何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

志賀直哉『清兵衛と瓢箪・網走まで』の感想


(2004年10月読了)

 「菜の花と小娘」「或る朝」「網走まで」という、解説の言う“3つの処女作”を含む作品集である。志賀直哉は高校時代に教科書か副読本か何かで「正義派」を読んだだけだったのを思い出し、ふと読みだした。
 上に挙げた3編の他に「ある一頁」「剃刀」「彼と六つ上の女」「濁った頭」「老人」「襖」「祖母の為に」「母の死と新しい母」「クローディアスの日記」「正義派」「鵠沼行」、表題の「清兵衛と瓢箪」「出来事」「范の犯罪」「児を盗む話」を収録。1編が短いので、これだけの収録数となる。
 数が多いので、1編ごとに概要と短評を付す形で書こう。

概要と短評

 「菜の花と小娘」。春の山。仲間から離れて寂しがる菜の花に頼まれ、小娘は菜の花を麓の村まで連れて行くことにする。小娘の手が温かすぎて菜の花は元気をなくなったので、小娘は菜の花を小川に流し、それについて駆けていくことにする。怖い思いはしたものの、無事に村に着き、菜の花は大勢の仲間と仲良く暮らすこととなる。
 微笑ましい童話である。作者が書いた順でいえば、この作品が真の処女作ということでいいと思う。
 「或る朝」。祖父の三回忌の前夜、夜更かしした信太郎は、あくる朝なかなか起きられず、起こそうとする祖母と険悪になる。ひどい言葉を投げつけた上、祖母が気を揉むだろうと信太郎は旅行を企てるが、祖母の素知らぬ態度にふと可笑しさと泣きたい気持ちが込み上げてき、涙を流すと清々しい気持ちとなった。
 自分(ここでは信太郎としているけれど)と祖母というモチーフは、この後も私小説的な作品で度々でてくるが、その最初の作品だろうか。孫が夜更かしし、寝坊を怒る祖母というのは今も昔も変わらないやり取りの気がする。
 「網走まで」。宇都宮の友人のところまで行こうと列車に乗る「自分」。相席になったのは子ども2人連れの婦人で、子ども達に振り回されながらも網走まで行くのだという。あまり幸せそうでない婦人の網走行きに「自分」は彼女の夫を自分の知人を重ねたりもする。宇都宮で下車すると、婦人から預かった葉書を投函する。
 なんというか乗客描写もの。志賀直哉は鉄道が好きだったのではないか。途中に間々田という駅が出てくるが、自分も数度行ったことがあるので奇遇を感じた。

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みうらじゅん『「ない仕事」の作り方』の感想

 テレビガイドというジャンルに属しながら、完全に他と一線を画している(というよりも、一線を越えていると表現すべきか)『TV Bros.テレビブロス)』という雑誌がある。家人が好きで買ってくるので、たまに私も読むのだが、先月出た2016年3月12日号(岩井俊二黒木華が表紙)の「ブロスの本棚」なる半ページほどのコラム記事でこの本が取り上げられていた。
 “本業不明”とでも言えそうな男みうらじゅんが、そういう生き方が可能であった根源である“今まで存在しなかった仕事(=「ない仕事」)を新たな仕事として成立させるにはどうすべきか”を公開した本である。家人が欲しいというので(加えて自分も「ブロスの本棚」を読んで興味を持ったので)池袋に行った折に購入した。

 ちなみに、先日からサイドバーに「今後の予定」として、これから取り上げる本を列挙するガジェットを付けたが、そこにこの本は入っていない。「今後の予定」には過去の読書記録のものしか入れないので、リアルタイムで読んだ本については、今後も本書のように突如として感想を述べることになるだろう。
 ついでにもう一つ「ちなみに」を重ねると、同じ「ブロスの本棚」で、本書と共通した部分がある1冊として『圏外編集者』という本も紹介されていた。これも本屋で手に取ったのだが、文章の感じがどうも好きになれない気がして購入は見合わせた。いずれ読みたいとは思う。

圏外編集者

圏外編集者

 

  それはともかく内容についてである。書店でもいわゆる“タレント本”の棚に置いてあって例の面白半分な調子の本だろうと思っていたのだが、著者のことを知る者なら驚きを伴って肩透かしを食らうような、真面目な本である。まずは目次から各章のタイトルを引き、概要を示そう。

