何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

有栖川有栖『孤島パズル』の感想


(2004年10月読了)

  京都にある英都大学の推理小説研究会(略してEMC)に所属する、著者と同名の青年を話者に、研究会会長にして“とある事情”から留年を繰り返している27歳の文学部哲学科4回生、江神二郎(えがみ・じろう)の理路整然たる推理が冴える「学生アリス」シリーズの第2作である。前作『月光ゲーム』の謎解きと青春ぶりが良かったので、本作も楽しみに読む。

 以下、まずあらすじを記そう。

あらすじ

 夏。この春、彗星のようにそのミステリ趣味を明かし、EMCのメンバーとなった紅一点の有馬麻里亜(ありま・まりあ)に招待され、アリスと江神は彼女の伯父・有馬竜一の別荘を訪れる。
 奄美大島の南方50キロに浮かぶ三日月状の孤島、嘉敷島の一端に建つその別荘――望楼荘には、アリス達の他にも、竜一とその息子と養女、義兄と2組の夫婦を含む親戚筋、旧友である医師の園部が休暇を過ごそうと集っていた。
 島のもう一端にある魚楽荘で休暇を過ごす画家の平川も交えた歓談の時に、パズル好きだったマリアの祖父が遺産のダイヤと共に島に遺したモアイパズルへの挑戦。アリスたちの南の島のバカンスは穏やかに過ぎゆくかと思われた。しかし、嵐の近づく滞在2日目の夜、竜一の義兄である牧原完吾とその娘の須磨子が、不可解な密室の中で射殺されているのが見つかる。
 一同が衝撃を受ける中、アリス、マリア、そして江神は推理を展開する。が、その謎もそのままに、今度は魚楽荘で平川が射殺されているのを見つけ、各人の動揺はいや増していく。
 彼らの死は、3年前、モアイパズルの答えが分かったとほのめかし直後に溺死したという竜一の長男・英人の死と関係があるのか。そして「進化するパズル」だというモアイパズルの正解とは。アリス達が再びモアイパズルを解くのとほぼ時を同じくし、三度銃声が響き、一切は終わったかに思われた。
 しかし、ひとり江神は否だと云う。弾痕と血痕。落とされた地図に付いたタイヤ跡。些細な事象から推理が語られ、孤島に築かれた一見無秩序なパズルに秩序がもたらされる時、島は“悲しい日”を迎えるのだった。

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荻原浩『花のさくら通り』の感想

 へっぽこ気味な零細企業・ユニバーサル広告社の活躍を描いたシリーズの3作目である。
 上製本の発刊は2012年だが、昨年に文庫化され、年明けにkindle化されたこともあり手に取りやすくなった。先日の記事で前作『なかよし小鳩組』に触れた勢いに乗って読む。

