何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

米澤穂信『氷菓』の感想


(2017年9月読了)

  アニメ化もされ映画化もされた人気作だが、一応それ以前から米澤穂信氏のデビュー作としては知っていた。ながらく本棚に刺さっているだけだったのだが、それをようやく取り出して読んだ形である。
 ちなみに映像化作品としては、アニメの方が比較的評判がいいようである(私もCSで一挙放送されていたアニメ版は観た)。

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 以下、まずはあらすじから。

 「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」を生活信条とする折木奉太郎(おれき・ほうたろう)は、旧友の福部里志(ふくべ・さとし)とともに「部活の殿堂」神山高校に入学したばかり。溌剌とした“薔薇色の高校生活”に背を向け、『省エネ』な高校生活を実践しようとしていた彼の望みは、しかし1通の手紙によって挫かれた。
 折木供恵(――・ともえ)。奉太郎の姉にして、神山高校のOGでもある彼女からの手紙は、自分が所属していたが、今は部員ゼロで廃部の瀬戸際にある、とある部活動に所属するようにと弟に助言するものだった。実力的に敵わない姉の“アドバイス”に、奉太郎はしぶしぶその部活――古典部の部室である、地学講義室を訪れる。
 しかし部室には先客がいた。奉太郎と同じ1年生で、豪農の家のお嬢様でもある千反田える(ちたんだ・――)である。いつのまにか密室になり、えるを閉じ込めていた部室の謎を難なく解いた奉太郎に、えるは大いに感心し、居合わせた里志も古典部に誘う。かくして3人の新入部員により、古典部は復活した。
 図書室から、毎週決まった時間に借りられる『神山高校五十年の歩み』の謎を解いた奉太郎に、えるは、とある依頼を持ちかける。それは、行方不明となった彼女の伯父の過去を探るということであり、えるが古典部に入部した「一身上の都合」に関わることでもあった。
 里志を追い、漫研と掛け持ちで入部した伊原摩耶花(いばら・まやか)を加えて4人になった古典部は、「カンヤ祭」の異名をもつ神山高文化祭で出品する文集の制作に本腰を入れ始める。参考にするための過去の文集を求め、行き着いたのは、かつての古典部室・生物講義室だった。
 現使用団体である壁新聞部の部長・遠垣内(とおがいと)の頑なな態度の意味を奉太郎があばき、古典部文集『氷菓』のバックナンバーは現部員たちの手に渡る。創刊号を欠きながらも、過去の『氷菓』の内容は、えるの伯父の記憶を呼び覚まし、33年前の神山高校であった“事件”を示唆するものだった。
 部員たちは検討する。当時、えるの伯父に、神山高校に何があったのか。
 回り道をしつつも、やがて奉太郎は1つの確信に至る。『優しい英雄』の真相。『氷菓』という表題の意味。
 伯父の記憶を取り戻し、えるは瞳を濡らしながら微笑む。奉太郎は薔薇色と灰色についての考察を深めた。

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対馬美千子『ハンナ・アーレント 世界との和解のこころみ』の感想


(2017年8月読了)

 20世紀の女性思想家ハンナ・アーレントの名前は、学生の頃に知った。しかし知ってはいたものの、その著書は読んだことがなかったし、その思想を解説した本も未読だった。本書の「あとがき」にもあるが、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督による映画『ハンナ・アーレント』も、幾らか興味を覚えたものの、結局は観ずにいた。

 2016年、何かの展示企画で本書を見かけ、副題にある「世界との和解」という言葉に興味を惹かれ、読み始めた。
 著者である対馬美千子氏とはお会いしたことがある。しかし、お互い主役でもない集まりで、少し言葉を交わしただけなので面識があるとは云い難い。恐らく氏も憶えてはおられないだろう。
 伝記のように思える側面もあるし、著書の記述を紹介して検討する解説の側面も併せ持った1冊である。まずは読みながらつけたノートを載せようと思うが、予想外に長いものとなってしまったので、感想も含めて目次を作成しておこう。

