何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

メーテルリンク原作/中村麻美 翻案・画『チルチルの青春』の感想

チルチルの青春

 以前、『川の深さは』について書いた時に少し触れたが、私は『うしおととら』『からくりサーカス』などを描いた藤田和日郎の漫画を、相当に愛好している。

 現在は『双亡亭壊すべし』を連載している藤田氏だが、その1つ前の連載、2008年から2014年にかけて描かれた『月光条例』は、全ての“物語”を巻き込んだ物語だった。
 同作の中でとりわけ重要な意味を持っているのが『竹取物語』と『青い鳥』なのだが、その『青い鳥』に続編があるということを、私はこの連載漫画の最終盤で初めて知ることとなった。思わず周囲の人にも聞いてみたのだが、やはりこの続編『チルチルの青春』――原題の直訳は『いいなづけ』だという――を知る人はいなかった。

 そのため藤田氏の創作かとも思われたが(同作では、作中にしか存在しない物語が巧みな演出となっていたりもするので)、Amazonで検索してみると確かに実在していた。その後に知り合った方が、幸運なことに作中に登場したものと同じ本書を所蔵しておられ、この度これをお借りし、ついに読むことができたという次第である。
 表紙に「翻案」とある通り、元は『青い鳥』と同じく戯曲だったものを、本書は小説として再構成してある。『青い鳥』の方は戯曲のまま翻訳され、文庫本になるほど普及しているのに、続編は現在この翻案本くらいしか読めないというのは残念な感じがするが、物語を知ることができるだけ有難いと言うべきだろうか。
 英語版であれば、戯曲そのままがペーパーバックで読めるようである。それほど長い話でもないし、手にする機会があれば読んでみたい。

 前置きが長くなったが、あらすじを示そう。

あらすじ

 青い鳥を探す旅から7年後、16歳になったチルチルは、木こりの父を手伝いながら家族で暮らしていた。ある夜、彼のもとを再び妖精ベリリウンヌが訪れる。彼女はチルチルに、今度は“ほんとうの花嫁”を探す旅に出なければならないのだという。
 サファイアの付いた帽子の力で、花嫁の候補となる少女たち――いとこで木こりの娘のミレット、もう1人のいとこで大人びた肉屋の娘ベリーヌ、活発でおちゃめな宿屋の娘ロッゼル、無口だが優しい粉屋の娘エイメット、哀しげな黒目がちな瞳をした物乞いの娘ジャリーヌ、たてロールのプラチナブロンドで薄紫の瞳をした市長の娘ロザレッル、長く白いベールを身に付けたチルチルが名前を思い出せない少女――を呼び寄せたチルチルは、彼女たちとともに、ベリリウンヌに導かれ旅立つ。
 守銭奴の家、ベリリウンヌの宮殿での“光”との再会を経て、チルチルたちは先祖の国を訪れる。大先祖まで遡ってチルチルの花嫁を探そうとしてくれるが、確かなことはわからない。先祖たちの勧めで、彼らは次に子孫の国を訪れる。そしてついに子どもたちの母親、すなわちチルチルの花嫁が明らかになった。
 チルチルは自分のベッドで目を覚ます。全ては夢だったかと思われたが、未来の花嫁は彼と同じ夢をみていた。2人の新しい1日が始まろうとしていた。

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森鴎外『阿部一族・舞姫』の感想


(2004年11月読了)

  鴎外の処女作、擬古文の「舞姫」を巻頭に収録した短編集である。他に同じく擬古文体の「うたかたの記」、以下は言文一致体の「鶏」「かのように」「阿部一族」「堺事件」「余興」「じいさんばあさん」「寒山拾得」とその付記「附寒山拾得縁起」を収める。
 まずは各作品のあらすじを記す。

