何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

亀井秀雄 監修/蓼沼正美 著『超入門!現代文学理論講座』の感想


(2018年11月読了)

 書棚にあったものを、掃除の片手間にふと手に取り、読んだ。本書が属する「ちくまプリマー新書」は、主に高校生程度の読者を想定したものだが、入門書として大人が読んでも差し支えないものが殆どであろう。
 内容としては、4つの現代文学理論を解説し、ひいては「主人公の気持ちにピタッと寄り添」うことが規範とされている(本書p.8)らしい、学校における国語教育に一石を投じたもの、と要約できそうである。ここでいう「現代文学理論」とは、20世紀になって登場してきたものという理解でよさそうだ。
 大学は文学系の学部だったくせに、こうした理論を概説するような授業はあまり受けなかった。そのため、ここに収められた理論が、今日の文学研究においてどれほどの評価を得ているか、それら以外の理論がどれだけ存在するのか、という問いには今のところ私は答えられない。
 ただ、このブログ(『何か読めば何がしか生まれる』)が、物語や読書というものに関わったものである以上、その辺りに完全に没交渉というのも不甲斐ない。3年以上も続けておいて今更ではあるものの、何か得られるものはあるだろうと思い、読み進めた。まずは以下に概要を示したい。

概要

第一講 当たり前が当たり前でなくなる瞬間――〈ロシア・フォルマリズム
 谷川俊太郎の詩「わたし」には、都々逸(例えば「月は十五で/円くはなれど/主の心は/まだ四角」)のような、言葉の物質的な構造を追求した面白さがある。そのような、言葉の構造のみに目を向け、それ以外(作者の来歴や社会的背景など)は無視する研究態度を、旧ソ連の提唱者たちにちなんでロシア・フォルマリズム形式主義)と呼ぶ。

 小学校の教材にもなっている谷川俊太郎の別の詩「いるか」もまた、純粋に「言葉だけで」試みられた詩である。しかし国語教育の現場では、定型的な(父権主義的な?)読みばかりが薦められている。
 ロシア・フォルマリストが関心を寄せたのは、対象を日常から切り離した時に生じる――「泉」で有名なマルセル・デュシャンの言った「レディ・メイド」のような――「異化作用」だった。小説の領域では、伊藤整の『機構の絶対性』にも同種の試みがみられる。

 「異化作用」の目的とは何か。フォルマリズムの提唱者の1人である旧ソ連の文芸評論家ヴィクトル・ボリソヴィッチ・シクロフスキーによれば、それは、当然のものとして見過ごしてきたもの(日常/認識)を再検討し、知覚や意識を覚醒・活性化させる(非日常/見ること)ことである。

 どのように「異化作用」を引き起こすか。一つには、知覚への衝撃を与えること(対象の極端な拡大・縮小、即物的(ザハリッヒ)な描写、なぞなぞ、など)がある。野間宏の『暗い絵』のような執拗な描写を塗り重ねる文体や、白岩玄の『野ブタ。をプロデュース』のタイトルの「。」なども「異化作用」をもたらす手法と言える。
 〈テクスト〉を読む際に「当たり前」に「認識」するのではなく、立ち止まり再検討する「異化作用」的な読み方は、新たな可能性を拓く可能性を持っている。

 現代では「異化作用」が一般化され、奇を衒うような作品が量産されている。この在り方自体を「異化」する必要がある。ロシア・フォルマリストは、芸術の刷新は、前時代の手法の再発見という形をとると考える。流行が繰り返すように、「異化作用」の新奇さも繰り返すということになる。

第二講 辞書にも文法書にも載っていないことばのルール――言語行為論
 イギリスの哲学者ジョン・ラングショー・オースティンは、著書『言語と行為』で〈言語行為論〉を提唱した。これは、従来の言語哲学から取り落とされていた、「真」や「偽」に分類されるのが適当でない、日常の中での言葉に着目したものである。例えば「この船は『エリザベス号』と言います。」という発言(〈事実確認的発言〉)は、その真偽を問題にするが、「私は、この船を『エリザベス号』と命名する。」という発言(〈行為遂行的発言〉)は、それが社会的に妥当であるかという適切さを問題とする。
 アメリカの言語哲学者ジョン・ロジャース・サールは、オースティンの考えを継承し、日常的な言葉(例えば「塩を取れますか?」のような)の「場面」と「意図」について研究した。

 オースティンは発話による行為を3つに分類した。発話行為(発話する行為そのもの)、発話内行為(発話することで行われる発話以外の行為)、発話媒介行為(発話の結果、相手に対して間接的に作用する行為)である。このうち、発話媒介行為のみが、相手によってその内容が異なる(同様に「明日行きます」と言っても、喜んだり困ったりする)ことになる。

