何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

伊集院静『三年坂』の感想


(2004年8月読了)

 氏の文壇デビュー作(処女作?)「皐月」を含む初期短編集。同作と「三年坂」「チヌの月」「水澄」「春のうららの」の計5作を収録している。ちなみに後ろの2作品は書下ろしらしい。以下、各編のあらすじを軽く。

あらすじ

 「三年坂」。母の七回忌で故郷の山口県小郡に来ている、鮨職人の宮本甚。冷えた夫婦仲のために妻の和枝は伴っていない。長く銀座で修行し、鎌倉の長谷に店を出した日、母みずえは交通事故で死んだのだった。法事を終え、列車に揺られる甚の脳裏に、母と2人で山奥の温泉に出かけたある夏の日のことが思い出される。ある人の「陣中見舞い」だと母は言い、バスに乗った2人だったが、険しい道に母は酔い嘔吐してしまう。吐瀉物に自分の嫌いな熬子(いりこ)が混じっているのを見て、甚は母を哀れに思ったのだった。
 列車は京都に着き、弟弟子にあたる柏木を待ちながら、甚の回想は続く。山奥の温泉宿の一室で会った作業着で髭面の男には、右手がなかった。夜半、母が部屋を出て行ったのを知り、心細くなった甚は、戻ってきた母に顔を埋めて泣いた。
 翌朝、甚は清水寺への道を物思いに耽りながら歩いた。息子だけを励みに生きて、死んだ母。妻との諍いの元は、母に対する甚の執着なのかもしれなかったが、甚にとっては釈然としない虚しさがあった。
  三年坂を訪ねたのは、生前の母が、ここの竹細工屋に注文して受け取れずにいた品があったためである。店の老人から告げられたのは、母の意外な話だった。坂道を降りながら、母に「女房一人仕切れないか」と笑われた気がした甚は、少し急ぎ足になった。
 「皐月」。鉄工所を営んでいた木村正作が五十代も後半に入った頃、妻の晴が身ごもり、ひょっこり生まれた男児、惇。初めての男の子ということもあり、正作は惇をいたく可愛がっている。
 梅雨の終わり、正作は、隠居して始めた遊技場に飾る七夕の竹を取ろうと、惇を青煙(あおけむり)の峠に誘う。地元の農家に断り、父子は山に入る。目当ての場所で笹を切り、滝の岩場で昼飯を食べた2人だったが、ふとしたことから正作は岩場から落ちかけ、松の木に片手でぶら下がる状態になってしまう。父に言われ、木樵小屋の老人を呼びに惇は走る。嫌いな蛇に遭遇するが、少年は自分を奮い立たせて小屋へ走った。
 報せを聞き惇よりも先に現場へ行った老人に父は助けられ、腕を痛めたが元気だった。正作が落ちかけたのは、岩場に咲いた皐月の花を妻に取って帰ろうとしたからなのだった。
 その夜、腕に包帯を巻いて横たわった父が惇に礼を言うと、惇は少し涙を流し、海を見ながら自分の将来の夢を膨らませるのだった。
 「チヌの月」。洗濯屋の老人、上川亀次は、若い頃から不器用で鈍いために周囲からいじめられ続けてきた。そのことを今でも夢にみる。そんな彼の楽しみは、店の夜のチヌ(クロダイ)釣りだった。亀次には、ここ4年、目当てにしている大物のチヌがいた。もともとは、亀次の町にふらりとやってきて一杯飲み屋を始めた斉藤が狙っていたチヌだが、斉藤は女に逃げられ自分もこの町を出て行ったのだ。
 アタリがない中、亀次は物思いにふける。テレビは嫌いではないが見ていると疲れること、新型アイロンやプレス機がどうも気に入らないが、息子の慎一と嫁の妙子は歓迎している様子なこと、砥屋に生まれ、11歳で洗濯職人に奉公に出されたこと、戦争から帰って結婚した戦争未亡人だった妻ヌイのこと……。一家を養い孫の顔まで見られたのだから上出来な人生と思いながら、ふと、息子の嫁である妙子が気にかかる。亀次は、妙子に何か既視感があるような気がして、苦手でもあった。
 目当てのチヌがかかり、亀次は格闘する。首尾よく釣り上げたが、岩場に飛び込んだチヌを取ろうと飛び移った瞬間、足を滑らせて岩の間に挟まってしまう。にっちもさっちもいかないまま、潮が満ちてくる。助けを呼ぶが、誰も来ない。釣ったチヌを上着の中に抱き込み、孤独を耐えるが、これまで溜まった鬱憤が、亀次に初めて怒鳴り声を上げさせた。大声で泣いた亀次は観念し、亡き妻のことを考えだす。思いは初年兵として朝鮮に居た頃のことに連なり、そのとき死んだ朝鮮人の荷役の娘に、妙子が似ていることに気付くのだった。
 満潮の大波により、亀次の身体は自由になり、不意の生還を果たす。せっかくのチヌを帰し、亀次は家に戻った。指には、あのチヌが咬んだ歯が残っていた。
 「水澄(みずすまし)」。ゴルフ場の会員権のセールスをしている男は、何事にも無気力だった。大学を中退して就職したものの上司と諍いを起こして辞め、再就職したが上手くいかずに酒とギャンブルに溺れ妻子は離れ、職を転々としているのである。
 休んでいた公園で、男は草野球の監督をしている神山という男と知り合う。投手が来ないで困っている神山たちを見て、男は臨時の投手を申し出る。投手としての才能に恵まれ甲子園直前までいきながら、敬遠ができずに逃したことが引き金となり、男の人生は暗転していった。ほぼ同時にあった妹の死が追い打ちとなり、今のような男になったのである。
 チームメイトの援護もあり、試合は男たちのリードのまま最終回となる。最後のマウンドで神山の言葉に自然と従い、強打者を敬遠して勝ちを拾う。試合が終わり、男は公園の池の水澄しを見ながら子供の頃のことを追憶する。「水澄しは水の中には入れないよ。水の中はコワイところだもの」。母の言葉を思い出し、男は野球でつまずいて以来の自分の人生を思う。神山たちの祝勝会に呼ばれたことを思い出し、男は歩きだした。
 「春のうららの」。結婚を間近に控えながら、大胆な短髪にした娘の美律子に驚く、さちえ。夫の英二に先立たれ、娘の新婚生活に責任を持とうと思うさちえは、新婚旅行に費用を割こうとする娘に注意しようと思いを巡らすが、目に入ったくちなしの花を眺めるうち、自分が新婚だった頃を回想する。
 過去。神楽坂の料理屋「仙竹」の従業員同士として知り合い、やがて夫婦になったさちえと英二は、休みをもらって熱海の温泉宿に行くことにする。さちえは自分が人並みに幸せになれるはずがないと信じ込み、幸せと感じていてもそれは嘘で、いずれひどく悲しいことが待っているように思えるのだが、英二といる時だけは、そんな感情が起こらないのだった。
 熱海に着いて宿を探すが、足元を見られたのかよい宿は見つからない。伊豆長岡でも見つからず、バスで下田まで来たが、同じだった。伊東ならどうにかなるかもしれないと聞き、伊東への最終バスに乗ろうとするが、英二はもう一走り探してくると言って出て行ってしまう。停留所で待つさちえを例の想念が襲い、英二はもう帰ってこず置き去りにされてしまうのではないかと考えるが、バスが出る直前に英二は走り戻ってきた。
 けっきょく伊東でも宿は見つからず、夫婦は東京行きの最終列車で帰ってきてしまう。英二は不満そうだったが、さちえはもう一人ではないことを噛み締めていた。
 ふたたび現在。美律子の部屋に行ったさちえは、うたた寝している美律子が結婚後の姓で名前を書いているのを見て、先刻の考えを少し改めようと思うのだった。

