何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

森鴎外『阿部一族・舞姫』の感想


(2004年11月読了)

  鴎外の処女作、擬古文の「舞姫」を巻頭に収録した短編集である。他に同じく擬古文体の「うたかたの記」、以下は言文一致体の「鶏」「かのように」「阿部一族」「堺事件」「余興」「じいさんばあさん」「寒山拾得」とその付記「附寒山拾得縁起」を収める。
 まずは各作品のあらすじを記す。

あらすじ

 舞姫。ドイツからの帰途にある「余」(太田豊太郎)の心は、悲痛に満たされていた。父を早くに亡くしたが、学問の道を邁進してきた「余」は、無事に法学士となって某省に出仕し、公費留学の命を受けてベルリンに来た。手続きを済ませ、しばらくは留学の本分をこなしていたが、大学の自由な学風に触れた「余」は、母や勤め先の官長に言われた通りの道を進んできた自分に疑問をおぼえ、歴史や文学に傾倒していく。このことは留学生という「余」の地位を危うくし、留学生のある一団は、遊びの付き合いの悪かった「余」を疑い、そしるようにもなった。日本を出る時は豪傑だと思っていた「余」は、実は臆病であることを自覚する。積極的に交際などできようはずもなかった。
 ある日、散歩していた「余」は、寺院で声を殺して泣く少女に出会う。父が死に、その弔いをする金もないと聞いた「余」は、少女を老母の待つ彼女の家まで送り、勤め先の座長にも無理難題を突き付けられた彼女のために、当座の金を工面する。これを切っ掛けに、彼女――美しい踊り子エリスと「余」の交際は始まった。
 同郷の留学生が「余」は女優と交際していると官長に伝えたことで、「余」の留学生活は危うくなり、同時に母の死を知って深く悲しむが、貧しさから充分な教育を受けられなかったながらも聡明なエリスとの清い交際は、「余」を強く惹きつける。「余」の免官を知った天方伯爵の秘書官・相沢謙吉の手回しで新聞社の特派員となり、エリス達と同居することで「余」の生活はひとまず安定した。貧乏と新聞社の仕事によって「余」のアカデミックな学問は荒廃したが、ジャーナリズムの見識は大いに伸長した。
 明治21年の冬、エリスは妊娠の徴候を示すが、「余」は天方大臣に随行してベルリンにやってきた相沢に呼び出され、事情を知った彼から、学識と才能ある「余」がいつまでも無目的に暮らすべきでないとエリスとの別離を勧められる。「余」はこれを承諾するが、天方の通訳としてロシアに同行している間、エリスから送られてきた手紙に接してふたたび葛藤する。
 ベルリンに戻った「余」を、赤子が生まれてくる準備を整えたエリスが迎える。しかし、天方から学問を見込まれ、共に帰国しないかという申し出をつい受けてしまった「余」は懊悩し、深夜まで雪降る街を茫然と彷徨って帰宅する。それが崇り、「余」は倒れてしまうが、目を醒ました時、看病していたエリスの容貌は変わり果てていた。「余」の意識がない間、相沢が家の経済的援助をしてくれていたが、その折に「余」がエリスと別れ帰国することを約束したと伝えてしまったのである。エリスは精神に治し難い傷を負ってしまった。「余」の体は治り、天方らとともに帰国の途に就いた。狂えるエリスの母にようやく生活できるくらいの元手を与え、子が生まれる時のことも頼みおいて。「余」は相沢を良き友と感じながらも、脳裏には彼への憎しみが残っている。
 うたかたの記。ドイツ・バイエルン王国の首都にある美術学校には、各国からの美術学生が集っていた。そこの学生エキステルに連れられカフェにやってきた日本の画学生・巨瀬は、店の中央のテーブルにいる少女と目を合わせて互いに驚く。ドレスデンからやってきた巨瀬は、以前にもミュンヘンに来た事があり、その時、謝肉祭が始まろうとする街で助けたすみれ売りの少女を元にしたローレライの絵を完成させようと思って来たのだった。そのすみれ売りの少女とは、中央のテーブルの少女、マリ―に他ならなかった。彼女はかつての親切に感謝し、巨瀬に接吻し、周囲の学生たちには水を吹きかける。そうした振る舞いに周囲の者は彼女を「狂人」と呼ぶのだった。エキステルによれば、彼女、マリ―・ハンスルは美術学校のモデルをしているが、裸体のモデルはせず、博学、美人にしてエキセントリックな性格でファンも多いという。