  • 読書ノート
    • 序 世界との和解のこころみ
    • 第Ⅰ部 言語
      • 第1章 言語を信頼する
      • 第2章 世界の複数性に戻る
    • 第Ⅱ部 思考
      • 第3章 空間を創造する
      • 第4章 過去と未来の間の裂け目で動く
    • 第Ⅲ部 構想力
      • 第5章 世界の中で方向を定める
      • 第6章 感覚の世界から離れる
    • 第Ⅳ部 文学
      • 第7章 世界と和解する
  • 感想
    • 分かったこと
    • 気になったところ
    • 今後の読書に向けて
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ゆく年(2017年)におくる35冊

 いくらも感想文を書けなかった今年だが、ゆく年に送る本のリストを、2016年に続いて一応つくっておくことにする。
 このリストは、この1年間、世の中の動向などから興味が広がり読もうと考えた本や、人に薦められた本、実際に読んで心に残った本などから成る。例によって人に薦めるというよりも、個人的に今年を回想するものなので、他人が読んで面白いかは分からない。幾つかの項目ごとに挙げてみよう。

ある節目

  今年もまた、幾つかの事項が節目の年を迎えた。それらから自分が気になるものを抜き出してみる。 

汗血千里の駒 坂本龍馬君之伝 (岩波文庫)

汗血千里の駒 坂本龍馬君之伝 (岩波文庫)

 

  坂本龍馬が没して、2017年で150年となった。彼を描いた物語は数限りないが、1883年に高知の「土陽新聞」で連載が開始された本作はその最古のものではないだろうか。
 同紙は自由民権運動の新聞だったようで、その政治的スタンスが作中に表れているようだが、その点も含めて気になる。

 かつて、和製コンピューターロールプレイングゲームといえば「DQドラクエ)」と「FF(エフエフ)」の双璧だったという説に、異論を唱える人は少ないだろう。
 その一方である、「FF」こと「ファイナルファンタジー」シリーズは、1987年12月にファミコン用ソフトとして第1作が発売され、今年で30周年を迎えた。たびたび小説化もされており、数年前にシリーズ1作目から3作目までを小説化した本(小説 ファイナルファンタジーI・II・III Memory of Heroes)も出たが、やはり初期の雰囲気を味わうには、その当時に刊行されたものが良いと思う。上掲の1冊はシリーズ2作目のイメージを崩さず小説化したという評価が高い。

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門田隆将『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』の感想


(2017年7月読了)

  年頭に読んだ、福島第一原発の事故を追ったノンフィクション『死の淵を見た男』(当該記事)の著者である門田氏の、同じくノンフィクションである。『死の淵を見た男』の感想を書く際、積読になっていた本書も少し目を通したのだが、そのまま通読することにした。
 本書は、山口県光市の母子殺害事件の被害者遺族である本村洋氏への取材をメインとしたものである。ともあれ、まずは概要を示そう。本文中に従って敬称は略す。

 1999年8月11日。光市母子殺害事件の初公判があったこの日、筆者が初めて会った青年、事件の被害者たちの夫であり父である本村洋(もとむら・ひろし)は、「絶対に殺します」と語った。
 事件があったのは、同年4月14日夜。仕事から帰った本村は、妻・弥生が死んでいるのを発見、警察の取り調べを受けている最中に、娘・夕夏の死も知ることとなり慟哭する。
 駆けつける本村の両親や、勤め先の上司たち。通夜の夜、本村は妻と娘の夢をみる。犯人への憎しみすら、まだなかった。
 本村は1976年生まれ。中学生の頃にネフローゼ症候群の診断を受けたが、過酷な治療の結果ある程度の小康を得、高専へと進み後に妻となる弥生と出会う。彼女の妊娠を機に入籍、2人の間には98年5月に夕夏が誕生した。ほどなく本村のネフローゼが再発して入院したが、一家は幸せだった。しかし、結婚して間もない1999年、入院していた間の遅れを取り戻そうと本村が残業に勤しんでいる最中、事件は起こったのだった。

