何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

荻原浩『なかよし小鳩組』の感想


(2004年9月読了)

 当時、日曜の朝にふと読み出し、そのまま半日ばかり読み続けて読了してしまった。へっぽこ広告会社の面々が登場する『オロロ畑でつかまえて』(当該記事)の続編である。まずはあらすじから。

あらすじ

 牛穴村の村おこしを成功させたものの、零細代理店であるユニバーサル広告社の現状はそう変わらない。老舗と言えば聞こえのいい結婚式場・鶴亀会館のコピーを考えつつ、アル中気味でバツイチのコピーライター、杉山は相変わらず燻っていた。再婚した元妻の幸子のもとを飛び出してきた7歳の娘・早苗が転がり込んでくるが、頼みの綱だった鶴亀会館の不祥事でせっかくの仕事も水の泡となり、会社は一気に傾きかけ、バイトの猪熊エリカはいつにも増して就職情報誌を読み漁る始末。
 そんな折に社長の石井が取ってきたのは、小鳩組なる会社のCI(コーポレート・アイデンティティ;企業イメージ統合戦略)の仕事。嫌な予感がしつつ、建設会社だと自分たちを騙しながら打ち合わせに向かった杉山、石井、パンクなアートディレクターの村崎たちの前に現れたのは、嫌な予感どおりの指定暴力団小鳩組の本部ビルだった。
 大いにビビりながらヒアリングを済ませ、フリーのデザイナー三田嶋を引き込んで、束の間の愛娘との生活を励みに、杉山は小鳩組のシンボルマークの製作に着手する。小鳩組からの目付け役・河田に最初こそ驚かされるものの、万年ヒラの立場に甘んじ、息子の運動会を楽しみにする河田を、杉山は邪険にできなくなっていく。
 どうにかシンボルマークの決定まで漕ぎ着け、これでお役御免と思いきや、革マル上がりの組のブレーン・鷺沢が石井と結んだ契約により、ユニバーサル広告社は更なる無茶振りを被ることになる。IC披露を兼ねた組の40周年記念イベントを催し、テレビCMを作れというのだ。
 幸子が入院すると聞き動揺する杉山だが、一念発起。酒を控え、陸上部にいた高校時代を思い出しながら朝のランニングに精を出す。記念イベントはともかく、どう考えても小鳩組のテレビCMを流すことは不可能に思われたが、ランニングは杉山に悪魔的な閃きをもたらす。
 杉山の提案に、鷺沢を始め小鳩組幹部は反発するが、組長の小鳩の乗り気に助けられ、鷺沢の企みも猪熊の意外な事情で挫かれる。どうにかこうにか、条件付きで杉山の案は採用されるが、その成否は杉山の走力にかかっていた。組の若者だがかつては陸上をやっていた勝也とトレーニングに励み、杉山はその日に備える。
 早苗のおかげで記念イベントもまずまずの成功をおさめ、あとは提案通りに“テレビCM”を実現するだけとなる。計画実行の当日、幸子の手術は無事に終わるが、それは早苗が今の父母のもとへと戻ることを意味していた。杉山は走る。小鳩組のCI戦略成功のために。そして、娘に父としての最後の姿を刻み付けるために。

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吉永良正『「複雑系」とは何か』の感想


(2004年4月読了)

 過去の読書記録は2004年9月まで進んでいるが、同年4月に読んだこの本を入れ忘れていたので、新年最初から締まらないが後追いで載せることにする。
 読書会(どういう集まりの読書会かは『唯脳論』〔当該記事〕を参照)の課題図書その3。今世紀の科学として注目される「複雑系」について紹介した本である。ちなみに手元にある2004年当時の本の装丁は、クリーム色の地にシダの葉とマンデルブロー集合がコラージュされた図案があしらわれている。
 この本を読んだあと、ほどなくして講談社現代新書の装丁は、全点一括で上に示したようなポストモダンなデザインに変更されてしまった。スタイリッシュだし、個別に図案を考えるよりも制作上は楽というのも分かるが、私はやはり本ごとに個性が出る先代のデザインが好きである。
 横道に逸れたが、まず当時の読書メモ(を分かりやすく加筆・修正した本書の概要)を載せる。

概要

 プロローグ 失われた〈世界〉を求めて。映画化もされた『ジュラシック・パーク』で登場し、続編『ロスト・ワールド』でもカオス理論を説明する数学者マルカム。彼の語る「カオスの縁」とは何か。その無秩序と秩序の間に伸びる生命の尾根道について述べることが、「複雑系」の成立と展望を語ることとなろう。
 「複雑系」の抽象性は、その抽象性ゆえに生物学的システムはもとより、物理学的、化学的、経済学的、気象学的……数多の領域に適用可能である。