 サールは、「試合に勝った」や「結婚した」など規則や法律など人為的なものによる事実を「制度的事実」と呼び、「満月だった」「鳥が鳴いていた」など制度を前提としない事実を「生の事実」と呼んだ。このうち「制度的事実」は、その場に相応しい「話題」や「用語」などを規定する「言説規則」により、知らず統制されている。

 サールはまた『言語行為』の中で、規則を2つに分類している。1つは行為に対して一定の秩序を与える「統制的規則」、もう1つはスポーツやチェスのルールのように競技を統制すると同時にそれを行う可能性を創造する「構成的規則」である。先述の「制度的事実」とは、この「構成的規則」を前提とした事実だと言える。

 以上のような考え方に基づけば、芥川龍之介の「羅生門」は、「統制的規則」が失われた世界で、下人が老婆にその事実を突き付けられる物語ということになる。
 痩せ衰えた老婆が、自身の行為を詰問した下人に期待したのは、「弁明/免罪」という「言語規則」だった。が、老婆の言葉を受けた下人の「発話媒介行為」は、彼女にとって好ましくなかった。
 「統制的規則」が失われたと悟った下人の行動は、日常的な会話というものを規定する「構成的規則」の喪失すら示しており、その日常言語の全面的な崩壊が読者にショックを与えるのである。
 このように、言語行為の視点からテクストを読むことで、登場人物の心理を考えるだけでは至らない読みを開拓することができる。

 オースティンの言語行為論は日常会話を対象として考えられたものであり、小説など虚構の会話を想定されてはいない。しかし、虚構に応用することで、テクストの有効性と、言語行為論の有用性を確認できる可能性がある。
 言語学者時枝誠記は、言語的表現行為が「場面」によって制御されていると主張した。それによれば、下人は相手が老婆という「場面」に接したからこそ、ああした発話を行ったと言える。劇的である分、日常会話よりも虚構の方が理論の表れを捉えやすいことがある。

第三講 読むことのダイナミズム――〈読書行為論〉
 宮澤賢治の「茨海(ばらうみ)小学校」は、“読者は作品という情報の受け手”という読者イメージを改めるのに格好の作品である。
 同作は、農学校の教師である「私」が火山弾の標本や野生の浜茄子を見つけるために出かけた、茨海の高原で遭遇した出来事を描いた作品。高原で「私」は、茨海狐小学校という狐の学校に迷い込む。狐の校長先生に会ったり、午後の課業を見学したり、せっかく見つけた火山弾を強引に寄付させられたりし、混乱して帰ってきたところで物語は終わりを迎える。

 物語が語られるためには、「語り手」が不可欠であり、「作者」と「語り手」はイコールではない。また「語り手」による物語には、「始まり―中間―終わり」という基本構造がある。
 「語り手」と同時に、物語には読者とイコールではない「聞き手」も存在する。「茨海小学校」の「私」も夏目漱石の『坊っちゃん』の「おれ」も、読者ではない「聞き手」を内包して物語っている。
 そうした物語の対話的(dialogic)な有り様に対し、国語教育における〈読書行為〉とは語られた内容の理解が第一であり、「読者」は一元的なものとされてきた。が、「茨海小学校」が示すように、読者は「語り手」「読み手」「狐」といった立場を行き来して作品を理解する、創造的な読み手であることが可能なのだ。そうした〈読書行為論〉を提唱したのがドイツの文学研究者ヴォルフガング・イーザーである。
 「茨海小学校」の「私」が不思議な音や声に引き摺られて狐の学校に迷い込んだ様は、読者が物語に没入していく様に重なる。「いつかどこかで聞いた」種々の物語の経験によって、読者は物語を予期しているとも言える。

 〈テクスト〉を読むことで、読者はその世界に対する「期待」を生み出していく。ドイツの文学者ハンス・ロベルト・ヤウスはそれを〈期待の地平〉と表現した。
 「期待」を生み出す要素としては、作者・作品の情報、本のタイトルや装丁、広告や書評、書店のどの棚に置かれているか、などがある。「期待」は、物語が進むごとに絶えず変容していく。そのような一般読者としての読みが第一で、研究者のために〈テクスト〉があるわけではない、とヤウスは主張している。

 ポーランドの哲学者ローマン・ヴィトルド・インガルデンは、作品に“書かれていないこと”を〈不確定事項〉と名付けた。これに対しイーザーは“書いてあること”の繋ぎ目に生じる、納得し難かったり疑問に思われるところを〈空所〉と名付け、これを自分の経験や想像力で埋めようとする読者を〈内包された読者〉と呼んだ。読者の自然な「期待」を裏切り続け、「わな」や「正直」という言葉の意味を揺らがせ、物語の終点の複数性も示す「茨海小学校」は、読む者に物語に対する積極的な関わりを誘発する。〈内包された読者〉を意識させるテクストである。