 その後の捜査で任意同行を受け、犯行を認めた犯人Fは、本村の社宅から200メートルも離れていない同じ社宅内の人間だった。母を自死という形で早くに喪い、暴力的な父の下で育った彼の犯行は、身勝手で冷酷なものだった。
 しかし、Fの年齢は18歳。少年法で幾重にも守られ、裁判が行われるかどうかすら確かではなかった。絶望に打ちひしがれる本村は、しかしFを刑事裁判にかけるため、刑事・奥村の事情聴取に臨む。
 事件後の本村に危うさを感じた奥村に請われ、酒鬼薔薇事件の被害者の父親・土師(はせ)守は本村に連絡をとる。本村の勤め先である製鉄工場の工場長で、「社会人として、仕事をしながら発言」するように諭した日高らにも支えられて、本村は時を過ごす。
 Fの刑事裁判は行われることとなり、8月11日に初公判が行われた。しかし、Fの姿や言動から反省はみられず、とって付けたような謝罪の言葉だけがあった。本村と遺族は、ここで初めて犯行の詳細を知った。その衝撃は、表しようもなかった。

 初公判後、本村は「週刊新潮」に手記を寄稿し、また「犯罪被害者の権利を確立する当事者の会」を結成した林良平の求めに応じ、法律家の立場から現状の問題点を訴えている弁護士・岡村らに共鳴して、彼等とともに活動することを決める。のちに「全国犯罪被害者の会あすの会)」となる会合に参加し、シンポジウム「犯罪被害者は訴える」で、自らの体験を元に講演すると、満場の拍手を受けた。それらの活動は、家族を喪った本村にとって生きる意味を見出す闘いと等しかった。
 一方、遺影すらそのまま持ち込むことができない裁判所と、前例主義・事なかれ主義の裁判長への本村の不信は大きかった。下された一審判決は無期懲役少年法に照らせば最短7年で仮釈放されることを意味する結果に、本村は絶望した。しかし、犯罪被害者の言葉を伝えることを自分の使命と考えた本村は、テレビの報道番組への出演を決意、それは時の総理である小渕恵三の心をも動かした。
 控訴審が始まる中、検察と警察は一体となり極秘捜査を進めていた。捜査当局が着目したのは、Fが出した手紙。果たして、その内容はFの心証を損ねるものだった。

 死刑存置派の論客と見なされ始めた本村は、テレビの企画でアメリカ、テキサス州ポランスキー刑務所を訪れる。犯行時17歳だった黒人死刑囚ナポレオン・ビーズリーと面会した本村は、彼に対し「聖人のような顔だ」との印象を抱く。死刑存置の考えは変わらないが、ビーズリーとの対話は本村に大きな影響を残した。
 控訴審判決も無期懲役となり、ふたたび遺族は打ちのめされた。法廷の中よりも外で、できることをやる。本村の活動に拍車がかかる。面会した当時の総理、小泉純一郎は本村の話を熱心に聞き、即座に犯罪被害者の保護・救済の取り組みを始める。
 最高裁が上告を受け、弁論が開かれる。しかし、Fの弁護人である安田好弘と足立修一は前代未聞の欠席をやってのけた。両弁護人が所属する弁護士会に対し、本村は懲戒請求を行うが、退けられる。翌月、両弁護人が披露した“事件の真相”は、Fの行為を傷害致死と説明するための奇抜に過ぎるものだった。
 最高裁は広島高裁への差し戻し判決を下す。やがて始まった差し戻し控訴審初公判では、Fの行為は亡き母への思慕と精神的未熟さによるものとする弁護団側の主張と、Fの荒唐無稽な証言がなされた。本村の心には、怒りとともに虚しさすら去来していた。
 弁護団への国民的な反感はつのり、これに動揺した弁護団内部の亀裂は、第10回公判、弥生の母と本村の意見陳述の後、致命的なミスという形になって顕わとなった。弁護団の要請による、Fへの被告人質問。それに答えたFの言動が、決め手となっただろうか。2008年4月22日正午過ぎ、元少年Fへの死刑判決が下された。
 判決の翌日、筆者はFと面会する。そこには憑き物が落ちたように死刑に向き合うFがいた。死をめぐる2人の青年の対決は、ひとつの結末をみた。しかし、弁護団は即日上告しており、判決の確定までにはまだ時間がある。筆者の生と死についての結論もまた、まだ出ていない。

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野村美月『下読み男子と投稿女子』の感想


(2017年6月読了)

