何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー2』の感想

 間が空いたが2巻についても述べよう。1巻については以下のリンクから。

 まずはあらすじを述べる。

あらすじ

 花火大会3日前の放火は、大事には至らず済んだ。しかし、「ぼく」――卓人(たくと)達がアジトにしている喫茶店夏への扉〉には、またも放火犯によると思われる脅迫状が届けられる。
 何者の仕業なのか考える「ぼく」の周囲で、ほのかな疑惑は漂う。一方、もとより衰退傾向にあった辺里(ほとり)市の地域経済は、一連の火事によって更にその流れに拍車がかかっていく。
 未来に希望が持てず、だから母に東京の大学へ行くことを勧められても前向きになれない「ぼく」の気持ちをよそに、花火大会の日はやってきた。しかしその夜、不意に悠有(ゆう)がどこかへ『跳んだ』のを切っ掛けに、〈時空間跳躍少女開発プロジェクト〉のメンバーは離れ離れになってしまう。悠有を探す過程で繰り広げられる、悠有という現象についての涼の考察――可能性の浸透圧、そして「ぼく」の不安と饗子の苛立ち。『跳ぶ』から『進む』へと、用いる言葉を変えた彼女に、「ぼく」は打ちひしがれ、そして決意する。
 〈プロジェクト〉に付随した、夏休み最後のアクション・プログラム。それが、コージンの同意を取り付け、悠有を説得し、他2人も巻き込んで提案した“「ぼく」が今できること”だった。幾つかのアクシデントに見舞われながらも準備は着々と進み、流星群の夜、ついにプログラムは実行に移される。
 辛くも計画は成功し、「ぼく」とコージンは2学期を弛緩した気持ちで迎えるが、悠有の兄・紘一(こういち)にまつわる出来事は悠有の背中を押す。しかし、“おいてけぼり”に不安を覚えているのは、「ぼく」だけではなかった。姿を消した悠有を探して、「ぼく」は辺里の街を駆ける。

 そして、「ぼく」は彼女を見送る。その後も、「ぼく」の涼やコージンや饗子の人生は続く。もちろん良いことばかりではないが、いつかまた彼女が逢いに来る時を思い、「ぼく」は、あの言葉――“手の届く最良のものをつかまえて、そいつと共に歳をとれ”――を胸に、前を向いて生きている。

続きを読む

新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー1』の感想

 刊行から数年後に入手し、5年以上積読にしていたものを、不意に読みたくなって引っ張り出してくる。なぜ今そんな気になったかというと、新海誠氏の新作映画のせいかもしれない。それか、Twitterを始めてフォローしたアカウントの幾つかがSF好きだったからかもしれない。あるいは、単に夏のためだろうか。
 「1」「2」という2冊組の本で、1冊ずつ書くつもりである。まずは1巻から。あらすじを示す。

あらすじ

 「ぼく」は思い出す。あの夏、時の彼方へ駆けていった少女のことを。東京から西に隔たった、四方を山で囲まれ、川と旧い城下町と細い水路のある地方都市、辺里(ほとり)市での出来事を。
 その年の春に入学したばかりの県立美原高の“伝統”であるマラソン大会で、「ぼく」――卓人(たくと)の幼馴染、悠有(ゆう)は、ゴールテープを切らずにゴールインするという離れ業をやってのける。この奇妙な現象に「ぼく」らの中で最も興味をそそられたのは、〈お山〉の上に建つ県下に名高い私立聖凛女子学院に在籍する貴宮饗子(あてみや・きょうこ)だった。
 彼女の強力な指揮の下、悠有とその叔母の住まいでもある喫茶店夏への扉〉を根城に、「ぼく」達の非建設的な努力を意味する〈プロジェクト〉が開始される。〈プロジェクト〉のメンバーは、饗子に「ぼく」と悠有、街一番のお屋敷に住む医者の家系の三男坊で、勉強もスポーツもルックスも上々だが饗子に頭が上がらない涼(りょう)を加えたいつもの4人――に加え、高校に入って初めて「ぼく」とまともに口をきいた、数多の逸話を有する辺里の有名人・コージンこと荒木仁(あらき・ひとし)。
 資料(TT〔タイム・トラベル〕もののフィクション)蒐集、悠有がゴールした時のテープ係・萬田への聞き込み、そして悠有による実証実験。徒労に終わるかと思われた〈プロジェクト〉だが、県道での実証実験中、ついに悠有は時空を『跳ぶ』ことに成功する。
 一定の周期で記憶(世界に対する認識)が変わってしまうという難病、ザールヴィッツ=ゼリコフ症候群のために入院中の悠有の兄・紘一(こういち)への見舞いを挟み、悠有の実験は続く。放火騒ぎが続く街と、〈夏への扉〉へのおかしな脅迫状という小事件を見ながらも。
 いつしか悠有は自分の意思で『跳ぶ』ことを覚える。しかし、自分独りでしか、そして未来にしか『跳べ』ない悠有に、「ぼく」はある不安を感じ始める。
 そして花火大会の3日前、またも火は放たれ、悠有は自らの力の意味に気付くのだった。

