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ひびき遊『ガールズ&パンツァー1』の感想


(2019年2月読了)

 原作に当たるアニメーションのことは以前から知っていたのだが、観る機会に恵まれなかった。先般(といっても、もう1年以上前の話になるが)、知人によって希望が叶えられ、テレビシリーズと後発のOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ。もちろん今日ではDVD等の媒体が普通だろう)、2015年公開の劇場版までを観ることができた。

 そのとき、同作のライトノベル版も借りられたので、併せて読むこととした。概ねテレビアニメの物語に沿う形のノベライズで、全3巻である。まず今回は1巻について扱うこととして、概要から記載する。

概要

 空母の甲板に学園都市を載せた“学園艦”が洋上に浮かび、戦車での模擬戦を行う“戦車道”が、茶道や華道と並んで女子の嗜みとして行われている世界。
 茨城県大洗町を本拠地とする学園艦・大洗女子学園の2年生、武部沙織(たけべ・さおり)は、生徒会が復活させようと画策する戦車道のプロモーション映像を見たことで興味を持ち、必修選択科目として戦車道の履修を決める。彼女の目的は、すばり“異性にモテること”だった。

 長いこと戦車道が行われていなかったため、学園内での戦車探しからしなければならなかったが、いよいよ実際に戦車を動かす日が訪れ、沙織の意気は上がる。「華道よりアクティブなことがしたい」と戦車道を選択した友人の五十鈴華(いすず・はな)、戦車に並々ならぬ情熱を抱く秋山優花里(あきやま・ゆかり)、戦車道の家元・西住流の娘で戦車道経験者でもある転校生・西住みほ(にしずみ・――)。それが、沙織とともに戦車――Ⅳ号戦車D型――に乗り込むチームメイトである。
 生徒会三役による生徒会チーム、バレー部復活を誓う4人のバレー部チーム、歴史好き4人の歴女チーム、1年生ばかり6人の1年生チーム、そして沙織たち。それぞれ寄せ集められた戦車に乗るこの5チームにより、大洗女子の戦車道は再開された。

 生徒会が自衛隊から招いた特別講師・蝶野亜美(ちょうの・あみ)により、いきなり校内での練習試合が催されるが、急ごしらえの役割分担ながら沙織たちは奮闘、沙織の友人で学年主席の冷泉麻子(れいぜい・まこ)の飛び入りもあり、見事に単独勝利を収めた。沙織たちのあの手この手の説得により、麻子は正式にⅣ号戦車の操縦手として参加することとなる。

 通信手を担当することとなった沙織は、その夜、自分にできることを考える。蝶野の助言も踏まえ、彼女は自分なりのやり方で戦車内の快適化を提案するが、他チームもそれぞれ思い思いのカスタマイズを行っていた。
 その型破りなやり方に優花里は頭を抱え、戦車道の強豪校から来たみほは新鮮なものを感じていた。戦車道をやっていて「楽しい」と感じたのは、彼女にとって恐らく初めてのことだった。

 戦車道の基礎を習得し始めた一同だが、その上達を待たずに生徒会は他校との練習試合をセッティングした。相手校の名は聖グロリアーナ女学院。全国大会準優勝の経験もある強豪校である。
 時期尚早ではないかという思いが交錯する中、早朝6時という集合時間に麻子が難色を示し、戦車道を辞めると口にする。“午後からの天才”という二つ名通り、彼女は朝が弱いのだ。
 さらに、大洗女子の隊長となったみほから、試合に負けたら「あんこう踊り」を披露するはめになったことを知らされ沙織は愕然とする。が、どうにか麻子は集合時間に間に合い、全員揃って対グロリアーナ戦に挑む。

 イギリスの戦車によって編成される聖グロリアーナは練度も高く、大洗女子は浮き足立つ。みほは隊長として大洗町での市街戦を指示するが、大洗女子の戦車は徐々に数を減らし、沙織たちのⅣ号戦車が最後まで奮闘したものの、及ばなかった。
 惜敗は悔しいものだったが、聖グロリアーナの隊長・ダージリンはみほの実力を認め、友好の証である紅茶の缶を残して去って行った。ペナルティの「あんこう踊り」も屈辱的ではあったものの、試合を終えた大洗女子は一つにまとまりつつあった。

 練習試合を終えてほどなく、今度は公式戦である「第63回戦車道全国高校生大会」が近づいてきた。組み合わせ抽選会の場で、みほに声をかけてきたのは、彼女の実の姉である西住まほ。前回の準優勝校で、みほも以前は在籍していた黒森峰女学園の隊長である。

 姉との再会に苦いものを残しつつ、みほが引き当てた第1回戦の対戦校はサンダース大学附属高校。アメリカの戦車で編成される金満学校だった。
 みほは、戦車保有台数全国一位というサンダース大付属に脅威を感じるが、優花里の情報収集により活路を見出す。一方の優花里は、初めて自宅に訊ねてくれる友人達ができたと喜んだ。

