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山本周五郎『花杖記』の感想


(2004年9月読了)

 文壇デビュー作「須磨寺付近」所収の初期短編集である。これに加え表題作と、他に「武道無門」「良人の鎧」「御馬印拝借」「小指」「備前名弓伝」「似而非物語」「逃亡記」「肌匂う」を収めている。
 とりあえず各篇のあらすじから。

あらすじ

「武道無門」岡崎藩士の宮部小弥太は生来の臆病者。ふとしたことから果し合いを申し込まれるが、それも逃げに逃げて勝ちを拾う。そんな小弥太を見込んだ藩主の水野監物(けんもつ)忠善は、彼を伴って尾張城下の探索を試みる。道中、不審な挙動をみせる小弥太だったが、その働きによって探索は上首尾に終わり、褒美として加増を受ける。加増を恐れ多いと嫌がる小弥太だったが、妻のお八重から「魚庖丁と菜切庖丁」を引き合いにした説得を受け、加増を受けることを決めるのだった。

「良人の鎧」浅野幸長の家臣、香田孫兵衛は、石田三成に媚びようとする義兄を斬ったことで幸長から叱責を受けるが、その時そっと徳川家康への密書を渡される。家康へと密書を渡せたはいいが、義兄の弟、菊岡弥五郎が追ってきているのを知った孫兵衛は、諸国を流浪することになる。命惜しさではなく、いずれ来るだろう大坂と関東との戦いまで生きるためである。どうにか合戦に間に合った孫兵衛だったが、既に自分の差物と具足を付けた何者か――妻の屋代が参戦し傷を負ったこと、そして弥五郎が自分を追ってきたのは兄の仇討ちのためではなく、主君のもとへ帰れと言うためであったことを知り、愕然とする。仇討ちが怖い訳ではないと思っていた自分の心にまだ未練があったこと、そして妻の心遣いを思い、孫兵衛は泣いた。

「御馬印拝借」。家康の重臣榊原康政の家臣、三村勘兵衛は、娘の信夫と甥の土田源七郎を婚約させたいと思っており、源七郎の出陣を前にこれを実現させる。しかし、信夫は同じく戦いの予感に覚悟を固めた河津虎之助からの求婚にも思わず「はい」と答えてしまう。源七郎を頭に、虎之助を含む掛川先手組は討ち死に覚悟で砦にこもり囮になるが、その戦いの中、虎之助は源七郎と信夫の婚約を知るが、源七郎は身を引く覚悟をし、虎之助には離脱の命令を与える。本陣を示す御馬印を掲げるという奇策が功を奏し、徳川本軍は府中城の奪取に成功する。砦の先手組は源七郎以下全員討ち死にし、駆け付けた康政らは涙した。源七郎から三村勘兵衛に届けられた手紙は、信夫と源七郎との婚約は破棄し、信夫は生き延びた虎之助と夫婦になるよう依頼してあった。源七郎の優しさに、信夫はとめどなく涙を流した。

「小指」。そろそろ妻を娶るよう母に言われる歳ながら、すこし鈍いところのある山瀬平三郎。そんな彼を、小間使いの八重はかいがいしく世話していた。縁談を受けた平三郎だったが、ふと自分は八重を好いていることに気付き、破談と八重との婚姻を認めるよう、両親に願い出る。しかし、破談はともかく身分の違う八重との結婚に父母は戸惑い、八重自身も「故郷に約束した者がいる」と身を引く。数年経ち、ついに平三郎は母の薦めに従って身を固めてもよいと言う。喜んで相手を探そうと考えているうち、ふと通りがかって訪ねた八重の実家で、母は八重の真意を知る。平三郎は祝言を上げ、八重という妻を娶った。祝言から二十日ほど経って、妻の小指が見覚えのある形をしているのに気付き、ようやく平三郎は八重があの八重であることを悟るのだった。

備前名弓伝」備前岡山の藩士、青地(あおじ)三之丞は弓の名手だった。しかし腕前をひけらかすことはなく、何を聞かれても「……されば」で済ませていた。そのことに伯父の青地三左衛門はやきもきするが、本人はあまり気にしていない。ある時、安芸候が持参した狼を用いた犬追物で、三之丞はこれを一矢で仕留め藩の面目を保った。が、このとき二の矢を持たなかったことをきっかけに剣の腕にうぬぼれている滝川幸之進にからまれ、弓矢と剣の勝負をすることとなり、三之丞はあっさりと敗れる。領主の池田光政は事の本質を見抜き、三之丞は叱りはしたものの褒美を取らせ、幸之進には登城差し止めを申し付ける。これを不服とした幸之進は自分の屋敷に放火し逃走するが、追って行った三之丞との再勝負は、今度は本気の三之丞の一矢で決着した。

「似而非物語」。生まれつき“くる眼”の杢助(もくすけ)は、子どもの頃からどうしようもない面倒くさがりだったが、やがて加賀にある故郷を出奔し、40年を経て帰ってくる。時を同じくして村の実力者のもとに隠遁していた剣の“大先生”飯篠長威斎と知り合うと、教えを乞う人間がひっきりなしに来ることに嫌気が差したという長威斎は、杢助に自分の身代わりになって欲しいと言い出す。しぶる杢助だったが、押し切られ長威斎となる。ほどなく5人の修行者が杢助の草庵とにやって来た。彼らが身の回りの世話を焼くので杢助は有難がるが、難点は杢助が意図しないにもかかわらず、彼の言動から何かを「会得」して去っていくことである。杢助は極力「会得」させないように気をつけるが、つい「会得」させてしまうのだった。そうこうしているうち、前田家から使いの者が訪れる。金沢城にやってきて、勝負に勝たなければ金沢城を貰うという豪傑を倒してくれというのである。そんな頼みを杢助が聞けるわけもないが、使いの者たちはお構いなしで彼を金沢まで連れて行き、豪傑と対峙した杢助は「くる目」の発作を起こし、勝ってしまう。そのころ本物の長威斎が金沢城に姿を現すが、もはや誰にも本人だと信用はされなかった。草庵に戻った杢助は満足な日々を過ごすのだった。

