何か読めば、何がしか生まれる

純文学からラノベまで、文芸メインの読書感想文です。おおむね自分用。

江國香織『きらきらひかる』の感想


(2003年10月読了)

 また漱石を一休みして現代小説。江國香織を読むのも3作目である。
 あらすじを軽く。

あらすじ

 見合いをして、10日前に結婚した笑子と睦月。笑子はイタリア語の翻訳をやったりやらなかったりし、睦月は内科の勤務医として働きながら掃除や料理をする。
 しかし、寝室のチェストの最上段に入っている2通の診断書は、2人が普通ではないということを物語る。

 笑子はアルコールに依存し情緒不安定。睦月はもともと同性愛者なのである。2人はそれでもお互い納得して結婚した。

 睦月の恋人である大学生の紺は笑子とも不思議な親しみと覚えあう。また睦月の同僚の産婦人科医でやはり同性愛者の柿井と、その恋人で脳外科医の樫部といった面々とも知り合い、そんな“銀のライオン”たちと笑子は楽しい一夜を過ごす。

 しかし、睦月の秘密を知らない笑子の親は2人の子どもを望み、睦月の母親も笑子に人工授精を勧めてくる。友人の瑞穂も笑子に子どもを設けるよう言うし、睦月は紺と逢瀬を重ねつつ、笑子の元恋人である羽根田を彼女に会わせようとする。
 傷つき荒んでいく笑子の心。結局は親族を集めて話し合いをすることになるが、結論は出ない。

 柿井に突飛な相談を持ちかけたりする笑子だが、そんな中、紺が姿を消す。1か月後にもたらされたそれは、解決だっただろうか。3人は再会し、乾杯した。

感想

 アルコール依存症気味の妻と同性愛者の夫、そして夫の恋人という3者による、恋愛なのか友情なのかいまいち分からない感情を描いた小説である。
 薬師丸ひろ子豊川悦司の主演で映画化されたのは1992年のことだそうだ。現代小説といいつつも、この作品も既に20年以上前のものであることに驚く。

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 正直なところ、話としては問題は解決していないと思うのだが、それはよかったのだろうか。それはちょっと置いておいて、本筋以外のところでの、料理とか道具とかインテリアといった事物の描き方がやはり良かった。

 シャンパンマドラーなる道具が存在するのは、この小説で初めて知った。睦月曰く「上等のシャンパンには必要ない」(文庫版p.21)そうだが、私はそうたびたび上等のシャンパンを飲むこともないし、もしも結婚式の引き出物で貰ったカタログギフトに載っていたら、貰っておいてもよさそうである。 

 話をテーマやその辺りに戻す。
 夫が同性愛者である場合以外にも、世の中には色々な事情があって子のない夫婦はいるだろう。例えば昨日の『門』(当該記事)に出てきた宗助と御米の夫婦のように、肉体的にどうしても子が成せないということだってある。
 それを思うと彼女達の場合は、そんなにものっぴきならないことだろうかと少し思った。どうしてもその辺りは想像するしかなく、やや心苦しい。

 この小説には、彼女達の10年後を描いた「ケイトウの赤、やなぎの緑」という続編がある(『ぬるい眠り』所収)。こうした点について何らかの答えが描かれているのかは分からないが、いずれ読んでみたい。
 それと、笑子の「嘘をつくことなんて何とも思ってないもの」(文庫版p.200)という言葉は衝撃的だ。と同時に、ある種の人ってそうだよな、とも思った。誠実であるために嘘をつく人は、確かにいる。

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 あとは2点ばかりこぼれ話を。
 この小説のタイトルは、入沢康夫という1931年生まれの詩人の、最初の詩集『倖せそれとも不倖せ』に収められた詩から頂いたとのことである。
 詩に凝らされた技巧が面白く、この詩集を探してみたが、どうも現在は絶版のようである。図書館などで発見したら見てみたい。

 また、笑子がバスタブに避難するところは、『冷静と情熱のあいだ』(当該記事)の女性側の主人公あおいと同じである。
 笑子がイタリア語の翻訳をしていたり、睦月がいわゆるインテリで“もののわかった”男(作中の表現を借りれば「良心という針をたくさん逆立てたハリネズミ」[同p.180])であることも、後の『冷静と情熱…』に繋がる要素としてみられる気がする。

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