漱石の随筆も少し読もうと思う。
随筆なので、収録されたタイトルを列挙して筋に代えよう。以下、収録作。
収録作一覧
「長谷川君と余」
「子規の画」
「ケーベル先生」
「ケーベル先生の告別」
「戦争から来た行違い」
「変な音」
「三山居士」
このうち、漱石が修善寺で静養中に大吐血をして危篤となった、いわゆる「修善寺大患」前後のことを綴った表題作が、全体の8割ほどの分量を占めている。その他の作品も、友の死や先生との別離など、沈鬱なテーマのものが並んでいる。
感想
「思い出す事など」は、漱石自身の療養記ではあるのだが、吐血して死にかけた部分の描写は少しばかりで(本人は意識がなかったのだから当たり前といえば当たり前か)、大部分は修善寺や病院でのこと、読んだ本、詠んだ俳句や漢詩などである。漢詩は素養が無いためによく意味が取れなかった。いつか読み解いて味わってみたい。
それはもちろん、死にかけたところから回復するまでは難儀があったろうとは思うが、それよりも滲んでくるのは、割にゆったりとした漱石の気持ちである。
少し前(2014)、私の知人も少し病気をして入院したのだが、その時彼は「余暇としての入院」なんてことを言っていた。その時は「入院までもレジャーと捉える現代社会の過剰競争」とか答えておいたのだが、読み返してみれば明治時代の漱石が既にそう感じていたように思えて妙な気分である。
書評的な性格の記述もいくつか見られるが、ジェイムズの『多元的宇宙』という本が気になった。文字通りに解釈すれば複数の宇宙が存在するという、今日的にはパラレルワールドを論じた本と思われるが、そんなSFチックな本を漱石が読んでいたというのも面白い。
調べてみると現在も読むことができるようだが、訳の評判はあまり良くないようである。
- 作者: ウィリアムジェイムズ,William James,吉田夏彦
- 出版社/メーカー: 日本教文社
- 発売日: 2014/08/01
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こちらの解説書と思しきものの方が解りやすいかもしれない。
もちろん死についての記述もいくつかある。印象に残ったのは、ドストエフスキーのことである。
ドストエフスキーはてんかん持ちで、その発作に伴って神秘的な体験をしたというのは人から聞くか何かで読むかして知っていたが、銃殺刑寸前で生き延びたことは知らなかった。そういう凄絶な経験が、作品に結実したのだろうか。
表題作以外のものは小品と言って差し支えない分量である。さらっと触れる。
「長谷川君と余」の長谷川君とは、二葉亭四迷のことである。彼はロシアに渡って病気を得て、帰る途中の船の上で死んだという。大阪朝日新聞主筆の鳥居素川と、漱石と四迷の3人で、旅館でだらだら寝そべりながら話していたあたりが面白い。
「子規の画」は、当時すでに没後10年ほどになっていた正岡子規の描いた画について。「拙」の欠乏していた子規の、唯一の「拙」が画だったとのこと。拙でいいから、もっと描いて欲しかったという漱石の言葉が淋しい。
「ケーベル先生」、「ケーベル先生の告別」、「戦争から来た行違い」は、東京帝大で哲学を教えていたラファエル・フォン・ケーベルの学究一筋の生活と、そんな彼が帰国しようとするが第一次世界大戦勃発のために果たせないのを描いている。
調べたところ、ケーベル先生はその後も帰れず、結局は日本で亡くなったらしい。漱石よりも長生きされたとのこと。
「変な音」は「思い出す事など」の挿話的な随筆である。入院中、隣の部屋から変な音がするのを気にする漱石だが、自分も人の気にされる音を出していた。漱石は退院するが、隣の部屋の患者は亡くなったという。
なんだか、明治期の死は、現在の死よりも淡々と達観しているように思えてしまった。もちろんそんなことはないのだろうが、医療が今よりも未発達である以上、観念しやすかったのかもしれない。
「三山居士」は修善寺で静養している漱石を見舞いにも来てくれた、朝日新聞の主筆をしていた池辺三山の死に際しての随筆。単に仕事上の付き合いだけでなかったらしく、漱石は彼を「朋友」と表現している。
他の随筆もそうだが、いつしか死んでいった人に対する、漱石の後悔が苦い。