 I 複雑系」のほうへ
 第1章 「複雑」とはどういうことか。煙草の煙、パチンコ、落ち葉の軌跡など、古典力学と確率論との間に位置する「複雑」は世界に満ちている。生物活動や進化、免疫系や脳神経なども同様。これらを「複雑」と見做すのは人間だけの特性であり、仮に神が存在するとして、その者から見れば「複雑」ということは有り得ない。

 第2章 いま、なぜ「複雑系」なのか。「複雑系」という領域が出現したからといって、世の中が突如として複雑になったわけではない。この領域が興ったのには、パソコンの普及が一役買っている。「複雑系」の先駆と言えるカオスと非平衡系という2つの研究の流れは、ともに気楽に試行錯誤できるパソコンというツールによって進捗していった。

 II 花咲く「複雑系」の影に
 第3章 複雑系」のフロンティア。「複雑系」研究の牙城であるサンタフェ研究所の発祥は、ノーベル賞物理学者であるマレー・ゲル・マンが、ロスアラモス国立研究所で、昼食後に研究員たちと気楽に語らっていたことからだと言われる。運営上の困難を経験しつつも、領域横断的な研究者の陣容と、彼らの短期滞在を基本とする運営方針によって研究所は躍進した。

 同研究所によって見出された用語たち。
 複雑適応系…通商問題、地球環境、エイズなど、並列に働く幾つものエージェント(要素)のネットワークであり、下位の要素が上位の要素が常に訂正・再調整を繰り返し、経験に根差して未来を予測するようなシステム。
 カオスの縁フォン・ノイマン発案のセル・オートマトン(オセロのような、周囲のマスの状態からそのマスの次の状態を決定する論理ゲーム)を発端とし、ジョン・ホートン・コンウェーらを経て、スティーブン・ウォルフラム、スチュアート・カウフマン、ノーマン・パッカード、クリストファー・ラングストンらによって見出された、セル・オートマトンの「複雑さ」が最大となる規則群(周囲から次の状態を決定する規則の集まり)の領域。
 自己組織化臨界…砂山の上に砂を少しずつ落としていく時、堆積と崩壊を繰り返すことで砂山の頂の角度が一定に保たれるような、それ自体が常に動的安定を保とうとする振る舞い。
 創発…上記3つのように、物事が不意に組織化・構造化する事象。
 サンタフェ研究所を始めとする「複雑系」研究には異論も多く、「複雑系」研究が即座に具体的な成果に否定的な研究者もいるが、筆者としては、サンタフェ研究所自体が「複雑系」的であるとし、今後に期待している。

 第4章 人工生命の複雑な未来。ラングトンによって構想された「複雑系」研究の主要分野のひとつ、人工生命の研究について事例を紹介する。
 CGアニメーターのクレイグ・レイノルズが実際の鳥の動きを研究して作った「ボイド(boid)」。“周囲の鳥の状態に対応して振る舞いを決める”という単純な命令で作り出された仮想の鳥の群れは、驚くほどの自然な振る舞いを見せた。
 ラングトンの「ループ」は、コンピュータの中でセル・オートマトンの輪が増殖していくというもの。ラングトンは人工生命の特徴をコレクショニズム(構成する上位・下位の要素が相互に動的安定を創る)だとする一方で、人工生命の創出によって倫理的な問題に直面するだろうと予想している。
 生態学者トマス・レイの「ティエラ」は、コンピューターの中で増殖・進化するプログラムによる人工生態系。寄生体、寄生体への寄生体、共生など、予想を超えた多様な“生命”が生じた。
 日本のATR(国際電気通信基礎技術研究所)が進める「人工脳」プロジェクトでは、気づかいや冗談を理解するコンピューターを目指している。ソフトウェアの進化とともに、ナノマシンの導入でハードウェアに自己改造・自己増殖といった機能が加わった「ダーウィン・マシン」もいずれは実現されるかもしれない。が、その際にラングストンの言った倫理的な問題は重要となってくるに違いない。

