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アガサ・クリスティー『オリエント急行殺人事件』(光文社古典新訳文庫版)の感想


(2017年11月読了)

 当時、書店でハヤカワ文庫版『オリエント急行殺人事件』が平積みされているのを目撃し、映画の公開間近を知った。そこから4月に出た古典新訳文庫を積読にしていたのを思い出し、ページを繰った次第である。

 ポアロの登場作を読むのは、『カーテン』(当該記事)、『スタイルズ荘の怪事件』以来3作目となる。有名な作品であるため、本作は既に幾度も邦訳されている。代表的なのはハヤカワ書房や東京創元社のものだろうか。角川文庫版や新潮文庫版なども存在する。最近のハヤカワ文庫版では有栖川有栖氏が解説を書いており、学生アリスシリーズ(当該記事)の愛読者である私はこの解説だけでも読みたいところである。

オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 古典新訳文庫の本書は、訳者曰く「内容とあまり関係のない」傍注が見開きの左隅に付されている。巻末の「解説」「あとがき」も含め、読み応えのある注釈と言えるだろう。
 前置きはこの辺りにして、まずはあらすじを示そう。

  ある冬。エルキュール・ポアロの姿は、東欧シリアのアレッポ駅にあった。フランスの委任統治領である当地で軍を悩ませていたー事件を解決した彼は、感謝とともに見送られ、イスタンブールへの国際急行列車「タウルス急行」へと乗り込む。
 観光のためイスタンブールでの滞在をもくろんでいたポアロだったが、車内でのイギリス人男女の意味ありげな会話に触れたと思うや、落ち着こうとしたホテルで「至急帰国されたし」との電報を受ける。かくして彼は、イスタンブール発カレー行の〈シンプロン・オリエント急行〉に、友人でオリエント急行を運行する〈ワゴンリ〉社の重役でもあるブークとともに乗車する。
 季節外れにも関わらず満室の客車内には、様々な国籍、様々な階層の人々が一堂に会していた。その1人、アメリカ人の富豪ラチェットは、ポアロに身辺の安全のため仕事を依頼するが、乗車前から彼にいい感じを受けなかったポアロはこれを断る。
 列車は雪のためユーゴスラヴィア内で立ち往生し、動かないまま迎えた翌朝、ラチェットが自室で殺されているのが発見される。ドアは施錠され、開かれた窓の外の雪に足跡もない。
 外界から隔絶された車両の中、ブークから依頼を受けたポアロは、乗り合わせた医師コンスタンティンを加え、ラチェット殺害の真相を探るために捜査に乗り出す。
 脅迫状。明らかになる過去の痛ましい事件。現場から見つかったパイプクリーナーとイニシャル入りのハンカチ。目撃された緋色のキモノと謎の音。遺体に付けられた複数の傷。「男が入ってきた」と主張する被害者の隣人――。乗客たちの証言は互いにアリバイを立証し、容疑者は曖昧模糊としたままであり続ける。しかし、ポアロは言う。ラチェット殺しの犯人が判った、と。
 集められた乗客達の前で、ポアロは事件について2つの「解」を示す。そして、ブークとコンスタンティンは、そのうち1つについて同意した。

 以前も書いたように(前述の『カーテン』の感想を参照)、私のポアロ像はデヴィット・スーシェ氏主演によるテレビドラマによって形作られているところが大きい。そのため本書も頭の中でスーシェ氏によるポアロを思い浮かべながら読み続けた。実際、スーシェ氏の主演によっても映像化されているし、さらに氏がオリエント急行で旅するドキュメンタリー(『名探偵ポワロと行くオリエント急行の旅』)まであるようである。

#65 オリエント急行の殺人

#65 オリエント急行の殺人

 

 その核心部分について細かいことは書かないが、今日的にはそれほど驚くものではないように思われた。いちおう納得はいったのだが、カタルシスという意味では、少し飽き足りなく感じたことも事実である。

 その代わりというのも変だが、恐らく発表時と同時代と思われる作品の舞台――1930年代ヨーロッパ社会についての描写の方に目を引かれた。冒頭の舞台としてシリアのアレッポが登場して、まず驚く。近頃ようやく沈静化したとはいえ、内戦によって深く傷ついた現在のアレッポから、国際急行が発着するターミナル駅を想像するのは難しいだろう。オリエント急行自体も次第にその特異性を失い、21世紀に入ってほぼ消滅したと言える(名前としては残っているが、本作で描かれたように各国の上流階級だけが集うようなものではなくなった)し、背景にあるイギリスの植民地支配もまた、第二次世界大戦以前の世界でなければ出てこようはずのない要素である。そこには帝国主義的な考えがもちろんあったのだろうが、国際急行が運行できるほどの一つの秩序が通底されていたということは無視できないように思う。
 そのような、現代とはまた少し異なった情勢による文化が登場する一方、伯爵夫妻や公爵夫人といった、いわゆる貴族階級も登場し、まだまだ前近代が残存していた当時の様子が窺える。
 シリーズものなのだから、これ以前、あるいは以降のポアロものの中にもこうした側面は登場していると思われるが、様々な国籍・階層の人物が列車という限られた空間内に集う本作は、その混在ぶりが如実に表れていると言えないだろうか。ポアロが登場する最初の作品『スタイルズ荘の怪事件』と最後の作品『カーテン』を既に読んだが、それらにおいて多様性は、それほど主要な要素にはならなかったように思う。

 多国籍性について言えば、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカ、ハンガリースウェーデンギリシャと様々な国籍の人物が登場する。特にイギリス、アメリカ、イタリアといった国の人々の描き方は、特徴的だと感じた。
 もちろん、そうした特徴の付けられ方が正しいか否かというのは別問題としてあるのだが、イギリス人である作者が、自国民を、そしてアメリカやイタリアといった外国人をどういうイメージで見ていたか、ということを示すもののようにも思えて興味深い。私は(あるいは多くの日本人にも言えるかもしれないが)どうしてもヨーロッパ人を一塊として見ようとするが、いうまでもなく、国によって、もっと細分化すれば地方によっても相当に違うはずである。
 登場人物について、もう少し付け加えたい。驚いたのは、ポアロの相棒ヘイスティングズ大尉が登場しないことである。シリーズのレギュラーだと思っていたヘイスティングズだが、いつでもポアロと一緒というわけではないらしい。もしも彼が、今回のポアロの旅の道連れだったのなら、冒頭の愉快な列車旅の様子に、もう少し紙面が割かれていたのかもしれない。事件が起こる前の、そういう吞気な描写を私が好むということもあるが故の、これは希望かもしれないが。

 ところで、冒頭としてポアロアレッポで何かしら事件を解決したという描写があるのだが、このアレッポでの事件は作品として実在するのだろうか。少し調べてみた限りでは、どうもそれらしい作品は見当たらない。既に時系列でない読み方をしているポアロシリーズだが、次に読む作品の目安になりそうなだけに、気になる。

 結局のところ、本作の最新の映画化はついにスクリーンで観ることなく終わった。とはいえ、20世紀初頭という時代性の色濃いこの作品が、21世紀初頭の時代、どのような映像になっていたか気になる。いずれ何らかの形で観るだろうと思う。

オリエント急行殺人事件 (古典新訳文庫)

オリエント急行殺人事件 (古典新訳文庫)