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米澤穂信『ふたりの距離の概算』の感想


(2017年9月読了)

  〈古典部〉シリーズも5作目、文庫本としてはこれが最新作となる。前作から引き続いて読む。
 前作は短編集だったが、今作は再び長編で、主観的には〈古典部シリーズ〉第2部といった趣がある。例のごとく、まずはあらすじから示そう。

あらすじ

 5月末。4月に無事に進級を果たした神山高校2年生の折木奉太郎(おれき・ほうたろう)は、憂鬱な気持ちでスタートを切った。毎年の恒例行事であるマラソン大会――長距離トラック種目で活躍した卒業生の名にちなみ、正式名称は「星ヶ谷杯」――が始まったのだ。
 しかし、奉太郎にはこの20kmという距離の間に、やるべきことがあった。古典部に仮入部しつつも、星ヶ谷杯の前日になって急に入部しないと言ってきた1年生・大日向友子(おおひなた・ともこ)のことである。
 友子の入部辞退の理由は、直前にやりとりしていた古典部部長・千反田える(ちたんだ・える)とのささいなやり取りにあるらしい。古典部部員で総務委員でもある旧友・福部里志(ふくべ・さとし)は事態を単純に考えるが、奉太郎には少しばかり心あたりがあった。
 各クラスが順々に出発するこの星ヶ谷杯の最中、追いついてくる関係者から情報を得て推論を補強し、最後にまみえるだろう友子に真相を話す。それが奉太郎の目論見だった。
 そのためには、これまでのことを正しく思い出し、そして適切な問いを立てなければならない。

 学校の裏手を走りながら、奉太郎は回想する。
 4月の新入生勧誘週間最後の日、奉太郎とえるは退屈紛れに製菓研究会の勧誘テーブルについて考察し、それは思わぬ事故を顕わにした。2人に興味を示した友子が声をかけてきたのはその時だった。「仲良しオーラ」を感じた彼女は、その場で仮入部を申し出たのだ。
 追いついてきた古典部部員・伊原摩耶花(いばら・まやか)に奉太郎は問う。彼女は、入部を辞退して出ていった直後の友子が、えるを評した言葉を聞いていた。

 山道を下り終えた奉太郎は、さらに回想する。
 4月末の土曜、姉・共恵に翻弄される午前中を過ごした奉太郎は、午後になって思わぬ訪問を受けた。「友達は祝われなきゃいけない」という友子の働きかけで、古典部の面々が奉太郎の誕生日を祝いに来たのである。楽しい時間を過ごす一同の中、何となしに居心地の悪い思いをする奉太郎とえる。
 行く手に停まっていた里志から、奉太郎は2つの示唆を得る。

 また上り坂にさしかかり、奉太郎は回想する。
 5月半ば、友子に誘われた古典部は、彼女の歳の離れた従兄弟が出店する、喫茶店のモニター客をすることになった。えるは所用で遅れて来たものの、古典部の面々は雑多な話を交わしながら看板メニューのブレンドとスコーンを味わった。話題は、4月にこの街で起きた詐欺事件や、今日の天気予報、えるがお祝いに訪れた家での出来事、そして、マスターである友子の従兄弟がはぐらかす、この店の名前について。帰り際、奉太郎は1つの違和感を感じていた。

 えるが追いついてくるのを待ちながら、奉太郎は前日のことをも回想する。友子の奇行と、その後の友子とえるの会話。
 辛くもえると合流した奉太郎は、自らの推論を語る。えるは、自らの回想も交え、奉太郎の問いに答えた。
 ゴールまで残り3kmの地点。奉太郎は友子を待ち受け、話しかける。明らかになる、友子が隠しておきたかったこと、怖れたこと。謝意を表し、笑顔の戻った後輩との距離は、もう測りがたい程に遠ざかりつつあった。

感想

 「英雄」と「民衆」という構図がほの見えたこれまでの4作に比して、異質な印象を抱いた。同じシリーズではあるものの、新しい局面に入った、というのが正直な感想である。
 もちろん、前4作との連続性は確保されている。『クドリャフカの順番』など、これまでの作品で登場した人物達もさりげなく再登場しており、ずっと読んできた者にとっては嬉しいだろうと思う。例えばそれは、占い研(というか、その唯一の人員である十文字かほ)、製菓研、お料理研、入須冬美といった面々だが、しかし今回の本筋とは関係が薄い。
 何といっても、新たに登場した大日向友子が物語の中心であると言って差し支えないだろう(大日向と書いて「おびなた」と読ませる人を知っているが、ここでは「おおひなた」と読むのが正解らしい)。彼女が新入生として、奉太郎たち同学年4人で前年度1年間を過ごした古典部に加わると、何が起こるか。それが、本作の最初の発想ではなかったかと思う。

