何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

藤森照信『人類と建築の歴史』の感想


(2019年6月読了)

 当時、とつぜん建築に関する仕事が入ってくることになり、付け焼刃でも建築について知る必要が生じた。その際に手に取った本の1冊である。
 結果的に、あまり仕事の役に立ったとは言えなかったが、スケールの大きさと語り口の軽妙さも手伝ってか、読み通したのは本書だけだった。

 ちなみに、仕事で役立ったのは以下のムック本のような有名な建築物のまとめのような本だった(いささか現代建築が多めだが)。同書は、もう紙媒体のものは入手が難しいかもしれないが、電子書籍としてはサブスクリプションサービスである「Kindle Unlimited」の対象にもなっており、手軽に読むことができる。

 「建築の歴史」と銘打たれているが、本書の構成は、それを十全に示したものとは言い難い。以下の概要をご覧になれば、その理由が分かるだろう。

概要

第一章 最初の住い

 人類がまだマンモスをごちそうとして食べていた頃、風雨を防ぐ場所とは、木や岩の影、洞穴などだった。マンモスの牙や皮を使った仮の宿が作られていたことも知られている。
 土器と磨製石器が発明されると、それは農耕(根底には豊饒と多産をもたらす地母神への信仰があったに違いない)、牧畜の開始へと繋がり、さらに磨製石器による伐採・木工技術によって、初めて「家」を持つに至った。それは始め円形で、技術の発展に伴って四方形となった。家が集まり集落となり、それは人々に郷愁を感じるための時間的連続性すらもたらした。

第二章 神の家――建築の誕生

  旧石器時代には恵みや多産をもたらす地母神新石器時代には太陽神への信仰が生まれた。前者は遺跡の内部空間として、後者は巨石などの巨大建造物として表現されている。太陽神への信仰の登場は、農耕の定着によるものと考えられる。
 母なる大地と父なる太陽への二つの信仰は重なり合っていた。マルタの神殿と呼ばれる巨石遺跡は、内部に生死を司る地母神、外観に地母神を支配する太陽神を、それぞれ象徴したものである。
 内部と外観に神の存在を意識させるための表現が凝らされたこの神殿は、〈住まい〉と区別される〈建築〉の成立を示唆する。新石器時代の神殿の典型例が、ストーンヘンジに代表される「スタンディングストーン(立石)」である。

第三章 日本列島の住いの源流

 日本の原始時代も、他と大きく変わるところはなかった。ただ、縄文土器については、世界各地の新石器時代の中でも抜きんでて充実していた。
 この時代、円形の竪穴式住居が作られており、材木は主にクリだった。これは磨製石器で加工がしやすかったためと考えられる。例外的に、倉庫は高床式で造られた。
 現在、当時の竪穴式住居を復元すると茅葺屋根が美しいが、当時はそれほど綺麗には作られなかっただろう。まだ金属製の刃物などが存在せず、加工が未熟だったことにもよる。

 紀元前3世紀ごろに鉄器がもたらされると、弥生式土器も現れ、農業は発展して稲作が始まった。連動して住まいも南方式の高床式住居が見られるようになる。竪穴式は庶民の、高床式はリーダーの住まいとなった。
 ある古墳から出土した「家屋文鏡」という青銅の鏡の飾りに示された4つの家は、王の霊が暮らすものと解釈できる。すなわち、夏の家、冬の家、神殿、倉庫ではないか。
 弥生時代から古墳時代にかけての建物は、縄文時代に比して、構造、材木という面で進歩した。鉄器による加工が可能になったことも大きく、ここに至って建築は美しさを獲得したとも言える。

第四章 神々のおわすところ

 日本における神の住まいはどうだったのか。縄文時代以降について、その様子を知ることができる。縄文時代には、地母神信仰の証として土偶――例えば“縄文のヴィーナス”のような――が多く作られた。太陽神信仰を示すスタンディングストーンも、幾つかの例を認める。巨石でなく巨木を用いる例もあった。
 弥生時代以降、神々の居場所がどう変遷したかを伝える例として、沖縄の御嶽、信州の諏訪大社、奈良の春日大社若宮が挙げられる。
 御嶽は何もない空間であり、諏訪大社御柱祭縄文時代の巨木文化を思わせる)は太陽神信仰を、神が自然の樹木を「依代」とするという湛(たたえ)の木の信仰は地母神信仰を今日に伝えている。春日大社若宮では、ふだん山奥におわす神が神官たちの榊の枝を伝わって移動する。これら3例には、本殿の建物というものが存在しない。