 第5章 コンピュータの中の遍歴。カオスから生じる「複雑さ」を研究するカオスの生態学における、日本の研究者の活躍が目覚ましい。
 物理・生物学者の金子邦彦は、カオス的特性を持つ系を相互作用を持たせて組み合わせた大域結合マップ(GCM;Globally Coupled Map)という手法を用いて、平均との結合度と構成要素の非線形度によって、相空間における系全体のふるまいが4つに分かれることを発見した(コヒーレント相、カオス相、秩序相、部分秩序相)。これはウォルフラムがセル・オートマトンで見出した4クラスと類似する。
 このうちの部分秩序相では、バラバラの状態と秩序だった状態が時間経過とともにスイッチする。しかも秩序だった状態になる際の個々の結びつきはその時々によって異なる。同じ頃に国内で類似の実験結果が見られ、この現象はカオス的遍歴と名付けられた。
 カオス的遍歴とカオスの縁は似ているが、前者が結果として提示された有様であるのに対し、後者は結果をλパラメータという人為的な評価尺度の導入によって示されたという点で異なる。また後者は概念というよりも探すべき標的といった方が適当と思われる。
 カオス的遍歴が示すのは、自由度の低減が秩序の生成を、増大が秩序の崩壊を意味する(ように見える)ということ。これは、静的なものと考えられがちな自己組織化という概念に、各部分が自由に動きながらも総体としては秩序があるかのように見えるという新しい見方を提示する。
 動的な安定状態を保とうとする機構を、金子らはホメオカオスと呼称する。また、自由度が変動する開いたシステムで起こる、自由度のジャンプとホメオカオスによって、多様性が維持された安定性が生まれるダイナミクスを開放系(オープン)カオスと呼んでいる。厳密に定義されたこれらの概念が、今後の「複雑系」科学では重要になるのではないか。
 日本で「複雑系」研究が実を結ぶのはなぜか。第一に“複雑→単純化”という発想への懐疑。第二にそうした単純化の背後にあると思われる“プラトン的なイデアを求める”という発想に囚われないこと。第三に複雑な現実を複雑なまま直視するという“流行の中に不易を見る”見方ができるということ。仲間内で通じるだけというのは避けなければならないが、日本には良い土壌がある。

 III 囚われの科学、逃げ去る自然
 第6章 「科学」とは何であったか。「複雑系」に至る科学の歴史を紐解く。理系・文系問わず、いかなる人間でも、自然主義的世界観によって自己の周囲を認識することから逃れることは困難である。そうした世界観の形成で決定的な役割を果たした人物の1人がユークリッドである。彼の『原論』による対象の単純化、普遍性の結晶たる法則という概念の提示は、聖書と並んで西欧文明が世界を理解・改造するための基礎となった。
 さらに世界の数学化を、膨大な数の実験と結果の数値化によってガリレオ・ガリレイが推し進め、アイザック・ニュートンが見出した古典力学(運動の三法則)により、現実世界の複雑・多様な事象は単純なモデルに還元され、運動方程式によって決定論的に算出されるという図式が出来上がった。世界は機械的に認識されることとなったが、そこから漏れるものとしてサイコロの出目などの“デタラメを生成する機械”を処理するため、統計力学による確率論が生まれた。
 古典力学決定論統計力学の確率論の両輪は万能であるかのように見えたが、しかし、「複雑」なものを「複雑」なまま見ようという態度は依然として欠落していた。それを見ようとするのが「複雑系」である。より細かく言えば、古典力学的な秩序から混沌を見出すのがカオスの研究、統計力学的なカオスから秩序を見出すのが自己組織化の研究である。

