグは絶対にダメ。思い切り見栄を張るのはよいかもしれない。自分は掟ポルシェをポルシェに乗せる羽目になったけれど。

 ライブハウスからやり直し、得るものはあったが、三度所属事務所が倒産した。しかし、ここで筋肉少女帯の再結成という話が出てくる。

第8章 筋少復活! それから

  再結成した筋肉少女帯は大型ロックフェスにも出演。観客のニーズに応えられた。また、再結成以前の仕事から繋がって制作したアニメソングがヒットし、かつてのロックのように盛り上がるアニソンの世界にも関わることができた。

 ライブは、緊張して当たり前。失敗は付き物だが、観客は敵ではない。観客席に向ける視線などにも気を配る。MCには鉄板ネタというものが存在する。
 もしもライブで大失敗してスベってしまっても、ウッドストックでのジミ・ヘンドリックスのように、伝説になる可能性だってある。

第9章 それでもサブカルで食っていきたい

  フリーランスとは自由だが、その自由さが辛いという面もある。これに耐えるには、「自分学校」で培った「教養」が必要である。
 上手くできない自分だからこそ、他人に担ぎ上げられてやってこれた。若くして亡くなった友人たちもモチベーションに繋がっている。

 表現活動を仕事にすると言っても、必ず成功できるわけでもない。だから3回まで、「止め時」を用意しておくのもよい。もしも、それらを超えて止められなかったら、そのままずっと生きていけばいい。

続きを読む

ひびき遊『ガールズ&パンツァー3』の感想


(2019年3月読了)

 引き続き、ライトノベルガールズ&パンツァー』の3巻について書く。これにて最終巻となる。例によって概要を示し、それから感想を綴ろう。

概要

 必勝を祈願した“あんこうチーム”ご飯会の直後。早々と後片付けと身支度を済ませて寝床に入った沙織は、チームメイトたちのことを思いながら眠りに落ちていった。

 その少し前。寮に戻る途中だった華は、帰り道に一緒になった優花里を部屋に誘う。珍しく一対一で語り合う砲手と装填手。語らいの中、華は砲手としての未熟を自ら悟る。長砲身で射撃を「当てる」感覚を養ってもらおうと優花里が提案してきたのは、『World of Panzer』――戦車戦を疑似体験できるオンラインゲームだった。
 歴女チーム、ゲーマーチーム、一年生チームもログインして、華にとって初めての仮想空間での戦車戦が始まった。戸惑いながらも、優花里と二人三脚による戦車の操縦を覚えていく華。
 一戦終えて一息ついた時、華と優花里にマッチングをリクエストしてくる2人のユーザーが居た。10対10の戦車戦が繰り広げられる中、挑戦者の1人、イギリスのレア戦車・ブラックプリンスを駆る謎のユーザーは、会話機能で格言を表示させながら撃破を重ねる。4対2に追い込まれる華たち。二転三転する戦いの末、華の砲撃はついにブラックプリンスを捉えた。そして彼女は、自らに欠けていたものを悟るのだった。

 同時刻。冷泉麻子は、『World of Panzer』の画面から目を離した。眠気が来ない。
 彼女が居るのは大洗女子学園内の合宿施設。風紀委員で何かと麻子を目の敵にするソド子――園みどり子が、朝に弱い麻子を思って手配してくれ、風紀委員3人揃って付き添いまでしてくれているのだ。
 眠れない麻子のため、ソド子は夜のジョギングを提案するが、それも効果は今ひとつ。その時、ふと聞こえた怪音に麻子は怯える。しかし、それはバレー部チームが暗闇で練習をする音だった。無断で居残っていたことにソド子は怒る。
 うまくいかない麻子の眠気喚起だが、ソド子は諦めない。彼女もまた、麻子が決勝戦の鍵を握ると理解していた。その責任感の強さは、麻子に自らの亡母――喧嘩別れとなってしまった母を思い出させるのだった。
 またも異音が聞こえ、2人は怯えるが、それは自動車部チームが自分たちの乗る戦車・ポルシェティーガーの手入れをする音だった。やはり無断で居残っていた自動車部にソド子の怒声が飛ぶ。
 疲れ切ったソド子を連れ、麻子は合宿施設に戻った。眠気で支離滅裂なことを言うソド子に、麻子は自分の進路希望について話す。ソド子もまた本心を語り、優勝のあかつきには麻子の総計3桁におよぶ遅刻履歴を消去すると約束した。
 翌朝、風紀委員3人がかりで麻子を起こそうとするが、なかなか目が覚めない。彼女を覚醒させたのは、たった1人の身内である“おばぁ”の、電話での怒鳴り声だった。