 〈読書行為論〉は「読者」による自由な読みを認めるが、無秩序な誤読までを認めているわけではない。その点では理想論的ではあるが、これまでの社会の中でどのように「読者」が形成されてきたかを探る切っ掛けとして今日的な意義がある。
 ロラン・バルトは「作者の死」と言ったが、それでも今日も作品を作者に還元する読み方は廃れていない。本当に意味で「作者は死んだ」のか、それはまだ確かめられていない。

第四講 物語の構造(カラクリ)を知る――〈昔話形態学〉
 旧ソ連の昔話研究家・民俗学者であるウラジミール・ヤコブレヴィチ・プロップは、『昔話集』(アレクサンドル・ニコライェヴィチ・アファナーシェフ編纂)に収められた「魔法昔話」100篇あまりを分析し、共通した31のパーツ――〈機能〉から成り立っているとして著書『昔話の形態学』にまとめた。31の〈機能〉とは、以下のものである。

1.家族の成員のひとりが家を留守にする/2.主人公に禁を課す/3.禁が破られる/4.敵対者が探り出そうとする/5.犠牲者に関する情報が敵対者に伝わる/6.敵対者は、犠牲となる者なりその持ち物なりを手に入れようとして、犠牲となる者をだまそうとする/7.犠牲となる者は欺かれ、そのことによって心ならずも敵対者を助ける/8.敵対者が、家族の成員のひとりに害を加えるなり損傷を与えるなりする/8-a.家族の成員のひとりに、何かが欠けている。その者が何かを手に入れたいと思う/9.被害なり欠如なりが(主人公に)知らされ、主人公に頼むなり命令するなりして主人公を派遣したり出立を許したりする/10.探索者型の主人公が、対抗する行動に出ることに同意するか、対抗する行動に出ることを決意する/11.主人公が家を後にする/12.主人公が(贈与者によって)試され、訊ねられ、攻撃されたりする。そのことによって、主人公が呪具なり助手なりを手に入れる下準備がなされる/13.主人公が、贈与者となるはずの者の働きかけに反応する/14.呪具(あるいは助手)が主人公の手に入る/15.主人公は、探し求める対象のある場所へ、連れて行かれる・送りとどけられる・案内される/16.主人公と敵対者とが、直接闘う/17.主人公に、標がつけられる/18.敵対者が敗北する/19.発端の不幸・災いか発端の欠如が解消される/20.主人公が帰路につく/21.主人公が追跡される/22.主人公は追跡から救われる/23.主人公がそれと気付かずに、家郷か、他国かに、到着する/24.ニセ主人公が不当な要求をする/25.主人公に難題が課される/26.難題を解決する/27.主人公が発見・認知される/28.ニセ主人公あるいは敵対者(加害者)の正体が露見する/29.主人公に新たな姿形が与えられる/31.敵対者が罰せられる/31.主人公は結婚し、即位する

 上記のように、物語の構造と機能について分析したプロップの研究は、登場する動物の民俗学的研究に終始してきた、当時の昔話研究に対し画期的だった。第三講の〈期待の地平〉についても考える手掛かりとなる。

 アニメーション映画『シュレック』にも日本の『古事記』にも、プロップの言う昔話の機能を見ることができる。後者の「因幡のウサギ」のエピソードでは「29.主人公に新たな姿形が与えられる」機能が登場するが、鈴木三重吉福永武彦による2つの現代語版『古事記物語』では、原文での意図が汲み取られておらず残念である。

 プロップの理論と同様の見方に至った例として、児童文学者の瀬田貞二が挙げられる。瀬田は物語を「「行って帰る」ということにつきる」とした。確かに、『竹取物語』も『羅生門』も森鴎外の『舞姫』も、これに該当する。漫画原作者・批評家の大塚英志も瀬田の考えに関心を抱き、「行って帰る」と「欠如」と「回復」が、物語の最も基本的な文法である、とした。
 これらを総合すれば、物語とは「行って帰る」こと――「移動」によって、何らかの「変化」が起こるもの、と言える。映画で言えば、『シェーン』『ローマの休日』『男はつらいよ』にも見られる。ただし、『男はつらいよ』の寅次郎においては、フーテン生活が彼の日常であり、浅草に帰る方が非日常である点に注意したい。
 このような、物語を構造と機能で捉える考え方は、創作の理論としても有効である。どんな物語も「基本は同じ」という発想に、主に文学の立場からは抵抗もあるが、ゲーム・アニメーション・映画などの領域では注目されている。
 「移動」と「変化」に着目して中島敦の『山月記』を読めば、李徴の旧友である袁傪の物語として読むことも可能となる。