 第7章 秩序と混沌のはざまで。カオスを本格的に研究した最初の人間は、アンリ・ポアンカレである。太陽系の安定性についての問題で、近似解を厳密化していく補正を繰り返すと、逆に軌道が不安定になるということを発見した。彼の研究は長く放置されたが、やがて気象学者のエドワード・ローレンツがコンピューター上で行った大気の変動のシミュレーションでバタフライ効果が見出されると、10年後に彼の論文をヒントにリー・ヨークの定理が発見され、カオスの研究は世界的に行われるようになった。
 カオスの定義として分かりやすいのは「もっぱら法則によって支配されながら法則性のないふるまい」。ローレンツの気象モデルで見れば、大気の状態を示す数値(初期値)が僅かに異なれば結果が指数関数的に変わる(初期条件に対する鋭敏な依存性)。
 ローレンツのモデルの変数それぞれを座標軸に取り、時間経過に従って変化する状態を示す点をトレースする(位相空間という)ことで得られる軌跡を長時間追跡すると、固有の幾何学模様が表れる。アトラクターと呼ばれるその模様は、普通は一点収束したり、巻き付いたり、ドーナツ状になったりするが、ローレンツのモデルのものは蝶の羽のような奇妙なアトラクターとなる。これらストレンジ・アトラクターは、いくら拡大しても同じように見えるフラクタル図形であり、従って微分不能である。カオスとフラクタルは密接な関係を持つらしいことが明らかになってきていることは「複雑系」研究のポイントの1つである。
 カオスの多様さはまた、非線形性(直線的でない図形やその関数など?)の多様さともいえる。数学者の山口昌哉によれば、(自然を読み解くという意味での)数学は非線形のものの方が多く、これまで人類が拠り所としてきた線形は一部に過ぎない。自然の大部分を占める非線形こそは、人間にとって一般化不能なものではないだろうか。
 自己組織化について言えば、最初にこれに言及したのはアダム・スミスに始まる古典経済学であろう。考えてみれば、人文科学はその対象とする事物によって、最初から複雑性と直面していたとも言えるが、方法論が確立されてきたかというと疑問である。結局はユークリッドに始まる単純化した世界しか対象としてこなかったのかもしれない。
 物理学場における自己組織化の重要性を探究していた人物としてイリア・プリゴジンが挙がる。彼とブリュッセル学派の文脈によれば、熱力学が対象とするマクロ系は、外部とのエネルギーと物質の交換が有るか否かにより孤立系・閉じた系(エネルギーの交換のみ行う)・開いた系(エネルギー・物質の交換を行う)の3つに区分される。社会や生物は、開いた系と言える。
 孤立系は古典的熱力学の二大法則(エネルギー保存、エントロピー増大)が成立し、時間の経過に従って不可逆的にエントロピーは最大となり(熱平衡)、熱的死を迎える。開いた系においては、熱平衡から遠く離れた状態・熱平衡の手前の状態・熱平衡の状態という3段階に分類することができる。時間的には最初となる熱平衡から遠く離れた状態では、系の構成要素の相互作用が働き、状態を表す方程式は非線形となる。さらにエネルギーや物質の流れが臨界点を超えると、新しい構造や組織が自然に出現する。非平衡非線形開放系で出現するこうした構造には、エネルギーが常に散逸することによって維持されるという特徴がある(散逸構造)。散逸構造の例として卑近なものではレーザー、ろうそくの火、アリなどの社会性昆虫の行動、都市などが挙げられる。

 エピローグ 見出された〈世界〉。複雑なものを単純化・一般化・線形化せずにそのまま見ようという姿勢は、哲学の現象学に通じるものがある。普遍的な一般理論が作りにくくなったという傾向は、自然科学だけでなく観念的とされてきた数学にも見られ、科学全体の変容を予感させられる。『ニーチェツァラトゥストラはかく語りき』における人間の精神の変容になぞらえて言えば、19世紀までの科学はラクダ、20世紀はライオン、これからは小児に変化しなければならない。
 「複雑系」の科学には、確かに小児の遊戯に似た面がある。例えばアナロジー(ここでは「類推」というより隠喩=メタファーに近い?)が多用されるが、それは恣意的解釈に繋がりやすいという危険性がある。
 そうした危険性を克服した上で、こう言えるかもしれない。地動説の登場になぞらえ、人間は物自体を認識せず認識形式が現象を構成するとしたカントの「コペルニクス的転回」に対し、天動説になぞらえ、物自体を認識するという「プトレマイオス的逆転回」が起こる時が来るのかもしれない、と。

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川端康成『伊豆の踊子』(集英社文庫版)の感想


(2004年9月読了)

 デビュー作「招魂祭一景」所収。「踊子」は学生時代に新潮文庫版で一度読んだのだが、処女作や新潮版に入っていない他の作品(逆に「抒情歌」「禽獣」は新潮版のみ)を未読だったので再読かたがた手に取った。こちらの収録作品は前掲2編と、「十六歳の日記」「死体紹介人」「温泉宿」の合計5編である。
 私が手に取った2004年の頃はもっと野暮ったい(失礼)表紙だったのだが、2008年ごろに集英社の週刊漫画誌『ジャンプ』の漫画家陣による名作文庫の表紙一新があって、『踊子』は『ジョジョの奇妙な冒険』で大人気の荒木飛呂彦氏が手掛けることとなった(参考:旧版の表紙を載せているブログが有ったのでリンクしておこう→shino-shinoのブログ:June 26, 2008)。何となく、『ジョジョ』のPart5である「黄金の風」の主人公ジョルノ・ジョバァーナの“スタンド(一種の超能力)”、生命を創り出す“ゴールド・エクスペリエンス”を思わせる表紙である。
 調べてみると、集英社が漫画家による文庫本の装画を始めてからもう10年近く経っており、20点ほどがあるようだ。ざっと見て「いいな」と思った3点を下に示すが、荒木氏の独自性はやはり頭一つ抜けているように思う(ちなみに以下3点の『遠野物語』は『ぬらりひょんの孫』の椎橋寛氏、『銀河鉄道の夜』は『I'll』や『テガミバチ』の浅田弘幸氏、『夢十夜草枕』は『封神演義』の藤崎竜氏による。)。

遠野物語 (集英社文庫)

遠野物語 (集英社文庫)

 
銀河鉄道の夜

銀河鉄道の夜

 
夢十夜;草枕 (集英社文庫)