 以下、まずはあらすじを記そう。

あらすじ

 資金繰りが悪化し、ついに今までの事務所を引き払って郊外に移転してきたユニバーサル広告社。想像以上にこぢんまりしていたJR桜ヶ森駅…から更に隔たった、さくら通り商店街の和菓子屋・岡森本舗の2階が新たな事務所となるが、もう会えない娘からの葉書が楽しみで仕方ないバツイチのコピーライター・杉山、バイトの猪熊は不安と不満が入り混じるし、社長の石井にしても「こんなとこ」呼ばわりする始末。ただ1人、アートディレクターの村崎は「なかなかパンク」だと気に入った様子である。
 商店街の人々は広告社の面々をよそ者扱いするが、こちらはこちらで問題を抱えていた。行覚寺の門前町として賑わったさくら通りも今は昔。商店街はシャッター通り寸前で、第一さくら通りと言いながらずいぶん昔に桜並木は伐採されてしまった。
 それでも年齢と創業年数がものを言う商店会は上層部の睨みが厳しく、事態を好転することはできずにいる。いちおう商店街に区分される、桜ヶ坂の若者向けショップの店主たちとの反目もあるし、駅前のスーパー「デイリーキング」との価格競争など課題は山積みである。サラリーマン経験のある岡森店舗の跡取り、守(まもる)は危機感を募らせるが、現状は簡単には変わりそうもない。
 一方、行覚寺の跡取り息子である光照(みつてる)と、桜ヶ坂の教会の娘である初音(はつね)はインディーズのパンクバンド“ヘルキャット”のライブで知り合い、交際を始める。しかし光照は思い悩む。寺の息子と教会の娘がつきあってよいものか? そして、これから最低3年間の修業に入る自分を、彼女は待っていてくれるのだろうか? 家業のことを隠しつつ、いつかは告げねばならないと思いつつ、光照は初音との時間を過ごす。
 事務所の上に住み込むことになった杉山は、守からポスター制作を依頼された毎年6月の恒例行事“さくら祭り”について、せっかくだからと大規模な改革案をプレゼンするが、あえなく空振りする。しかし、界隈での連続放火犯さがしに参加したのを切っ掛けに、守、光照、ラーメン一番、蕎麦の藪八、小島酒店、喫茶ドルフィンといった商店会の一部と信頼関係を築き、さくら通りと桜ヶ坂の間も徐々に打ち解けたものになっていく。
 杉山の提案や「悪知恵」もあり、商店会の面々は“さくら祭り”を盛り上げ、「デイリーキング」を出し抜き、高齢化が進む桜ヶ丘ニュータウンで青空市を開くなどするが、なかなか大成果を挙げるには至らない。
 そんな若手の動きが、商店会長である煎餅屋「丸磯」の磯村たち上層部には面白くない。ことあるごとに茶々を入れ、自分たちの発言力を維持しようとする磯村たちに対し、守はある決心を固め、杉山は一計を案じる。制作が持ち上がりながらも懸案となっていた、さくら通りのCM制作。大金を出資した商店会の影のヘッド、すみれ美容室の寿美代先生の忘れられない男(ひと)チェリー・ルーへの想いを届かせるために、そしてもちろん商店街の命運を賭けて、杉山のプレゼンは幕を開ける。

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黒谷征吾『契り』の感想


(2004年10月読了)

  出先で読むものが無くなり、たまたまあった古本屋の100円コーナーで見つけたものである。家に戻れば読むものは唸っているので、それまでのつなぎとしてなるべく軽めのものを探したところ、その薄さ(総ページ数56p)が目について手に取った。新風舎文庫の1冊である。
 家に戻るまでの時間で読了。表題作と「足音」の2篇が収められており、どちらも時代ものである。

 この文庫本の版元である新風舎といえば、主にアマチュアの著者と出版費用を折半する、いわゆる共同出版事業を手広く展開していた出版社である。2008年に倒産したが、その際に同様の手法を展開する文芸社(こちらは現在も存続)との再契約を、各著者に提案したという話がある。恐らくこの本も、そうした経緯で文芸社文庫にも収まることになったのだろう。

契り

契り

 

 再契約の際には著者負担が再度必要だったそうであるが、それでも絶版よりは良いとの判断だろうか。著者について詳しいことは分からないのだが、略歴には1935年生まれ、新潟県出身とある。定年を迎えて筆を執り、よくできたので本にしてみたくなった、などというストーリーを妄想した。
 とりあえず、それぞれのあらすじを記す。