 本殿がないことが原型である神社が、なぜ本殿を持つに至ったのか。神社建築の三大源流に沿って示す。
 伊勢神宮の“唯一神明造り”は真御柱(しんのみはしら)の上に仏教建築に負けまいと高床式住宅を被せたもの、出雲大社の“大社造り”も中央の磐根柱(いわねばしら)をカバーするもので、いずれも縄文時代の太陽神信仰に重なる。一方、春日大社の”春日造り”は、神を乗せて運ぶ神輿が起源で、それが固定化したものと言える。
 日本のように、地母神、太陽神への古い信仰が残っているのは珍しい。

第五章 青銅器時代から産業革命まで

 青銅器時代以降、世界各地では独自の発展を遂げ、共通点を見いだすのは難しい。
 古代エジプトでは、オベリスクとピラミッドに太陽神信仰の名残りがみられるが、古代ギリシアでは太陽神も地母神も地位を落としている。古代日本の最高神天照大神男神ではなく女神である。マヤやアステカでは太陽神信仰が異常な盛り上がりを見せた。

 仏教、儒教キリスト教イスラム教が成立すると、世界の建築の共通性は更に乏しくなっていく。キリスト教の教会建築には集中式とバシリカ式があったが、後者が主流となった。仏教建築は正方形から始まり、神聖感を増すために縦長となったが、人員収容の利便性から横長のものが多くなっていった。神社、住宅についても横長がメインとなった。

 時代が下るほどに多様さを増した世界の建築だが、大航海時代に風向きが変わる。ヨーロッパ内部ではルネサンス建築――過去に回帰した歴史主義的な建築が増え、外部に対しても土着の文明を征服して歴史主義建築が建てられ始めた。
 産業革命の時代に至ると、ヨーロッパによる支配が確立する。鉄とガラスとコンクリートが登場するものの、それは歴史主義建築の補強に終始し、世界はヨーロッパ的歴史主義建築に席巻された。しかし、それらも突如として消える時が来た。

第六章 二十世紀モダニズム

  19世紀末に登場したアール・ヌーヴォーを契機に、新たな建築デザインへの渇望が高まり、それはドイツの「バウハウス」に収束した。そこで見出されたのは、鉄・ガラス・コンクリートを用いた、無国籍にして国際的、そして幾何学的な建築だった。その流動性・透明性の実現には、日本の伝統的な建築がインスピレーションとなったという。こうした建築の登場は、人間がその目を外から内へと向けたためと考えられる。

 共通の一点から始まり、各地で多彩な展開を見せた建築は、ここに至って再び一つになった。より軽く、より透明にと求めるのが現在の主流だが、それに対する反発もある。

感想

 若い世代を読者に想定した「ちくまプリマー新書」らしく、分かりやすい文章で興味深く通読した。以下、幾つかの要素に分けて述べる。

構成について

 やはり、まずは構成について触れるべきだろう。
 概要をご覧の通り、「人類と建築の歴史」という題名ながら、紙幅の半分以上が歴史の初期(縄文・弥生時代周辺)に費やされており、それ以降の中世から近代までを5章の19ページに凝縮している。最後の6章が20世紀モダニズムに充てられているのは頷けるとして、やはり5章に詰め込み過ぎという印象は否めない。むしろ、その「まとめて一つに扱うことはできない(p.134)」各地の建築について知りたかったのだが。
 著者自身も「あとがき」で、以下のように反省めいたことを書いている。

でも、ふつうの人がなんとなく思うような建築の本とはだいぶちがったものになってしまった。片寄ったというか、自分でいうのもヘンだが破天荒というか……。(p.169)

 この内容であれば、2章の章題にもなっている「建築の誕生」などを書名とした方が適当ではなかったろうか。

 書名と内容の間に、なぜこうした齟齬が生じたのか、その原因については想像するしかない。
 最も可能性が高いと思うのが、出版社サイドがしっかりとした執筆依頼をしなかったのではないか、ということである。
 何となく打ち合わせをして、「あとはご自由にお任せします」で済ませていると、著者は我田引水を始めかねない(どんなに優れた文章を書く人でも、結果としてそうなることは実はよくある)。“我田”が企画に近ければ問題ないが、そうでない場合、当初の企てとは大きくずれた原稿が上がってくることとなる。本書も、書名と企画が先に決まっており、「それに沿うように」という、ざっくりとした依頼だったのではないか。