あらすじ

 舞姫。ドイツからの帰途にある「余」(太田豊太郎)の心は、悲痛に満たされていた。父を早くに亡くしたが、学問の道を邁進してきた「余」は、無事に法学士となって某省に出仕し、公費留学の命を受けてベルリンに来た。手続きを済ませ、しばらくは留学の本分をこなしていたが、大学の自由な学風に触れた「余」は、母や勤め先の官長に言われた通りの道を進んできた自分に疑問をおぼえ、歴史や文学に傾倒していく。このことは留学生という「余」の地位を危うくし、留学生のある一団は、遊びの付き合いの悪かった「余」を疑い、そしるようにもなった。日本を出る時は豪傑だと思っていた「余」は、実は臆病であることを自覚する。積極的に交際などできようはずもなかった。
 ある日、散歩していた「余」は、寺院で声を殺して泣く少女に出会う。父が死に、その弔いをする金もないと聞いた「余」は、少女を老母の待つ彼女の家まで送り、勤め先の座長にも無理難題を突き付けられた彼女のために、当座の金を工面する。これを切っ掛けに、彼女――美しい踊り子エリスと「余」の交際は始まった。
 同郷の留学生が「余」は女優と交際していると官長に伝えたことで、「余」の留学生活は危うくなり、同時に母の死を知って深く悲しむが、貧しさから充分な教育を受けられなかったながらも聡明なエリスとの清い交際は、「余」を強く惹きつける。「余」の免官を知った天方伯爵の秘書官・相沢謙吉の手回しで新聞社の特派員となり、エリス達と同居することで「余」の生活はひとまず安定した。貧乏と新聞社の仕事によって「余」のアカデミックな学問は荒廃したが、ジャーナリズムの見識は大いに伸長した。
 明治21年の冬、エリスは妊娠の徴候を示すが、「余」は天方大臣に随行してベルリンにやってきた相沢に呼び出され、事情を知った彼から、学識と才能ある「余」がいつまでも無目的に暮らすべきでないとエリスとの別離を勧められる。「余」はこれを承諾するが、天方の通訳としてロシアに同行している間、エリスから送られてきた手紙に接してふたたび葛藤する。
 ベルリンに戻った「余」を、赤子が生まれてくる準備を整えたエリスが迎える。しかし、天方から学問を見込まれ、共に帰国しないかという申し出をつい受けてしまった「余」は懊悩し、深夜まで雪降る街を茫然と彷徨って帰宅する。それが崇り、「余」は倒れてしまうが、目を醒ました時、看病していたエリスの容貌は変わり果てていた。「余」の意識がない間、相沢が家の経済的援助をしてくれていたが、その折に「余」がエリスと別れ帰国することを約束したと伝えてしまったのである。エリスは精神に治し難い傷を負ってしまった。「余」の体は治り、天方らとともに帰国の途に就いた。狂えるエリスの母にようやく生活できるくらいの元手を与え、子が生まれる時のことも頼みおいて。「余」は相沢を良き友と感じながらも、脳裏には彼への憎しみが残っている。
 うたかたの記。ドイツ・バイエルン王国の首都にある美術学校には、各国からの美術学生が集っていた。そこの学生エキステルに連れられカフェにやってきた日本の画学生・巨瀬は、店の中央のテーブルにいる少女と目を合わせて互いに驚く。ドレスデンからやってきた巨瀬は、以前にもミュンヘンに来た事があり、その時、謝肉祭が始まろうとする街で助けたすみれ売りの少女を元にしたローレライの絵を完成させようと思って来たのだった。そのすみれ売りの少女とは、中央のテーブルの少女、マリ―に他ならなかった。彼女はかつての親切に感謝し、巨瀬に接吻し、周囲の学生たちには水を吹きかける。そうした振る舞いに周囲の者は彼女を「狂人」と呼ぶのだった。エキステルによれば、彼女、マリ―・ハンスルは美術学校のモデルをしているが、裸体のモデルはせず、博学、美人にしてエキセントリックな性格でファンも多いという。
 美術学校にアトリエを構えた巨瀬は、マリーを呼ぶ。改めてすみれ売りの少女が自分だと言う彼女は、その半生を語った。