あらすじ

 「契り」。越後の陣馬村で暮らす弁慶は、大柄で力も強いが乱暴者でほら吹きなので村の嫌われ者である。父は大名の剣術指南番まで勤めた武士だったが、大名の嫡子とうまくいかず浪人となって自給自足の末に死に、今は姉の静香と2人で暮らしていた。
 ある日、村の若者たちの挑発にのった弁慶は、たらい舟で佐渡へ渡ることに。しかし雨と高浪に遭い、佐渡には着いたものの手形を無くしていたため金山で苦役に服すこととなる。刑を終えるや弁慶は病に倒れるが、金山見回り役の磯貝兵馬の世話で回復し、感激した弁慶は兵馬と父子の契りを結び、自らの村で再会することを約して帰郷した。
 皐月となって約束の日が来るが、兵馬は現れない。夜も更けた頃、とうとう兵馬がやって来るが、様子がおかしく、早々に姿を消してしまった。
 翌朝、兵馬の妻の志乃と共の者がやって来て、兵馬は謀略にかかり、自ら命を絶って魂だけが弁慶の村にやって来たことを伝える。弁慶は黒幕の黒部与兵衛を討つため、僧の装束を身にまとって佐渡へと向かう。
 黒部を倒し、配下の者たちも蹴散らした弁慶は、僧となり、姉とともに村のために一身をささげ、村人に愛されて生涯を閉じたという。
 「足音」。草加宿にある造り酒屋の春日屋。十五になったばかりのお園は、実家が貧しく、地元の岡っ引きである氷川の伝助親分の口利きで十の頃から住み込みで働いている。
 睦月半ばのある日、お園は春日屋のお嬢であるお久から、三月の間、彼女の代わりに毎晩、丑三つ時に氷川神社に参り、境内の玉砂利を1つずつ持ち帰るよう言われる。恋愛成就のおまじないである。お久の兄で総領の佐吉と、新入りの蔵人である仙太に慰められるお園だが、結局夜ごとのお参りを始める。
 氷川神社を目指す夜道で、お園は自分をつけてくる足音を聞く。最初は怯えるお園だったが、この地に伝わる“お守り若衆”だと思い当たる。ならず者たちから若い娘を助けようとして無念の死を遂げた者が、亡霊となって若い娘の夜道を守ってくれるのだという言い伝えである。
 その後も同道してくれる”お守り若衆”を、お園は仙太かもしれないと思いながら日が過ぎる。半月ほど経ったある夜、お園が戻ると、春日屋には押し込みが入り、旦那とおかみさんが殺されていた。駆け付けた伝介親分は、渡り職人を装って押し込みの仕込みをする賊の仕業だと説明する。お久のおまじないも、その賊の手回しによるものだった。
 家督を継いだ佐吉に求婚され、お園は驚くが、佐吉の思いを確かめるため、もう一度だけ氷川神社に参ると佐吉に告げるのだった。 

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ガルシン『ガルシン短編集』の感想


(2004年9月読了)

 処女作の特異性から「鬼才」と呼ばれ、精神を病んで33歳で自殺を試み世を去ったフセーヴォロド・ミハイロヴィチ・ガルシンだが、20程度の作品を遺したと聞く。その全てを日本語で読めるというわけではなさそうだが、「鬼才」というのが気になったので1冊読むことにした。
 手に取ったのは、いまや稀少となった福武文庫のものである。古本屋で初版本が1,000円だった(いまAmazonで買おうとするともっと安いようだが)。収録されているのは処女作「四日間」に加え、「臆病者」「邂逅」「従卒と士官」「がま蛙とばらの花」「赤い花」「信号」の7編。
 当時は(図書館を除けば)そんな選択肢しかなかったのだが、その後、岩波文庫から5編を収録したものが出たり、青空文庫で幾つか読めるようになったり、旺文社文庫版を底本としたKindle版が出て、読みやすくなった感はある。が、それら全てを合わせても全作品を網羅はされていないようである。

紅い花 他四篇 (岩波文庫)

紅い花 他四篇 (岩波文庫)

 

 作家別作品リスト:ガールシン フセヴォロド・ミハイロヴィチ|青空文庫

ガルシン短編集 赤い花

ガルシン短編集 赤い花

 

  岩波文庫版は「紅い花」「四日間」「信号」「夢がたり」「アッタレーア・プリンケプス」の5編を収録しており、青空文庫では今のところ「アッタレーア・プリンケプス」「夢がたり」「四日間」が読める(そのうちの「四日間」は訳者が二葉亭四迷なので、やや文章が古い)。Kindle版の収録作は「赤い花」「四日間」「アッターレア・プリンケプス」「めぐりあい」「信号」「ナジェジュダ・ニコラーエヴナ」である。
 入手難度や訳の新しさなどを考えると、これらのうちのどれかを手に取ることが多いだろう。私の場合、福武文庫版を軸に、青空文庫で「夢がたり」を、kindleで「めぐりあい」「ナジェジュダ・ニコラーエヴナ」を押さえて計10編くらいが手軽なところか。特に「ナジェジュダ…」は彼の妻の名を題名に戴いた一編であることから興味がある。
 さらに古い本であれば「ごく短い小説」「兵卒イワーノフの回想」を収めた角川文庫版や、福武文庫版の底本でもある全集(全3巻)などもあるが、入手は難しいかもしれない。
 書誌情報はそれくらいにして、収録作のあらすじをそれぞれ示そう。