続きを読む

今野緒雪『マリア様がみてる』の感想


(2004年5月読了)

 当時(2004年1月)アニメ化されて話題となっていたコバルト系のライトノベルを読む。手に取った時には既にシリーズが17冊ほど出ていたが、とりあえず最初の1巻だけ。以下、まずあらすじ。

あらすじ

 東京都下にあるカトリック系ミッションスクール、私立リリアン女学園。名家の令嬢が多く通うお嬢様学校である。高等部1年の福沢祐巳は、父が設計事務所を営んでいるためいちおう社長令嬢といっても、学園の中でどちらかといえば庶民派に属している。容姿も成績も平均的な彼女だったが、ある朝、憧れていた小笠原祥子にタイを直されてから学園生活が一変する。
 高等部には、代々伝わる姉妹(スール)という慣習があった。上級生が下級生と1対1で姉妹の契りを交わし、学園生活の指導者となるというものである。なかでも生徒会である山百合会の幹部を構成する紅・白・黄という3つの薔薇の名を冠する上級生“薔薇さま”と契りを交わすことは、薔薇の“つぼみ”の称号を得ることとなり、特別な意味があった。祐巳に声をかけた祥子は、“紅薔薇のつぼみロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)”であり、そのため祐巳は多くの生徒から好奇の目で見られることとなる。
 山百合会幹部が集う薔薇の館を訪ねた祐巳だったが、そこには今まで見たことのない声を荒げる祥子の姿があった。揉め事の原因は、学園祭で山百合会が上演する『シンデレラ』の配役について。主役を演じる祥子だったが、近隣の男子校、花寺学院の生徒会長が王子役として客演することを知り、男嫌いの彼女は辞退を望んでいたのである。話のいきがかり上、祥子は祐巳を妹にしようとするが、あまりに唐突なために祐巳はこれを辞退する。悶着の末、山百合会は祥子に条件を出し、これを満たせば役を降りてよいということになる。それは、祐巳を妹にできるか否か、ということだった。ただし祐巳が妹になれば、シンデレラ役は祐巳とする、という釘を刺して。
 かくして学園祭までの間、祥子は祐巳にモーションをかけながら、揃ってシンデレラの稽古を行うことになる。見ているだけでは気付かなかった祥子の厳しさ、烈しさを知りながらも、想い抱いていた通りの公正さ、気高さに改めて祐巳は惹かれていく。学園祭の直前、王子役の花寺学院生徒会長の柏木と祥子の事情が明らかになり、祐巳は祥子に自分を妹にするよう申し出るが、祥子は「逃げたくない」と役を演じ切る決心をする。
 後夜祭を見ながら、祥子との特別な期間も終わったと寂しさを感じる祐巳の前に祥子が現れ、再度、姉妹の契りを申し出る。小さな打ち上げ花火が夜空に咲き、新たな姉妹となった2人は、『マリア様の心』のリズムにあわせてワルツを踊った。

続きを読む

乙一『さみしさの周波数』の感想


(2003年5月読了)

 5月の連休、一人旅で電車に揺られている間に読むために購入した。4つの短編を収録した短編集である。以下、順番にさらりと。

各編の感想

 「未来予報」。小学生の頃の転校生の他愛ない“予報”が、「僕」とクラスの女子、清水の、わだかまりとも言えないわだかまりになる。20歳を数えるほどに長じても「僕」は、まだ清水と話せなくて。最期のそれは、やはりすれ違いだったのか、それとも何かが通い合ったのか。

続きを読む
プライバシーポリシー /問い合わせ