 午前5時半。時間ぴったりに沙織は集合場所に着いた。仲間たちも揃っている。隊長のみほは、既に臨戦態勢に入っていた。港から戦車ごと鉄道に揺られ、沙織達は決戦の地、富士山のふもとにある試合会場に到着した。
 試合開始の直前、黒森峰の副隊長・逸見エリカが、みほを挑発する。8対20。大洗女子の圧倒的な数的不利のもと、決勝戦の火ぶたは切って落とされた。
 ほどなく黒森峰の激烈な火力にさらされ、大洗女子は浮き足立つ。みほは「もくもく作戦」「パラリラ作戦」「おちょくり作戦」を矢継ぎ早に指示し、これに対処した。
 大洗女子が川を横断しようとした時、自らのトラウマを抉る事態が発生し、みほは逡巡する。しかし、沙織は、チームのメンバーは彼女の背中を押した。仲間は見捨てない。それが、みほと大洗女子が見出した“戦車道”だった。

 試合は市街戦へと移った。姿を現した黒森峰の超重戦車・マウスに、大洗女子の戦車は相次いで擱座していく。
 しかし、そのマウスすらも陽動と見抜いたみほは、フラッグ車同士の決戦を企図。市街地の中心に急行し、敵フラッグ車であるティーガーⅠを発見した。“あんこうチーム”のⅣ号戦車と、黒森峰の隊長にしてみほの姉、西住まほ達の駆るティーガーⅠとの一騎打ちが始まる。
 自らの実力を上回る者を相手に、みほの心は折れかける。しかし、仲間たちの声が支える。みほの指揮、沙織の地形判断、麻子の操縦技術、優花里の装填、華の砲撃。全てが噛み合ったゼロ距離射撃は、ついにティーガーⅠに白旗を挙げさせた。

 それぞれのやり方で、大洗女子の面々は勝利を喜んだ。ぼろぼろになったⅣ号線車に、“あんこうチーム”の面々は感謝の意を表した。そして、姉は手を差しだし、妹は応じた。
 表彰式。かつて自分たちを訓練してくれた戦車道の教官で、この日は審判をしていた蝶野から、みほは優勝旗を受け取る。祝福に沸く観客席には、これまで戦った各校の隊長達の姿があった。そして、昨年の決勝戦で、水没した戦車からみほが助け出した当の本人からも、感謝の意が明かされた。

 大洗女子は大洗町へ凱旋する。大勢の見物人の中、イケメンが居ないか期待する沙織だったが、仮設スクリーンに流れで映し出された自分達の「あんこう踊り」に慌てふためく。イケメンを射止めるため、来年も優勝しようと心に誓う沙織だった。

続きを読む

ひびき遊『ガールズ&パンツァー2』の感想


(2019年2月読了)

 過日に引き続き、ライトノベル作品『ガールズ&パンツァー』の2巻について、概要と感想を記したい。それでは早速、概要から行こう。

概要

 「第63回戦車道全国高校生大会」第2回戦を前に、武部沙織たち大洗女子学園の戦車道履修者は、学園艦内を改めて探索し、Ⅳ号戦車用の長砲身と、忘れ去られていた戦車2台を発見した。

 新しい戦車に乗る生徒の目処は立たないまま、2回戦は始まる。相手校は、イタリアの戦車で編成されるアンツィオ高校である。大洗女子は、長砲身に換装したⅣ号戦車の待ち伏せ戦術で首尾良くこれを降し、3回戦――準決勝への進出を決めたのだった。

 これまで思い思いのカラーリングでやってきた大洗女子の戦車たちだったが、これまでの試合で塗装が剥げかかったのを機に、オリジナルカラーに戻すことが提案される。その代わり、お互いの識別用として各車にシンボルマークを入れることとなった。
 そんな時、かつて練習試合で胸を借りた強豪校・聖グロリアーナ女学院のトーナメント敗退が報じられ、一同はショックを受ける。

