何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

伊集院静『乳房』の感想


(2004年2月読了)

 直木賞受賞作の表題作を含む短編集。他に収録作は「くらげ」「残塁」「桃の宵橋」「クレープ」。まずはそれぞれあらすじを。

 「くらげ」。大学時代の友人である佐藤幸之助の妹、公子に会いに、「私」(是水)は静岡にある公子の店を訪れる。
 幸之助と「私」は大学野球部の新人採用試験で知り合い、結局おなじ大学には入れなかったが、野球をする者同士で親交が生まれ、公子も交えたつきあいが続いた。しかし、あるとき幸之助が野球を辞めると「私」も辞め、多忙のために交友が途絶えてしまった。数年後「私」が公子と再会すると、幸之助が行方不明だと知らされた。公子は結婚して離婚し、「私」と関係を持ったりして、月日が流れていった。
 久々に会った公子は店を閉めると「私」を海に誘い、三度目の結婚をすると語る。「私」はかつて海で弟を亡くした時に見た夜の海に漂うクラゲのことを思い出しながら、公子の幸せを思うのだった。
 「乳房」。「私」(下川憲)の妻、里子は癌で既に半年入院している。舞台演出をしていた憲は仕事も辞め、看病に専念していた。舞台監督としてつきあいのある栗崎三郎は、それを「善人過ぎる」と言って飽き足りない。
 里子の治療成績はあと一歩というところで足踏みをする。「遊んできていいんだよ」という妻の言葉に、「私」は自分の性欲と妻の性欲を思う。栗崎に連れられて、久方ぶりに“遊び”に赴くが、「私」は果たせず、大きく頑丈な女の身体に、妻の憐れさがこみ上げる。
 病室に行き、「私」は月を見ながら妻の身体を拭く。里子は「私」の手を乳房に導き、「私」は妻の髪に頬を寄せた。
 残塁。23年ぶりの再会となる旧友、津森謙二郎に会いに、彼の営む池袋の焼き鳥屋“鳥しん”へ向かう「私」。大学の野球部でピッチャー同士だった津森はノンプロからプロに入団し、やがて引退したらしい。脳裏には思い出が蘇る。体育会の上級生によるいじめとしごき。ナイーブで危なげな津森。行きつけの店“黒いテキサス”のママとの奇妙な三角関係。
 店を閉めた津森と彼の妻と共に飲みに出る「私」。津森の妻は、夫に寄って来る人が「ホモみたいな感じの人ばかり」と笑う。歌う津森を見ながら、「私」は津森とのもう1つの記憶、湘南の海でボートに乗り、津森に野球を辞めると言った時のことを思い出し、彼への嫉妬と憎悪を認める。
 「桃の宵橋」。男勝りの冴子は44歳。子どもを連れて14年下の健治と再婚してそれなりに楽しく暮らしているが、母親の“仕事”のことが気にかかっている。母は、山っ気のある父に協力して三業地で娼家“志乃”を営んでおり、かつてはそれで警察に引っ張られもしたのだ。
 父を憎みつつ妹や手伝いの小夜とともに動いて保釈して貰ったのに、母はまだ”仕事”を続けている。“志乃”で働く3人の女たちは1人は若いが、あとの2人はもう50に近い。若い子はいいが後の2人が借金が無くなるまであと半年、続けさせてくれないかと、母は冴子に懇願する。腹を立てて冴子家に帰るが、母が階段から落ちて骨折したと連絡が入り病院へ向かう。母は冴子に“志乃”に今夜の分の仕出しを届けてくれないかと依頼し、冴子はそれに従う。“志乃”に仕出しを届け眠り込んでしまった冴子は、そこに父がやってきて電灯に赤いビニールテープを巻いた蛍光灯を仕掛けるのを見る。桃色の光に照らされ、瑞々しい色気がよみがえる50女たち。柔らかい気持ちで“志乃”を後にした冴子は、廓からの橋を渡りながら今夜が雛祭りであることを思い出した。
 「クレープ」。服飾メーカーのパタンナーである可葉子と同棲している「わたし」(江津佑)。友人の高沢と草野球をするなど平穏な日々を過ごしているが、15年前にけいこという女性と離婚しており、下の娘が二十歳になるまで送金をしている。ある日、大田区に住むけいこから電話があり、上の娘みのりが高校に合格し、会いたがっていると言われる。承諾した「わたし」は落ち着かない日々を過ごし、みのりと会う日がやってくる。不器用な父と娘。噛み合うような合わないような時間を過ごし、「私」とみのりは別れた。

 1本30分で読了というところか。短い会話文が多く、表現も平易なのですこぶる読み易い。物語の内容的にも綺麗だと思う。
 作者は高校大学と野球をやり、卒業してからは広告代理店(電通という説もあるが確証がない)に勤めていたようで、それが幾つかの作品にも表れている。また、作者の2人目の結婚相手は夏目雅子だが、「乳房」は彼女の入院と闘病をモデルにしている、という説もあるようだ。

 作風の話をすると、すっと読めるのだが、それゆえに渋みには欠けるかとも思う。全体としてのテーマは「生きることと死者」なのだと思うが、それが刺激として伝わってこない。娯楽としてならば、それはそれでいいのかもしれないが、それだけではとも少し思う。
 ただ、それでも「桃の宵橋」の、売春防止法成立の前後という時代に、困っている人の救済として娼家を営むという構成は面白く思った。何も解決はしていないようにも思えるが、ラストの桃色の光のくだりの艶めいた風情がよい。それと、主人公の祖母に当たる人のこんな言葉もなかなか重みがある。

『男の子、三人産んだら、人殺しのことをなじっちゃあいけないよって。女の子、三人産んだらお女郎さんのこと悪くいっちゃあいけないよって』

 極論と言えばそれまでだが、子を産んで育てるというのは、それだけの覚悟は必要なのではないかと、そうは思うのである。
 また「クレープ」では、父親にとっても娘がどういうものなのか、少し分かる気がした。それと解説(講談社文庫版)で、現代人の平均寿命延長による文学の退廃について展開される論は興味深い。

乳房 (講談社文庫)

乳房 (講談社文庫)