 先日の『死の淵を見た男』の感想(当該記事)で、福島出身の作家の1人として野村美月氏の名前を挙げた。同記事にそういうことを書こうと構想している段階で、俄かに野村氏の作品が読みたくなり、積読から本書を取り出して、『死の淵を見た男』について書き進めるのと並行して読了した次第である。

 文芸作品の新人賞の予選のようなものとして、著名な審査員ではなく編集者や出版関係者が応募原稿を読む「下読み」という段階が存在する。私は未経験だが、知人のライター氏などはたまにやっているようである。
 本作の作者である野村美月氏もまた、その下読みの経験が豊富なようである。その経験を、本領である少年と少女の清新な交流ストーリーに織り込んだのが本作と言えようか。
 まずは例によって、本作のあらすじを記す。

 風谷青(かぜたに・あお)は、平凡な男子高校生。しかし彼には秘密のアルバイトがあった。あまり人に言えないゲームのクリエイターである叔父・朔太郎のコネで周旋してもらうようになった、そのバイトとは一次下読み――ライトノベルの新人賞に応募してきた原稿を最初に読み、二次選考に送るか否かを判断する仕事――である。
 拙くとも、巧くとも、どんな物語でも読むのが大好きな青は、この「夢のような」バイトを楽しみ、休日返上で没頭していた。あるとき手にした投稿作『ぼっちの俺が異世界で、勇者で魔王でハーレム王』のプロフィールには、覚世ロイという筆名と、見知った名前の本名が書かれていた。氷ノ宮氷雪(ひのみや・ひゆき)。フォント変えや顔文字、多重カギ括弧に擬音に空白ページなどラノベ的な手法の乱舞するこの原稿を、本当に氷雪が書いたのか? 美人で優等生で、近寄りがたい孤高な印象からクラスでは“氷の淑女”と呼ばれている、あの氷ノ宮氷雪が?
 驚きつつも、守秘義務から直接たしかめることもできない青は、どうにかして覚世ロイ=“氷の淑女”であることを確かめようとするが奏功しない。しかし、とあるアクシデントをきっかけに氷雪は自ら青に接近し、そして依頼する。「わたしに、ライトノベルの書き方を教えて下さい」と。
 過去5回の投稿は全て一次選考選外。厳格な祖母のもとで気詰まりな生活を送り、心ない下読みの評価シートによって自身の作品への評価も低い氷雪を励ましつつ、青の原稿アドバイスが始まる。目指すは、2か月後が投稿締切である英談社スター文庫新人賞での、まずは第一選考通過である。
 ブレインストーミング、コンセプトの決定、世界観やキャラクターの設定、
プロットの作成、台詞や表現の指導、――伏線の張り方。青のアドバイスを受けて、氷雪の創作は進んでいく。取材で訪れた水族館や、打ち合わせを繰り返す喫茶店で語られる、彼女の生い立ちや母・祖母との関係。“氷の淑女”に見えていた彼女の素顔に知らず青は惹かれ、全ての物語を愛する青の広々とした心に、氷雪もまた思慕をつのらせていく。
 ささいな勘違いがあったり、氷雪の祖母の本心に気付いたり。面倒くさくもかけがえのない日常を重ねながら、氷雪の原稿は完成に近づく。綴られる物語の終わりは、青と氷雪の共同作業の日々の終わりをも意味していた。
 特別な毎日が終わりを告げ、離れ離れになった氷雪のもとに、1通の封書が届く。それは、彼の真摯で愛着のこもったある仕事の結果だった。
 ある物語は終わり、しかしまだ物語は続いている。

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門田隆将『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』の感想


(2017年1月読了)

 実に久々になってしまったが、今年1月に数日間で読了した本から再スタートといこう。またぞろ止まってしまうことも大いに考えられるのだが、時間が許す限りは変わらず“かつて読んだもの”と“いま読んだもの”を混在させて更新していきたい。
 本書は、今年の年始に実家に挨拶するため帰省した折、父が読んでいたのを借りて少し読み、読み通したくなったので自分で入手した。福島第一原子力発電所の大事故をめぐるノンフィクションである。
 同所所長だった吉田昌郎氏の名前が副題として付されているが、内容としては、同所のスタッフ達、地元住民、政府関係者、自衛隊員など、吉田氏以外の人物に取材した部分も多く、福島第一原発の事故全体を俯瞰した著作と言ってよいだろう。
 もともと2012年11月に単行本として刊行されていたが、昨秋になって角川文庫に入り、それで読む人が増えたことと思う。
 全22章と細かく章分けされているので、それを逐一示すことはせず、全体について私なりの要約を示したい。本文に倣って敬称は略す。また、役職等も当時のものである。 