 美術学校にアトリエを構えた巨瀬は、マリーを呼ぶ。改めてすみれ売りの少女が自分だと言う彼女は、その半生を語った。
 マリーの父は、現国王ルートヴィヒ2世に評価された画家だった。しかし、母が王に懸想され、妻を守ろうとした父はほどなく病死し、母も病を得、マリーはすみれ売りをするようになったという。母も死に孤児となった彼女は、世話を申し出た上階の裁縫師が紹介した男に連れられスタルンベルヒ湖に行くが、そこで逃げ出し、畔の漁師夫婦の養女となった。イギリス人の家政婦をしていた時、そこの女性教師から教育を受けられた彼女は、美術学校の教師に見いだされ、モデルとなったのだった。彼女が狂ったふりをしているのは、行儀の悪い芸術家から距離を置くためだという。
 マリーに誘われ、巨瀬はスタインベルヒ湖に向かう。馬車でレオニに向かう途次、大雨の中でマリーは想いを語り、巨瀬と心を通わせる。レオニについた2人は、レストランが開くまで小舟に乗ることにする。
 町の外れの岸辺近づいた時、そこには狂王となったルートヴィヒが侍医グッデンを連れて散歩に来ていた。マリーの母への想いをつのらせた王が、マリーを母と思い彼女に襲いかかると、マリーは気を失い湖に投げ出されてしまう。侍医も国王を止めようとするが敵わず、2人とも湖に沈んでいった。巨瀬はマリーを助けるが、湖水に落ちた時に杭で胸を打っていた。マリーの養父母であるハンスル家に担ぎ込んで介抱するが、再び目を覚ますことはなかった。
 西暦1886年6月13日の午後7時、バワリア王ルートヴィヒ2世は湖で溺れ、助けようとした老侍医グッテンと共に落命した。美術学校でもこの話題で持ち切りとなり、巨瀬の行方を心にかける者などいなかったが、エキステルだけは気にしていた。15日、王の棺がミュンヘンに移された日、エスキテルは巨瀬のアトリエに行ってみた。彼は憔悴し、ローレライの絵の前に跪いていた。国王死すの噂のために、レオニの漁師ハンスルの娘が同じ日に溺れて死んだということを弔う者などいなかった。
 「鶏」。6月24日、少佐参謀として、ひとり小倉に着任した石田小介。住む家を決め、時という老女中を雇い、別当の虎吉、従卒の島村と「まるで戦地のような」暮らしを始める。元部下だった麻生が土産に雄鶏を持ってきたので、石田は雌鶏を買ってきて飼い始める。虎吉も自分で雌鶏を2羽買ってきて一緒に飼うことになる。
 やがて雌鶏は卵を生むが、虎吉は自分の鶏だけが産んだように言う。しかし時は、石田の鶏も生まないことはなく、それを虎吉は全て自分の鶏のものだと言い張るのだと指摘する。石田は放っておいた。隣家の女は、畑を持たずに鶏を持ってはならない、時や虎吉が勝手の物や馬の麦をごまかしているなどとPhilippica(フィリピッカ;攻撃演説)を繰り広げ、石田に家を貸している薄井の爺さんも攻撃するが、石田は微笑を浮かべて見守る。
 数日後、たまたま会った中野少佐から、時の不審な行動を教えられた石田は、時を辞めさせ、その代わりを探す。幾人かが家に出入りして、結局は、16歳くらいの元気者で、男のような肥後言葉を使う春だけを使うことになった。
 7月31日、卵から雛が孵る。1か月の勘定を払ったついでに石田は出費を調べてみるが、予想よりも多い。石田はお時のことを思い出す。暑中見舞いや陰暦七夕、盂蘭盆などを過ごして8月末になると、やはり勘定がおかしい。その原因は虎吉だと春は言う。卵の件を他にも敷衍していたのである。石田は特に咎めもせず、道具を新調し、これまでのものは中味ごと虎吉に譲った。
 「かのように」。子爵の家に生まれた五条秀麿は、文科大学の歴史科を優秀な成績で卒業したが、神経衰弱気味で親に心配をかけている。卒業後、ヨーロッパに留学したが、その時は精神も復調し、ドイツの神学者アドルフ・ハルナックが、神学上の矛盾なく国王の政治を補佐して活躍していることへの感動を手紙で報告してきた。