 文学理論は、読者の感性を相対化し、作品の多様な魅力について自由に考えることを可能にする。また文学以外――歴史や社会学、法学――の領域に拡張される可能性も示されており、言葉が創り出す種々の世界を読み解くツールとしても期待される。

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水谷彰良『サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長』の感想


(2018年8月読了)

 初夏の頃、Twitterを眺めていたら、絶版となっている本書についての復刊をめぐっての呟きが幾つかあり、興味を惹かれた。ちょうど仕事を手伝った知人が持っていたので、奇縁を感じ、拝借して読むことにした。
 本書が話題になったのは、スマートフォンゲーム『FGOFate/Grand Order)』にサリエーリをモチーフにしたキャラクターが登場するためのようである。私は、まだ冬木市で第4次聖杯戦争が行われていた頃に、知人がそれを読み解くのを横で見ていた程度の知識しかない(それでも、人類史上の英傑や偉人が「サーヴァント」として主人公たちに喚び出されるという基本構造は知っている)。そのため、以下の記述ではゲームへの言及はほぼゼロで、本書に関する要約と感想が大半であるということは予め記しておこう。
 なお、人名・地名などの表記について多少思うところがあるのだが(「ヴィーン」や「ベートーヴェン」など)、それらは本書に倣うこととする(数字表記のみ、漢数字からアラビア数字に変更)。

概要

第1章 誕生から宮廷作曲家就任までの歩み(1750~1774)

 モーツァルトを「光」とすれば「暗」の領分に甘んじていたサリエーリを、再評価しようとの機運が高まっている。
 アントーニオ・サリエーリ(Antonio Salieri)は、1750年8月18日、当時のヴェネツィア共和国の辺境レニャーゴに生まれた。早くに両親を亡くしたが15歳の時に音楽の素養を見出されて教師を得ると、やがてヴィーン宮廷作曲家フローリアン・レーオポルト・ガスマンの内弟子となる。ほか数人の音楽家の知遇を得て、19歳で最初のオペラ『女文士たち』を作曲し、その後の『アルミーダ』が出世作となって、気鋭の音楽家として注目を集めるようになった。
 恩師ガスマンが亡くなると、サリエーリは24歳に満たずしてそのポストの一部を継ぎ、ヴィーン宮廷室内楽作曲家およびイタリア・オペラ指揮者となった。

第2章 オペラ作曲家としての名声の確立(1774~1782)
 宮廷作曲家となったサリエーリはキャリアを重ね、私生活では結婚して父親となる。しかし、君主ヨーゼフ二世の行なった劇場改革により、ヴィーンの劇場事情はドイツ語文化に傾斜。イタリア人であるサリエーリはしばし不遇をかこつが、オラトリオ『イエス・キリストの受難』や、宮廷から休暇を得てミラノのスカラ座で『見知られたエウローパ』を発表するなど各地で活動し、名声を高めた。
 ヴィーンに戻ったサリエーリは活動を再開する。この頃、既にモーツァルトとの関係は微妙なものとなっていた。

第3章 モーツァルトとの確執とサリエーリの円熟(1783~1786)
 モーツァルトは、自分の出世を妨げるためにサリエーリが陰謀をめぐらせている、とする書簡を残している。しかし、その説は合理性に欠け、彼の性格的にも置かれていた状況の面からも、判断材料とするには限界がある。
 ヨーゼフ二世がイタリア歌劇場を再開したことで、サリエーリの仕事には順風が吹き始める。大先輩グルックとの「共作」という形で初めてのフランス・オペラ『ダナオスの娘たち』を成功させ、オペラ『トロフォーニオの洞窟』も大ヒットとなる。モーツァルトとの単幕オペラ対決も、『はじめに音楽、次に言葉』で優勢に終わった。
 モーツァルトの代表的オペラの1つ『フィガロの結婚』の上演に際しても、サリエーリが妨害工作を行なったとの説がある。しかし、劇場改革に伴う“ドイツ語オペラ組”と“イタリア・オペラ組”という構図、台本作者の間の対抗心など、背景には複雑な事情があった。

