何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

萱野葵『段ボールハウスガール』の感想


(2004年11月読了)

 当時、連休中の深夜に、終夜営業している近所のモスバーガーになぜだか居座って、軽く読めそうなものを一晩で4冊ほど一気読みした。この本は、その1冊目である。200万円を盗まれた女の無軌道な路上生活を描いた表題作と、仕事を辞めた主人公とアル中だった弟の暮らしを描いた「ダイナマイト・ビンボー」を収めている。

 実は、最初に読んだのは表題作のみを収録した文庫本だった。

ダンボールハウスガール (角川文庫)

ダンボールハウスガール (角川文庫)

 

 その後しばらくして、「単行本にはもう1編入っている」という情報を得て単行本を読んだのである。このため厳密には文庫→単行本という順序で別個に記事にするところだが、重複するので単行本1冊についての記事で足れりとする。
 ちなみに「ダイナマイト・ビンボー」も、新潮新人賞受賞作「Merci la vie」(「叶えられた祈り」改題)を併せて文庫化されている。単行本の内容をそのまま文庫化する、というのはよくあるが、1冊の単行本に収録された作品を、別々の文庫本として出すのは珍しいと思う。表題作は米倉涼子主演で映画化されたようだが、文庫版の表紙も映画に準拠していることから、そうした事情があったのかもしれない。ちなみに映画はかなり翻案されているようである(未視聴)。

ダンボールハウスガール [DVD]

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 前置きが長くなったが、以下、あらすじを示そう。

あらすじ

 「段ボールハウスガール」。OLの杏(あん)は、爪に火を灯すようにして貯めた200万円を盗まれてしまう。勤労意欲が消失した彼女は、身の回りのものを処分し、路上生活に身を投じる。出身の大学や図書館を根城にして暮らすが、やがて金が尽き、新宿駅周辺でファストフード店の残飯を漁り、西口の地下通路に段ボールの家を構えるようになっていく。クラブのフリードリンク・フード券でタダ飯を食い、公衆トイレからチラシやティッシュを失敬し、パーティーに潜り込んだりして、杏の段ボールハウスライフは続いていく。
 やがて杏は現金収入のためにQ2のバイトを始めるが、軽蔑と虚勢の入り混じった会話に倦み、携帯電話を契約して家庭教師の口を探す。教え子となった裕福な家の女子中学生・山口恵美は、杏の指導で成績が上がったこともあり彼女になつき、一緒にクラブに出かけたり遠出をし、自らが抱える闇を吐露したりもする。恵美の望むことに対し、杏は金と引き換えに可能な限り応えるが、その心情は共感や同情とは隔たっていた。そうした家庭教師の仕事と並行して、杏は寸借詐欺を繰り返すようになっていく。
 恵美は第一志望に合格し、杏は相変わらず段ボールハウス暮らしを続ける。古看板を転売して小金を稼いだり、サラ金で金を借りたりして貯金を増やす中、高校生になった恵美と再会するが、それは杏に苦いものを残すだけだった。
 段ボールの家を壊し、買った自転車に跨って杏は移動する。行き着いた小学校で夜明かしすることにするが、そこで見つけた焼却炉に心惹かれ、その中に入っていく。段ボールハウス生活をしているうち、貯金は200万円を超えていた。焼却炉の中、ゴミと一緒になりながら、杏は携帯電話から誰とも知らぬ番号に電話をかける。満ち足りた気持ちだった。

 「ダイナマイト・ビンボー」。5年かけて大学を卒業し、24個の就職試験に落ちた土方鏡は、小さな倉庫会社で働いている。3つ下の弟の汚夢は、中学3年の頃から引きこもり、アルコール依存症になって、それがもとで両親は離婚、父親は家を出て再婚した。18歳になると汚夢は鏡のアパートへ転がり込んでき、やがて母親は亡くなった。
 楽ではない生活のため、鏡は働かない汚夢に言いつけ、毎日の昼食を職場まで届けさせ、夕食も作らせている。大学で空手をやっていた鏡の肉体は鍛え抜かれ、時おり衝動的な攻撃性が頭をもたげる。それがためか、鏡は汚夢を追い出してしまい、弟との同居によるストレスが解消されて喜ぶが、結局は料理を引き受けていた汚夢を再び家に置くことになる。ふと、鏡は働くことに嫌気が差した。
 近所の診療所で「自分は病気だ」と言い張り、精神科のクリニックでは異性への恐怖、職場でのいじめなど、あることないことを言い続け、ついに鏡は診断書を持って福祉事務所を訪れる。相談員をどうにかごまかし、ついに2人は生活保護の生活を勝ち取る。
 しかし、それも長続きはしなかった。医師は鏡を疑い、戦わずにはいられない鏡自身も、現在の境遇を良しとしない言動をしだす。
 生活保護は打ち切られる。貯金を切り崩しながら、鏡は公務員採用試験の勉強を続ける。問答の最中、ふと走った言葉を真に受けた相談員が用意した問題集と参考書を使って。生活は困窮していき、久しぶりの父親からの電話も実を結ばず、汚夢は衰弱していく中、満足に食事もせずに鏡の「戦い」が続く。
 なんとか二次試験まで進んだ鏡は、生活費のために小さな罪を犯す。ほどなく汚夢の衰弱がつのるが、家賃滞納によって2人はアパートを出ていくことになる。汚夢を背負い、行き着いた鉄塔の下、鏡は試験結果を待つのだった。