 更なる実力アップのため、大洗女子は蝶野に徹底指導を依頼し、厳しい練習に食らいつく。お揃いのパンツァージャケットも出来上がり、士気は高揚した。

 そして始まった大会第1回戦。南の島を舞台とした試合は、サンダース大付属の優勢に進んでいく。違和感を覚えたみほは、そのからくりを看破し、逆手にとった戦術に出る。そして、Ⅳ号戦車の砲手・華の射撃は、ぎりぎりのところで相手フラッグ車を捉えた。
 試合後、サンダース大付属の隊長・ケイは部下の監督不行届きを詫び、爽やかなものを残して去っていく。次なる2回戦の相手校は、イタリアの戦車で編成されるアンツィオ高校と決まった。

感想

 まずは楽しく読むことができた。話の展開としては知っているので、先が気になる、というのとは少し違ったが。

 先述の通りテレビアニメの小説化ではあるものの、アニメとは決定的に違う点が一つある。言うまでもなく、語り手が西住みほではなく武部沙織である、という点である。
 なぜ沙織が語り手となったのか、という問いには、「みほが語り手だと完全にアニメと同じになってしまうから」という以外にも、割と容易に答えらしきものが返せるだろう。
 アニメにおける主人公であり、西住流戦車道の家の出であるみほ、当初から戦車に造詣の深い優花里は特殊過ぎるので端から除外するとして、華道の家元の子である華もまた普通とは言い難いし、両親と死別しており天才肌な麻子もまた適当ではない。つまり、一般人である読者から最も近い場所に居るのが沙織なのだ。

 彼女の視点で、きょときょとと戦車道の世界を見回し、自分の感覚に引きつけて楽しむような描かれ方が、特に1巻では顕著だったと思う。恋に恋する女子高生である沙織が語り手であるということは、地の文が乙女チックなものになることと不可分である。
 とはいえ、作者は恐らく男性であり、女子高生の自意識を模倣した上で戦車道という空想を本物らしく描くという難題を課されたことになる。この挑戦は、まずは成功しているように私には読めた。

 その戦車道だが、アニメでもライトノベルに描かれた様子を読んでも、なかなか魅力的な競技のように思えるのだが、どうだろうか。もちろん、安全性など気になる部分もあるのだが、これほど多人数が活躍する様を描ける競技もないと思う。
 現実で最も近い競技は騎馬戦くらいしか思いつかないのだが、それを高いレベルで描いた作品などは知らない。私がしばしば引き合いに出す漫画家の藤田和日郎氏が、「騎馬戦を題材にした漫画を描きたい」と言っていた気がするが、氏の資質的にガルパンのようにはならないだろう。

 また、戦車道の起源について考えると、戦争の道具でしかなかった戦車が、精神性を獲得して競技になったという、教官役の蝶野の話(p.255)はなかなか奥深い。確か、アニメの方ではその点はあまり触れられていなかったように思う。

 本書での蝶野の弁を前提とするならば、この世界でも二度の大戦が経験されたのだろう。その後、戦車道が成立したと考えると、これは現実における剣道などの成立と繋がる部分もあるように思う。日本の武道は一度GHQによって全廃されそうになったが、関係者の尽力で継続することができた、という話をしばしば耳にする。そう考えると、荒唐無稽に思える戦車道も、ある程度は正統性がある気がしてくる。

 そんな戦車道を久方ぶりに復活させた大洗女子学園が、みほに導かれ、未経験者ばかりのチームと寄せ集めの戦車で大会を勝ち抜いていく、というのが物語の本筋である。道具立てが戦車でなく野球やサッカーならば、王道の青春ストーリーと言えるだろう。

 寄せ集めだけあって大洗女子の戦車は多国籍な顔ぶれだが、試合相手の学校は皆、特定の国の戦車で統一されている。戦車だけでなく、それを運用するための思想もまた、国ごとに異なるようで興味深い。
 1巻で大洗女子が試合をすることになる聖グロリアーナ女学院、サンダース大付属高校は、ともにお金があるハイソな学校のようである。そもそも、戦車道ができる学校というのは、平均以上の財力が必要とされるのではないかと思う。

 それはともかくとして、聖グロリアーナのダージリンもサンダース大付属のケイも、隊長に似つかわしい人格者として描かれている。両者のキャラクターの違いが、そのまま校風の違いであり、彼女たちが駆る戦車の本拠であるイギリスとアメリカの違いなのだろう。
 ちなみに、あくまで彼女たちはイギリスやアメリカを戦車道の規範としているだけであり、国籍としては日本人のようである。本当にイギリス人やアメリカ人にしてしまうと収拾がつかないという判断のゆえであろうか。

 最後に、2点のみであるが、疑問点についても記載しておこう。
 まず、10式戦車について優花里が語るシーンで言及される「LAPES仕様」(p.29)とは何か。「LAPES」とは「Low-Altitude Parachute Extraction System」の略で、低空飛行する輸送機の後部ドアから、物資につけたパラシュートを開くことで引き出し、地表に投下することを指すらしい。

 窓を細く開けるという意味のように用いられている「すかす」(p.212)。作者の出身地である関西の方言のようにも思えたが、一応、辞書で「透かす」を調べると「隙間をこしらえること」という意味があるので一般的な用法と言える。しかし、関東で暮らしてきた私にはあまり馴染みのない使い方である。大阪などでは多用されるのだろうか。

 1巻の感想としては、ここまでとしておこう。引き続き、近日中に2巻について書きたい。

 

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