 宗教を信じるには神学は不用で、学問をする者に有用(同時に、そうした者に信仰はない)である。しかし信仰と同時に宗教を否定する者は危険思想家であり、神学によって、宗教の必要だけは認める穏健な思想家が出現したことを秀麿は称賛したのだった。
 秀麿の手紙を読み、父は学問と宗教の関係について、自分はどうかと考える。多少の学問を修め、祖先から受け継いだものとして微かな信仰はあるようだ。すると、教育(学問)は信仰を破壊すると言えるのではないか。今の教育を受けて、神話と歴史を1つにして考えていることはできない。だが、その考えの先には、恐ろしい空虚があるのではないか。世間の教育を受けた者は皆、その危険に無頓着で、信仰のないまま、信仰の形式だけは保っているということではないだろうか、と。この問題に深入りはせぬまま、父は息子に返事を書いた。
 書物をたくさん持って帰国すると、秀麿は自分の研究を「当分手が著(つ)けられそうもない」として、部屋に引きこもって本ばかり読むようになった。母は息子の体調を心配し、父は神話と歴史の区分をめぐって息子と様子を見合っている。秀麿の研究しようとしている歴史の分野は、まさに神話との境界を判然とさせなければ進めようがない。その作業は容易だが、周囲の状況が許しそうもない。秀麿の心は、小間使いの雪を見ている時だけ唯一爽快を覚えるのだった。
 そこへ洋画をやっている友人の綾小路がやってきた。秀麿は綾小路に『かのようにの哲学(Die Philosophie des Als Ob)』という本を見せる。それによれば、人間が構築した学問はことごとく事実そのものでなく、そこに「かのように」という土台を置かざるを得ないのだという。これを踏まえて秀麿は、歴史を記述する際に自分が危険思想を持っていると(とりわけ父に)見做される恐れを口にする。
 綾小路に促され、秀麿は自己弁護の言葉を紡いでみるが、綾小路は言下にそれを否定する。そして八方ふさがりになった秀麿に、なぜ父と妥協せず、打破すべく突貫しないのかと叱咤するのだった。
 阿部一族寛永18(1641)年、肥後藩主・細川忠利は病を得、56歳で亡くなった。内藤長十郎、津崎五助など、側近たちが生前の忠利に願い出て許され、殉死していく中、老臣の阿部弥一右衛門は殉死を許されなかった。何となく弥一右衛門を掴みかねていた忠利は、弥一右衛門の望みに応えず、新藩主である嫡男光尚の補佐をせよとだけ言って亡くなったのだった。
 生き残った弥一右衛門を見る周囲の目が、なんとなく変わった。殿の許しが出なかったことを幸いに、命を惜しんでいるのではないか、というのである。心外に思った弥一右衛門は弟や子供たちを集め、その面前で切腹した。しかし、今度は殿の遺命に背いたと見做され、阿部家は俸禄分割の扱いを受ける。そんな中やってきた忠利の一周忌法要で、弥一右衛門の嫡子・権兵衛は突如として髻を切ってしまう。先の処分は自分の不肖なるが故のものと考え面目の無さから事に及んだと話す彼は、しかし切腹ではなく奸賊のように縛り首に処される。
 度重なる恥辱に、遺された阿部一族はついに死を覚悟して屋敷に立てこもった。藩の討手が迫る中、邸内を掃除し、酒宴をし、老人や妻子は先に死を選ぶ。隣家に住む柄本又七郎、討手の指揮役となった竹内数馬らの思いが交錯しつつ死闘が繰り広げられ、阿部一族は全滅、その家来も多くが討死した。
 「堺事件」。1868年、戊辰戦争のさなか、幕府の弱体化によって無政府状態となった土地について、朝命により諸藩の兵が取り締まることとなった。堺を預けられたのは土佐藩兵であった。その堺に、大阪からフランス兵が回航してくるとの報せが入る。果たして湊から上陸したフランス兵と土佐藩兵との間で小競り合いとなり、水兵13人が死者となった。フランス公使レオン・ロッシュは損害要償に乗り出し、謝罪とフランス兵の家族への扶助料の支払い、そしてフランス兵を殺害した隊の士官および兵22人を死刑に処するよう求める。