「逃亡記」。横江半四郎は、家督を継いだ歳の離れた兄、文之進の手配で婿養子の縁談が決まったため、江戸から国許へと帰ってきた。予定より早く到着したため、祝言を上げる相手である溝口家に客分として留まることとなったが、その夜、謎の女に連れられて逃げ出すこととなる。さと、と名乗ったその女によれば、半四郎は藩主のご落胤であり、後継問題から命を狙われているという。山中を逃げ回る半四郎とさと。さとの手回しで、2人は豪農・殿島の家に匿われるが、そこで隣藩との領分をめぐる陰謀を裏付ける証左を見つけた半四郎は、これを切札にして自らは町人として生きていくことを藩に認めさせようと考え始まるが、陰謀などよりももっと驚くべき事実を、さとより告げられるのだった。

「肌匂う」。17の歳から江戸詰めで放蕩だった沢木甲午。国に戻って2年ほどが経ち、そろそろ妻を娶ろうということになるが、甲午の放蕩を知る友人たちが結婚生活について脅かすのでなかなか気が進まない。そんな甲午に、従姉のちやは早くお嫁を貰えとせっつくのだった。ある時、宴席に甲午の嫁候補が顔を連ねることがあり、気づまりな甲午は酒を過ごしてしまうが、それに乗じて顔も分からぬ女と関係を持ってしまう。罪悪感にかられた甲午は、ちやに相談し女の素性を探ろうと試みる。手がかりとなるのは、抱いた時に感じた独特な肌の匂いだけであった。結局、女のことは分からぬまま甲午は小雪という娘を娶った。しかし、ある時ふと甲午はあの女の匂いを嗅ぎ、そして全てを悟るのだった。

「花杖記」。加乗与四郎は、父の与十郎が城中で乱心し斬られたとして、剣術の試合の途中で連れ出され、そのまま監禁されてしまう。加乗家は代々「永代意見役」という面倒な役を頂いており、そのための父の教育方針に反感を抱いていた与四郎だが、それにしても父の死は不審だと思い、見張りの隙をついて脱出し国許を目指す。国に戻った与四郎は、昔の奉公人やその姪、幼馴染みの松尾らの助力を得て、ついに真相を掴み、父の仇討ちを遂げる。

須磨寺付近」。東京で精神的な打撃を受け傷心の清三は、友人の青木に迎えられ須磨にやってきた。青木の兄がアメリカに赴任しているため、青木、青木の兄嫁である康子、そして清三という奇妙な3人暮らしが始まる。浜辺、須磨寺、六甲山などに遊ぶうち、清三は康子に心惹かれていく。神戸松竹座での待ち合わせを機に2人の仲は俄かに接近していくが、康子は夫に呼ばれアメリカに去っていってしまう。

感想

 出色は「似而非物語」だろう。笑いをとりつつも、ふと考えさせられる杢助の言葉がよい。反対に、剣聖として名高い飯篠長威斎を俗物っぽく描いたあたりも独特だろう。ちなみに、本文でのルビによれば「いいしのちょうゐさい」ということになるが、他の文献などでは「いいざさちょうゐさい」とされている場合もある。漢字の読みなど、昔は適当だったのかもしれないが。剣(だけ)が強い者を茶化す空気は、「武道無門」とも共通していそうである。
 「良人の鎧」「御馬印拝借」「備前名弓伝」辺りは、逆に真面目な武士道もの。「小指」「花杖記」は時代物というコードの中にミステリ的要素を含ませたものと言えるか。「肌匂う」もミステリ的ではあるが、これは時代物というよりは、「須磨寺付近」の空気に近いものを感じる。

 それにしても「須磨寺付近」は少し意外だった。現代もの(あくまで当時の「現代」だが)なのである。この作品が『文藝春秋』に掲載されたのは1926(大正15)年4月であるから、それくらいの時代の神戸や須磨が描かれており、2015年を生きる人間にとってはそれも既に“時代もの”には違いないが、ともあれ興味深く楽しめた。
 調べてみると作者は他にも何篇か現代ものを書いているようで、それらを集めたコアな全集本もあるようだ。大半は新潮文庫版に散り散りに収録されているようなので、文庫版を制覇すれば大方は網羅する形になるのだが、恐らくは処女作と思われる作者17歳時の作品「曠野の落日」などは、この全集本にしか収められていないようである。

 話を本書に戻そう。編集の意向によるのか否か、どうも結婚にまつわる話が多いが、どれも素直な小説で、多くの人に受け入れられるものだと思う。正統派な作風が、逆に小説として物足りないとする意見もあるかもしれないが、重箱の隅をつつくようなものだろう。
 勿論ここで述べる間でもなく、だからこそ大作家として愛され続けているのだろうけれど。

花杖記 (新潮文庫)

花杖記 (新潮文庫)

 

 

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