何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

文部省(当時)『あたらしい憲法のはなし』の感想


(2004年6月読了)

 「本の会」(どんな会かは過去の記事を参照)で7月の課題図書として読んだ。50年くらい昔(2015年現在からすると70年近く前)に中学1年生の教科書として採用されていたものらしい。日本国憲法の成立と、そこから派生している諸事項について、中学生でも読めるように簡単に書かれている。いちおう目次を示しておこう。

一 憲法/二 民主主義とは/三 国際平和主義/ 主権在民主義/ 天皇陛下 戦争の放棄/ 基本的人権 国会/ 政党/ 内閣/十一 司法/十二 財政/十三 地方自治十四 改正/十五 最高法規

 私はもちろん教科書としてこの本を読んだ世代ではないのだが、たまに挿入されている図版なんかは社会科の資料集で見覚えのあるようなものもあった。例えば兵器が入れられた壺のようなものに「戰争放棄」と大書してあって、そこからビルや列車、船舶や自動車などが出てきている図。「兵器に用いた資材を平和利用しよう」という意味だろうか、これは明らかに見覚えがある。この本が初出ということだろうか。

 とても重要な本とは思うが、今現在においては、その内容を一から十まで無批判に受け取るべきではないと思う。さすがに昔の本なので差別用語なんかはそのまま用いられているし、これほどまでに無党派層が拡充した今、国民の意見が必ず政党の意見のどれかになる、という言説も適当ではない。それに、日本国憲法を「あたらしい国民の代表がえらばれて、その人々が憲法をつくったのです」という言説は、例えば白洲次郎の『プリンシプルのない日本』での「米国製憲法」など一連の記述に照らせば矛盾する。

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

 

 用語の使い方や政党政治については仕方ないにせよ、いちばん最後の点については、この本に対する読者の態度を批判的にさせざるを得ないのではないだろうか。実際のところは白洲次郎の記述が間違っている可能性だってあるのだが、私が長じてから見聞きした政府の様々な対応を見るにつけ、どうしても白洲の方を信じたくなってしまうのは致し方ないことと言えまいか。

 とはいえ、戦前の軍国主義を戦後の民主主義に安直に塗り替えようとしたプロパガンダ的書籍、という捉え方もまた、一面的に過ぎると私は思う。政党政治についてはともかく、他の多くの部分は今現在の状況に照らした説明としても有効であろう。殊に「二 民主主義とは」「三 国際平和主義」「四 主権在民主義」あたりは、公民の授業で習ったようなこれら概念の重要性を、平易な言葉で改めて認識させてくれる。特に私にとって印象的なのは「国際平和主義」だった。ここに記された「自分のことばかり考えない」という理念は、戦争の放棄よりも優先的に留意されていい考え方ではないだろうか。なんとなく「国益」という前提が先行する感のある中で、そんな風に考えた。図書館で一読くらいはしてよい小冊子である。

あたらしい憲法のはなし (小さな学問の書 (2))

あたらしい憲法のはなし (小さな学問の書 (2))