 しかし、土佐藩兵への取り調べは半ば度胸試しのような色彩を生じ、フランス兵に射撃し殺したという士卒は隊長4人を含めて29人に及んだ。致し方なく、くじ引きによって死刑となる16人が選ばれることとなった。16人は死はもとより覚悟しているが、不名誉な死刑は受け入れられない。大目付に詰め寄り、ついに切腹士分への取り立てを認められる。
 死を前にして、20人の心をは穏やかだった。やがてフランス公使らが立ち会う中、20人の切腹が始まる。順々に腹を切っていく男たち。だが、12人目の橋詰愛平が腹を切らんとした時、既に驚きと畏怖に支配されていた公使は席を立ってしまう。
 公使が残り9人の助命を申し立てたため、彼らの切腹は中止となり、預かりとなった先で非常な優待を受けた9人は国元へ帰された。切腹した11人の苦痛に準ずる処分として、袴着帯刀のまま流罪を申し付けられるが、数か月後に明治天皇即位の特赦によって許された。士分取扱い、とはならなかった。
 「余興」柳橋の料亭・亀清(かめせい)で開かれる同郷人の懇親会に出席した「私」。ここには鼠頭魚(きす)というあだ名の、顔見知りの芸者も来ていた。今日の余興は、武士道鼓吹者の辟邪軒秋水なる男による「赤穂義士討入」の浪花節である。幹事の畑少将は大好きだが、「私」には苦痛な時間が流れる。
 ようやく余興が終わると宴会が始まる。鼠頭魚は「大変ね」と笑う。酌をしに来た若い芸者が「私」を浪花節の愛好者であるかのように言うのを聞き、一瞬いらっとした「私」だったが、他者の無理解に対する己の不寛容を悟って反省する。また鼠頭魚がやってきて、少し心配してくれた。
 「じいさんばあさん」。江戸後期の文化6(1809)年春、大名・松平左七郎乗羨の邸内にある明家が修復され、じいさんとばあさんが暮らし始める。仲睦まじい2人は夫婦か。兄妹という人もいる。裕福ではないが不自由のない隠居暮らしをして、時おり昔を偲ぶ場所に出かけている様子でもある。ばあさんは江戸城からの歳暮拝賀で銀10枚を貰ったりし、評判が高くなった。じいさんの名は美濃部伊織、ばあさんはその妻で、るんといった。
 明和4(1767)年、若かりし伊織は親戚の世話により、るんを娶った。2人は良い夫婦となった。やがて大番組となった伊織は、臨月のるんを残し、単身で江戸から京都へ向かう。京都の刀剣商で、伊織は質流れの古刀を見出した。150両の代金を130両に負けさせたが、あと30両が足らない。その30両を、普段それほど付き合いのない下島甚右衛門から借り、伊織は刀を手に入れた。が、その刀の披露に呼ばれなかったことに下島は不平を露わにし、それが発端となって伊織は下島を斬りつけ、死なせてしまう。
 この罪により、伊織は越前国の“お預け”となり、るんは親戚や武家奉公して暮らした。るんが奉公から隠居し、伊織の罪が許され、2人は37年ぶりの再会を果たしたのだった。
 寒山拾得。唐の貞観の頃、に閭丘胤(りょ・きゅういん)という官吏がいた。台州の主簿(太守)となった閭は、国清寺という寺を訪ねる。というのも、彼が長安に居た頃、その頭痛を治してくれた豊干という僧がここの者で、その豊干が言うには、この寺の拾得は普賢で、寒山文殊とのことだからである。
 世の中には、“道”や宗教に対する態度が3つある。1つは無頓着、1つは積極的、もう1つはその中間である。この中間の態度の人は、詳しい人を盲目的に尊敬するが、それは何にもならないのである。
 さて、寺を訪れた閭は、道翹(どうぎょう)という僧に迎えられる。道翹から豊干や拾得、寒山のことを聞き、拾得と寒山には実際に会うこともできたが、閭にはどうもピンとこなかった。
 付記「附寒山拾得縁起」。我が子に尋ねられ、鴎外は寒山・拾得の話をする(その話を元に特に参考文献などを見ないで「寒山拾得」は書かれた)。子どもには特に、寒山と拾得がそれぞれ文殊や普賢であるということが納得できなかったようで、鴎外もその問いへの答えには苦慮した。