 2011年3月11日。福島第一原子力発電所所長の吉田昌郎は、所長室で被災した。揺れが収まるとすぐさま免震重要棟の緊急時対策室(緊対室)へ駆けつけ、緊急対策本部の本部長として、勤務する人員と原子炉の安全のための指揮をとることとなる。
 地震に次いで予想外の大津波が襲来、非常用DG(ディーゼル発電機)が水没し駆動不能となったため、事態は致命的なものとなる。SBO(Station Black Out)――全交流電源喪失。原子炉を冷却するための機器を動かす電源が、確保できなくなったのである。
 電源が喪失状態に陥る中、吉田は原子炉冷却のため、消防車で水を入れることを考え、手配する。原子炉1号機、2号機を操作する中央制御室(中繰)では、当直長の伊沢郁夫により、現場へ行く際の基本方針が定められ、非番の当直長たちも集まりつつあった。しかし、制御盤の表示も消えている状況では、電源復旧の方法を探りながら、ともかく原子炉に水を入れ続ける方法を模索するしかなかった。
 既に放射能測定器が放射能漏れの可能性を示すなか、スタッフたちの懸命の努力が続く。決死の覚悟で原子炉建屋に突入し、ポンプが動くか確かめ、手動でバルブを開き冷却水の注入ラインを確保したとき、時刻は午後8時ちかくになっていた。

 地震発生と津波により、元大熊町長の志賀秀朗は着の身着のままで避難を余儀なくされた。無論、それは志賀だけでなく全ての地域住民に襲いかかった。「福島民報」富岡支局長・神野誠が見た被害の光景は、壮絶なものだった。
 地震発生から10時間が経過し、「線量増加」が東電幹部を焦らせていた。テレビ会議ヨウ素剤を服用すべきか否かについて煮え切らない返事しかしない本店に対し、吉田は怒りを爆発させる。

 原子炉に水を注入し続け、格納容器を爆発させないためにベントを行う。その方針に沿って、吉田は津波で押し寄せて貯まっていた海水を注入することを決める。しかし、福島第一原発にあった消防車3台のうち、損害がなく動かせるのは1台のみ。消防車の確保が次の課題となる。
 経済産業省池田元久副大臣らが現地入りし、現地対策本部が発足する。しかし、電源喪失のため、原子炉のあらゆる数値は計測不能のままだった。海江田万里経済産業大臣はベント実施の会見をするが、ベントをすると判断するのは政府か事業者たる東電なのか、解釈がバラついていた。会見で耳慣れぬ用語に記者らが困惑し、同時に事態の深刻さを胸に刻む中、世界初の本格的ベントの準備は進められる。
 原子力安全委員会斑目春樹委員長は、ようやくもたらされた情報が示す深刻さに驚くが、現場の状況を推測し、フィード・アンド・ブリード(注水しつつ蒸気を逃がす)を提唱するとともにベントの必要性を説いた。次第に入ってくる情報は、どれも想定を超えて悪いものばかりで、1号機が“空焚き”になっていることは間違いなかった。圧力上昇する格納容器を破裂させないためには、ベントを急ぐしかなかった。
 緊迫が強まっていく1号機、2号機の中繰では、手動によるベントの準備が進められていた。誰が危険な現場に行って、ベントをするのか。必要以上の志願者たちが手を挙げるのに、申し訳なさと有り難さを覚えながら、伊沢は人員を決めていく。基準は、比較的年齢が高く、職責が高い者だった。恐怖を“何か”で克服し、ベント実行メンバーたちは重装備を整えていった。