夢十夜;草枕 (集英社文庫)

 

 それはそれとして、まずは各編のあらすじを。

あらすじ

 伊豆の踊子。秋。20歳の一高生である「私」は、伊豆の旅の途中にあり、天城峠に差し掛かる。道中、「私」はぐうぜん出会った旅芸人の一座の踊子に惹かれ、一座と共に下田まで旅することになる。一座は大島から来ており、14歳の踊子・薫、薫の兄の栄吉、栄吉の妻の千代子、千代子の母、雇われの17歳の少女芸人の5人だった。「私」は一座や宿で出会った紙屋らと屈託せずに交流し、同時に踊子から寄せられる素朴な思慕に、孤児根性で歪んでいると感じていた自分が癒される感じを受ける。「私」と踊子は次第に接近していき、一座とは正月に再会して芝居を手伝う約束すらするが、下田に着き、踊子を約束した通り活動に連れて行こうとして果たせず、そのまま「私」が東京に帰る日がくる。乗船場には踊子の兄だけが見送りに来たが、海際には踊子がいた。踊子は「私」の言葉に頷くばかりで、船が出ると白いものを振って見送った。船室で涙を流す「私」を、隣にいた少年は気づかってくれ、その好意に甘えながら私の涙は零れ続けた。
 「招魂祭一景」靖国神社の例祭である招魂祭で、曲馬娘のお光は団員と共に芸を披露している。客引きをしていると、かつて曲馬団にいたお留がやってくる。今は源吉という男と日暮里で暮らしているお留は、「男のおもちゃになり出したらもうきりがない」「早く抜け出しなさい」とお光に言う。お光の心はさざめき、一団の花形の桜子と話すことで気を取り直そうとするが、動揺が後を引く。曲芸の調子が出ず、ついに桜子の落馬の原因すら作ってしまうのだった。
 十六歳の日記。作者の16歳の頃の日記に注釈を付ける形で展開する。祖父と2人暮らしだった当時、その祖父は病を患い、中学生の作者に寝返りや用便の世話をさせ、曖昧な精神状態で世話をかけていた。近所の百姓女おみよに手伝ってもらい、“毛物憑き”ではないかなどと不安にかられつつ、祖父の世話の日々は続く。漢方医の心得があり、易学や家相にも通じて「構宅安危論(こうたくあんきろん)」なる書物を企てたこともある祖父は、先祖の栄光を口にし、自身の人生を悔やむ。つのった苛立ちは作者にも向けられ、思わず作者は祖父を憎む。祖父の曖昧さは増していき、整頓された会話が難しくなっていった。そこで日記は途切れており、現在の作者は当時の記憶が無いことに驚き、その後8日して祖父が死んだことを付記しつつ、祖父に思いを致す。
 「死体紹介人」。訪ねてきた「私」に、朝木新八は物語る。Box and Cox(顔を合わせないルームシェアの類例)をきっかけとした奇妙に悲劇的な体験を。当時学生だった新八は、帽子修繕屋に下宿する酒井ユキ子という女性の部屋を、彼女の出勤時だけ勉強部屋として使うという契約を交わす。彼女の仕事とは乗合い自動車の車掌だった。しかしほどなくユキ子は病を得、亡くなる。身寄りのないらしいユキ子の葬儀にかかる金に困った新八は、友人で医科大助手の入江と相談し、彼女の死体を内縁の妻のものとして解剖用に寄付することを決める。解剖台の上に載ったユキ子を写した写真を見て、新八は“科学の白々しさ”を感じながらも、寝る前にポルノ写真とともにそれを眺めるのが癖になってしまった。
 ユキ子の妹の千代子が遺骨を取りに来るが、新八は入江に相談して代わりに鶏の骨を用いようとする。その準備のために赴いた火葬場で知り合ったのが、娼婦だった姉を亡くした伏見たか子であった。大学を出た新八は千代子を使用人として雇って同居を始めるが、たか子が会いに来たり、ユキ子の死体の写真を千代子が見たことなどから、千代子を単なる使用人以上として扱うようになっていく。千代子が姉と同じ車掌として働き出すと、たか子は足しげく新八のもとを訪れるようになり、姉と同じ急性肺炎で千代子が入院すると、新八とたか子の距離は接近し始める。千代子の死の間際、新八は千代子との結婚届を出した。千代子の通夜の晩、たか子がやって来ると、2人はそこで、死体の媒酌によって婚礼を交わす。
 「私」は、葬式費用に困っている死体を解剖用に寄付するよう勧めている死体紹介人、朝木新八に死体の周旋を頼もうとやって来たのだった。
 「温泉宿」。恐らくは伊豆近辺の温泉宿。そこへ女中として出入りする女たちの群像。
 A 夏逝き。跳ね返りで開けっ広げで、自身の経験から近所の曖昧宿の娼婦たちを憎むお滝と、「修身教科書」的な道徳観と、芸者屋に奉公していた経験によって花開く女としての自身の間で揺らぐお雪。宿の客と懇ろになる者もいれば、それを蔑む者もいる。宿の近くに朝鮮人の土工たちがやって来ると、朝鮮の女たちもやって来、女中の1人お絹が土工相手の淫売宿へ移って行った。
 B 秋深き。毎年夏と正月に宿を手伝いにくる倉吉と、お雪は親しくなる。料理番の吾八は暇を取って宿を出る。朝鮮人に続き、日本人の土工たちがやって来て、宿の離れに工夫監督が下宿し始めた。娼婦のお清は、自身が長くないことを悟り、自分の棺の後を可愛がった村の子ども達が列を成す様を想像する。ある朝、庭掃除をしていたお雪は、工夫監督と深い仲になったらしきお滝を見て涙が込み上げる。お滝のもとへと来たお絹は、土工たちに貸した金を帰すよう監督から便宜を図るよう頼むが、お滝は取り合わなかった。倉吉と関係を持ったお雪は、暇を出された倉吉を追って宿を出るが、その先行きは暗い。
 C 冬来り。あまりに娼婦的過ぎたお咲は、村から退去を言い渡されて今では町に住んでいるが、葉書で呼び出されれば村まで商売に来る。彼女がやって来たちょうどその日は、お清の葬儀の日だった。しかし、夜も明けきらぬ時分の葬儀に子ども達の列は無く、侘しい光景だった。見ていたお咲が酒壜を投げると、それは竹の幹に当たり、ガラスのかけらが散った。