 試合である以上、勝者がいて敗者がいる。その事実は、隊長を務める西住みほに苦い記憶を思い起こさせた。昨年、彼女が戦車道の名門・黒森峰の副隊長として、大会準決勝に出場した際の失策。水没しそうになった自チーム戦車の救出を優先したために、勝利を逃したことが、彼女が大洗女子に転校してきた理由だった。
 秋山優花里は当時のみほの判断を評価し、沙織たちも同意する。勝ち負けよりも大切なことがあるという彼女たちの考え方を、しかし生徒会の面々は肯定しない。「負けたら終わり」という生徒会広報・河嶋の言葉が不穏に響いた。

 新たに発見された戦車のうち1台、ルノーB1 bisの乗組員が募集され、その校内放送を観ながら、沙織たち“あんこうチーム”の面々は昼食を摂る。沙織は、無線のことやチームメイトである五十鈴華の食事量のことなどを考えながら、冷泉麻子が自らの家族の事情を明かし、みほを諭すのを見ていた。

 学校からの帰り際、沙織は生徒会三役にひとり誘われ、会長室であんこう鍋をごちそうになることとなる。生徒会長・角谷杏(かどたに・あんず)によるあんこう鍋は美味だったが、そんなことなど吹き飛ぶ事実を知らされ、沙織は驚愕した。大切なことを隊長であるみほに伝達する役目を、沙織は無茶ぶりされてしまったのだ。
 話を切り出せぬまま、準決勝は明日に迫った。新たに戦車道のメンバーとなった風紀委員3人組ともども、雪中での試合に備え、一同は防寒装備を調える。

 雪原で、準決勝は始まろうとしていた。相手校は、旧ソ連の戦車から成るプラウダ高校。隊長のカチューシャと副隊長のノンナが試合前の挨拶に訪れ、その挑発に大洗女子の面々は憤慨する。
 試合が開始されると、いきり立った一同に押される形で、みほは速攻を選択。それが功を奏したか、大洗女子は立て続けにプラウダ高の戦車を撃破していく。
 が、それはカチューシャの仕掛けた罠だった。追い詰められ、大洗女子はやっとのことで廃教会に立て籠もる。

 プラウダ高の“特使”は大洗女子に土下座を勧告してきた。徹底抗戦か降伏か、判断に迷うみほに、多くの者は降参を勧めようとする。しかし、生徒会の河嶋は頑なに負けを拒否した。
 困惑する生徒達を見て、杏は真実を告げる。全国大会で優勝しなければ、大洗女子の日常は潰える、と。
 みほは落胆する一同を励まし、態勢を立て直すべく指示を出す。応急修理と偵察を終え、準備は整ったものの、天候の悪化で試合続行が危ぶまれる。低下する大洗女子の士気を復活させたのは、みほの恥を忍んだパフォーマンスだった。

 天候が回復し、大洗女子にとっての最後の賭けである「ところてん作戦」が始まる。息詰まる接戦を制したのは、彼女たちだった。高飛車だったプラウダ高の隊長カチューシャは、ついに大洗女子を認め、みほに握手を求めた。

 準決勝翌日。気が抜けてしまったものの、沙織は翌日に迫った試験の準備に追われていた。アマチュア無線二級。通信手として、やれることを考えた末の挑戦だった。助けを求められて訪れた麻子と、二人三脚の試験対策が続く。
 試験の次の日。疲れ切った沙織はそれでも、華が母――華道の家元で戦車道を嫌っていた――と和解したという話を聞いて喜んだ。

 以前見つかりレストアされていた戦車・ポルシェティーガーが、整備を担当していた自動車部の操縦によって試合に加わることとなり、さらに再度の戦車捜索で見つかった三式中戦車も、戦車ゲームで鍛えたという沙織の同級生の猫田らゲーマー3人によって戦力化される。
 これで大洗女子の保有戦車は8台。既存の戦車の一部にも義援金をつぎ込んだ改造パーツを取り付け、決勝戦の準備は整った。

 決戦を明日にひかえ、みほの言葉に一同は奮起する。その夜、沙織の部屋で催された“あんこうチーム”のご飯会では、ゲンを担いでトンカツが饗され、沙織の努力が見事に実を結んだアマチュア無線二級の免許が話題に花を添えた。彼女たちだけでなく、大洗女子の8チーム全てが、それぞれのやり方で明日の勝利を祈っていた。

続きを読む
プライバシーポリシー /問い合わせ