感想

 読んだ当初は後の『乳房』(当該記事)よりも巧くないか? と思ったのだが、いま軽く再読した限りでは、その感想は誤っていたように思う。拙い、とまではもちろん言わないが、現在と回想を重ね合わせる構成の、重複していたりくどく感じる部分があるように思われたのである。それでも平易な表現が多いので読みやすいのは同様であろう。昨今(2004年当時)映画化した『機関車先生』など、さらに後年の作品はどうなっているか、そのうち読んでみたい。

機関車先生 (講談社文庫)

機関車先生 (講談社文庫)

 

 「三年坂」は、この題で山口から始まるのが意外だった。銀座も京都も久しく行っていないし、長谷に至ってはたぶん行ったことがないのだが、そういう場所の鮨屋がどんなものなのか、興味が湧いた。終盤の仕掛けが、静かに自然に作品世界を一転させてくれるところがよい。

 「皐月」「チヌの月」は、物語の佳境に“自然の中に取り残される男”という要素を配置している点では共通しているが、前者はその父を助けるために走る少年、後者は取り残された老人というように主観が異なっている点が異なる。「皐月」の正三は、経営者的な仕事をしており、晩く授かった男の子(主人公)がいるということで何となく宮本輝「蛍川」(当該記事)の重竜を思わせる。もちろん偶然の一致だろう。
 私は釣りはやらないのだが、「チヌの月」の描写を読んでいるうち、やってみたくなった。大物を釣る描写というのは、それ自体でクライマックスがあるので小説にし易い要素ではないかと思う。「チヌの月」ではところどころ「川えび起して」「腎炎こじらせて」などのように助詞「を」が省略されているのだが、何か意図があってこうなっているのだろうか。気になる。

 「水澄」「春のうららの」はどちらも30ページくらいの短編。前者の「敬遠すればいいんだ」というような人生観って、どうなのだろうか。多くの作品では逆の考え(「敬遠しちゃダメだ」)が提示されている気がするのだが、それに対するアンチテーゼとして書かれたものだったりするのかもしれない。「春のうららの」は熱海の辺りをぐるぐる回って帰ってきてしまうだけの話だが、それを現在の母娘関係からの回想として置いているところが特徴的。だが、別にそれを置かず、過去を描いた「二」の部分だけでも十分に味わい深い小説なのではないだろうか。

 どの作品も、人生というものの残酷さとか煩雑さといったものに、立ち向かおうという意図を持たず、しかし立ち向かう人間の強さが滲み出ているように感じた。亡妻である夏目雅子や付き合いのあった色川武大のことに触れたあとがきを読み、この作者を少し好きになった。

新装版 三年坂 (講談社文庫)

新装版 三年坂 (講談社文庫)

 

 

 

 

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