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若合春侑『腦病院へまゐります。』の感想


(2004年9月読了)

 煽り文句に曰く“究極の情痴文学”と言われた表題の処女作と、もう一編「カタカナ三十九字の遺書」を収める。以下まずは各篇あらすじ。

あらすじ

「腦病院へまゐります。」。苦しむ「私」から「おまへさま」への書簡。普段はお春婆様の営む店の帳場仕事をしていた「私」が、カフェの女給として働いていた時、客として来た英国帰りの帝大生「おまへさま」。夫がありながら「私」は「おまへさま」に強い恋情を抱き、肉体関係を結ぶ。谷崎潤一郎の小説を偏愛する「おまへさま」は、数々のサディズム的行為を「私」に強いるが、愛するあまり「私」はそれを全て受け入れようとする。乳首を煙草の火で炙られ、糞を食わされ、野外で全裸にさせられ、苦痛を感じる理性と喜悦を感じる情欲の間で揺れながらも「私」は「おまへさま」を慕い続ける。が、「私」との関係を変態性交のみと割り切る「おまへさま」は「私」に好意を示しながらも冷淡で、良家の女性と結婚する一方で「私」を苛み続ける。心身ともに傷つき、病院通いを始めた「私」は「おまへさま」に自分が既婚者であることを告げ、距離を置こうとする。満州から傷痍軍人となって戻った「私」の夫とお春婆様は「私」を手厚く介抱するが、「おまへさま」はしつこく「私」を誘い、それに乗った「私」に対していや増しに責め苦を与える。理性と愛欲の相反に苛まれ、ついに「私」はゼームス坂の脳病院(精神病院)に行くと書くが、直後、狂乱のさなかで「おまへさま」への愛を語り、「おまへさま」に殺されるのが本望と綴る。
「カタカナ三十九字の遺書」。少女時代から長く仕えた家の主人である色川喬太郎が死に、後を継いだ息子が屋敷を処分するため、居場所がなくなる寡黙な老使用人、芙蓉。死のうと思った彼女は、かつて主人が書き散らした反故を古鞄に詰めて街に出るが、適当な場所があるように思えない。みちみち思い出すのは、奉公し始めた時の少年だった喬太郎のこと。芙蓉が15歳の時、喬太郎は自分の「おとことしての機能」を試すために彼女を使い、芙蓉を奉公に出して間もなく自死した母に代わって片仮名を教えてくれたのだった。屋敷に戻った芙蓉は、台所を見て喬太郎の3人の妻と、年上の使用人だった八重を思い出す。この屋敷を相続する息子とは最初の妻ロオリィの子である祐太郎だが、その祐太郎の口からロオリィは姑が嫌だったわけではなく、妾が同居しているのに耐えられなかったと聞かされ、芙蓉は自分のことではないかと狼狽する。蘇る、堕胎と、喬太郎が芙蓉に書かせた片仮名の遺書による策略の記憶。いよいよ家を出る日が近づく中、持ち去られたベッドの下の防空壕に久しぶりに入った芙蓉は、そこで女の肖像画と、若い男女の写真をみつける。それは、喬太郎と芙蓉のこれまで全く思い描かなかった関係を示していた。やってきた祐太郎も残された手紙で事実を知り、亡き母への想いから「謝れ」と芙蓉に迫る。芙蓉の贖罪の祈りは届かない。