第4章 モーツァルトとの和解とオペラ作曲家としての危機(1787~1793)
 オペラ『タラール』は、専制君主を打倒する内容もあり革命期のパリで受け、サリエーリにとってパリで最大の成功を収める。これをイタリア語に合わせて改変した『オルムスの王アクスール』もまた大成功するが、それに先だち、先達グルックの死を悼まねばならなかった。
 オスマン・トルコとの戦争に備え、ヨーゼフ二世は再び劇場改革を行ない、劇場や歌手団は縮小された。そんな中、サリエーリは新たに宮廷楽長に任ぜられ、オペラを発表し、家庭も安定して幸福な期間を過ごしている。
 貴族制度を擁護するオペラ『花文字』は成功に終わったが、ほどなくヨーゼフ二世が死去する。後を継いだヨーゼフ二世の弟レーオポルト二世は、サリエーリら先帝の息の掛かった者を嫌い、解任や解雇を推し進めた。
 新帝への反感もあったか、ここでサリエーリはモーツァルトの楽曲を重用。かつては競争関係だった両者は、ここに至り和解した。それから間もなくモーツァルトは他界し、間接的に2人が和解する空気を作ったレーオポルト二世もあっけなく死去した。
 次の皇帝フランツ二世は音楽に興味を示さず、サリエーリは宮廷楽長の地位に残りはしたが、事務的に職務を遂行するに留まった。次なるオペラの準備を進めつつ、モーツァルトの遺した弟子や遺児に教育を施した記録が残っている。

第5章 オペラ作曲家の終焉(1794~1813)
 モーツァルトや娘の死などでしばし停滞していたオペラの創作意欲も次第に復調し、『ペルシャの女王パルミーラ』、『ファルスタッフ』といった成功作を発表した。しかし、もはやロマン派歌劇が到来しようという時代、サリエーリのオペラは次第に時代遅れという評価が下されるようになっていく。イタリア語のテキストについて声楽を作曲するため、ベートーヴェンがサリエーリの教えを受けるようになったのは、1795年頃とされる。
 1804年の『黒人』をもって、サリエーリはオペラ作曲に終止符を打つ。34年間、未上演3作を入れて全41作の製作実績となった。同じ頃に作曲された『レクイエム』は、自身のオペラ作曲家人生に手向けたものだったのかもしれない。
 ナポレオン軍がヴィーン入城を果たし、また妻テレージアが亡くなるが、サリエーリは職務を遂行し、宗教音楽の作曲も続けた。次第にヴィーンの音楽界全体を見渡すようになっていたサリエーリは、弦楽器の奏法について意見を寄稿し、クロノメーターメトロノームの前身)を評価するなどもしている。

第6章 教育者としての活動と晩年の日々(1814~1820)
 ヴィーン会議、それに続く戦争の下でも、サリエーリは職務に励んだ。1816年には、シューベルトを含む弟子たちによってヴィーン生活50周年を祝われてもいる。作曲・演奏、あるいは声楽においてサリエーリは多くの弟子を持ったが、数が増えすぎたため歌唱学校の設立を思い立ち、実現に尽力。これは後のヴィーン音楽大学の前身となった。
 いまやサリエーリは70歳を目前にしていた。身体の不調を覚えながらも、彼は弟子を教え、貧しい音楽関係者を助け、旧作を改訂するなどの仕事に注力した。
 74歳でその生涯を終えたサリエーリだが、その最晩年を汚した一件があった。モーツァルト毒殺疑惑である。

第7章 モーツァルト毒殺疑惑に汚された最晩年と死(1821~1825)
 映画『アマデウス』によって流布された疑惑は、これまで見てきたサリエーリの姿から、そして種々の証言から事実ではないことが分かる。背景にあったのは、イタリア人作曲家ロッシーニのイタリア・オペラがヴィーンで大流行したことによって危機感をつのらせた国粋主義的な勢力の画策であり、老齢かつドイツ語に堪能でなかったサリエーリ自身の言動がこれを助長したものと思われる。ただし、彼の死までの1年半について、自殺未遂、罪の告白、精神錯乱などがあったという事実は確認できない。
 先行する文献は、各人によるサリエーリ擁護の言説を各個に独立したものとして扱ってきた。しかし、既に警察国家であったヴィーンにあって、それらはモーツァルト毒殺容疑が刑事事件として捜査されたことを示す。
 そうした文脈から、サリエーリ弁護の論陣が張られたものの、ほどなく当のサリエーリは死去した。その後も疑惑は人々の関心を集めたが、モーツァルトの遺族は信じなかったと思われる。
 およそ10年後、ロッシーニにサリエーリと同じような疑いがかけられ、これは明確に覆された。今日に至っても、サリエーリが被ったような冤罪の構造は失われていない。

