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門田隆将『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』の感想


(2017年7月読了)

  年頭に読んだ、福島第一原発の事故を追ったノンフィクション『死の淵を見た男』(当該記事)の著者である門田氏の、同じくノンフィクションである。『死の淵を見た男』の感想を書く際、積読になっていた本書も少し目を通したのだが、そのまま通読することにした。
 本書は、山口県光市の母子殺害事件の被害者遺族である本村洋氏への取材をメインとしたものである。ともあれ、まずは概要を示そう。本文中に従って敬称は略す。

概要

 1999年8月11日。光市母子殺害事件の初公判があったこの日、筆者が初めて会った青年、事件の被害者たちの夫であり父である本村洋(もとむら・ひろし)は、「絶対に殺します」と語った。
 事件があったのは、同年4月14日夜。仕事から帰った本村は、妻・弥生が死んでいるのを発見、警察の取り調べを受けている最中に、娘・夕夏の死も知ることとなり慟哭する。
 駆けつける本村の両親や、勤め先の上司たち。通夜の夜、本村は妻と娘の夢をみる。犯人への憎しみすら、まだなかった。
 本村は1976年生まれ。中学生の頃にネフローゼ症候群の診断を受けたが、過酷な治療の結果ある程度の小康を得、高専へと進み後に妻となる弥生と出会う。彼女の妊娠を機に入籍、2人の間には98年5月に夕夏が誕生した。ほどなく本村のネフローゼが再発して入院したが、一家は幸せだった。しかし、結婚して間もない1999年、入院していた間の遅れを取り戻そうと本村が残業に勤しんでいる最中、事件は起こったのだった。

 その後の捜査で任意同行を受け、犯行を認めた犯人Fは、本村の社宅から200メートルも離れていない同じ社宅内の人間だった。母を自死という形で早くに喪い、暴力的な父の下で育った彼の犯行は、身勝手で冷酷なものだった。
 しかし、Fの年齢は18歳。少年法で幾重にも守られ、裁判が行われるかどうかすら確かではなかった。絶望に打ちひしがれる本村は、しかしFを刑事裁判にかけるため、刑事・奥村の事情聴取に臨む。
 事件後の本村に危うさを感じた奥村に請われ、酒鬼薔薇事件の被害者の父親・土師(はせ)守は本村に連絡をとる。本村の勤め先である製鉄工場の工場長で、「社会人として、仕事をしながら発言」するように諭した日高らにも支えられて、本村は時を過ごす。
 Fの刑事裁判は行われることとなり、8月11日に初公判が行われた。しかし、Fの姿や言動から反省はみられず、とって付けたような謝罪の言葉だけがあった。本村と遺族は、ここで初めて犯行の詳細を知った。その衝撃は、表しようもなかった。

 初公判後、本村は「週刊新潮」に手記を寄稿し、また「犯罪被害者の権利を確立する当事者の会」を結成した林良平の求めに応じ、法律家の立場から現状の問題点を訴えている弁護士・岡村らに共鳴して、彼等とともに活動することを決める。のちに「全国犯罪被害者の会あすの会)」となる会合に参加し、シンポジウム「犯罪被害者は訴える」で、自らの体験を元に講演すると、満場の拍手を受けた。それらの活動は、家族を喪った本村にとって生きる意味を見出す闘いと等しかった。
 一方、遺影すらそのまま持ち込むことができない裁判所と、前例主義・事なかれ主義の裁判長への本村の不信は大きかった。下された一審判決は無期懲役少年法に照らせば最短7年で仮釈放されることを意味する結果に、本村は絶望した。しかし、犯罪被害者の言葉を伝えることを自分の使命と考えた本村は、テレビの報道番組への出演を決意、それは時の総理である小渕恵三の心をも動かした。
 控訴審が始まる中、検察と警察は一体となり極秘捜査を進めていた。捜査当局が着目したのは、Fが出した手紙。果たして、その内容はFの心証を損ねるものだった。