あらすじ

 「四日間」露土戦争のさなか、志願兵の「俺」(イワーノフ)は、トルコ軍に突撃し気を失う。目覚めると、怪我をした「俺」は、自分が殺したと思しきトルコ兵の死体とともに藪の中に横たわっていた。両軍ともに付近には居ないらしく、「俺」は、暑さ、傷の痛み、喉の渇きなどに耐えながら、腐乱していくトルコ兵から水筒を奪い時間をやり過ごす。脳裏に浮かぶのは、戦争というものの不可思議、郷里の母や許嫁のマーシャのこと。死を覚悟した4日目のこと、「俺」は味方に発見され、片足を失うが生還する。そしてこの4日間のことを語るのだった。
 「臆病者」。戦争に反対する「僕」は、よく友人の医学生リヴォフ(ワシーリィ・ペトローヴィチ)と戦争について論じている。現実的なリヴォフは「自分の仕事をやるまで」と容認する立場である。それはリヴォフの妹マーシャ(マーリヤ・ペトローヴナ)も同じで、彼女は看護婦となって戦地に行こうとしていた。しかし、リヴォフたち兄妹の家に間借りしており、マーシャに好意を抱きながらも報われないクジマ・フォミーイチは、苦悩の日々を過ごしていた。
 戦争の趨勢を「僕」は戦慄を覚えながら見守る。クジマが虫歯をこじらせて病床に就くと、彼につれなかったマーシャは献身的に看病するようになる。僕は兵役逃れの方法を知りながら、それも潔くないと葛藤する。
 クジマの病勢はつのり、胸は壊疽に侵される。死に瀕してクジマは絶望するが、同時にマーシャの慈愛を得て慰められる。若くして死に瀕する不運に見舞われながらも、一個の人間として扱われ死にいくクジマと、戦場で物のように死んでいく男たちを、「僕」は対比する。
 医者とリヴォフはクジマの手術を行う。その折のマーシャの、戦争は共通の悲哀・災難であり、それを自分だけが逃れるのが嫌だ、という言葉に「僕」は決心を固める。
 志願兵となった「僕」は教練を受け、兵舎で会った同郷人たちと戦争のこと、敵であるトルコ人について話す。
 いよいよ出征という時、クジマを見舞った「僕」は、リヴォフから戦場で良心の呵責から自殺した若い軍医の話を聞く。軍服姿の「僕」を見てクジマは不愉快に驚き、皮肉を言うが、最後には自分も出征すると言う。自宅での最後の夜を「僕」は、歴史や戦争をしている、自分もその一部を構成するところの「巨大な未知の有機体(オルガニズム)」について考えて過ごす。出征の汽車が出る間際、駆けつけてきたリヴォフ兄妹がクジマの死を告げた。
 その後、雪野原の戦場では、黒髭の「旦那」(=「僕」?)の所属する大隊が敵の射撃を受け、すり潰されていった。
 「邂逅」。中学校の教師として海沿いの街に赴任したワシーリィ・ペトローヴィチ。生徒たちを、世の汚れに染まらぬ立派な人物に育てようと考える彼だが、現在の地位や俸給はつましく、許嫁のリーザを呼び寄せるためには金策が必要だった。
 そんな彼は、偶然にも学校時代の旧友ニコライ・コンスタンチーヌィチ(クドリャーシェフ)と再会する。招かれたニコライの家は豪華なものだったが、県の二等書記官で技師となった彼の俸給はワシーリィとそれほどの差はなかった。彼は建造中の「大部分は海にはなくて、この陸にある」堤防について不正を行い、金を得ているのだった。ワシーリィは糾弾しようとするが、ニコライは笑い飛ばす。
 豪華な食事や酒を味わいながら、気持ちが晴れないワシーリィに、ニコライは堤防の建設計画から如何に自分の懐に「取込む」かを説明する。ワシーリィは激昂するが、ニコライは自分ひとりがやっているのではない、教師という仕事もまた掠奪者だとして反論し、ワシーリィに個人教授の口を紹介すると抱き込みにかかる。
