何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

今野緒雪『マリア様がみてる』の感想


(2004年5月読了)

 当時(2004年1月)アニメ化されて話題となっていたコバルト系のライトノベルを読む。手に取った時には既にシリーズが17冊ほど出ていたが、とりあえず最初の1巻だけ。以下、まずあらすじ。

 東京都下にあるカトリック系ミッションスクール、私立リリアン女学園。名家の令嬢が多く通うお嬢様学校である。高等部1年の福沢祐巳は、父が設計事務所を営んでいるためいちおう社長令嬢といっても、学園の中でどちらかといえば庶民派に属している。容姿も成績も平均的な彼女だったが、ある朝、憧れていた小笠原祥子にタイを直されてから学園生活が一変する。
 高等部には、代々伝わる姉妹(スール)という慣習があった。上級生が下級生と1対1で姉妹の契りを交わし、学園生活の指導者となるというものである。なかでも生徒会である山百合会の幹部を構成する紅・白・黄という3つの薔薇の名を冠する上級生“薔薇さま”と契りを交わすことは、薔薇の“つぼみ”の称号を得ることとなり、特別な意味があった。祐巳に声をかけた祥子は、“紅薔薇のつぼみロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)”であり、そのため祐巳は多くの生徒から好奇の目で見られることとなる。
 山百合会幹部が集う薔薇の館を訪ねた祐巳だったが、そこには今まで見たことのない声を荒げる祥子の姿があった。揉め事の原因は、学園祭で山百合会が上演する『シンデレラ』の配役について。主役を演じる祥子だったが、近隣の男子校、花寺学院の生徒会長が王子役として客演することを知り、男嫌いの彼女は辞退を望んでいたのである。話のいきがかり上、祥子は祐巳を妹にしようとするが、あまりに唐突なために祐巳はこれを辞退する。悶着の末、山百合会は祥子に条件を出し、これを満たせば役を降りてよいということになる。それは、祐巳を妹にできるか否か、ということだった。ただし祐巳が妹になれば、シンデレラ役は祐巳とする、という釘を刺して。
 かくして学園祭までの間、祥子は祐巳にモーションをかけながら、揃ってシンデレラの稽古を行うことになる。見ているだけでは気付かなかった祥子の厳しさ、烈しさを知りながらも、想い抱いていた通りの公正さ、気高さに改めて祐巳は惹かれていく。学園祭の直前、王子役の花寺学院生徒会長の柏木と祥子の事情が明らかになり、祐巳は祥子に自分を妹にするよう申し出るが、祥子は「逃げたくない」と役を演じ切る決心をする。
 後夜祭を見ながら、祥子との特別な期間も終わったと寂しさを感じる祐巳の前に祥子が現れ、再度、姉妹の契りを申し出る。小さな打ち上げ花火が夜空に咲き、新たな姉妹となった2人は、『マリア様の心』のリズムにあわせてワルツを踊った。

 ミッション系のお嬢様女子高での日常譚と言うべきだろうか。舞台となるリリアン女学園だが、生徒会の名前が山百合会だし、武蔵野にあるJRのM駅からバスで行けるらしいし、どうも調布の白百合女子大を想起する。とはいえ特にモデルにしたという話は無いようである。
 ちなみに作中で登場する『マリア様の心』は実在する歌らしい。YouTubeで見つけたので掲載しておく。確かにこの曲なら、ワルツが踊れそうである。

 お姉さまと下級生の関わりが主題となった物語だが、同性愛的な色彩はそれほど濃くない。2人の交流は、ピアノを連弾したりダンスの練習をしたりと、まことに優雅な感じで進んでいく。色々なタイプのお嬢様の誰も過度に耽美に描かれることはなく、声を荒げたりカレーを食べたりと、割と普通な女子高生として描写されているところが却って真っ当な印象である。“白薔薇さまロサ・ギガンティア)”こと聖による以下の台詞が、学園に君臨する“薔薇さま”と所詮は高校生という二面性を共存させた、この小説の絶妙なバランスを表しているように思える。

「しっかりして見えても、たかだか高校生だから臆病なのよ。……(後略)」(p.210)

 見落とせないのは、やはり姉妹(スール)というシステムだろう。『共同幻想論』(当該記事)の直後に読んだためか、“対幻想が社会を作る”というのはこういうことかと妄想したりもした。そういえば、漫画だが森薫乙嫁語り』の7巻には“姉妹妻”というペルシアの制度が登場する。

  これは既婚の女性同士が互助するというような意味合いのものだが、実在した風習であるという。女子校には実際に姉妹(スール)のような慣わしがあるところもあるようだし、女性同士の関わりは姉妹的な性格を帯びるというのは、ある程度普遍性があるものと言えるのかもしれない。

 

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