何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

新井満『ヴェクサシオン』の感想


(2003年12月読了)

 「千の風になって」で有名になった新井満氏による小説である。読んだ当時、既に同曲は発表されていたようだが、私は単に「尋ね人の時間」で芥川賞を受賞した人の作品として読んだ(ちなみに「尋ね人…」は未読である)ように記憶している。表題作と、姉妹編ともいえる「苺」を収録している。

 ちなみに私は文春文庫版で読んだのだが、そちらの表紙画像がうまく出ないので、文春から版を引き継いだらしい新風舎文庫の表紙を掲載する。図案の配置が微かに異なるものの、ほぼ文春版と同じものである。
 以下、まずはあらすじを。

あらすじ

 「」。19歳の大学生、雨宮三郎は腹痛で病院に担ぎ込まれる。誤診や投薬ミスが重なり、80キロあった三郎は手術を経て40キロまで体重を落としてしまう。体の衰弱は、「生きていることと死んでいることはどう違うのだろう」と、三郎に思想らしきものを紡がせ始める。
 復学した三郎は、同じクラスの矢吹涼子に乞われ、彼女が堕胎しに行く付き添いをすることになる。涼子の手術中、病院のポスターに触発され、三郎は自身が生まれる切っ掛けとなった両親の“その日”を、戯れに調べる。はじき出された“その日”は、昭和20年8月15日を示していた。“その日”の父母を思い浮かべる三郎。

 手術の終わった涼子と帰る途中、涼子は果物屋で苺を買い求める。大学の土手を見下ろすベンチで2人はそれを食べ、涼子は泣いた。「またあした」と三郎は涼子は別れたが、涼子はそれなり姿を現すことはなかった。

 「ヴェクサシオン」。斜視の傾向がある雨宮三郎は、広告代理店を辞めフリーCF演出家として初めての仕事を手掛け始める。そんな折、三郎は仕事相手として絵コンテライターの有泉遥子と知り合う。彼女は難聴だったが、三郎が撮り集めた海辺のビデオで思い出したサティの「ジムノペディ」を奏でる。その静寂に満ちた旋律に興味を持った三郎は、やがてサティにどっぷりと嵌り、同時に遥子にも心惹かれていく。

 遥子は妊娠するが、難聴を理由に遥子は子を育てることを躊躇う。三郎の説得により遥子は翻意し、2人は遥子の故郷、新潟へと向かう。遥子の生家から海を見に行くが、不意に三郎は眩暈をおぼえ、視線が遥子と交わらなくなる。すれ違う予感を否定しながらも、三郎だけに聞こえてくる旋律――「ヴェクサシオン」のメロディはいつまでも止まずにいた。

感想

 表題となっている「ヴェクサシオン」とは、19世紀末~20世紀初頭のフランスのクラシック作曲家エリック・サティの曲目(ちなみに遺作の1つらしい)を指す。フランス語的に直訳すれば「不快」「いらだたしさ」「嫌がらせ」ぐらいの意味で、まさにその通りの仕掛けが施された曲である。部分的だがYouTubeに上げられていたものがあるので貼っておこう。


Erik Satie "Vexations" 1893 (Excerpt) - YouTube

 2編ともに雨宮三郎という男が主人公だが、しかし別人と考えた方がよさそうである。ただ、生と死…というか、“連綿と続く生に対する共感ないし違和感”というテーマは共通と言えるだろう。文章的なことについて言えば「苺」は前半に多少軽妙な感じを受けたが、その後半と「ヴェクサシオン」は落ち着いた、しっとりとした印象が好ましかった。サティの音楽との親和性は高そうである。

 正直に言えば、私はこの本を読むまでサティを知らずにいた。中高の音楽の授業で扱ったかもしれないが真面目に聞いていなかったのだろう。代表作の「ジムノペディ」は、だいぶ昔、木村拓哉が「くびれ!」とか言ってトルソーを抱きしめるエステのCMでも流れていたし、劇場版アニメ『涼宮ハルヒの消失』のBGMとしても用いられていた(もっとも後者はそれ以外のサティの曲も使っていたが)。
 また、「苺」に出てくるアンドリュー・ワイエスの画(「海からの風」という作品のようである。Wyeth: Wind from the Seaで確認可能)とか、「ヴェクサシオン」で三郎が撮り貯めている海のビデオといった道具立ても興味ぶかい。その静寂を湛えたイメージが、サティと通底している。「ヴェクサシオン」の後半でメルヴィルの『白鯨』をめぐるイメージの話が出てくるが、白鯨を「生涯の生きがい」と位置付け、大半の(あるいは全ての)人間に“白鯨はいない”=生は無目的であるとするところも、大々的な盛り上がりのないサティの曲を思わせる(同時に際限のない命の“繰り返し”の寄る辺なさも感じられる)。

 作者が電通に在籍していた(2006年で退社)ことがまた、この本の印象を特異なものにしている。広告を作るという仕事については「ヴェクサシオン」でも三郎の仕事として紹介されているが、そういう音と映像と言葉の奔流の中にいた人が、こうした作品を書いたということは、奇妙にも思えるし、一方で当然のようにも思える。

ヴェクサシオン (新風舎文庫)

ヴェクサシオン (新風舎文庫)

 

 

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