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山本周五郎『花杖記』の感想


(2004年9月読了)

 文壇デビュー作「須磨寺付近」所収の初期短編集である。これに加え表題作と、他に「武道無門」「良人の鎧」「御馬印拝借」「小指」「備前名弓伝」「似而非物語」「逃亡記」「肌匂う」を収めている。
 とりあえず各篇のあらすじから。

あらすじ

「武道無門」岡崎藩士の宮部小弥太は生来の臆病者。ふとしたことから果し合いを申し込まれるが、それも逃げに逃げて勝ちを拾う。そんな小弥太を見込んだ藩主の水野監物(けんもつ)忠善は、彼を伴って尾張城下の探索を試みる。道中、不審な挙動をみせる小弥太だったが、その働きによって探索は上首尾に終わり、褒美として加増を受ける。加増を恐れ多いと嫌がる小弥太だったが、妻のお八重から「魚庖丁と菜切庖丁」を引き合いにした説得を受け、加増を受けることを決めるのだった。

「良人の鎧」浅野幸長の家臣、香田孫兵衛は、石田三成に媚びようとする義兄を斬ったことで幸長から叱責を受けるが、その時そっと徳川家康への密書を渡される。家康へと密書を渡せたはいいが、義兄の弟、菊岡弥五郎が追ってきているのを知った孫兵衛は、諸国を流浪することになる。命惜しさではなく、いずれ来るだろう大坂と関東との戦いまで生きるためである。どうにか合戦に間に合った孫兵衛だったが、既に自分の差物と具足を付けた何者か――妻の屋代が参戦し傷を負ったこと、そして弥五郎が自分を追ってきたのは兄の仇討ちのためではなく、主君のもとへ帰れと言うためであったことを知り、愕然とする。仇討ちが怖い訳ではないと思っていた自分の心にまだ未練があったこと、そして妻の心遣いを思い、孫兵衛は泣いた。

「御馬印拝借」。家康の重臣榊原康政の家臣、三村勘兵衛は、娘の信夫と甥の土田源七郎を婚約させたいと思っており、源七郎の出陣を前にこれを実現させる。しかし、信夫は同じく戦いの予感に覚悟を固めた河津虎之助からの求婚にも思わず「はい」と答えてしまう。源七郎を頭に、虎之助を含む掛川先手組は討ち死に覚悟で砦にこもり囮になるが、その戦いの中、虎之助は源七郎と信夫の婚約を知るが、源七郎は身を引く覚悟をし、虎之助には離脱の命令を与える。本陣を示す御馬印を掲げるという奇策が功を奏し、徳川本軍は府中城の奪取に成功する。砦の先手組は源七郎以下全員討ち死にし、駆け付けた康政らは涙した。源七郎から三村勘兵衛に届けられた手紙は、信夫と源七郎との婚約は破棄し、信夫は生き延びた虎之助と夫婦になるよう依頼してあった。源七郎の優しさに、信夫はとめどなく涙を流した。

「小指」。そろそろ妻を娶るよう母に言われる歳ながら、すこし鈍いところのある山瀬平三郎。そんな彼を、小間使いの八重はかいがいしく世話していた。縁談を受けた平三郎だったが、ふと自分は八重を好いていることに気付き、破談と八重との婚姻を認めるよう、両親に願い出る。しかし、破談はともかく身分の違う八重との結婚に父母は戸惑い、八重自身も「故郷に約束した者がいる」と身を引く。数年経ち、ついに平三郎は母の薦めに従って身を固めてもよいと言う。喜んで相手を探そうと考えているうち、ふと通りがかって訪ねた八重の実家で、母は八重の真意を知る。平三郎は祝言を上げ、八重という妻を娶った。祝言から二十日ほど経って、妻の小指が見覚えのある形をしているのに気付き、ようやく平三郎は八重があの八重であることを悟るのだった。