 12日未明、池田元久は、菅直人首相が現場にやってくるという報告を受け、驚く。震災・津波の被害からの人命救助に大わらわの現地に首相が来る意義は乏しく、また原発についても官邸から指示した方がよいのではないか。居合わせた東電副社長・武藤栄も同感だった。周囲が困惑するまま、官房長官の枝野に全権委任をし、菅は斑目らとともにヘリに乗り込む。
 菅の現地入りには、吉田も困惑した。注水とベントに頭を絞り、装備も限られた中で首相を迎えることはロスでしかない。
 福島へ向かうヘリの中では、斑目が事態の深刻さを菅に説明しようと試みたが、“イラ菅”とあだ名される菅に封殺された。現地に着くなり、菅は武藤にくってかかり、汚染検査に対しても怒声を発する。
 菅と相対した吉田が状況を説明すると、ようやく菅は落ち着き、池田が差し出した福島第二原発についても「原子力緊急事態宣言」を発し、避難指示を出す書類を決裁した。菅らが乗ったヘリが宮城方面に飛んだのは、午前8時過ぎ。彼らが首相官邸を飛び立って2時間ほどが経過していた。
 のちに、現場を混乱させたとして、菅の現場訪問は非難された。菅は訪問の理由を、筆者(門田)に対し、“ベントが進まないことの説明が官邸では得られなかったため(星見による要約)”と答えている。菅にとって、現場で吉田に話を聞くまで、納得できる説明が得られなかったということになる。

 郡山市に駐屯する陸上自衛隊第六師団隷下の第六特科連隊に、消防車派遣の準備をせよという命令が下ったのは、3月11日の夕刻。吉田所長の発案が要請という形で届いたものだった。危機の迫る原発への出動という任務に、これまでとは違う思いを抱き、隊員たちは福島駐屯地の消防車とも合流、福島第一原発へと向かった。現場の状況に改めて驚きながら、隊員たちは一号機への注水・冷却に従事する。
 菅らが去った直後、吉田はベントは午前9時開始を目標とするよう指示した。それまでイメージトレーニングを繰り返していたベント実行メンバーたちは、淡々と原子炉建屋へと向かう。第1陣の2人は企図したバルブを開き、無事に帰還した。しかし、第2陣では、線量計が振り切れ、撤退を余儀なくされた。

 12日明け方、富岡町の災害対策本部では、福島第二原発の広報担当から、ベントとそれに先行する住民避難について説明が行われていた。7時前に避難指示が町内に放送され、14時のセシウム検出の報を受け、町長ら幹部だけが残った災害対策本部は現地での機能を失った。
 内部からの手動ベントが不可能と分かり、吉田の指示で「外」からのベント――コンプレッサーで空気を送り込み、ベントができないか――が検討される。内部からのベントを再チャレンジすべく、第3陣が覚悟を決めて建屋へ向かった時、スタック(排気筒)から上がる白い煙が発見され、ギリギリのところで第3陣は引き返す。
 この白い煙こそが、空気圧によるベント成功を示すものだったが、まだそうと知らない中繰は重苦しい空気に支配される。中繰に居る意味はもはやない。しかし、自分たちが中繰から去ることは、発電所も地域も見捨てることになる。万感を込めて伊沢は若い運転員たちに残ってくれと告げ、他の当直長たちも頭を下げた。
 その時、突如として爆音が発電所を襲った。12日15時36分、1号機が水素爆発を起こしたのである。爆発の衝撃により、免震重要棟の渡り廊下の天井は崩壊。以後、汚染状態での活動を余儀なくされる。給水活動を続けていた自衛隊の渡辺秀勝曹長は、驚きながらも怪我人の手当てにあたり、続けて海水注入の作業に入る。
 しかし、海水の注入について、官邸から「待った」がかかる。海水注入について再臨界などの懸念を斑目が口にしたのに対し、政治家たちが過剰反応したためだった。吉田はテレビ会議上では注入停止を聞き入れながら、実態は海水注入を継続させた。
 過剰な介入だったのではないかとの指摘に対し、菅は法律が想定していた緊急事態の甘さ、それゆえの機能不全に官邸が出ざるを得なかったと反論する。しかし、それによって官邸が混乱していたことは、映像と音声に残されている。
 1号機建屋の爆発を受け、伊沢は中繰から若い運転員たちを退避させた。残った“年寄り”17人の1人、吉田一弘は「最後だから」と各人の写真を撮り始めた。
 やがて吉田所長の指示により、中繰は5人ずつの交代勤務へと切り替わる。地震当日の朝に中繰に入って以来、外に出ていなかった伊沢は、上部が吹き飛ばされた1号機建屋を見て、爆発の凄まじさに驚く。さらに、免震重要棟内のあらゆる所に倒れ、うずくまっている人――協力企業や女性など、戦争でいうところの“非戦闘員”――の多さにも驚くとともに、何かしら心強いものも感じていた。