補章 現代のサリエーリ復興
 忘れられていたサリエーリのオペラは、作曲者生誕200年を迎えた1950年を契機に復活することとなった。生誕250年に当たる2000年には、故郷レニャーゴで彼にちなむ催しも行われている。
 サリエーリに関する近代以降の主要な研究書としては、以下のものがある。
○アンガーミュラー『アントーニオ・サリエーリ、生涯とその作品』(1971~74)、『アントーニオ・サリエーリ、事実と史料』(1985)、『アントーニオ・サリエーリ、その生涯の記録』(2000)
○デッラ・クローチェ/ブランケッティ『サリエーリ問題』(1994)
○ライス『アントーニオ・サリエーリとヴィーン・オペラ』(1998)

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米澤穂信『いまさら翼といわれても』の感想


(2017年12月読了)

 

 ついに追いついてしまった、〈古典部〉シリーズの最新作に当たる短編集である。まだ文庫版も出ていないので、単行本(上製本)で読んだ。例により、まずは各編のあらすじを記すことから始めよう。

あらすじ

 「箱の中の欠落」。6月のある夜、折木奉太郎(おれき・ほうたろう)は福部里志(ふくべ・さとし)から呼び出され、夜の散歩をすることとなる。当然、里志は意味もなく呼び出したわけではなかった。生徒会長選挙の開票に際して行われた何らかの不正。総務委員会副委員長となった里志は、選挙の立会人として――否、個人的義侠心から、その不正の解明を試み、奉太郎に助力を願ったのだった。選挙管理委員会による、一見厳格にみえる選挙の行程に穴はあるのか。夜の街を歩き、ラーメン屋に立ち寄り、奉太郎の推論は形を顕わにしていく。
 「鏡には映らない」。伊原摩耶花(いばら・まやか)は、漫画制作用品の買い出しの帰り、中学時代の同級生から声をかけられる。それは、彼女に中学での卒業制作と折木奉太郎にまつわる記憶を思い起こさせた。あまり愉快な記憶ではない。
 その年の鏑矢中学卒業生による制作物は、大きな鏡を縁取る、浮き彫りをあしらった飾り枠だった。分担した一片を、奉太郎が手を抜いて作ったため、デザイン担当の鷹栖亜美(たかす・あみ)が大いに取り乱して泣いたのだ。総叩きに遭った奉太郎を、当時は摩耶花も半ば当然という気持ちで見ていたが、今になって考えてみるといささか腑に落ちない。
 真相を知るため、摩耶花は行動を開始する。やがて浮上する、当時の奉太郎が口にした作業を『手伝ってくれる人』、鳥羽麻美(とば・あさみ)。語ることを頑なに拒む麻美が、捨て台詞のように吐いた「逆立ちでもしないと、あなたにはわからない」という言葉を胸に、摩耶花は母校へと足を向ける。その意味を知り、摩耶花は長らくの密かな軽蔑を、奉太郎に詫びた。
 「連峰は晴れているか」。放課後に飛ぶヘリを見て、奉太郎は中学時代の英語教師・小木(おぎ)のことを思い出す。授業中、ヘリが飛ぶのを窓際に寄って見上げ、「ヘリが好きなんだ」と言った小木だったが、里志によれば特にヘリ好きという記憶はなく、むしろ3度も雷に打たれた男として憶えられていた。
 小木の素性に珍しく興味を惹かれた奉太郎と、奉太郎が珍しく興味を惹かれたことに興味を惹かれた千反田える(ちたんだ・――)は、ともに図書館へと向かう。図書館のレファレンスカウンターで分かったことは、奉太郎の予感に合致していた。もう二度と会うことのない人物だからこそ、適当な理解でこと足れりとしてしまうことの意味を、奉太郎は思った。
 「わたしたちの伝説の一冊」。2月。雑誌に投稿していた漫画が努力賞に選ばれ、摩耶花は驚く。
 奉太郎が中学時代に書いた「走れメロス」の感想文に一同あきれながらも、平穏な古典部の日常。しかし摩耶花が所属するもう1つの部活・漫画研究会はそうはいかない。去年の文化祭以降、漫画を“自分も描いてみたい派”と“読むだけ派”の反目が続き、それは3年生・河内亜也子(こうち・あやこ)の一足早い引退で決定的なものとなっていた。一応“自分も描きたい派”に属しながら双方の対立からは距離を置いていた摩耶花は、“描いてみたい派”の中心になりつつある同級生・浅沼(あさぬま)から相談を受ける。それは、秘密裏に“描いてみたい派”で同人誌を制作・配布し、既成事実を作って“読むだけ派”を一掃しようという“クーデター”に参加して欲しいというものだった。
 とにかく漫画を描きたい一心から話を受けた摩耶花は、自分の教室でノートに構想を書くところから始める。しかし、自分と同じく中立的ではあるものの“読むだけ派”のクラスメイト・羽仁真紀が同室しており、なかなか捗らない。そんな中、“クーデター”は“読むだけ派”に露見し、漫研の分裂は避けられなくなる。
 それでも漫画の準備を進める摩耶花だったが、何者かによってノートが盗まれ、怒りに震える。里志の助力を得ながら、摩耶花は考える。ノートは何のために盗まれたのか。漫研はどうなるべきなのか。
 翌日、摩耶花は意外な人物と面会することとなる。それは彼女にとって、とある区切りに他ならなかった。
 「長い休日」。日曜日。いつになく調子が良い(悪い?)奉太郎は、散歩をしようと荒楠神社に赴く。神社の娘で同級生の十文字かほ(じゅうもんじ・――)と会うと、丁度えるも来ていると告げられ、奉太郎は2人とひと時を過ごす。少しばかり責任を感じた奉太郎は、えるが1人でやるという末社のお稲荷様の掃除を手伝うことにする。
 掃除をしながら、えるは奉太郎に訊ねる。『やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に。』を、なぜ信条とすることにしたのか、と。
 奉太郎の答えは、彼が小学6年生だった頃の話という形をとる。世の中には、要領よく立ち回って面倒ごとを他人に押しつける人間と、気持ちよくそれを引き受ける人間がいる。鋭敏な彼は、そのことを身をもって知った。
 そんな当時の彼の決心を、姉は優しく認め、今、えるもまた、彼の心に寄り添うのだった。
 「いまさら翼といわれても」。長い梅雨と一学期の終わり。えるは父親から、とある重要事項を告げられた。
 いつもの古典部の部室で、摩耶花が遭遇した異様に甘いコーヒーの謎の話を聞いても、えるの反応は微妙に悪い。不審に思っていた奉太郎だが、夏休み初日、摩耶花から「えるが行方不明」との電話を受け、捜索に乗り出す。
 神山市が主催する、大正時代の地元出身作曲家・江嶋椙堂(えじま・さんどう)の名前を冠した江嶋合唱祭で、ソロパートを歌うはずだったえる。彼女は、会場である神山市民文化会館に着いた後、どこかへ行ってしまった。えると一緒にバスで来たという老婦人・横手(よこて)はそう語る。
 雨と傘と傘立て、里志が持ってきたバスの路線図と時刻表、椙堂による「放生の月」の、えるが歌うはずだったソロ部分。それらから類推した場所へ、奉太郎は向かう。心から信じていないのに称えるのは、なんだか負担だ。それこそが、今のえるに言うべきことだと考えながら。