備前名弓伝」備前岡山の藩士、青地(あおじ)三之丞は弓の名手だった。しかし腕前をひけらかすことはなく、何を聞かれても「……されば」で済ませていた。そのことに伯父の青地三左衛門はやきもきするが、本人はあまり気にしていない。ある時、安芸候が持参した狼を用いた犬追物で、三之丞はこれを一矢で仕留め藩の面目を保った。が、このとき二の矢を持たなかったことをきっかけに剣の腕にうぬぼれている滝川幸之進にからまれ、弓矢と剣の勝負をすることとなり、三之丞はあっさりと敗れる。領主の池田光政は事の本質を見抜き、三之丞は叱りはしたものの褒美を取らせ、幸之進には登城差し止めを申し付ける。これを不服とした幸之進は自分の屋敷に放火し逃走するが、追って行った三之丞との再勝負は、今度は本気の三之丞の一矢で決着した。

「似而非物語」。生まれつき“くる眼”の杢助(もくすけ)は、子どもの頃からどうしようもない面倒くさがりだったが、やがて加賀にある故郷を出奔し、40年を経て帰ってくる。時を同じくして村の実力者のもとに隠遁していた剣の“大先生”飯篠長威斎と知り合うと、教えを乞う人間がひっきりなしに来ることに嫌気が差したという長威斎は、杢助に自分の身代わりになって欲しいと言い出す。しぶる杢助だったが、押し切られ長威斎となる。ほどなく5人の修行者が杢助の草庵とにやって来た。彼らが身の回りの世話を焼くので杢助は有難がるが、難点は杢助が意図しないにもかかわらず、彼の言動から何かを「会得」して去っていくことである。杢助は極力「会得」させないように気をつけるが、つい「会得」させてしまうのだった。そうこうしているうち、前田家から使いの者が訪れる。金沢城にやってきて、勝負に勝たなければ金沢城を貰うという豪傑を倒してくれというのである。そんな頼みを杢助が聞けるわけもないが、使いの者たちはお構いなしで彼を金沢まで連れて行き、豪傑と対峙した杢助は「くる目」の発作を起こし、勝ってしまう。そのころ本物の長威斎が金沢城に姿を現すが、もはや誰にも本人だと信用はされなかった。草庵に戻った杢助は満足な日々を過ごすのだった。

「逃亡記」。横江半四郎は、家督を継いだ歳の離れた兄、文之進の手配で婿養子の縁談が決まったため、江戸から国許へと帰ってきた。予定より早く到着したため、祝言を上げる相手である溝口家に客分として留まることとなったが、その夜、謎の女に連れられて逃げ出すこととなる。さと、と名乗ったその女によれば、半四郎は藩主のご落胤であり、後継問題から命を狙われているという。山中を逃げ回る半四郎とさと。さとの手回しで、2人は豪農・殿島の家に匿われるが、そこで隣藩との領分をめぐる陰謀を裏付ける証左を見つけた半四郎は、これを切札にして自らは町人として生きていくことを藩に認めさせようと考え始まるが、陰謀などよりももっと驚くべき事実を、さとより告げられるのだった。

「肌匂う」。17の歳から江戸詰めで放蕩だった沢木甲午。国に戻って2年ほどが経ち、そろそろ妻を娶ろうということになるが、甲午の放蕩を知る友人たちが結婚生活について脅かすのでなかなか気が進まない。そんな甲午に、従姉のちやは早くお嫁を貰えとせっつくのだった。ある時、宴席に甲午の嫁候補が顔を連ねることがあり、気づまりな甲午は酒を過ごしてしまうが、それに乗じて顔も分からぬ女と関係を持ってしまう。罪悪感にかられた甲午は、ちやに相談し女の素性を探ろうと試みる。手がかりとなるのは、抱いた時に感じた独特な肌の匂いだけであった。結局、女のことは分からぬまま甲午は小雪という娘を娶った。しかし、ある時ふと甲午はあの女の匂いを嗅ぎ、そして全てを悟るのだった。

「花杖記」。加乗与四郎は、父の与十郎が城中で乱心し斬られたとして、剣術の試合の途中で連れ出され、そのまま監禁されてしまう。加乗家は代々「永代意見役」という面倒な役を頂いており、そのための父の教育方針に反感を抱いていた与四郎だが、それにしても父の死は不審だと思い、見張りの隙をついて脱出し国許を目指す。国に戻った与四郎は、昔の奉公人やその姪、幼馴染みの松尾らの助力を得て、ついに真相を掴み、父の仇討ちを遂げる。

須磨寺付近」。東京で精神的な打撃を受け傷心の清三は、友人の青木に迎えられ須磨にやってきた。青木の兄がアメリカに赴任しているため、青木、青木の兄嫁である康子、そして清三という奇妙な3人暮らしが始まる。浜辺、須磨寺、六甲山などに遊ぶうち、清三は康子に心惹かれていく。神戸松竹座での待ち合わせを機に2人の仲は俄かに接近していくが、康子は夫に呼ばれアメリカに去っていってしまう。

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