 14日午前11時1分、ふたたび轟音が響いた。3号機が水素爆発を起こしたのである。福島第二原発での支援を切り上げ、第一原発へやってきたばかりの陸上自衛隊中央特殊武器防護隊や、東電関係者らも爆発の被害を受け、緊対室の吉田が把握できない行方不明者は一時40人に達した。結果的にこの数字はゼロとなり、死者は出なかったが、吉田は作業を命じた自分の判断を後悔する。交代で中繰に詰めていた担当者は、死を覚悟していた。
 3号機の爆発により、海水注入を行っていた消防車やホースが大破したが、幸いにも代替策が見つかる。一方、2号機は内部の圧力が上昇し、注水できなくなるという致命的事態が出来していた。一進一退の状況が続き、3日間不眠不休の吉田は、現在の作業に直接関係の無い者の避難を口にする。座り込んだ吉田の脳裏に去来するのは、“一緒に死んでくれる”仲間たちの顔だった。
 「東京電力が福島第一から全員撤退したいと言っている」。15日未明にそんな連絡が入り、官邸は驚愕する。東電の清水政孝社長は「制御に必要な人間を除いて」という言葉を使っておらず、そこから生じた誤解だった。
 全てのプラントの暴走を許せば、福島第一から半径250キロ以内、およそ5000万人が避難対象となる。菅らが清水に直接確認すると、「撤退など考えていない」との答え。不信感をつのらせた官邸は、政府・東電が一体となった統合本部を東電本店に設置することとした。
 菅はテレビ会議の映像を通じ、福島第一や対策本部など各所に対して統合本部の設置を宣言する。しかし、「逃げてみたって逃げ切れないぞ」など現場を理解していない言葉は反感を買うことになる。「逃げ切れない、とは日本自身のこと」と菅は当時の発言を振り返っている。

 15日午前6時過ぎ、衝撃音とともに2号機が爆発した。「必要最小限の人間を除いて退避」と吉田は命じる。自分は今ここに必要か否か――この曖昧な命令の判断は、各人に任せられた。
 生と死の瀬戸際に、ある若い者は「残る」と言って説得されて出て行った。ベテランでも出て行く者がいた。防災安全グループの佐藤眞理は、緊対室に残っていた若者たちを説得し、避難させる。緊対室の円卓に残った69名の人員は、佐藤には死に装束に身を包んだ神聖な者たちに見えていた。
 残った人々はしかし、死ぬと決めたわけではなかった。食べ物を探し、ヨウ素剤と一緒に摂って作業に臨む。とはいえ身体はボロボロだった。仮設トイレの小便器は、皆の血尿で赤く染まっていた。
 69人では、注水作業の人員が不足していた。一度は避難したが、徐々に現場に戻る人が増えていく。それに、消防車を運転したり水を補給するノウハウも充分ではない。周囲から消防車は集まってくるが、被曝を恐れて近づいてこれない。
 消防のノウハウがある協力企業・日本原子力防護システム(JNSS)の阿部芳郎は苦悩する。すぐにも第一に行って支援したいが、JNSSの社長が社員を危険な場所に向かわせられないと判断したことも理解できる。電話で作業のやり方を教えながら、阿部は社長に懇願する。翌16日、社長はついに阿部に福島第一に行く許可を出す。危険な現場に向かうのに、阿部は社長に感謝していた。
 そんな人々の奮闘に、状況は一進一退を繰り返す。物資が近くまで来ているのに到着しない。そんな孤立無援の中で現場の作業は続いた。
 まさに根比べだった。原子炉以外に核燃料保管用のプールが損傷している可能性もあり、予断は許されない。
 東電は改めて自衛隊に支援を要請。空と陸から、放水を試みることとなる。ヘリで、消防車で、放水が実施される。重装備に身を固め、消防車に乗った隊員は、線量計のアラームが鳴り響く中、屋外に立って自分たちを誘導する東電の人間を見て畏怖の念を抱く。
 自衛隊による幾度もの放水、福島第一原発の復旧班と消火班、その他多くの人員の協力によって、福島第一原発の冷却は進んでいった。