 マリーの父は、現国王ルートヴィヒ2世に評価された画家だった。しかし、母が王に懸想され、妻を守ろうとした父はほどなく病死し、母も病を得、マリーはすみれ売りをするようになったという。母も死に孤児となった彼女は、世話を申し出た上階の裁縫師が紹介した男に連れられスタルンベルヒ湖に行くが、そこで逃げ出し、畔の漁師夫婦の養女となった。イギリス人の家政婦をしていた時、そこの女性教師から教育を受けられた彼女は、美術学校の教師に見いだされ、モデルとなったのだった。彼女が狂ったふりをしているのは、行儀の悪い芸術家から距離を置くためだという。
 マリーに誘われ、巨瀬はスタインベルヒ湖に向かう。馬車でレオニに向かう途次、大雨の中でマリーは想いを語り、巨瀬と心を通わせる。レオニについた2人は、レストランが開くまで小舟に乗ることにする。
 町の外れの岸辺近づいた時、そこには狂王となったルートヴィヒが侍医グッデンを連れて散歩に来ていた。マリーの母への想いをつのらせた王が、マリーを母と思い彼女に襲いかかると、マリーは気を失い湖に投げ出されてしまう。侍医も国王を止めようとするが敵わず、2人とも湖に沈んでいった。巨瀬はマリーを助けるが、湖水に落ちた時に杭で胸を打っていた。マリーの養父母であるハンスル家に担ぎ込んで介抱するが、再び目を覚ますことはなかった。
 西暦1886年6月13日の午後7時、バワリア王ルートヴィヒ2世は湖で溺れ、助けようとした老侍医グッテンと共に落命した。美術学校でもこの話題で持ち切りとなり、巨瀬の行方を心にかける者などいなかったが、エキステルだけは気にしていた。15日、王の棺がミュンヘンに移された日、エスキテルは巨瀬のアトリエに行ってみた。彼は憔悴し、ローレライの絵の前に跪いていた。国王死すの噂のために、レオニの漁師ハンスルの娘が同じ日に溺れて死んだということを弔う者などいなかった。
 「鶏」。6月24日、少佐参謀として、ひとり小倉に着任した石田小介。住む家を決め、時という老女中を雇い、別当の虎吉、従卒の島村と「まるで戦地のような」暮らしを始める。元部下だった麻生が土産に雄鶏を持ってきたので、石田は雌鶏を買ってきて飼い始める。虎吉も自分で雌鶏を2羽買ってきて一緒に飼うことになる。
 やがて雌鶏は卵を生むが、虎吉は自分の鶏だけが産んだように言う。しかし時は、石田の鶏も生まないことはなく、それを虎吉は全て自分の鶏のものだと言い張るのだと指摘する。石田は放っておいた。隣家の女は、畑を持たずに鶏を持ってはならない、時や虎吉が勝手の物や馬の麦をごまかしているなどとPhilippica(フィリピッカ;攻撃演説)を繰り広げ、石田に家を貸している薄井の爺さんも攻撃するが、石田は微笑を浮かべて見守る。
 数日後、たまたま会った中野少佐から、時の不審な行動を教えられた石田は、時を辞めさせ、その代わりを探す。幾人かが家に出入りして、結局は、16歳くらいの元気者で、男のような肥後言葉を使う春だけを使うことになった。
 7月31日、卵から雛が孵る。1か月の勘定を払ったついでに石田は出費を調べてみるが、予想よりも多い。石田はお時のことを思い出す。暑中見舞いや陰暦七夕、盂蘭盆などを過ごして8月末になると、やはり勘定がおかしい。その原因は虎吉だと春は言う。卵の件を他にも敷衍していたのである。石田は特に咎めもせず、道具を新調し、これまでのものは中味ごと虎吉に譲った。
 「かのように」。子爵の家に生まれた五条秀麿は、文科大学の歴史科を優秀な成績で卒業したが、神経衰弱気味で親に心配をかけている。卒業後、ヨーロッパに留学したが、その時は精神も復調し、ドイツの神学者アドルフ・ハルナックが、神学上の矛盾なく国王の政治を補佐して活躍していることへの感動を手紙で報告してきた。