 あるいは、逆に著者の藤森氏が先に原稿を書き上げ「本にできないか」と出版社に持ち込んだのであれば、以下のような経緯も考えられる。すなわち、著者は腹案として書名も考えてはいたものの、それが出版社サイドによって現状のものに改められた、ということである。
 これも往々にしてある話で、著者による書名案が箸にも棒にも掛からない場合もあるが、“売れそうな書名”に変えるというパターンも同じ程度に多い。もちろん、いずれにせよ結果的に正解だったということの方が多いと思うのだが、本書のように内容と書名にズレが生じてしまうこともある。その場合は、やはり読者に有益とは言えないだろう。

 好き勝手に邪推を書き連ねたが、事実がどうだったかは、むろん分からない。ただひとつ確かなのは、私が肩透かしを食ったように思ったことである。

神という視点

 とはいえ、「読んで損をした」という感想は抱かなかった。マグロの刺身を頼んだらカツオとアジの二点盛りを出された、という程の満足は感じられたのである。

 本書の核心は、やはり2章で語られていることであろう。
 人類は神という視点を得たことで、初めて〈住まい〉ではなく〈建築〉を見出した。著者の主張をそう要約してよいかと思う。つまり、著者にとっては「神」という要素が建築に不可欠ということになる。この説はこの説で、私には興味深いものと感じられた。

 文明の黎明期の神として、著者が挙げているのは地母神と太陽神である。興味本位で各地の神話を調べたことがあるのだが、その際に私が抱いた感想と、この二系統の神を挙げた著者の感覚はとても近いと思う。
 名前は異なれど、各地で同じように地母神と太陽神を人類の母と父として崇める原始的な信仰形態のまま歴史が推移していたのなら、世界はもっと平和だったに違いない、などと夢想した。
 もちろん現実にはそうはならなかったのだが、ではなぜ、そうはならなかったのか――言い換えれば、なぜ各地に異なった宗教が生じたのか――という素朴な疑問を抱いた。簡単に答えの出る問いではないが、持ち続けたい問いである。

建築史が描いた紡錘形について

 各地に異なった宗教が生まれ、建築も多様性を増していったが、ヨーロッパが一時の覇権を握ったことで建築の西欧化が進み、かと思うと従来のどの建築とも連続性のないモダニズム建築が生まれた。これが、本書5章以降で書かれていることである。20世紀初頭までの近代化≒西洋化という構図が、いつしか当然の成り行きのように変容してしまったのが興味ぶかい。

 とはいえ、著者は否定しているものの、バウハウスもまたドイツという西洋に設置されたものであり、それは本当に西洋から自由なのだろうか、という疑問は拭い切れない。バウハウス的な建築を規定するのは幾何学(数学)であり、そこに「国籍はない(p.156)」というが、その幾何学こそ、ピタゴラスらを代表とする西洋の賜物ではなかったか。
 言い方を換えれば、“もしも、もう一度はじめから世界史がやり直され、西洋以外の文化圏から近代化が始まったとして、その後に来るだろうバウハウス的な建築は、いま現実に起こったバウハウスと相違ないものなのだろうか”という疑問になる。

 ただ、いずれにせよ、近代ヨーロッパ的な建築から20世紀モダニズム建築が世界を席巻しつつあるのは事実だろう。それは冒頭に示した『死ぬまでに見ておくべき100の建築』を見ても確かめることができる。

 始点の原始時代は単一で、間の時代には各地で多様に膨らみ、現代で再び単一に戻ろうという建築だが、これは完全なシンメトリーを描いているとは言えないと思う。原始の頃にあった神の視点が、現代では殆ど無くなっているからである。
 それが福音なのか凶兆なのか、にわかには判断できない。ただ、そうした考えに至ったという点だけでも、読んだ意義のあった一冊と言える。

補足

 なんとなく最後が薄ら寒くなってしまったように思うので、もう少し本書の仕様について書いて補足としたい。

 スケールの大きさに、どこかしら冷たさを感じる内容に反して、文章は温かみのあるものである。分野は少し違うが、私が大学生だった頃、老教授の民俗学の講義を受けていたことを思い出した。著者を描いたと思われる、南辛坊氏による挿絵が6点ほど入っているのも、そうした印象を後押ししているのだろう。

 写真や図版も35点入れられており、文章だけでは分かり難いところの理解を助けてくれる。この辺りは素直に良い作りだと思う。

人類と建築の歴史 (ちくまプリマー新書)

人類と建築の歴史 (ちくまプリマー新書)

  • 作者:藤森 照信
  • 発売日: 2005/05/01
  • メディア: 新書
 

 

プライバシーポリシー /問い合わせ