 反感を抱き続けるワシーリィを、ニコライは屋敷の中に作った自分の水族館へと連れて行く。ワシーリィは水族館を激賞しながらも、弱肉強食を体現して良心の呵責のない魚たちに自らをなぞらえるニコライに「勝手にするさ」と溜息まじりに言うのだった。
 「従卒と士官」。イワン・ペトローヴィチの娘婿のニキータは、家で唯一の若い男の働き手だったにもかかわらず兵隊にとられてしまった。しかし、掃除や暖炉焚きなどの作業以外の軍務は全く飲み込まないニキータに、新兵教育係も匙を投げてしまう。しばらく持て余された挙句、ニキータは新たに配属となった下級将校スチェベリコーフ准尉の従卒となった。
 士官となって、これ以上何も望むもののないスチェベリコーフは、ニキータにいばり散らし、こき使うが、食事・雑誌の耽読・同僚との雑談・クラブへの精勤などで過ごし、たまに演習や講義に出る准尉の世話はそれほど激務でもなく、おおむね日々は平穏に過ぎゆく。吹雪の夜、士官と従卒はそれぞれの悪夢をみるが、やはり波乱なく夜は過ぎていった。
 「がま蛙とばらの花」。ある家の花壇に、美しい薔薇と、がま蛙がいた。家の少年は花壇を遊び場にしていたが病を得て今は床に臥せっている。がま蛙は薔薇の美しさに惹かれるが、口から出るのは汚い言葉ばかりで薔薇を怯えさせる。薔薇の棘に血を流しながら、がま蛙はよじ登り、薔薇の花まで手を伸ばす。その時、やせ衰えた少年の頼みで少年の姉が薔薇の花を摘み、がま蛙は蹴とばされてしまう。薔薇の花の香気を吸った少年は、満足して息を引き取った。
 「赤い花」癲狂院(精神病院)に入院してきた男は、誇大妄想を抱き、暴れるために狭窄衣で拘束されていた。治療や入浴が恐ろしい拷問に思われ、男は大暴れし聖人に祈りすら捧げるが、どうにか処置を終える。真夜中、男はふと正気に返るが、あくる朝には再び狂気が支配し、医師を相手に独自の理論を展開した。正気と狂気を行き来しながら活動し続けるために、男の目方は減っていく一方で、このままでは持つまいと医師は考えるのだった。
 季節が温暖になると、患者たちは庭の花壇や菜園で労働することになっていたが、男はそこで赤い罌粟(けし)の花に目を奪われる。この赤い花が世界の悪を凝結したものに映った男は、万難を排してその一輪を摘み、自分の手の内に押しつぶし、一晩中震えて過ごした。さらにもう一輪を摘み、疲労困憊して体重を減らしていく男に対して、医長たちは身体拘束を図る。が、使命感に燃える男は拘束を抜け出し、赤い花の最後の一輪を摘み取り、自分の寝床に戻って満足げに息を引き取った。
 「信号」。軍隊時代の上官の口利きで、鉄道の線路番となった病身のセミョン・イワーノフ。妻のアリーナも呼び寄せると、セミョンは真面目に職務をこなし、両隣の番人たちとも割と良好な関係を築くことに成功する。が、隣の番人の1人であるワシーリィ・ステパーノヴィチは鉄道省の上層部の権威主義的・搾取的な在り方に不満を抱き、セミョンに愚痴をこぼすのだった。
 そんな折、管区課長が路面検査にやって来る。ワシーリィはさっそく直訴を試みるが、失敗し、本省に訴えるためにモスクワへ行くと言い残して姿を消した。
 しばらくしたある日の夕方、セミョンは自分の受持区域内のレールのねじが緩めるワシーリィの姿を認める。ワシーリィは逃亡し、工具を取りに行く時間もないまま旅客列車が近づいてくる。セミョンは自らの血潮で赤い信号旗を作り降ろうとするが、出血が激しくなり巧くいかない。あわやというところで彼と列車を救ったのは、ワシーリィだった。