 宗教を信じるには神学は不用で、学問をする者に有用(同時に、そうした者に信仰はない)である。しかし信仰と同時に宗教を否定する者は危険思想家であり、神学によって、宗教の必要だけは認める穏健な思想家が出現したことを秀麿は称賛したのだった。
 秀麿の手紙を読み、父は学問と宗教の関係について、自分はどうかと考える。多少の学問を修め、祖先から受け継いだものとして微かな信仰はあるようだ。すると、教育(学問)は信仰を破壊すると言えるのではないか。今の教育を受けて、神話と歴史を1つにして考えていることはできない。だが、その考えの先には、恐ろしい空虚があるのではないか。世間の教育を受けた者は皆、その危険に無頓着で、信仰のないまま、信仰の形式だけは保っているということではないだろうか、と。この問題に深入りはせぬまま、父は息子に返事を書いた。
 書物をたくさん持って帰国すると、秀麿は自分の研究を「当分手が著(つ)けられそうもない」として、部屋に引きこもって本ばかり読むようになった。母は息子の体調を心配し、父は神話と歴史の区分をめぐって息子と様子を見合っている。秀麿の研究しようとしている歴史の分野は、まさに神話との境界を判然とさせなければ進めようがない。その作業は容易だが、周囲の状況が許しそうもない。秀麿の心は、小間使いの雪を見ている時だけ唯一爽快を覚えるのだった。
 そこへ洋画をやっている友人の綾小路がやってきた。秀麿は綾小路に『かのようにの哲学(Die Philosophie des Als Ob)』という本を見せる。それによれば、人間が構築した学問はことごとく事実そのものでなく、そこに「かのように」という土台を置かざるを得ないのだという。これを踏まえて秀麿は、歴史を記述する際に自分が危険思想を持っていると(とりわけ父に)見做される恐れを口にする。
 綾小路に促され、秀麿は自己弁護の言葉を紡いでみるが、綾小路は言下にそれを否定する。そして八方ふさがりになった秀麿に、なぜ父と妥協せず、打破すべく突貫しないのかと叱咤するのだった。
 阿部一族寛永18(1641)年、肥後藩主・細川忠利は病を得、56歳で亡くなった。内藤長十郎、津崎五助など、側近たちが生前の忠利に願い出て許され、殉死していく中、老臣の阿部弥一右衛門は殉死を許されなかった。何となく弥一右衛門を掴みかねていた忠利は、弥一右衛門の望みに応えず、新藩主である嫡男光尚の補佐をせよとだけ言って亡くなったのだった。
 生き残った弥一右衛門を見る周囲の目が、なんとなく変わった。殿の許しが出なかったことを幸いに、命を惜しんでいるのではないか、というのである。心外に思った弥一右衛門は弟や子供たちを集め、その面前で切腹した。しかし、今度は殿の遺命に背いたと見做され、阿部家は俸禄分割の扱いを受ける。そんな中やってきた忠利の一周忌法要で、弥一右衛門の嫡子・権兵衛は突如として髻を切ってしまう。先の処分は自分の不肖なるが故のものと考え面目の無さから事に及んだと話す彼は、しかし切腹ではなく奸賊のように縛り首に処される。
 度重なる恥辱に、遺された阿部一族はついに死を覚悟して屋敷に立てこもった。藩の討手が迫る中、邸内を掃除し、酒宴をし、老人や妻子は先に死を選ぶ。隣家に住む柄本又七郎、討手の指揮役となった竹内数馬らの思いが交錯しつつ死闘が繰り広げられ、阿部一族は全滅、その家来も多くが討死した。
 「堺事件」。1868年、戊辰戦争のさなか、幕府の弱体化によって無政府状態となった土地について、朝命により諸藩の兵が取り締まることとなった。堺を預けられたのは土佐藩兵であった。その堺に、大阪からフランス兵が回航してくるとの報せが入る。果たして湊から上陸したフランス兵と土佐藩兵との間で小競り合いとなり、水兵13人が死者となった。フランス公使レオン・ロッシュは損害要償に乗り出し、謝罪とフランス兵の家族への扶助料の支払い、そしてフランス兵を殺害した隊の士官および兵22人を死刑に処するよう求める。