感想

 「段ボールハウスガール」の前半は、いかに出費を抑えて屋外生活を送るかというもので、都市の中での漂流記の様相を呈している。読んだ当初、かなりシチュエーションは違うが、以前読んだ池澤夏樹『夏の朝の成層圏』を想起した。ざっと再読した今の感覚としては、その後に読んだ吾妻ひでおの漫画『失踪日記』の方が近いと思う。

失踪日記

失踪日記

 

 大学構内や飲食店などを巡って生活物資を確保し、段ボールで快適な住まいを作る様子は、それなりに楽しめる。杏が色々な食べ物を妄想するシーンで「テオレグラッセ」という飲み物らしきものが出てくるが、つまりは紅茶とミルクを混ぜたもののようである。新宿などに店舗のあるロクシタンカフェの冷たいベルガモットティーにミルクと生クリームを加えたものが有名なようだ。
 段ボールハウス生活までは、ある意味で健全な展開なのだが、中盤に入ってQ2ダイヤルのバイトや家庭教師を始める辺りから、様子が変わってくる。家庭教師としての教え子・恵美との関わりがメインとなるのだが、杏は教え子に対して終始ドライで、それが色々と悩みを抱えた恵美には逆に優しさと取られる。
 よくあると言えばよくある展開だが、合格を果たした恵美と杏が別れの挨拶をするところは少しばかりしんみりした。しかし、その一方で杏は金のために軽犯罪に手を染めていき、あまり魅力的には描かれないところが独特と言えるかもしれない。

 ところで、杏が恵美が持っている美術の教科書をぱらぱらとめくる場面が2度ほどあるのだが、そこで出てくる「日本人画家が描いた、雪景色の中の蕎麦屋の屋台の水彩画」も「枯れ草色に広がる一面の草原と、ブリキの盥(たらい)と小さな木の家が描かれているアメリカ人画家の絵」も、私にはどんな絵か思い至らなかった。使った教科書が違うためだろうか。もし分かる方がいたら、誰のどんな作品なのか、教えていただきたいと思う。
 恵美との別れで終わっていれば綺麗な幕切れだったかもしれないが、そこから繋がる後半で、また雰囲気が変わっていく。段ボールハウスという疎外状況から見た現代社会への不快感という言葉が私には浮かんだが、正直なところラストシーンは作者の意図が分かり辛かった。

 「ダイナマイト・ビンボー」の方も、大まかに言えば主人公が仕事を辞める話である。しかし、それで主人公たちが向かうのは段ボールハウスではなく生活保護で、方向としては正反対と言えるだろう。
 作中の雰囲気も、「段ボールハウスガール」が割とからっとしているのに対して、こちらは湿度が高いように感じる。それは汚夢という名を付けられた、主人公の弟のためだろう。
 主人公の鏡と同様、ルビが振られていないので読みは不明だが、「おむ」と読むのだろうか。両親が何を考えて名付けたのか、既に2人の実家と言える場所が存在しないことを含めて考えるだけでも、かなりじめっとした気持ちになる。加えて引きこもりでアルコール依存症の既往があり、おおむね主人公に従属して過ごし、生活保護が打ち切られてからは衰弱していく一方と、健気だが主体性がない様子に、読むのに少し気が重くなった。
 そんな弟に対して「人と喧嘩することが大好き」な鏡の生き方は格好よく、後半では公務員試験の勉強に奮闘する様子が、閉塞していく作品内で唯一の脱出路であるかのように描かれて引き込まれる。が、鏡もまた、危うさを秘めている。生活の為に犯罪まがいの行為に手を染め、しかし最終的にそれを自分で許せないというそのアンバランスさは、やはり表題作の杏に通じるものがあるだろう。

 2作に通底しているのは、社会への不信と、そこから生じる働くことへの意欲喪失だろう。あるいは、そういう社会への悪態、だろうか。もう少し遅くに書かれていたならば、ワーキングプア(国内の用語としては2005年ごろから登場)、格差社会同じく2006年ごろから登場)、ネットカフェ難民(2007年ごろ)、派遣切り(2008年ごろ)といった要素が絡められていたのかもしれない。が、そうした言葉が人口に膾炙する前の1999年の時点で書かれたことに、この2作の先見性があった、ということなのかもしれない。
 ただ、大切なテーマを扱っているものの、今ひとつ説得力が足らないように思える。主人公たちの思考回路がかなり独特で、私には共感できなかったためだろうか。
 しかし、ギリギリの貧乏暮らしを覗き見るというのは、この本が出た後に人気を博したバラエティ番組「銭形金太郎」を出すまでもなく、一定数の人を引き付けるには違いない。私自身、この本を手に取った理由に、そうした興味がないではない。
 機会さえあれば、割と多くの人に読まれる類の作品ではないだろうか。眉を顰める人も、そこそこいるかもしれないが。

段ボールハウスガール

段ボールハウスガール

 

 

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