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河合香織『セックスボランティア』の感想


(2004年9月読了)

 当時、仕事で障害者福祉について調べており、その延長として興味が湧いたので私的に読んだ。今まで“無いもの”とされていた、障害者の性に関する介護についてのレポートである。まずは各章ごとの概要をまとめたメモを載せよう。

概要

 序章 画面の向こう側。障害者の性について取材を始めた筆者。取材対象の男性から1本のビデオテープを見せてもらう。それは、重度障害者で高齢になる竹田芳蔵さんが自身の性欲について語り、介助者の男性の手によって自慰行為をする様子を映していた。筆者は竹田さんにコンタクトをとることにする。
 第1章 命がけでセックスしている―酸素ボンベを外すとき。竹井さんは酸素ボンベを使用するほどの障害があるが、介助者の助けを得ながら年に1度、風俗店に行く。彼にはかつてただ1人の恋人がいた。性交渉はなかったが、看護師だったその女性――山岡みどりさんとの日々は幸せだった。しかし、彼女は難病にかかり、ノイローゼとなって自ら命を絶った。音信不通だった彼女の墓を探し当て、参る竹田さんと筆者たち。
 第2章 十五分だけの恋人――「性の介助者」募集。生まれつき脳性麻痺がある伊緒葵さん(男性)は、インターネットを通じて性の介助をしてくれる女性を募集していたことがある。その過程で知り合った、夫と子どものいる山本小百合さんは、性の介助を2度してくれたが、それだけに留まる。周囲の理解が得られなかったこと、小百合さんに対する葵さんの恋愛感情という事情があった。介助においてキスをすべきなのか否か。その後も小百合さんは性のボランティアを募り応じる声もあったが、行き詰まる。一方、葵さんにはゆかりさんという健常者の恋人ができ、2人は結婚する。幸せそうな2人。
 第3章 障害者専門風俗店――聴力を失った女子大生の選択。障害者専門のデリバリーヘルス「enjoy club」。新人として働き始めたユリナちゃんは20歳の女子大生で、自身にも高3の頃から突発性難聴による聴覚障害がある。朝日新聞(2000年2月17日付け西部本社版)によれば1999年末頃から障害者専門の風俗店が登場してきたが、反応は賛否ある。「性に関することはボランティアでなく、ビジネスで行った方がいい」など。
 ユリナちゃんは聴力を取り戻す手術のために、彼氏に内緒でこの仕事を始めた。店長の斉藤春文さんはもともと介護や福祉には無縁で、「金になるかと思って始めた」と語る。全く儲からないようだが「やめるにやめられない」。ユリナちゃんの初仕事は成功だった。
 第4章 王子様はホスト――女性障害者の性。都内で営業する出張ホストクラブ「セフィロス」には障害者割引がある。オーナーの吉良仁志さんは「人生の帳尻を合わせている感じ」と言う。その割引を使っている1人、先天性股関節脱臼のある柏木奈津子さんは、介助に来ているヘルパーの女性から冗談交じりに薦められ、両親公認で利用するようになった。恋愛や結婚を諦めて、ホストを呼ぶ選択である。
 社会福祉士の佐藤英男さんは、腫瘍による頸髄損傷がある真紀さんとの経験を元に、障害のある女性に対し、セックスの相手をすると呼びかける。しかし、それは本当にボランティアなのかという疑問を筆者は持ち、佐藤さん自身も真紀さんとの関係は何だったのかと思い悩む。鎖骨から下の感覚がないにも関わらず、真紀さんは男性のぬくもりが必要だと断言する。恋愛と言わないのは、自身の死期を悟っているからか。佐藤さんと真紀さんの関係からセックスは無くなったが、交友は続いている。
 第5章 寝ているのは誰か――知的障害者をとりまく環境。結婚した知的障害者でも親に「子どもは作るな」と言われたり、性的暴力を受けた過去を持つ人もいる。身体障害者に比べ知的障害者の性は、「寝た子を起こすな」として、よりタブー視されている。状況を打破するため、2003年4~11月に大阪で「知的障害者と支援者の性のワークショップ」が開かれたが、筆者は内容が幼すぎるのではと感じ、立教大学コミュニティ福祉学部の河東田博氏からも同様の疑問が出された。