 しかし、土佐藩兵への取り調べは半ば度胸試しのような色彩を生じ、フランス兵に射撃し殺したという士卒は隊長4人を含めて29人に及んだ。致し方なく、くじ引きによって死刑となる16人が選ばれることとなった。16人は死はもとより覚悟しているが、不名誉な死刑は受け入れられない。大目付に詰め寄り、ついに切腹士分への取り立てを認められる。
 死を前にして、20人の心をは穏やかだった。やがてフランス公使らが立ち会う中、20人の切腹が始まる。順々に腹を切っていく男たち。だが、12人目の橋詰愛平が腹を切らんとした時、既に驚きと畏怖に支配されていた公使は席を立ってしまう。
 公使が残り9人の助命を申し立てたため、彼らの切腹は中止となり、預かりとなった先で非常な優待を受けた9人は国元へ帰された。切腹した11人の苦痛に準ずる処分として、袴着帯刀のまま流罪を申し付けられるが、数か月後に明治天皇即位の特赦によって許された。士分取扱い、とはならなかった。
 「余興」柳橋の料亭・亀清(かめせい)で開かれる同郷人の懇親会に出席した「私」。ここには鼠頭魚(きす)というあだ名の、顔見知りの芸者も来ていた。今日の余興は、武士道鼓吹者の辟邪軒秋水なる男による「赤穂義士討入」の浪花節である。幹事の畑少将は大好きだが、「私」には苦痛な時間が流れる。
 ようやく余興が終わると宴会が始まる。鼠頭魚は「大変ね」と笑う。酌をしに来た若い芸者が「私」を浪花節の愛好者であるかのように言うのを聞き、一瞬いらっとした「私」だったが、他者の無理解に対する己の不寛容を悟って反省する。また鼠頭魚がやってきて、少し心配してくれた。
 「じいさんばあさん」。江戸後期の文化6(1809)年春、大名・松平左七郎乗羨の邸内にある明家が修復され、じいさんとばあさんが暮らし始める。仲睦まじい2人は夫婦か。兄妹という人もいる。裕福ではないが不自由のない隠居暮らしをして、時おり昔を偲ぶ場所に出かけている様子でもある。ばあさんは江戸城からの歳暮拝賀で銀10枚を貰ったりし、評判が高くなった。じいさんの名は美濃部伊織、ばあさんはその妻で、るんといった。
 明和4(1767)年、若かりし伊織は親戚の世話により、るんを娶った。2人は良い夫婦となった。やがて大番組となった伊織は、臨月のるんを残し、単身で江戸から京都へ向かう。京都の刀剣商で、伊織は質流れの古刀を見出した。150両の代金を130両に負けさせたが、あと30両が足らない。その30両を、普段それほど付き合いのない下島甚右衛門から借り、伊織は刀を手に入れた。が、その刀の披露に呼ばれなかったことに下島は不平を露わにし、それが発端となって伊織は下島を斬りつけ、死なせてしまう。
 この罪により、伊織は越前国の“お預け”となり、るんは親戚や武家奉公して暮らした。るんが奉公から隠居し、伊織の罪が許され、2人は37年ぶりの再会を果たしたのだった。
 寒山拾得。唐の貞観の頃、に閭丘胤(りょ・きゅういん)という官吏がいた。台州の主簿(太守)となった閭は、国清寺という寺を訪ねる。というのも、彼が長安に居た頃、その頭痛を治してくれた豊干という僧がここの者で、その豊干が言うには、この寺の拾得は普賢で、寒山文殊とのことだからである。
 世の中には、“道”や宗教に対する態度が3つある。1つは無頓着、1つは積極的、もう1つはその中間である。この中間の態度の人は、詳しい人を盲目的に尊敬するが、それは何にもならないのである。
 さて、寺を訪れた閭は、道翹(どうぎょう)という僧に迎えられる。道翹から豊干や拾得、寒山のことを聞き、拾得と寒山には実際に会うこともできたが、閭にはどうもピンとこなかった。
 付記「附寒山拾得縁起」。我が子に尋ねられ、鴎外は寒山・拾得の話をする(その話を元に特に参考文献などを見ないで「寒山拾得」は書かれた)。子どもには特に、寒山と拾得がそれぞれ文殊や普賢であるということが納得できなかったようで、鴎外もその問いへの答えには苦慮した。