 死刑存置派の論客と見なされ始めた本村は、テレビの企画でアメリカ、テキサス州ポランスキー刑務所を訪れる。犯行時17歳だった黒人死刑囚ナポレオン・ビーズリーと面会した本村は、彼に対し「聖人のような顔だ」との印象を抱く。死刑存置の考えは変わらないが、ビーズリーとの対話は本村に大きな影響を残した。
 控訴審判決も無期懲役となり、ふたたび遺族は打ちのめされた。法廷の中よりも外で、できることをやる。本村の活動に拍車がかかる。面会した当時の総理、小泉純一郎は本村の話を熱心に聞き、即座に犯罪被害者の保護・救済の取り組みを始める。
 最高裁が上告を受け、弁論が開かれる。しかし、Fの弁護人である安田好弘と足立修一は前代未聞の欠席をやってのけた。両弁護人が所属する弁護士会に対し、本村は懲戒請求を行うが、退けられる。翌月、両弁護人が披露した“事件の真相”は、Fの行為を傷害致死と説明するための奇抜に過ぎるものだった。
 最高裁は広島高裁への差し戻し判決を下す。やがて始まった差し戻し控訴審初公判では、Fの行為は亡き母への思慕と精神的未熟さによるものとする弁護団側の主張と、Fの荒唐無稽な証言がなされた。本村の心には、怒りとともに虚しさすら去来していた。
 弁護団への国民的な反感はつのり、これに動揺した弁護団内部の亀裂は、第10回公判、弥生の母と本村の意見陳述の後、致命的なミスという形になって顕わとなった。弁護団の要請による、Fへの被告人質問。それに答えたFの言動が、決め手となっただろうか。2008年4月22日正午過ぎ、元少年Fへの死刑判決が下された。
 判決の翌日、筆者はFと面会する。そこには憑き物が落ちたように死刑に向き合うFがいた。死をめぐる2人の青年の対決は、ひとつの結末をみた。しかし、弁護団は即日上告しており、判決の確定までにはまだ時間がある。筆者の生と死についての結論もまた、まだ出ていない。

感想

 やはり読み応えのある1冊である。『死の淵をみた男』と同じように、当事者以外にも広く取材し、それらを総合して文章にまとめたことが窺える。犯人が捕まって最初の裁判の直後に被害者遺族に、あるいは死刑判決が出た直後に当のその被告に、それぞれ取材して言葉を引き出したということ自体、ある種の功績と言うべきだろう。費やされた労力に敬意を表したい。
 「人権=犯罪者の権利」という風潮に異を唱え、被害者の権利を訴えた本村氏の感情・思考の軌跡が概ね時系列に沿って、かつ『死の淵をみた男』と同様に適度な物語性を付加して“読みやすく”描き出されている。ネフローゼを患った氏の生い立ちや妻となった弥生氏との出会いなどのあたりは、いささか事件からは外れるものであるが、そうした経緯を盛り込むことで読者は主人公である本村氏に感情移入しやすい。客観性とトレードオフな面もあるが、本書の趣旨から言えば妥当な書き方ではないかと思う。
 しかし、死刑判決後を描いたエピローグから文庫版あとがきまでを読んでも、加害者であるFの死刑判決後の変化については、私には今ひとつ解らなかった。恐らくは筆者も、もしかしたらF自身もそうなのではないか。
 裁判所の前例主義・相場主義な判決の下し方については、本書で再三指摘されているように改められるべきと思うが、その指摘には“それぞれの事件は個別的なものである(=それぞれに事情が違うので、それぞれに違った裁きがあるべきである)”という前提があるはずだ。しかしこの考えを推し進めると、加害者の反省・悔悟の度合いや形式もまた、個別的であるということにならないだろうか。それを認めるならば、正当な裁判を行なうことはいっそう困難ということになる。私にとって理解し難いFの変化を読んで、そんなことを思ったりもした。
 本書の初版は2008年、文庫版は2010年に刊行されたものなので、当然ながらその後の経過については記載がない。ここで補っておくと、死刑判決時に即日なされた弁護団の上告は2012年2月20日最高裁で棄却され、Fの死刑がほぼ確定している。
 「ほぼ」としたのは、その後も弁護団が新証拠を提出のうえ再審請求をしているからであるが、いま現在どうなっているのか、軽く調べただけでは確かめることができなかった。今後の経過も、頭の片隅には留めておきたい。