概要

 第1章 ゼロから始まる仕事~ゆるキャラ「ない仕事」の実例として、著者の代表的な業績(?)の1つである「ゆるキャラ」がどう見出され、多くの人を巻き込んだブームになっていったかを紹介している。もちろん「ゆるキャラ」自体は、そう命名される以前から全国の色々なところにひっそりと存在はしていたのだが、著者がそれを新たに見出し、命名し、「これは面白い」と自らを洗脳しつつも蒐集し、雑誌に連載を売り込み、さらにイベントを企画して「仕事」になっていったというわけである。
 第2章 「ない仕事」の仕事術。著者の過去の仕事ぶりを挙げつつ、「ない仕事」に繋がる事物をどう「発見」するか、好きでも何でもない物についてどう「自分洗脳」してのめり込んでいくか、いかに名付け、世の中にどう伝え広めていくかを述べる。「発見」するには、見過ごされているものの良さに着目したり、好きであることの強みを押し出したり、敢えてマイナスな物事を楽しんでみたりする必要がある。
 ポップなネーミングは、マイナスだったり重すぎたり怒られそうなことでも、逆転させることができる。また、そこまでして作り上げた「ない仕事」を雑誌などの媒体を使って人々に伝え広めるためには、「一人電通」として、その編集者たちに接待するのがよい。これら「ない仕事」の根幹を成す「収集」と「発表」が1人でうまくいかなければ、自分が不得意な方面を補える人とチームを組むのもアリだ。そして「ない仕事」を成立させるためには、言い続けること、好きでい続けることが重要である。
 第3章 仕事を作るセンスの育み方。著者の最初期(子供時代)の「ない仕事」である怪獣スクラップから現在仕込み中と言われる「シンス(Since)」まで、年代順に振り返り、そのセンスの発端と変遷が語られる。一人っ子だった著者は「一人編集長」であると同時に自らの製作物の唯一の受け手でもあった。スクラップを作り、8ミリを撮り、漫画を描き、1日4曲作曲するなどして成長し、漫画家としてデビューするが、糸井重里の助言もあってオシャレ系のイラストレーターとなる。その一方で、イラストの余白に自分が興味を持っていることを小さく描くことが、「ない仕事」へと繋がっていったという。
 その物事ごとに見合った方法で発表する。何かやる時はその事物が主語で、「私」は無くす。飽きたと思っても「好きだ」と自分を洗脳して邁進する不自然な生き方をする。それらが、筆者の辿り着いた境地である。
 第4章 子供の趣味と大人の仕事~仏像。再びモデルケースとして、著者が少年時代から好きな仏像が、いかに仕事になったかが述べられる。著者はクラスでの競争率が低い(というよりも競争相手がいない)仏像博士の称号を持ちたいと考え仏像スクラップを始めるが、女の子にモテないという理由から一時遠ざかる。しかし時を経て、いとうせいこうと出会ったことで、それはまず『見仏記』として結実し、大日本仏像連合などのイベントや仏画、さらには東京国立博物館の阿修羅展の大混雑へと繋がっていった。

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有栖川有栖『孤島パズル』の感想


(2004年10月読了)

  京都にある英都大学の推理小説研究会(略してEMC)に所属する、著者と同名の青年を話者に、研究会会長にして“とある事情”から留年を繰り返している27歳の文学部哲学科4回生、江神二郎(えがみ・じろう)の理路整然たる推理が冴える「学生アリス」シリーズの第2作である。前作『月光ゲーム』の謎解きと青春ぶりが良かったので、本作も楽しみに読む。

