何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

池澤夏樹『夏の朝の成層圏』の感想


(2003年6月読了)

 氏の39歳の処女小説である。詩やエッセイなどはこれ以前にも書いていたらしいが。とある日本人が船から落ち、漂着した南方の島でのサバイバルと、孤独を愛する映画俳優との邂逅に端を発して語られる文明論といった趣きである。

前半の感想

 後半、登場人物が増えてからの文明と自然の対比(というか照応?)も興味深いが、私には前半の主人公ひとりでのサバイバルの描写の方が面白かった。

 自然の中で一人前の現代人が叡智を振り絞ってなす工夫の面白さ、やがて発見する道具の素晴らしさ。賢さを携えた人間が最適な行動をする、というだけで味わえる楽しさというものがあるんだな。以下の一文が、その魅力を示しているように思う。

「あれほどなすべきことが目前にたくさんあって、その時その時の必要に追われて動きまわっていなくてはならない状態、迷うとか立ちどまるとかする隙もないほど行為によって一面に埋めつくされた時間というのは、幸福への道の一本なのではないだろうか。」

 そうした点も面白いし、ヤシの実や貝、マア(パンの実)などが美味そうだということもある。 後半、文明人が現れるとこの魅力は半減してしまうが、序盤の、食べ物を入手する方法を徐々に獲得し、火の起こし方も確立し、備蓄する手段も得る頃あたりは、読んでいて食べたくなって仕方がなかった。

後半の感想

 後半の魅力は、自分にとっては会話だった。前半は主人公1人で話が進むため、会話そのものが新鮮だったということもあるが、主な理由は他にある。それは、話し相手がアメリカ人であるため、会話はみな英語でなされていること(もちろん作中では日本語で記述されている)。
 主人公とその主な話し相手のマイロンは、いずれも口数の少ないタイプなので、日本語で書かれた会話が実際には(虚構なので実際も何もないのだが)“どのような英語で話されたのか”を考えるのが面白かったのだ。もちろん饒舌な会話でも同様なのだが、短い言葉がどのように話されたのか、の方が興味がそそられたのは自分でも不思議である。

 それと、たびたび差し挟まれる島の精霊なるものとの対話というか交感には、言語以前を言語化したような感覚を受けた。私は学生時代によく星を観ていたが、流星群の時などに似た感じを味わったような気もする。
 そんなことも思い出されつつ、キャンプにでも行きたくなる読後感だ。

夏の朝の成層圏 (中公文庫)

夏の朝の成層圏 (中公文庫)

 

 

 

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