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アガサ・クリスティー『オリエント急行殺人事件』(光文社古典新訳文庫版)の感想


(2017年11月読了)

 当時、書店でハヤカワ文庫版『オリエント急行殺人事件』が平積みされているのを目撃し、映画の公開間近を知った。そこから4月に出た古典新訳文庫を積読にしていたのを思い出し、ページを繰った次第である。

 ポアロの登場作を読むのは、『カーテン』(当該記事)、『スタイルズ荘の怪事件』以来3作目となる。有名な作品であるため、本作は既に幾度も邦訳されている。代表的なのはハヤカワ書房や東京創元社のものだろうか。角川文庫版や新潮文庫版なども存在する。最近のハヤカワ文庫版では有栖川有栖氏が解説を書いており、学生アリスシリーズ(当該記事)の愛読者である私はこの解説だけでも読みたいところである。

オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 古典新訳文庫の本書は、訳者曰く「内容とあまり関係のない」傍注が見開きの左隅に付されている。巻末の「解説」「あとがき」も含め、読み応えのある注釈と言えるだろう。
 前置きはこの辺りにして、まずはあらすじを示そう。

あらすじ

 ある冬。エルキュール・ポアロの姿は、東欧シリアのアレッポ駅にあった。フランスの委任統治領である当地で軍を悩ませていたー事件を解決した彼は、感謝とともに見送られ、イスタンブールへの国際急行列車「タウルス急行」へと乗り込む。
 観光のためイスタンブールでの滞在をもくろんでいたポアロだったが、車内でのイギリス人男女の意味ありげな会話に触れたと思うや、落ち着こうとしたホテルで「至急帰国されたし」との電報を受ける。かくして彼は、イスタンブール発カレー行の〈シンプロン・オリエント急行〉に、友人でオリエント急行を運行する〈ワゴンリ〉社の重役でもあるブークとともに乗車する。
 季節外れにも関わらず満室の客車内には、様々な国籍、様々な階層の人々が一堂に会していた。その1人、アメリカ人の富豪ラチェットは、ポアロに身辺の安全のため仕事を依頼するが、乗車前から彼にいい感じを受けなかったポアロはこれを断る。
 列車は雪のためユーゴスラヴィア内で立ち往生し、動かないまま迎えた翌朝、ラチェットが自室で殺されているのが発見される。ドアは施錠され、開かれた窓の外の雪に足跡もない。
 外界から隔絶された車両の中、ブークから依頼を受けたポアロは、乗り合わせた医師コンスタンティンを加え、ラチェット殺害の真相を探るために捜査に乗り出す。
 脅迫状。明らかになる過去の痛ましい事件。現場から見つかったパイプクリーナーとイニシャル入りのハンカチ。目撃された緋色のキモノと謎の音。遺体に付けられた複数の傷。「男が入ってきた」と主張する被害者の隣人――。乗客たちの証言は互いにアリバイを立証し、容疑者は曖昧模糊としたままであり続ける。しかし、ポアロは言う。ラチェット殺しの犯人が判った、と。
 集められた乗客達の前で、ポアロは事件について2つの「解」を示す。そして、ブークとコンスタンティンは、そのうち1つについて同意した。