 以下、まずあらすじを記そう。

あらすじ

 夏。この春、彗星のようにそのミステリ趣味を明かし、EMCのメンバーとなった紅一点の有馬麻里亜(ありま・まりあ)に招待され、アリスと江神は彼女の伯父・有馬竜一の別荘を訪れる。
 奄美大島の南方50キロに浮かぶ三日月状の孤島、嘉敷島の一端に建つその別荘――望楼荘には、アリス達の他にも、竜一とその息子と養女、義兄と2組の夫婦を含む親戚筋、旧友である医師の園部が休暇を過ごそうと集っていた。
 島のもう一端にある魚楽荘で休暇を過ごす画家の平川も交えた歓談の時に、パズル好きだったマリアの祖父が遺産のダイヤと共に島に遺したモアイパズルへの挑戦。アリスたちの南の島のバカンスは穏やかに過ぎゆくかと思われた。しかし、嵐の近づく滞在2日目の夜、竜一の義兄である牧原完吾とその娘の須磨子が、不可解な密室の中で射殺されているのが見つかる。
 一同が衝撃を受ける中、アリス、マリア、そして江神は推理を展開する。が、その謎もそのままに、今度は魚楽荘で平川が射殺されているのを見つけ、各人の動揺はいや増していく。
 彼らの死は、3年前、モアイパズルの答えが分かったとほのめかし直後に溺死したという竜一の長男・英人の死と関係があるのか。そして「進化するパズル」だというモアイパズルの正解とは。アリス達が再びモアイパズルを解くのとほぼ時を同じくし、三度銃声が響き、一切は終わったかに思われた。
 しかし、ひとり江神は否だと云う。弾痕と血痕。落とされた地図に付いたタイヤ跡。些細な事象から推理が語られ、孤島に築かれた一見無秩序なパズルに秩序がもたらされる時、島は“悲しい日”を迎えるのだった。

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荻原浩『花のさくら通り』の感想

 へっぽこ気味な零細企業・ユニバーサル広告社の活躍を描いたシリーズの3作目である。
 上製本の発刊は2012年だが、昨年に文庫化され、年明けにkindle化されたこともあり手に取りやすくなった。先日の記事で前作『なかよし小鳩組』に触れた勢いに乗って読む。

 以下、まずはあらすじを記そう。

あらすじ

 資金繰りが悪化し、ついに今までの事務所を引き払って郊外に移転してきたユニバーサル広告社。想像以上にこぢんまりしていたJR桜ヶ森駅…から更に隔たった、さくら通り商店街の和菓子屋・岡森本舗の2階が新たな事務所となるが、もう会えない娘からの葉書が楽しみで仕方ないバツイチのコピーライター・杉山、バイトの猪熊は不安と不満が入り混じるし、社長の石井にしても「こんなとこ」呼ばわりする始末。ただ1人、アートディレクターの村崎は「なかなかパンク」だと気に入った様子である。
 商店街の人々は広告社の面々をよそ者扱いするが、こちらはこちらで問題を抱えていた。行覚寺の門前町として賑わったさくら通りも今は昔。商店街はシャッター通り寸前で、第一さくら通りと言いながらずいぶん昔に桜並木は伐採されてしまった。
 それでも年齢と創業年数がものを言う商店会は上層部の睨みが厳しく、事態を好転することはできずにいる。いちおう商店街に区分される、桜ヶ坂の若者向けショップの店主たちとの反目もあるし、駅前のスーパー「デイリーキング」との価格競争など課題は山積みである。サラリーマン経験のある岡森店舗の跡取り、守(まもる)は危機感を募らせるが、現状は簡単には変わりそうもない。
 一方、行覚寺の跡取り息子である光照(みつてる)と、桜ヶ坂の教会の娘である初音(はつね)はインディーズのパンクバンド“ヘルキャット”のライブで知り合い、交際を始める。しかし光照は思い悩む。寺の息子と教会の娘がつきあってよいものか? そして、これから最低3年間の修業に入る自分を、彼女は待っていてくれるのだろうか? 家業のことを隠しつつ、いつかは告げねばならないと思いつつ、光照は初音との時間を過ごす。
 事務所の上に住み込むことになった杉山は、守からポスター制作を依頼された毎年6月の恒例行事“さくら祭り”について、せっかくだからと大規模な改革案をプレゼンするが、あえなく空振りする。しかし、界隈での連続放火犯さがしに参加したのを切っ掛けに、守、光照、ラーメン一番、蕎麦の藪八、小島酒店、喫茶ドルフィンといった商店会の一部と信頼関係を築き、さくら通りと桜ヶ坂の間も徐々に打ち解けたものになっていく。
 杉山の提案や「悪知恵」もあり、商店会の面々は“さくら祭り”を盛り上げ、「デイリーキング」を出し抜き、高齢化が進む桜ヶ丘ニュータウンで青空市を開くなどするが、なかなか大成果を挙げるには至らない。
 そんな若手の動きが、商店会長である煎餅屋「丸磯」の磯村たち上層部には面白くない。ことあるごとに茶々を入れ、自分たちの発言力を維持しようとする磯村たちに対し、守はある決心を固め、杉山は一計を案じる。制作が持ち上がりながらも懸案となっていた、さくら通りのCM制作。大金を出資した商店会の影のヘッド、すみれ美容室の寿美代先生の忘れられない男(ひと)チェリー・ルーへの想いを届かせるために、そしてもちろん商店街の命運を賭けて、杉山のプレゼンは幕を開ける。