感想

 収録された作品は、大別して「舞姫」などの“当時としての現代”を描いたもの(それも多くは西洋についての知見を含むもの)と、「阿部一族」などの当時としても一昔前の時代を描いた、いわば時代物に分けられると思う。私の好みとしては、前者の方が好きである。好き、というよりは、鴎外独自のものと感じられると表現した方が正確かもしれない。
 表題2作は、いずれも映画化されているようである。郷ひろみ演ずる豊太郎も気になるところだが、故・深作欣二監督による阿部一族の全滅劇の方が更に気になる。いずれ観ようと思う。

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 「うたかたの記」は前者(現代劇)に属し、当時話題になった狂王ルートヴィヒ2世の自殺をモチーフに描いたもの。「舞姫」もそうだが、擬古文体で異国の地を描くというのはなかなか趣き深いものがある。「舞姫」の結末については色々なところで言及されているため、どうなるか知りながら読み進めるというのは、なかなか辛かった。最後の方のエレンの変貌ぶりは、要約を知っているだけでは想像し難いだろうと思う。
 ドイツという舞台がそうさせるのか、あるいは結末の悲しさゆえか、エリスにしてもマリーにしても、陰りを帯びた美しさがある。読みながら浮かんでくるエリスの寂しい佇まいは、幼かったマリーの瞳と共通している。
 成長したマリーについて言えば、陰りだけでなく凛としたところもある少女になっており、それがまた良かった。以下のように文語調で書かれた台詞が、余計にそう感じさせるのかもしれない。

「けふなり。けふなり。きのふありて何かせむ。あすも、あさても空しき名のみ、あだなる声のみ。」(p.52)

 「鶏」は小倉に着任した軍人が暮らす話で、これも現代物といえる。この作品以降は、言文一致体で書いてある。
 主人公である石田少佐は、周囲の民間人を上から目線で見ているような男で、要するに偉そうなのだが、そんな彼の振る舞いと周囲の様子が、図らずもユーモラスに描かれている。偉そうであっても同時に鷹揚でもある石田なので、鶏を発端とする出来事も大事件には発展せず、物語は穏やかに締めくくられる。
 鴎外が小倉に異動していたことがあるのは事実で、その時の経験がこの作品の元になっているのは疑いない。その作品が、鴎外のものとしては比較的ユーモラスだということは、無視できないだろう。この小倉勤務が左遷だったか否かについては議論があるようだが、多忙な中央を離れてクラウゼヴィッツの『戦争論』の翻訳をするためだった、という説がある。呑気な土地で地道な仕事をして、鴎外の精神が休まったがゆえのユーモア小説ぶり、ということではないかと想像する。
 ちなみに鴎外訳による『戦争論』は、少し調べただけでは現存が確認できなかった。どこかの図書館に眠っているか、あるいは市ヶ谷あたりの蔵書になっているのだろうか。

戦争論〈上〉 (中公文庫)

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 この小説については、内容とは別に気になる点が2つある。
 まず1つ目。元部下の麻生が鶏をくれるのだが、その時の彼の台詞に「ちゃんが、ほい」という感嘆詞めいた言葉が出てくる(p.67)。少し調べてみたが詳細不明である。小倉あたりの方言なのだろうか。
 2つ目は、鶏が首を動かす様子について。「sagittaleの方向に規則正しく振り動かして」(p.89)とあるが、この「sagittale」という表現については注釈も「(仏)矢のような」としか書いておらず、初読時は意味が不明瞭だった。後に調べたところ、恐らくこれは鴎外が医師だったことによる言葉の使い方だろうと思い至った。医学において、生物を正中線に沿って両断した断面を「矢状面」と呼び、これを英語では「sagittal plane」という。つまりお辞儀をするような鶏の首の動かし方を、鴎外は自身の医学的知識によってこう表現したということではないかと思う。