 混迷する現場の状況の中で、スタッフたちは家族との連絡を試みていた。
 死んだと思われていて半ば驚きとともに再び通話できたことを喜ばれた者がいた。その人物が涙を流したのは、震災から5か月後、動物たちにまで迷惑をかけたことを自覚した時だった。
 たまたま通じたメールによって遺言に等しい言葉を送った者がいた。誰もが、家族の深い愛を知った。

 一方、津波によって帰らぬ人となったスタッフもいた。生死も分からない子を待つ間、家族や友人たちが折った折り鶴は7000羽にもなった。故人の父は、行方不明者2名を出しながら仕事を続け、今また故人の話をしに自分たちの所へ来てくれた現場の仲間たちに敬意を表した。

 所長である吉田が自宅に戻れたのは、4月になってからだった。高校の頃から仏教に興味を持ち、座右の書は道元の『正法眼蔵』。達観した死生観を持つ彼がステージⅢの食道癌の宣告を受けた時、震災から8か月が過ぎていた。
 11年12月初め、既に所長の職を辞した福島第一原発の緊対室で、吉田は挨拶した。後に「チェルノブイリ事故×10」と自らが表現した福島第一原発最悪のシナリオを回避するため、状況に向き合い続けた吉田に対して、万雷の拍手が起こった。

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歌野晶午『長い家の殺人』の感想


(2004年11月読了)

 現代日本のミステリである。布団の中で二晩読んで読了した。
 「現代」といっても発表されたのは1988年なので、読んだ当時としても一昔前、現在(2017年)からすると四半世紀以上前の作品である。それほど昔とは感じていなかったが、改めて驚く。
 それはともかく、まずは概要を示す。

  1986年の秋なかば、越後湯沢のロッジ「ゲミニー・ハウス」には、東稜大学の学生バンド“メイプル・リーフ”のメンバーたちの姿があった。ベースの山脇丈広(やまわき・たけひろ)、ギターの戸越伸夫(とごし・のぶお)と武喜朋(たけ・よしとも)、ドラムスの駒村俊二(こまむら・しゅんじ)、キーボードの三谷真梨子(みたに・まりこ)、そしてファンのようなカメラマンのような役割を勤める市之瀬徹(いちのせ・とおる)。まだスキーには早い季節、彼ら6人が集まったのは、メンバーの大半の卒業を控え、最後のライヴのために練習合宿をするためだった。
 しかし、彼らを待っていたのは不可解な惨劇だった。初日の夜に行方不明となった者と、消えた荷物。窓から見えた人影。そして、翌日の午後、忽然と現れた死体。
 警察が捜査に入り、唯一の宿泊客だったメンバー達と、オーナーの権上康樹(けんじょう・やすき)は取り調べを受け、疑われる者も出るが、犯人が明らかになることはない。殺人を犯したのはメンバーの誰かか、宿のオーナーか、あるいは近隣のリゾートマンションを荒らす窃盗犯の仕業なのか。
 真相が分からないまま季節は過ぎ、“メイプル・リーフ”は1人を欠いた状態で再度ラスト・ライヴの準備を始める。だが、新宿のライヴハウス「パーム・ガーデン」でのステージ真っ最中、再び凶行が演ぜられる。
 またも理解不能な現場の状況に、警察は困惑し、メンバーは打ちひしがれるが、彼らの前に、ドイツ帰りの“メイプル・リーフ”初代ドラムス、信濃譲二(しなの・じょうじ)が現れる。彼は、残されたメンバー達から話を聞き、2つの現場を調べ、手巻きで煙草を吸い、信濃は消えて現れた死体の謎を解き、譜面に記されたA7の暗号を解明する。
 真相を看破した信濃だったが、真犯人への法による裁きを重視せず、犯行を「ライヴ・ショー」と言い表す。真犯人よりも、狂気に満ちているのは、信濃かもしれなかった。

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