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黒谷征吾『契り』の感想


(2004年10月読了)

  出先で読むものが無くなり、たまたまあった古本屋の100円コーナーで見つけたものである。家に戻れば読むものは唸っているので、それまでのつなぎとしてなるべく軽めのものを探したところ、その薄さ(総ページ数56p)が目について手に取った。新風舎文庫の1冊である。
 家に戻るまでの時間で読了。表題作と「足音」の2篇が収められており、どちらも時代ものである。

 この文庫本の版元である新風舎といえば、主にアマチュアの著者と出版費用を折半する、いわゆる共同出版事業を手広く展開していた出版社である。2008年に倒産したが、その際に同様の手法を展開する文芸社(こちらは現在も存続)との再契約を、各著者に提案したという話がある。恐らくこの本も、そうした経緯で文芸社文庫にも収まることになったのだろう。

契り

契り

 

 再契約の際には著者負担が再度必要だったそうであるが、それでも絶版よりは良いとの判断だろうか。著者について詳しいことは分からないのだが、略歴には1935年生まれ、新潟県出身とある。定年を迎えて筆を執り、よくできたので本にしてみたくなった、などというストーリーを妄想した。
 とりあえず、それぞれのあらすじを記す。

あらすじ

 「契り」。越後の陣馬村で暮らす弁慶は、大柄で力も強いが乱暴者でほら吹きなので村の嫌われ者である。父は大名の剣術指南番まで勤めた武士だったが、大名の嫡子とうまくいかず浪人となって自給自足の末に死に、今は姉の静香と2人で暮らしていた。
 ある日、村の若者たちの挑発にのった弁慶は、たらい舟で佐渡へ渡ることに。しかし雨と高浪に遭い、佐渡には着いたものの手形を無くしていたため金山で苦役に服すこととなる。刑を終えるや弁慶は病に倒れるが、金山見回り役の磯貝兵馬の世話で回復し、感激した弁慶は兵馬と父子の契りを結び、自らの村で再会することを約して帰郷した。
 皐月となって約束の日が来るが、兵馬は現れない。夜も更けた頃、とうとう兵馬がやって来るが、様子がおかしく、早々に姿を消してしまった。
 翌朝、兵馬の妻の志乃と共の者がやって来て、兵馬は謀略にかかり、自ら命を絶って魂だけが弁慶の村にやって来たことを伝える。弁慶は黒幕の黒部与兵衛を討つため、僧の装束を身にまとって佐渡へと向かう。
 黒部を倒し、配下の者たちも蹴散らした弁慶は、僧となり、姉とともに村のために一身をささげ、村人に愛されて生涯を閉じたという。
 「足音」。草加宿にある造り酒屋の春日屋。十五になったばかりのお園は、実家が貧しく、地元の岡っ引きである氷川の伝助親分の口利きで十の頃から住み込みで働いている。
 睦月半ばのある日、お園は春日屋のお嬢であるお久から、三月の間、彼女の代わりに毎晩、丑三つ時に氷川神社に参り、境内の玉砂利を1つずつ持ち帰るよう言われる。恋愛成就のおまじないである。お久の兄で総領の佐吉と、新入りの蔵人である仙太に慰められるお園だが、結局夜ごとのお参りを始める。
 氷川神社を目指す夜道で、お園は自分をつけてくる足音を聞く。最初は怯えるお園だったが、この地に伝わる“お守り若衆”だと思い当たる。ならず者たちから若い娘を助けようとして無念の死を遂げた者が、亡霊となって若い娘の夜道を守ってくれるのだという言い伝えである。
 その後も同道してくれる”お守り若衆”を、お園は仙太かもしれないと思いながら日が過ぎる。半月ほど経ったある夜、お園が戻ると、春日屋には押し込みが入り、旦那とおかみさんが殺されていた。駆け付けた伝介親分は、渡り職人を装って押し込みの仕込みをする賊の仕業だと説明する。お久のおまじないも、その賊の手回しによるものだった。
 家督を継いだ佐吉に求婚され、お園は驚くが、佐吉の思いを確かめるため、もう一度だけ氷川神社に参ると佐吉に告げるのだった。 

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