 とはいえ、本書の物語が終了した時点では少なくとも、彼女は入須たちと同じく、ゲストキャラという位置付けを脱していないように思えた。「やりかけたことは終わらせるべき」(文庫版p.65)という言葉が友子の信条のように挙げられてはいるが、これが例えば奉太郎や里志の信条ほど活用されなかった感があるのも、無理からぬことだと思う。つまり古典部にとって彼女は、“外部”であり“異物”であり続けたということだろう。
 学校にせよ企業にせよ、それらに準ずる組織にせよ、ある程度の時間が経って人間関係がそこそこ確定した集団に“外部”から“異物”が侵入してくる時期がある。典型的なのが新学期だろう。現実では、そこで多少のざわめきがあるにせよ、ほどなく新しい形で秩序が構築されるのだが、本作では不運な偶然も重なって、新学期以前に回帰する形で古典部の秩序は回復した。

 もちろんディテールは大いに異なるのだが、その幕切れに私が『涼宮ハルヒの驚愕』を思い出したのも、牽強付会とは言えないだろう(発表は本作『概算』の方が早いが、私が読んだ順序は逆に『驚愕』が先だった)。商品としての本シリーズや涼宮ハルヒシリーズを考えた場合、新メンバーの加入は以降のキャラクタービジネスの良否に直結し得るため、出版社サイドが新入部員の加入には慎重にならざるを得なかった、という事情もあるのかもしれないが。

 ひとつ銘記しておきたいのは、そうした展開が、奉太郎に“内部”と“外部”ということについて考察させた点である。詳しくは本文全体を読んでもらいたいが、少しだけ引用する。

だがもしかして、「余計なお世話だから関わらない方がいい」のではなく、「外の問題は面倒だから関わりたくない」と思っているのではないか?(文庫版p.283)

 多くの人と同じように、奉太郎たちも、中学、高校、恐らく大学を経て社会に出て行くのだろう。そしていつか、関わる人(内)と関わらない人(外)という線引きを意識しなければならない瞬間が来るだろう。
 省エネ主義で“内部”に引きこもっても、「それでいいのか」という心の澱を無視できるほど彼は老成していない。しかし無際限に関われば、それは『氷菓』以降で既に見たような、「民衆」に苦しめられる「優しい英雄」の再演になりかねない。奉太郎の惑いは、いつか来るその時の予見のような印象を抱いた。

 もうひとつ特記事項を付け加えるとすれば、奉太郎とえるの関係についてだろう。里志と摩耶花については、既にこれまでのエピソードで一定の決着を見たわけだが、この2人の関係は、まだ変容の余地を残している。
 本作では、2人のとある“共犯”関係が明らかになったり、奉太郎がえるを“容疑者”として扱ったりと、さすがに1年目に比して踏み込んだ関係が描かれている。特に“容疑者”扱いをめぐっては、2通りの可能性があると考えた奉太郎は、えるを信じることでそれを1つに絞るわけだが、これは、描かれてきた1年間があったればこそ叶った展開だったと言えよう。

 全体的な感想は以上として、あとは気になった細部について語りたい。
 まずは、「男子の部屋にあるもの」をめぐっての摩耶花と奉太郎のやりとり(p.107)。婉曲な表現なので何を指しているかは明示されないが、やはり奉太郎も思春期の男子ということだろう。続く里志の助け船も微笑ましい。

 次も奉太郎による言葉である。既に戻ることの叶わない母校の鏑矢中について、もしも戻るとすれば「将来ここに赴任するぐらいしか方法がないだろう」と述べている(p.148)。奉太郎たちが社会に出た後の話を先述したが、彼が教師というのは、意外と似合っているのかもしれない。ただ何となく、中学よりは高校の方が向いているか。さらに何となく、科目は社会科という気がする。

 「テーブルが丸いと、何もかもが端から落ちていくような気がする」(p.151)という丸テーブルへの不安は、作者が奉太郎を通じて持論を展開したものだろう。この主張には、私も割と頷ける。喫茶店で道具を広げて作業をするなら、やはり四角いテーブルの方が良い。

 里志の妹が神山高校に入学したことが、友子によって明言されている(p.196)点も見逃せない。奉太郎との会話によれば、兄に負けず劣らずな個性を持ち合わせているようだし、今後、本人が登場する時が来るのかもしれない。

 文庫版に付された作者の「あとがき」では、例によって発想の切っ掛けとなった作品が挙げられている(私はどちらも未読)。
 まず挙げられているのが、マイクル・Z・リューインの『A型の女』およびその原題“Ask the Right Question”。「正しい問いを立てろ」は、ごく短時間しか関係者に質問できないという本作の趣向に、確かに合致している。
 構想段階で意識していたという、スティーブン・キングの『死のロングウォーク』も、実はキングの初めての小説だという説もあり、気になるところである。
 また、作者の意図とは関係ないが、私の感覚では、恩田陸の『夜のピクニック』も近いのではないかと思う。

A型の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

A型の女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 
バックマン・ブックス〈4〉死のロングウォーク (扶桑社ミステリー)

バックマン・ブックス〈4〉死のロングウォーク (扶桑社ミステリー)

 
夜のピクニック (新潮文庫)

夜のピクニック (新潮文庫)

 

 これで、現在出ている〈古典部〉シリーズの6冊中5冊までを読んだことになる。本作はいささかメランコリックな幕切れではあるが、あまり揚々としていても本シリーズらしくないだろう。憂愁を内包して、彼らはどんな青春を送るのかを見続けたいと思う。

ふたりの距離の概算 (角川文庫)

ふたりの距離の概算 (角川文庫)

 

 

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