 内容面についてはそれくらいにして、本書とこの事件について関連する本もまとめておきたい。本文中にも登場した、酒鬼薔薇事件の被害者の父親・土師守氏による『淳』は、時系列的にも意味的にも、先行書と言うべきだろう。また、荒唐無稽な発想の元としてFの証言に登場した山田風太郎の『魔界転生』は、現在の国内伝奇ファンタジーの先駆と言われる作品でもある。本書のような文脈で触れられるのは妙ではあるが、未読なので一読はしたい。

淳 (新潮文庫)

淳 (新潮文庫)

 

 本村夫妻の実像については、書簡集(というよりも、主に弥生夫人からの手紙を収めたもの)である『天国からのラブレター』がある。ほぼ無編集と思われる内容は、それゆえに必ずしも清廉というわけではなく、本文中に登場する人物の個人情報が伏せられていなかった点からも、出版を疑問視する声が相当数あった。
 同書についての経緯をみていると、国内で90年代以降に無編集版が出版された『アンネの日記』を自分は連想する。当事者の人格が明らかになることは、世間的な評価が変化することと無関係ではいられないだろうし、こうした本の出版には深慮と覚悟が必要だと思う。

天国からのラブレター (新潮文庫)

天国からのラブレター (新潮文庫)

 
アンネの日記 増補新訂版
 

 本事件の経緯を追った本は、本書以外にもいくつかある。増田美智子氏の著書『F君を殺して何になる』(実際は書名にFの本名が出ており、そのために訴訟にもなった)も気になるが、本村氏と、氏と関連の深い書き手2人による鼎談『光市母子殺害事件』を読むべきかと思う。同書は、恐らく本件にかかわる最新の本でもあろう。

光市母子殺害事件 (文庫ぎんが堂)

光市母子殺害事件 (文庫ぎんが堂)

 

 先日、ずいぶん前にスカパーで録画しておいた『紛争と赦し~善と悪の先にあるもの~』というドキュメンタリーを観た。ルワンダイスラエルパレスチナ北アイルランドといった世界各地の紛争や虐殺で殺された被害者やその遺族と、加害者の対話を追ったものである。
 被害者・遺族から加害者に抱く感情は憎しみ以外ないのではと思いきや、このドキュメンタリーでは、それだけではないことも有り得ることが示されている。上の方で述べたように、個々のケースによって事情は全く異なるとも思うが、本村氏とF(と、双方に取材をした門田氏)の場合も、そういうことだったのかもしれない。
 同ドキュメンタリーの中に出てきた、アルバート・メーソンという精神科医精神分析医の話が印象に残ったので引いておこう。

「赦しを生むためには…(中略)…被害者は加害者のことを完全な悪と見てはダメだ/加害者がいい部分もあると思われるには/自責の念と罪悪感を示さなければならない」。

 私の家族が何者かに殺されたとして、そのとき、私はその加害者を憎む以外の選択肢を取りうるのだろうか。被害者やその遺族もまた死刑と向き合う加害者と同じように「聖人のよう」にならなければならないのなら、そのこと自体、試練に違いないのではないだろうか。いざそうした状況に置かれなければ、本当のところは解らないのだろう。叶うならばそうはならないことを、やはり私は願ってしまう。

なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫 か 41-2)

なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日 (新潮文庫 か 41-2)

 

 

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