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新海誠『小説 君の名は。』の感想

 映画の公開に先立ち、読んでみることにした。新海誠の映画は恐らく全て観ているが、特にファンというわけでもない、と自分では思っている(けれど公開初日に見に行こうとしているのは、やはりファンを自称すべきだろうか)。
 ともあれ、以前から『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』と監督作品の小説を自ら手掛けている新海監督だが、それをしっかりと読むのは初めてである。

 以下、まずはあらすじから。

あらすじ

 東京都心で暮らす立花瀧は、ある朝、違和感とともに目覚める。山と湖が間近に迫った町で、瀧は三葉という少女として目覚めたのだ。混乱とともに里の1日を過ごす瀧。
 湖に臨む糸守という田舎町で暮らす宮水三葉は、ある朝、違和感とともに目覚める。東京のど真ん中で、三葉は瀧という男子高校生として目覚めたのだ。困惑しながらも、学校、放課後、バイトと、三葉は都会の高校生生活を謳歌する。
 瀧と三葉。互いが書き残した記録から、眠ることによって不定期に“入れ替わって”しまうことに気付いた2人は、ルールを定めて都市と田舎の入れ替わり生活を続ける。建築に興味を持ち、カフェ巡りやイタリアンレストランでバイトの日々を送る瀧。巫女の家系に生まれ、祖母や妹と神事を行い、家を出て政治の世界に行った父との間に確執がある三葉。伝言文で罵声を浴びせ合いながらの奇妙な交代生活の日々は、それでも2人の心を浮き立たせながら過ぎていく。
 しかし、その日々はふとしたことから終わりを迎える。ティアマト彗星。1200年ぶりに地球を訪れる彗星が、2人を分かつ。時間も空間も隔たった処から、瀧は三葉を探す。すれ違っても、互いを忘れてしまっても。それは、断ち切るには余りに強い結びつきだった。

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ほしおさなえ『活版印刷三日月堂』の感想

 1つ前の『終業式』と同じように、Twitter上で言及されているのを複数回見て、たまには最新刊を読もうと思い手に取った。活版印刷を営む若い女性を中心に描かれた連作短編集である。
 活版印刷というと、思い出す事が2つある。あらすじの前に、それを書き留めておこう。
 1つは、高校の新聞部に居た頃に年2回の頻度で作っていた活版新聞である。
 通常は部室で版下を作って印刷室の印刷機で作っていたのだが、2学期と新学期の頭に、近所の活版屋さんに頼んで活版印刷で8面ほどの新聞を作っていた。わざわざ活版屋に入稿する必要のある活版新聞は、通常のものよりも作るのに時間がかかり、当時の私はあまり好きではなかったのだが、今になって思えば相当貴重な経験だったのだろう。
 もう1つは、父方の祖父の記憶である。
 祖父は私の生家のほど近くに住んでおり、私が幼い頃は、そこでごく小規模な印刷業を営んでいたようだ(それが本業だったのか、今となっては分からない)。上がり框の傍らに、本書p.217の写真のような小型印刷機――手キン(私も名前は本書を読んで初めて知った)――を置いて、近所の個人や店舗の名刺や年賀状などを刷る、本当に小さな印刷屋だった。両親が共稼ぎだった私は、しばしば祖父の家に預けられたものだが、戦争から帰って急に酒好きになったという、私の知る限り概ね笑顔だった祖父が、ゆいいつ真剣な表情を見せる印刷の仕事を見るのは好きだった。祖父は私に活字の大きさやら並べ方やらを手解きしてもくれ、思えば私の編集者人生のようなものはその時からと言えるかもしれない。
 さて、前振りが長くなったが、各話ごとのあらすじを示す。