 「かのように」も現代ものだが、これは話の筋よりも、神や宗教などに対する当時の知識人の態度を論ずる観念小説だと言える。ラスト付近の綾小路の「駄目、駄目」が小気味よい。けっきょく秀麿は、「かのように」が支配する既存の権威と“なぁなぁ”な関係を保ったまま進歩的な論文を書こうとしていた、ということだろうか。ただ、作者はそんな秀麿の態度に対し、綾小路の口を借りてダメ出ししているわけで、戦前の陸軍幹部だった作者としては、なかなか怖いもの知らずだと感じた。
 こうした「かのように」の問題というのは、現代日本ではどうなっているだろうかと考える。年中行事として宗教は残っているが、恐らく各宗教の信者は、減りこそすれ増えてはいないのではないかと思う。反面、大学進学率は高いしネット普及率も高く、「かのように」の領分で生きている人は鴎外の頃よりも増えていると考えられる。ただ、その多くは、神話と歴史を断絶させない綾小路的な考えに立っているのではないだろうか。私自身もそうだと思う。
 この小説でも疑問が1点。秀麿と話す綾小路の台詞に「君がロアで、僕がブッフォンか。ドイツ語でホオフナルと云うのだ。」(p.119)というのがある。これが何を指しているのか不明である。何か物語になぞらえて言っているのではと思うが、私のドイツ語力と知識では分からなかった。詳しい人に会うことがあったら聞いてみようと思う。

 「阿部一族」「堺事件」は、ともに武士と死について描いている。
 「阿部一族」は三島由紀夫の「憂国」ほどではなかったが、やはり一族がみな死んでいくところは、あまり気分が良くなかった。史実に取材しているとされるが、本当に史実そのままなのか、脚色が入っているか、という辺りはまた議論があるようである。

 また、この作品でも1つ分からないことがあった。殉死を許されなかった阿部弥一右衛門に対し、命を惜しんでいるのではないかという噂が立つのだが、その時に「瓢箪に油でも塗って切れば好いに」(p.152)と言われ、そのあと弥一右衛門は実際に「己は今瓢箪に油を塗って切ろうと思う」(p.153)と言って死ぬ。もちろん皮肉なのだと思うが、なぜ瓢箪が出てくるのか分からない。容器としての瓢箪ではなく、何かの比喩なのかと思って調べたりもしたが、有力そうな情報はなかった。

 「堺事件」も、公然と切腹する描写に弱った。ただ、くじ引きで死ぬ者を選んだり、死刑ではなく切腹させろと大目付に強く迫ったり、切腹を待ちながら寺ではしゃいだりという辺りは、悲壮というよりは突き抜けた可笑しさが先に感じられた。当時の人にとっては、切腹というものが本当に名誉だったということなのだろう。
 現代でも、ビジネスやスポーツの場で、侍とか武士道という言葉は割と口に出されることが多いと思う。しかし、この2篇で示された、登場人物たちが切腹や義を貫いて死ぬことを美徳と考える様子を読むと、我々の捉えている侍や武士道という概念とは、かなり隔たりがあるのではないかと感じた。
 藩医の子として幕末に生まれた鴎外が、どれほど武士道というものに触れて育ったかは知らないのだが、10代にして近代医学を学び始めていたことは年譜を見れば分かる。日本のちょうど狭間の時期に立った彼の抱いた疑問が、これらの歴史小説に逆説的に表れているような気もする。

 以降3編はごく短い作品である。「余興」は、何となく「かのように」を思わせる。楽しむことというのは、難しく考えるとできなくなるということか。
 「じいさんばあさん」は志賀直哉の「老人」と同じく人の一生を短く描いたものとも言えそうである。夫がふと犯してしまった罪によって引き裂かれ、子も亡くした夫婦の再会には、どんな感情が伴っていただろうか。
 「寒山拾得」とその縁起。時代物だが、「阿部一族」などとは少し違って中国の話である。宗教に対する3つの態度など、ここにも「かのように」の匂いがあるように思う。

 今のところ私にとっての鴎外は、「舞姫」や「普請中」(本書には入っていない)の醸し出す、ちょっと陰がありながらも浪漫的な印象が本領である。よって本書の一押しとしては「舞姫」「うたかたの記」を挙げる。
 また、面白くはないが「かのように」の提示する問題や、「鶏」の呑気さもいいだろう。「阿部一族」「堺事件」も引き込まれて読んだが、それが鴎外独自の魅力によるものだったかというと、そうでもないように思った。

阿部一族・舞姫 (新潮文庫)

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