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米澤穂信『ふたりの距離の概算』の感想


(2017年9月読了)

  〈古典部〉シリーズも5作目、文庫本としてはこれが最新作となる。前作から引き続いて読む。
 前作は短編集だったが、今作は再び長編で、主観的には〈古典部シリーズ〉第2部といった趣がある。例のごとく、まずはあらすじから示そう。

あらすじ

 5月末。4月に無事に進級を果たした神山高校2年生の折木奉太郎(おれき・ほうたろう)は、憂鬱な気持ちでスタートを切った。毎年の恒例行事であるマラソン大会――長距離トラック種目で活躍した卒業生の名にちなみ、正式名称は「星ヶ谷杯」――が始まったのだ。
 しかし、奉太郎にはこの20kmという距離の間に、やるべきことがあった。古典部に仮入部しつつも、星ヶ谷杯の前日になって急に入部しないと言ってきた1年生・大日向友子(おおひなた・ともこ)のことである。
 友子の入部辞退の理由は、直前にやりとりしていた古典部部長・千反田える(ちたんだ・える)とのささいなやり取りにあるらしい。古典部部員で総務委員でもある旧友・福部里志(ふくべ・さとし)は事態を単純に考えるが、奉太郎には少しばかり心あたりがあった。
 各クラスが順々に出発するこの星ヶ谷杯の最中、追いついてくる関係者から情報を得て推論を補強し、最後にまみえるだろう友子に真相を話す。それが奉太郎の目論見だった。
 そのためには、これまでのことを正しく思い出し、そして適切な問いを立てなければならない。

 学校の裏手を走りながら、奉太郎は回想する。
 4月の新入生勧誘週間最後の日、奉太郎とえるは退屈紛れに製菓研究会の勧誘テーブルについて考察し、それは思わぬ事故を顕わにした。2人に興味を示した友子が声をかけてきたのはその時だった。「仲良しオーラ」を感じた彼女は、その場で仮入部を申し出たのだ。
 追いついてきた古典部部員・伊原摩耶花(いばら・まやか)に奉太郎は問う。彼女は、入部を辞退して出ていった直後の友子が、えるを評した言葉を聞いていた。

 山道を下り終えた奉太郎は、さらに回想する。
 4月末の土曜、姉・共恵に翻弄される午前中を過ごした奉太郎は、午後になって思わぬ訪問を受けた。「友達は祝われなきゃいけない」という友子の働きかけで、古典部の面々が奉太郎の誕生日を祝いに来たのである。楽しい時間を過ごす一同の中、何となしに居心地の悪い思いをする奉太郎とえる。
 行く手に停まっていた里志から、奉太郎は2つの示唆を得る。

 また上り坂にさしかかり、奉太郎は回想する。
 5月半ば、友子に誘われた古典部は、彼女の歳の離れた従兄弟が出店する、喫茶店のモニター客をすることになった。えるは所用で遅れて来たものの、古典部の面々は雑多な話を交わしながら看板メニューのブレンドとスコーンを味わった。話題は、4月にこの街で起きた詐欺事件や、今日の天気予報、えるがお祝いに訪れた家での出来事、そして、マスターである友子の従兄弟がはぐらかす、この店の名前について。帰り際、奉太郎は1つの違和感を感じていた。

 えるが追いついてくるのを待ちながら、奉太郎は前日のことをも回想する。友子の奇行と、その後の友子とえるの会話。
 辛くもえると合流した奉太郎は、自らの推論を語る。えるは、自らの回想も交え、奉太郎の問いに答えた。
 ゴールまで残り3kmの地点。奉太郎は友子を待ち受け、話しかける。明らかになる、友子が隠しておきたかったこと、怖れたこと。謝意を表し、笑顔の戻った後輩との距離は、もう測りがたい程に遠ざかりつつあった。

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