あらすじ

 世界は森。川越の街の配送会社で働く市倉ハルは、ある日ジョギング中、閉店した活版印刷所・三日月堂に越してきたという、かつての店主の孫娘・弓子と出会う。ハルと同じ会社で働き出した弓子だったが、ハルの息子・森太郎(しんたろう)の卒業祝いの話から、三日月堂印刷機を動かすことになる。
 一方ハルは、北海道の大学へ行く息子の独り立ちに、寂しさを抱く。しかし、弓子の尽力で感性した森太郎の卒業祝いは、親子のわだかまりを解きほぐす。そしてまた、今度の仕事で祖父の後を継ぐことを決めた弓子は、三日月堂を――活版印刷の再開を決意するのだった。
 八月のコースター。川越一番街のはずれで、伯父の後を継いで珈琲店〈桐一葉(きりひとは)〉を営む岡野は、店を自分のものとして運営できているのか悩んでいた。相談に乗った川越運送店一番街営業所所長のハルは、ショップカードを作ることを勧め、三日月堂を紹介する。
 弓子と打ち合わせをするうち、高浜虚子の句からとった店名の「桐一葉」から、岡野は回想する。自身も俳句をやっていたこと、そして学生時代の俳句サークルの後輩・原田のこと、そして亡くなった伯父のこと。
 ショップカードは出来上がる。そして弓子のアイディアで作ったコースターも。常連客の声を聞いて、岡野の心は軽くなった。
 星たちの栞。川越にある私立鈴懸学園の教師・遠田真帆は、立ち寄った喫茶店で虚子の句が書かれたコースターを目にする。店主から三日月堂の話を聞いた真帆は、顧問をしている文芸部の部員である村崎小枝、山口侑加の2人を伴い三日月堂を訪れる。
 見学をきっかけに、三日月堂は鈴懸学園の文化祭“すずかけ祭”に出張ワークショップを出すこととなり、文芸部ともども準備が始まる。
 活版印刷の栞を盛り込んだ展示など、文芸部の準備が進められるが、部誌に載せる侑加の原稿が出来上がらない。原稿をめぐる小枝と侑加の関係に、真帆は大学時代に演劇部で一緒だった桐林泉のこと、共に演じた『銀河鉄道の夜』のことを思い出す。
 出張ワークショップのリハーサルを経て、すずかけ祭が始まる。生徒たち、自分と泉の「ほんとうのさいわい」について、真帆と弓子は考える。大盛況ですずかけ祭が終わると、真帆は、演劇を続けている泉の公演に久しぶりに行くことを決めるのだった。
 ひとつだけの活字。川越の市立図書館で司書をしている佐伯雪乃は、幼なじみの宮田友明との結婚を間近にひかえている。後輩に教えられ、鈴懸学園の文化祭で行われた活版ワークショップを訪れた彼女は、祖母の遺品の活字セットを使って結婚式の招待状が作れないかと考えるようになる。ワークショップで知り合った弓子に話を持ちかけるが、平仮名・片仮名それぞれ1セットしかない活字だけで招待状を組むのは難しい。それに友明には別のプランもあるようだった。
 弓子に誘われ、雪乃は祖母の父が営んでいた平田活字店を知る大城活字店を訪ねるが、名案は浮かばない。そんな中で雪乃が思うのは、幼い頃から今までの友明のこと。彼女の追憶に沿うように、弓子もまた自身の来歴を語るのだった。
 招待状は雪乃・友明のプランを折衷したものとなり、2人は文案を練る。遠い過去のわだかまりも解消され、1つずつしか仮名が使えない活字での2人だけの文面は、無事に完成した。

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姫野カオルコ『終業式』の感想

 Twitterで幾人かが読んでいるのを見て、興味を惹かれて読む。ちょうど『錦繍』について書いて、現代で書簡体小説は可能か、ということを考えていたこともあって気になったのである。

 なぜ気になったかといえば、この小説は手紙やそれに準ずるものだけで構成されているためで、そこから現代の書簡体を考える手掛かりになりそうだと考えた、というわけだ。
 ちなみに、読んだものは角川文庫版だが、表紙のデザインが異なり、もっとイラストチックなものだった。私が手に取った方が新しい版なのだと思う。
 書簡体小説がらみの私の思惑がどうなったかは置いておいて、まずはあらすじを示そう。

あらすじ

 差し出された、あるいは書かれながらついに出されなかった、無数の手紙、葉書、FAX、メモ等が物語る。
 地方(恐らくは静岡県)にある濤西高校2年生の八木悦子は、親友の遠藤優子や、気になる男子の都築宏、その悪友の島木紳助たちと日々を過ごす。テスト、教師への憧れ、文化祭、そして初めての両想い。
 卒業を迎え、ある者は無事に進学、ある者は浪人と、離れ離れになっていく彼ら。新しい出会いと恋、深まる孤独、すれ違いや行き違い。しかし、その中でも、直接のやり取りができなければ、友人が仲立ちするなどして、音信は続いていく。
 やがて彼らは社会に出る。早々に身を固める者。道ならぬ恋情に身を焦がす者。自己実現に向けて転職する者。心に深い傷を負う者。またもすれ違いを経て、新たに2つの結婚が成立した。
 しかし、結婚とゴールはイコールではない。少しの違和感、あるいは忘れ得ない想い。それらを織り込んで、それぞれに変化は訪れる。そしてまた、3組の夫婦が生まれた。あの手紙をやり取りしていた頃から、20年が経っていた。

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