 同氏はかつて、知的障害がある夫婦の寝室で、夫婦の営みの介助を行った経験がある。氏のセクシュアリティ講座を引き継いでいる香川短大の和泉とみ代氏は、ラブホテルツアーなど踏み込んだ内容を展開している。その他にも追随する動きが各地でみられるが、総じて支援する側の意識が古いということになるようだ。背景の1つとして、障害者の生殖機能を本人の同意なしで断つことができるとした優生保護法(1948年施行、96年に母体保護法に改定)がある。
 第6章 鳴り止まない電話――オランダ「SAR」の取り組み。オランダでは、「SAR(選択的な人間関係財団)」に所属する人員による、障害者へのセックス相手の派遣が行われている。刑務所でも受刑者はパートナーとセックスするための個室を使えるし、売春婦を呼ぶことができるという。オランダのメンタリティの土台として、キリスト教カルバン派の慈悲の心と、長く続いた労働党内閣による積極的な社会保障、そして独特のヒューマニズムが根付いているためだろうか。
 脳性麻痺のあるカンドロップさんは「SAR」から2人の女性を交互に呼んでいる。恋愛感情が芽生えにくくするためと、彼女たちへの配慮から。かつてカンドロップさんは職員の女性と恋に落ち、施設を出て暮らしていたが、突然別れを切り出されたという。「SAR」の事務所兼自宅で、会長のマーガレット・シュナイダーさんは運営の苦労を語り、夫のラオさんはかつて障害者の自慰を介助した妻を理解していると語る。筆者は、女性が「SAR」のサービスをあまり利用しないこと、マーガレットさんが夫にして欲しくないこと(パートナーが障害者とセックスすること)を「SAR」メンバーにはさせていることが腑におちなかった。
 マーガレットさんが元々いた「NVSH(性意識の改革に関するオランダ協会)」も、筆者たちは訪ねる。会長のディック・ブルメルさんは、自分にパートナーがいても、障害者とセックスすることを「誰かが川で溺れていたら見過ごせないでしょう。それと同じ」「愛と性欲を区別する必要なんてない」と語る。
 第7章 満たされぬ思い――市役所のセックス助成。オランダでは、障害者のセックスのために助成金が出る市がいくつかある。55歳の筋ジストロフィー患者ハンス・ピックさんは、自身が暮らすドルドレヒト市から月に3回のセックス助成を受けている。相手は「SAR」の派遣でも、売春婦でも、新聞広告で募集してもよいという。割り切った態度のピックさんだが、結婚し、恐らくは障害が元で離婚し、子どもと引き離された過去を持つ。その孤独は、セックスの助成では満たされない。オランダにおいても、障害者に対するセックスの助成金は半ば秘密裡に行われている。市役所の中の一部署が独断で行い、経理上は「手配料」の名目になっているという。
 アムステルダムの飾り窓地帯にある「売春情報センター」の事務を行い、かつては自身も売春をしていたジャクリーンさんは、市の助成金について「障害者の協会などが一括して基金をもらう形がいい」と語る。性的療法であるサロゲートパートナー療法(代理恋人療法)を行うカーラ・クリックさんの活動を受け、心理学者・性科学者であるジム・ベンダーさんは、セックスにおいては「Bio(生物学的な問題)」「Psycho(心理的な問題)」「Social(人間関係)」の3つが融合された治療が重要だといった。
 第8章 パートナーの夢――その先にあるもの。障害者たちがカップルとなってからの性の問題はどうか。いずれも車いすで24時間の介助を受けている伊藤信二・由希子夫妻はおおむね自分たちの手でセックスしていた。由希子さんは子どもが欲しいと言うが、信二さんの反応は鈍い。2年後、2人から会話が消えていた。不仲ではないが、どこかすれ違うようになり、結婚してよかったかという問いに信二さんは「半々くらい」と答える。2章で登場した伊緒さん夫妻も、その後セックスの回数は減った。それでも仲はよさそうで、お互いのやりたいことをやるために子どもは作らないと決めて、一緒に生きていくとしている。
 終章 偏見と美談の間で。筆者は再び、冒頭の竹田さんのビデオを見る。なぜ、障害者の性について取材しようと思ったのか。自身の幼少時の体験が影を落としていると自己分析する。
 竹田さんが見せてくれたみどりさんの手紙には、思いが詰まっている。みどりさんとの間にセックスはなかったが、人と人との親密さや愛情を性というならば、2人の関係は性だ。そう竹田さんは語った。

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